二度目の軽音部、そしてお持ち帰り
「よーう、ソラ。良く来たなぁ」
放課後になって。
訪れた軽音部の部室でソラを迎えてくれたのは、強面の顔に満面の笑みを浮かべた部長さん。
彼は大きな手で、ソラの頭をわしわしと撫でた。
「こ、こんにちは」
「おう。さ、遠慮しないで入れよ」
おずおずと見上げると、にかりと笑った彼が中へ招き入れてくれた。
教室の中は、今日も見学者がいっぱいで。
ついつい怯んでしまうソラを、部長がぐいぐいと引っ張って他の部員のところへと連れて行ってくれた。
昨日、顔を合わせている他の部員達が口々に声をかけてくれるが、その中に涼香の姿はまだなかった。
(ど、どうしよう。ちょっと怖い)
悪い人たちじゃないと分かっているのだが、初対面に近い人達の中に居るという状況がソラの心を怯えさせる。
そんな、人慣れしていない小動物のようなソラの様子は彼らの庇護欲を大いに誘ったが、そんなことはソラの知った事ではない。
「おい、悠木。大丈夫だからこっちに来な。別にとって喰ったりしねーから」
びくびくと落ち着かない様子のソラを見かねたのか、そんな風に声をかけてきたのは、昨日、涼香と親しそうだった男子生徒だ。
「あ、は、はい。えと……」
「立花だ。立花徹。涼香とは同じクラスだよ。んな怯えなくても大丈夫だ。みんな、顔は怖いかもしんねぇけど、中身はそんな怖くねぇから」
「す、すみません。まだ、慣れてなくて。立花、徹センパイ?」
「おう。なんだ」
「いえ、名前がうちのパ……お父さんと一緒だなぁって思って」
「ふうん。悠木の親父もトオルっていうのか。まあ、徹でも立花でも、好きな方で呼んでくれよ」
「はい。じゃあ、立花センパイって呼びますね」
「ああ。よろしくな」
呼ばれるままに彼の隣に並んで、ぼそぼそとそんな会話をしていると、徹の肩に部長がのしっとのしかかる。
「おいおい、ずりぃぞ、徹。お前ばっかソラと仲良く話してて。ほれ、他のみんなもソラとおしゃべりしたそうにしてんぞぉ?」
「部長こそ、ちょっと馴れ馴れしいんじゃないすか?いきなり名前呼び捨てってどうなんすかね?普通、名字呼びでしょ」
「ああ?別にいいじゃねぇか。なぁ?ソラ。別にいいよなぁ?」
「はぇ?あ、えっと、はい」
「悠木に聞くのはずるいっす。部長にそう言われて、一年の悠木がイヤだっていえる訳ないじゃないっすか。……涼香に怒られますよ?」
「はっ。涼香なんて怖かねぇよ、別に。なぁ、お前等もソラって呼びてぇだろ?」
徹の忠告を鼻で笑って、部長は他の部員に問いかける。
三年生部員らしい他の男子生徒は、そんな二人の様子に苦笑を漏らし、
「や。俺は涼香が怖いし。普通に悠木さん、で」
「あ、俺も俺も。涼香が怒ると、マジでシャレになんねぇからな。俺は悠木ちゃんって呼ばせてもらうかな」
口々にそう答えた。
そんな二人の模範解答に、部長はつまらなそうに唇を尖らせる。
「んだよ~。意気地なしめ」
「そういっておきながら、涼香に怒られたらすぐひよるくせに。悠木さん、昨日も自己紹介したけど、改めて。俺が副部長の雨沢俊樹。部長の下村は音楽バカだから、何か困ったら俺に相談して下さい。よろしくね」
「は、はい。雨沢センパイ。よ、よろしくお願いします」
雨沢は、他のメンバーに比べると若干小柄な、物腰の柔らかい人だった。
彼は、ソラの緊張を和らげるように微笑むと、
「楽器はキーボードを担当。昨日は弾いてもらわなかったけど、悠木さん、キーボードもいけるの?」
そんな風に、如才なくソラに話しかけた。
「はい。マ……お母さんがピアノを教えているので、小さい頃から習ってました」
「そっかぁ。悠木さんは音楽の英才教育を受けてるんだねぇ。今度、キーボードも聞かせてね」
「はい。わかりました」
言葉を交わすうちに、少しだけ緊張のとれたソラが、口元にちらりと笑みを浮かべる。
それを見た雨沢も、ちょっとほっとしたようにその目元を少し和らげるのだった。
「んじゃ、次は俺な?えーっと、三年の志村良平。楽器はドラム。よろしくな、悠木ちゃん」
雨沢の向こうからひょっこりと顔を覗かせて話しかけてきた男子は、長めの髪をうなじの辺りで一つにくくった、ちょっと軟派な感じの人だった。
がっちりしていると言う感じはあまりしないが、身長は高い。
軽音部の中で、多分一番背が高いだろう。
ずっと見上げていると、首が痛くなりそうだなぁと、そんな感想を抱きながら、背が平均より小さいソラは、彼の顔を仰ぐように見上げた。
「えっと、志村センパイ。よろしくお願いします」
「悠木ちゃんの昨日のドラムテク、かなりのもんだったね。今度、色々教えっこしような」
「は、はい。よろしくお願いします」
「ちなみにさ、悠木ちゃん、彼氏とかいるの?」
「彼氏、ですか?いないですけど」
「え?まぢ??そんなに可愛いのに。んじゃさ、もし彼氏ほしくなったら俺に相談して?俺、結構、悠木ちゃん、好みだわ」
「好み……?え??」
「はいはい、志村先輩。暴走はそこまでに。悠木は涼香のお気に入りっすから、バレたらヤキをいれられますよ?それに、悠木も困ってます」
「ちぇ~。いいじゃん、涼香が居ないときくらい、可愛い後輩にちょっとくらいジャレついても。ほら、悠木ちゃんだって、俺みたいなタイプが好みかもしんないし」
「や~、そりゃねぇな。ソラの男の趣味がそんなに悪いわけねぇだろ?それに、もし好きになるとしたら、リードギター担当で頼れる部長の、この下村一平に決まってるだろーよ。なあ、ソラ」
「え?えーっと、その、あの……」
「だぁからぁ!悠木が困ってますって。そうグイグイ来んの、やめてもらえます?」
徹は、どう答えたらいいのか分からず目を白黒させるソラを庇うように自分の方へ引き寄せて、ソラに言い寄る先輩二人を半眼で睨む。
「はは。徹は悠木さんのお兄さんか彼氏みたいだねぇ」
そんな徹の様子を見て、楽しそうに笑うのは副部長の雨沢だ。
徹はそんな彼をも軽く睨みつけ、
「笑ってないで、雨沢先輩もこの頭が沸いてる先輩二人になんとか言ってやって下さいよ。早くしないと、涼香が来て、とんでも無いことになっても知りませんよ」
しかめつらしい顔でそう訴える。
が、雨沢はそんな彼と、彼に引き寄せられてその腕の中で固まっているソラをしげしげと眺め、
「いや、でも、今、涼香が来たら、一番怒られるのは確実に徹だと思うけどね??」
「はあ?」
「今さ、思いっきり悠木さんを抱き寄せてるけど、それって無意識なの?」
「抱き寄せって……うわぁ!」
雨沢に指摘された徹は、改めて己の腕の中に目を落とし、そこで固まっているソラを見て、慌てて飛び退いた。
「す、すまん」
「い、いえ」
「……てかさ~。私が居ないのをいいことに、なにラブコメ的な空気を作り出してんのよ?」
「ラブコメってなぁ……ぅわ、涼香。いつの間に来たんだよ!?」
不意に後ろから聞こえた声に振り向いた徹は、そこに立っている涼香を認めて、慌てて距離を取った。
「いつの間にって、だいぶ前から居たわよ。みんなが気づいてなかっただけで。あー、でも、雨沢先輩は気づいてましたよねぇ?」
「まぁね。みんなが悠木さんに夢中で気づかないから、いつ気づくかなぁって思って見てた」
「んなっ!?」
「気づいてたなら教えろよ!!」
涼香の言葉に雨沢が頷くと、部長と志村が目をむいた。この裏切り者とでも言うように。
だが、雨沢は涼しい顔だ。
「気づかないお前等が悪いんだろ。俺に当たるなよな」
「う……」
「りょ、涼香。いつから居たんだ??」
雨沢の正論に言葉に詰まる部長と、ひきつった笑顔を涼香に向ける志村。
涼香はそんな二人ににっこりと微笑みかける。その瞳は、みじんも笑って居なかったが。
「そうですねぇ。少なくとも、志村先輩と部長が、身の程知らずにもソラを口説くような名台詞を吐いた辺りからいましたけどね。ソラ?こっちにいらっしゃい。そこは野獣ばっかりだから、危ないわよ?あ、雨沢先輩以外ね」
言いながら、迷子の子犬のように自分を見上げているソラを手招く。
ぱっと顔を輝かせたソラが駆け寄ってくると、問答無用に自分の腕の中に閉じこめて、柔らかな髪の毛に頬をすり寄せた。
「大丈夫?怖かったでしょ?おっきな男連中に言い寄られて」
「いや、あのな、涼香。俺は言い寄ってねぇぞ?さっきのは事故みてぇなもんで、俺はむしろ、先輩達から悠木を守ろうと……」
「でも、ソラを抱きしめてたわよね?」
「う……」
ジト目で糾弾されて、徹は反論できずに言葉に詰まる。
ついついそのときの事を思い出して、顔が熱くなり、徹はそれを隠すように片手で口元を覆った。
「ったく、男の考える事ってみんな同じなんだから」
そんな徹の体たらくを見ながら唇を尖らせた涼香に、
「あの、涼香先輩?」
腕の中からソラが話しかける。
涼香は他のメンバーに向けていたきつい眼差しを和らげて、腕の中のソラに目を落として微笑んだ。
「なぁに?ソラ」
まっすぐに向けられた甘い微笑みに、思わず頬が熱くなるのを感じながら、ソラはちらりと徹を見た。
そして、
「えっと、立花先輩、すごく優しくしてくれたんです。それに、他の先輩達も、たくさん話しかけてくれて。その、だから」
一生懸命に言葉を告げる。
彼らの言葉の何が涼香の機嫌を損ねたのかはっきりとは分からなかったが、彼らの言葉はソラに優しかった。
だから、せめてその事を伝えなければと思ったのだ。
「なぁに?あいつらを庇ってるの?」
「え、と。はい」
「もう、ソラは優しいわねぇ。まあ、いいわ。ソラに免じて今日は勘弁してあげます」
涼香は愛おしそうにソラの頬をさらりと撫で、そう宣言した。
それを聞いた雨沢を除く三人はほっと肩の力を緩める。
そんな三人をあきれたように眺め、それから改めて涼香は教室内を見て首を傾げた。
「それにしても、今日はやけに見学者、少ないわね??」
「いや、そんなことねぇだろ……って、マジで少ねぇな??」
彼女につられたように部屋の中を見回した部長も、同じように首を傾げる。
そう言われて改めて教室内に目を向けたソラは、目を軽く見開いた。
少し前、ソラが来たときは教室が埋まるくらいの人数がいたと思ったのに、今は数人しか残っていない。
軽音部のメンバーが、どうしたんだろうと首をひねっていると、残っていた生徒の一人が、
「みなさんが、微妙なコントを繰り広げている間に、みんな帰っちゃいましたけど?」
淡々とそう教えてくれた。
そして、それに触発されたように、
「そうそう。なんか、立樹先輩がいねぇなら帰るか~って、みんな」
最初に発言した男子の隣にいた生徒も、そんな情報を開示する。
それを聞いた面々は何とも言えない顔で、顔を見合わせた。
「ずいぶん減ったなぁ。どうするよ?」
「どうするよもなにも、見学者を放っておいた俺達も悪いわけだし」
「仕方ないんじゃねぇ?」
「いいんじゃないすか?別に。逆にすっきりして良かったんじゃないですかね??」
男連中は顔をつきあわせてこそこそと言葉を交わし、
「私目当ての連中が帰ったってだけのことでしょ?ちょうどいいじゃない。少なくとも、今残ってる一年生は、私目当てじゃなくて普通に軽音部に興味があるって事でしょ?むしろ、識別する手間が省けて良かったんじゃないですか?」
涼香ははっきりとそう告げる。
それを聞いた部長がぽんと手を叩いた。
「ああ、そうか。言われてみりゃ、そうだな」
「でしょ?今日は彼らとじっくり軽音部について語り合いなさいよ。男同士で」
「そうだな。男同士で……って、涼香。お前はどうすんだよ?」
「私?私は今日はパスするわ。ソラと帰る」
「え~?二人で帰んのか?ずっけぇなぁ。俺も混ぜろよ」
「なにいってんのよ?先輩は一応部長でしょ?帰っちゃダメじゃない。私は平部員だからいいのよ。てなわけで、私とソラは今日は帰りますね、雨沢先輩」
「はいはい。りょーかい。お疲れさま」
「って、なんで俺じゃなくて雨沢に許可取ってるんだ!?」
「あ~、すみません。なんだか雨沢先輩の方が部長っぽいもんで」
「んだとぉ!?この、涼香!!」
「まぁまぁ、落ち着いて。下村。本当の事を言われてキレちゃダメだよ。じゃあ、悠木さん。またね?明日はもう少し落ち着いてると思うから、怖がらないで来てね」
「は、はい」
「よーし、じゃあ、ソラ。帰ろっか?先輩の許可も出たことだし」
「えっと?」
いいんでしょうかと見上げてくるソラに、雨沢がにっこり笑って頷く。
「俺らは、ここにいる見学者の諸君と親交を深めるので、悠木さんは涼香と親交を深めておいで?じゃ、涼香。悠木さんの事、よろしくね」
「はーい。任されました。じゃ、行くわよ?荷物持った??」
涼香に促されて、ソラは慌てて置いてあった自分の荷物を手に取ると、先輩達に向かってペコリと頭を下げた。
「す、すみません。お先に失礼します!!」
そうして、涼香に手を取られ教室を出ていったソラを、残された面々はそれぞれ見送って、
「うーん。やっぱ、小動物みてぇで可愛いなぁ、ソラは」
「礼儀正しいいい子だよね、悠木さん」
「いいなぁ。超・俺の好みだよ、悠木ちゃん」
「悠木が可愛いのは確かですけど、手ぇ出したら涼香にシメられるって事だけは忘れないで下さいよ~?特に、志村先輩」
「いやいや、お前も結構なダークホースじゃんよ?」
「は?」
「そうそう。しっかり抱きしめてたもんねぇ」
「や、あれは!!」
「で、どーよ?柔らかかった??いい匂いとかしちゃった??」
「あ~……」
「ソラ情報独り占めすんなよ~?涼香にお前がムッツリだって告げ口すんぞ?」
「……す、すげー柔らかくて、なんか甘い匂いがしたっつーか」
「「「うわぁ、ムッツリ」」」
そんな風に好き勝手、思い思いの言葉をこぼすのだった。見学の一年生がいることを、またまたすっかり忘れたままで。
◆◇◆
ソラと手を繋いだまま、第二音楽室を出た涼香は、まっすぐに玄関に向かった。
「涼香先輩?」
「どうしたの??」
「えっと、帰るんですか?」
問われた涼香は返す言葉をしばし考える。
学校から帰るといえば帰るのだが、厳密に言えばそれは正解ではない。
さっき、雨沢から言われたように、涼香はこれからソラと親交を大いに深めるつもりだった。
まあ、雨沢に言われるまでもなくそうするつもりではあったのだが、思いがけず早く部活を抜けられたのは幸いだった。
早く帰れた分だけ多く、今日はソラと共に過ごす時間を取ることが出来るのだから。
「とりあえず、靴を履いてから、玄関出たところで集合ね?」
ソラの質問にあえて答えずに指示を出し、一旦分かれて自分のクラスの靴箱のところへ。
急いで靴を履き替えながら、ふと目に入った芝本楓の名前をちらりと見る。
(昨日はそっちのターンだったみたいだけど、今日は私のターンを楽しませてもらうから)
心の中で、ソラの幼なじみだというクラスメイトに話しかけ、靴を履いて外へでる。
そこで待つことしばらく。
涼香に少し遅れて出てきたソラの手をまた握って、仲良く並んで今度は校門を目指した。
校門を出て、バス停についたところで足を止めると、
「えと、涼香先輩。あの……」
ソラが再び涼香に声をかけてきた。
「ねえ、ソラ。今日って何か、用事ある?」
「用事、ですか??」
「そう、用事」
問われたソラは、自分の予定を確認するようにしばし考えてから、首を横に振る。
「大丈夫です。特にないです、用事」
「そ。良かった。じゃあ、家には何時までに帰ればいいの??」
「夜ご飯までに帰れば大丈夫なので、七時までに帰れれば……」
「七時、ね。了解。結構ゆっくり出来そうね」
涼香は機嫌良さそうににっこり笑い、ソラの肩を優しく抱き寄せる。
「あの?」
「ほら、雨沢先輩が言ったでしょ?今日は私と親交を深めるようにって」
「あ、はい」
「だから、今日は、私の部屋に遊びにおいで。一人暮らしだから、誰に気兼ねすることもないし」
「一人、暮らしなんですか?」
「まあね。一応自宅マンションだけど、両親は海外だし、私は一人っ子だから、一人暮らしみたいなものかな」
「そうなんですね。寂しく、ないですか?」
「寂しい?そうねぇ、自由にできるのは気楽でいいかな。自炊するのは結構面倒くさいけど」
そこまで言って、自分の方をじっと見上げているソラの顔をちらりと見てから、涼香は口元にいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「でも、時々寂しい事もあるかもね。そう言うときは、ソラ。遊びに来てくれる?」
試すように、探るように。涼香はソラに問いかける。
ソラは涼香を見上げたまま、首を傾げた。
「えっと、私で、いいんですか??」
「うん。ソラに来てほしい」
「じゃあ、いいですよ。センパイが寂しいときは、センパイの側に居ます」
そんなことでいいならと、なんとも無防備にソラが笑う。
涼香の下心など、まるで知らないままに。
そんなソラに微笑み返した涼香は、
「で?今日はうちに遊びに来てくれるの?」
うやむやになっていた誘いへの答えを求める。
「その、お邪魔じゃないですか?」
「ばかねぇ。邪魔ならそもそも誘ったりしないわよ。ソラに来てほしいから誘ったに決まってるでしょう?」
「えっと、じゃあ、お邪魔します」
はにかんだように微笑んだソラの頬を、そっと撫でたところで、バスがやってきた。
二人揃って、大して混んでいないバスに乗り込み、駅へと向かう。
駅から電車に乗り込んで数駅。
涼香の家は、ソラの家の最寄り駅より二つ手前の駅だった。
その事を告げると、案外近いのね、と涼香は嬉しそうに笑ってくれた。
今度一緒に登校しようと誘われたので、深く考えずに頷くと、じゃあ、今度誘うわね、と涼香は再び嬉しそうな顔をするのだった。
駅を出て、二人で並んで一緒に歩く。
涼香の家は駅からそれほど遠くなく、途中のコンビニで飲み物やお菓子を買ってから、彼女のマンションへ向かった。
そうしてたどり着いた先にあったのは、高級そうな高層マンション。
うわぁと声を上げて見上げるソラの様子に涼香は笑みを浮かべ、その手を引いて彼女を迎え入れた。
乗り込んだエレベーターが止まったのは最上階。
暗証番号を打ち込む特別なエレベーターに首を傾げると、このマンション自体が涼香の親の持ち物で、最上階を自宅として使っているのだと教えてくれた。
(うわぁ。お金持ちだ)
そんな感想を抱きつつ、ソラは涼香に招かれるままに彼女の家へとお邪魔する。
世間一般的に見れば、ソラの家もかなりの豪邸だったりするのだが、自分の家がお金持ちという感覚のないソラは、素直に感心しながら、涼香と一緒にまずキッチンへと向かった。
途中のコンビニで仕入れてきたジュースをとりあえず冷蔵庫で冷やすためである。
「ソラ。飲み物、冷蔵庫の中に適当にしまってくれる?」
グラスを出すために食器棚をのぞき込む涼香にそう指示を出され、頷いたソラは大きな冷蔵庫を開けた。冷蔵庫の中は大きさの割にやけに閑散としていて、ソラは適当にジュースを入れながら、
「涼香センパイ?冷蔵庫、あんまり入ってないんですね??」
何気なくそう問いかけたら、
「あ~……実は、あんまり料理が得意じゃなくて。冷凍のヤツとか、お弁当とかがメインだったりするのよねぇ」
そんな答えが返ってきた。
それじゃあ、栄養がかたよっちゃうなぁと、余計な心配だとは思いつつ、
「お弁当ばっかりだと、体に良くないですよ??」
そう言葉を返せば、
「分かってはいるんだけどね……あ、そういうソラは、料理とかどうなの?」
好奇心に満ちた声で、問いかけられた。
ソラの家事の腕は、正直なところ可もなく不可もなく、といったところではある。
基本的に、家の事は美夜ママが担当しているし、彼女の家事力はかなりのものなので、手伝いを求められることもそんなにない。
だが、女の子なのだから、簡単な料理くらいは出来た方がいいと、小さい頃から料理のいろはは教えてもらっていたし、月に一度は美夜ママ監視の元、ソラの料理を味わう日というのが設けられている。
正直、美夜ママの作る料理の方が数倍美味しいのだが、愛娘の手料理を食べられるという事もあって、家族には大好評のイベントであった。
そんなわけで、ソラは上手と胸を張って言えるレベルではないが、とりあえず不味くない料理を作ることは出来る。
だから、その事実を素直に伝えたら、
「へえ。ソラは料理、出来るのね。じゃあ、今度、私にも食べさせてくれない?」
なんだか嬉しそうな声で、そう返された。
涼香の食生活も心配だし、たまにならいいかと了承の返事を返したら、後ろから抱きしめられた。
ジュースも入れ終わっていたので冷蔵庫のドアを閉め、
「涼香センパイ?」
と背後から自分を抱きしめている涼香を肩越しに見上げる。
涼香は、なんだか凄く優しい目をしてソラを見ていて、その目は少し潤んでいるようにも見えた。
「ソラ……」
呼びかけられ、くるりと体の向きを変えられる。
「はい?」
なんですか?そう答えようとしたソラの言葉が途中で止まる。
すぐ目の前に、目を閉じた涼香の顔があった。
優しく体が抱き寄せられて、唇は柔らかな何かにふさがれている。
ほんの一瞬思考停止して、それから自分が陥っている状況に理解が及んで軽く目を見開いた。
(え、と。これって……)
思わず固まってしまったソラの様子を伺うように唇が離れ、うっすらと開かれた涼香の瞳がソラを見つめる。
じぃっとソラを見つめ、ソラが自分から逃げる素振りを見せないことを確かめてから、彼女はかすかにその口元を微笑ませた。
そして、もう一度目を閉じて。再びソラの唇に、己の唇を寄せ。
さっきよりも少しだけ長く、ソラの唇を味わうような、そんなキスをした。
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