寝起きの悪さと一緒の登校

 たくさんの羊と羊の着ぐるみのソラに取り囲まれて毛皮責めにされるという、何とも言えない夢から目覚めた楓は、目が覚めた後も自分の顔がなにやら柔らかいものに包まれているのを感じた。

 なんだ?と疑問に思って確かめようと思うのだが、後頭部を柔らかく拘束している何かのせいで、身動きが出来ない。


 仕方ないので手探りでそこに何があるのかを探ってみる。

 楓の顔を押し包んでいるそれは、手で触ってもやはり柔らかかった。

 触れれば、ふよりと指が沈み込み、形は丸っぽいような気がする。

 全体像を探るために手を動かせば、ちょうど楓の顔の近くの辺りに他とは違う感触の部分があった。

 他の部分より少しだけ固く、弾力があり、小さな丸いボタンみたいな……



 「んっ……ぁん」



 ちょっと上の方から聞こえた甘い声に、指先でその部分の形を探っていた楓は、思わず固まる。



 (あれ??これって、まさか……)



 遅ればせながら自分の顔を覆っている柔らかな物体の正体に気づいた楓は、がちりと己の動きをロックしたまま、息を潜める。

 自分の想像があっているなら、今、楓が顔をつっこんでいる場所は、恐らく……恐らく、昨晩一緒に眠ることになったソラの、胸の谷間だろう。



 (どっ、どどどどど、どうしてこうなった!?)



 一瞬で顔を真っ赤にした楓は、なんとかソラの胸の谷間からの脱出を試みる。

 だが、楓の後頭部はソラの腕にがっちり抱え込まれており、どうしても抜け出せなかった。



 「ソ、ソラ??」



 小さな声で名前を呼んでみるも、帰ってくるのは実に気持ちよさそうな寝息のみ。

 ソラは楓という抱き枕をたいそう気に入ってしまったようで、起きる気配も楓を手放す気配も皆無だった。



 (ど、どうしよう!?どうすればいいんだ!?)



 混乱する楓の耳に、とんとんとん、と軽快に階段を上ってくる足音が聞こえてきて、楓の表情が絶望の色に染まる。



 (まずい。誰かが起こしに来たみたいだ。こ、こんなところを見られたら……)



 とは思うものの、じたばたしてもソラはびくともせずに、ちょっとくすぐったそうに鼻をならすのみ。

 そうこうしているうちに、足音の主は部屋の前まで来たようだ。

 こんこん、とノックの音が聞こえ、次いでがちゃりとドアのノブがひねられる音。



 「二人とも、おはよう~。朝ご飯、出来たわよ?」



 そんな風に声をかけながら、にこやかに部屋に入ってきたのは美夜だった。

 楓はだらだらと冷や汗を流しながら固まる。



 (ばっ、万事休すだっ)



 ぎゅっと目を閉じて、あきらめの境地で次の美夜の言葉を待った。



 「えーっと、楓ちゃんは起きてる?」



 だが、かけられた言葉はお叱りの言葉ではなく、やけにのんびりとした声音のそんな問いかけ。



 「は、はい……起きてマス」


 「ごめんなさいねぇ?ソラちゃん、寝相が悪くて。その上、寝起きもかなり悪いのよ。窮屈だったでしょ??」



 言いながら、よいしょっというかけ声と共に楓の後頭部に回ったソラの手に美夜の手がかかる。

 だが、ソラの手が中々引き剥がせないらしく、



 「あら~。ソラちゃん、楓ちゃんの抱き心地がかなり気に入っちゃったみたいねぇ。中々離してくれないわ。んっしょ、んっしょっと」



 そんな言葉と共に、美夜がソラの手と格闘する気配が伝わってきてしばらく、やっと楓の顔が解放された。

 拘束が解かれた楓はばっと起き上がり、ちょっぴりソラから距離をとる。また捕まっては大変だとばかりに。

 現に、快適な抱き枕を奪われたソラの両手は、何かを探すように布団の上をさまよっていたから、ぐずぐずしていたらまた捕まって拘束されてしまった事だろう。



 「もう~、ソラちゃんたら」



 そんなソラを眺めて美夜はクスクスと笑い、ソラの頬にちゅっとキスを落とす。



 「ほら、もう起きなさい。朝よ~??」



 声をかけながら、さすりさすりと頬やら首やらを撫でられて、ソラはくすぐったそうに首をすくめ、それからうっすらと目を開けた。



 「んぅ~~?あさぁ??」


 「そうよ~。朝よ?朝ご飯が冷めちゃうから、もう起きなさい?」


 「まだ、ねむい~~」


 「だぁめ。ほら、もう楓ちゃんはちゃんと起きてるわよ?」


 「ふぇ?カエちゃん……?」



 ソラのぽやーっとした寝ぼけ眼が楓の顔を見上げる。



 「お、おはよう。ソラ」



 楓が声をかけると、ソラはにへ~っと何とも気の抜けた笑い顔を浮かべた。



 「おはよ~~、カエちゃん」


 「ほぉら、ソラちゃん。起きないなら、楓ちゃんとご飯、別々に食べる?」


 「や~。カエちゃんと一緒に食べる……」


 「じゃあ、さっさと起きて?ほぉら、手、引っ張ってあげるから」


 「はぁい……」



 美夜に腕を引いてもらいながら、もそもそと起き上がり、ソラは片手で何とも眠そうに目元をごしごしとこすっている。

 なんというか、そんな子供じみた仕草がすごく可愛くみえた。



 「じゃあ、楓ちゃん。ソラちゃんをつれて顔を洗ったら食堂に集合ね?」



 にっこり笑った美夜にソラの手を渡されて、反射的にその手をつかむ。

 その様子を確認し、美夜は、



 「じゃあ、食堂でね」



 そう言ってさっさと部屋を出て行ってしまった。

 残されたのはまだ眠そうなソラと、朝からのショックの連続でちょっぴり呆然としている楓の二人。

 楓はまだ熱さの残っている気がする己の頬を手のひらでこすり、それから手を握ったままのソラへと目を移す。

 ソラはぽや~っとした顔のまま、楓の視線を感じたのか彼女の方を見上げてにへら~っと笑った。



 「あ~、じゃあ、顔を洗いに行くか?」


 「ん、いくぅ……」



 こくんと頷いた、まだ目をしょぼしょぼさせているソラの手を引いて、楓はとりあえず階下の洗面所を目指すことにしたのだった。






 「えっと、あの、ごめんね?カエちゃん。私、どうも朝に弱くて……」


 「いや、気にするな」


 「その、ね?寝ぼけて、変なこと、してない……よね??」


 「……し、してないぞ?」


 「ほ、ほんとに??」


 「ほ、ほんとだ」



 顔を洗ってすっきり目覚めたソラは、ほんのりと頬を赤くして、楓の顔を見上げた。

 ウソをついてないか確かめるようにじいぃっとまっすぐに見つめてくる。

 昨夜から今朝にかけての事を思い出すと、目と目を合わせるのがなんとも気恥ずかしかったが、楓はぐっと奥歯を噛みしめてそれを耐え抜いた。

 自分の視線から逃れようとしない楓の様子に、やっと安心したのか、ソラがほっとしたように表情を緩める。



 「そっか。なら、良かった。安心したらお腹空いてきちゃったね。カエちゃん、早く食堂にいこ?」



 にこにこと笑うソラに手を引かれながら、楓はソラに気づかれないようにほっと息をつくのだった。


◆◇◆


 美夜の作ったおいしい朝食をたっぷり食べた後は、夕ご飯の席で約束したように武史との朝稽古が待っていた。

 地下の、それなりに広いフィットネススペースに案内され、ソラも交えて三人で朝の稽古をした。


 道場と違い、一対一でしっかりと見てもらえるのは、凄く勉強になった、と思う。

 そして、少人数での稽古で、改めて武史の身体能力のすごさに舌を巻いた。

 だが、それ以上に驚いたのはソラの意外なほどの強さだ。

 合気道の技だけに絞って言うなら、まだ楓の方がやや勝っているかもしれない。

 しかし、合気道に絞らずに自由に組み手をすると、自分よりかなり小さな体のソラに勝つのにかなり苦労した。

 ソラより強くありたいという思いのまま、必死に頑張ってなんとか勝ち越しはしたが、正直に言って満足のいく結果ではなかった。


 なので、たまにこうして個人稽古を付けてもらいたいと武史にお願いをしたら、ソラも交えてなら構わないという返事をもらえたので、ぜひにとお願いする。

 ソラも、一緒に稽古をする仲間が出来たことが嬉しいのか、なんだかにこにこしていた。

 そんなソラが可愛くて、だが、頭を撫でるのは武史に先を越されてしまい、楓はほんのり欲求不満のまま、学校の支度を整えてソラと一緒に家を出た。

 一緒に電車に乗って、バスに乗って、仲良く並んで校門をくぐる。



 「もうすぐ、別々だね」


 「そうだなぁ。学年も違うし、仕方ないな」


 「昨日からずっと一緒だったから、ちょっと寂しい、ね?」



 ちらりと横を見ると、ソラは言葉の通り、ちょっと寂しそうな表情で前を見つめていた。

 何となく、朝稽古の後にソラの頭を武史にとられた欲求不満もあり、さりげなく手を伸ばしてソラの頭を撫でる。

 そして、驚いたように見上げてきたソラの目を見返して微笑んだ。



 「同じ学校なんだ。会いたいと思えばいつでも会えるさ。私のクラスは教えただろう?いつでも訪ねてくればいいし、私も会いたいと思えば会いに行くさ。それに、一緒に稽古をする約束もしただろう?」


 「うん。そうだね」



 胸のつかえがとれたように、ソラが微笑む。

 やっぱり、ソラは笑っていた方が可愛いなと、そんなことを思って和んでいると、



 「……ずいぶん、仲がいいのね?」



 後ろからそんな声が聞こえた。

 慌てて振り向くと、そこにいたのは面白くなさそうな顔をした涼香だった。



 「涼香センパイ!!」



 ソラがぱっと顔を輝かせて涼香に駆け寄る。

 まるで、隣にいる楓の事など一瞬で忘れてしまったように。

 まるでソラの嬉しそうな声が刺さったように、胸がちくんと痛んだ。



 「おはようございます!!」



 朝から会えたことが嬉しくて仕方がないとばかりに、ソラが笑う。

 涼香もそんなソラの様子に毒気を抜かれたように、



 「ん。おはよう、ソラ」



 優しい声で答えて、柔らかく微笑んだ。

 彼女の手が、優しくソラの頭を撫でるのを見て、再び胸がちくりとうずく。

 涼香は愛おしそうにソラを見つめ、それから楓をまっすぐに見つめた。



 「おはよ、楓」


 「ああ。おはよう、涼香」



 お互い、目をそらすことなく挨拶を交わす。

 そんな二人を交互に見つめ、ソラがきゅうっと首を傾げた。



 「えっと、カエちゃん。涼香センパイとお友達、なの?」



 ソラはどっちに聞こうか一瞬迷ったようだが、最終的には楓を見上げた。

 楓は微笑んで涼香とソラに歩み寄ると、ソラの頭にそっと手を乗せた。



 「ああ。同じクラスなんだ。一年の時から、ずっと、な」


 「そうなんだぁ」


 「そうなのよ。腐れ縁ってヤツかしら。そう言う二人はどういうご関係?」



 ソラの頭を楓にとられた事にむっとした顔をしたものの、涼香は気を取り直したようにソラの体に後ろから手を回して、ソラの肩越しに楓を威嚇する。



 「ん?ああ、俗にいう幼なじみってヤツだな。昨日もソラの家に泊めてもらったんだ」


 「泊まった?ソラの家に?」


 「ああ。風呂も布団も一緒だったな。まあ、女同士だしな」


 「お風呂も、布団も?」


 「そうなんです。一緒の布団でお話ししてたら、いつの間にか寝ちゃって。ごめんね?窮屈だったよね??」



 徐々に低くなる涼香の声音の意味するところにまるで気づかずに、ソラは申し訳なさそうに楓を見上げる。



 「いやいや。一緒に寝るくらい、どうってことない。幼なじみだしな。これからも、時々、一緒に稽古もするから、また泊めてもらうこともあるかもしれないし、気にすることはないぞ、ソラ」


 「一緒に、稽古??稽古って、なんの稽古なの??」



 その単語に純粋に興味を覚えたように涼香が首を傾げる。



 「私の通っている道場の師範代がソラの父親なんだ。最近ちょっとなまってるから、少し鍛え直してもらおうと思ってな。で、ソラと一緒に鍛えてもらう事になったんだ」


 「へぇ~……って、ソラも格闘技的な事、出来るわけ!?」



 涼香は心底驚いたようにソラを見つめた。こんなにちっこくて可愛いのに、と。

 ソラは少しはにかんだように微笑んで答える。



 「え、と、はい」


 「ソラの父親は総合格闘技の選手を生業にしてるからな。そっちに関しては、ソラはかなりの英才教育を受けてる、んじゃないかと私は踏んでいる」


 「え~?そんなことないよ??普通だよ、普通。カエちゃんの方が強かったよ??」


 「ソラに負けたくないから頑張ったんだ。で、これからも負けないように努力をしようと言うわけだ。ソラより強くないと、ソラを守ってやれないしな」


 「ソラを守る、ねぇ?」



 ソラを間に挟んで、バチバチと視線をぶつけ合いながらそんな会話をしていたら、遠くからソラを呼ぶ声がした。

 どうやら、ソラの友人がソラを見つけたらしい。

 あ、と嬉しそうな顔をするソラを見て、楓はふっと表情を緩めると、



 「ソラ、友達か?」


 「う、うん」


 「そうか。じゃあ、行ってこい。涼香は私が引き受けるから」


 「えっと」


 「引き受けるって何よ。ったく、もう。まあ、でも、友達は大事にしないとね。行って良いわよ?ソラ。また、放課後に、ね?」


 「はい!」



 ソラは嬉しそうに頷いて、ペコリと頭を下げると少し離れた場所にいた友人らしき生徒のところへ走っていった。

 まるで、遊びたい盛りの子犬みたいだなと、その後ろ姿を微笑ましく見送る。

 少し気になってちらりと涼香の横顔を伺えば、彼女も楓と同じように苦笑混じりの微笑みを浮かべてソラを見つめていた。

 だが、すぐに楓の視線に気がついて、唇をとがらせて軽く睨んでくる。



 「なによぅ」


 「いや、別に」



 そんなやりとりの後、何となく並んで靴箱の前へと向かう。

 無言のまま互いの靴箱を開けて上履きを取り出すと、ばさり、と紙の束が地面へ落ちた。

 またか、と思いながら拾い上げると、すぐ横で同じように紙の束を拾っている級友の姿。

 涼香は楓の手元に目を落とし、



 「……相変わらず、モテるわね」


 「……お互い様だろう?」



 ぼそぼそと言葉を交わし、手につかんだ紙の束を鞄につっこんで、再び並んで教室を目指す。

 別に一緒にいく必要はないのだが、向かう先が一緒なのにあえて別に歩くのも難しい。

 二人は無言のまま教室に入り、無言のままそれぞれの席へと分かれて行った。

 二人が二人とも、相手とソラは、いったいどのくらい親しい関係なのだろうと、そんなことを悶々と考えながら。

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