その頃~立樹涼香の場合~

 (あの子、来なかったなぁ)



 音楽室の窓際に座って、涼香はぼんやりと外を眺めていた。

 思い浮かべるのは、昨日再会した下級生の事。


 今日は何人か下級生が見学に来ていたが、その中にあの子は居なかった。

 今日は用事があったのだろうか、それとも他の部活の見学に行ったのか。

 とにかく、あの子は音楽室に来ず、涼香はずっと彼女の事を考えていた。



 「涼香、部活終わったぜ?」



 そんな風に声をかけてきたのは同じクラスでドラム担当の立花徹。

 ワイルド系の顔をしていて女にそこそこ良くモテる。部員の中で涼香とは一番気の合う相手だった。

 涼香は振り返り、彼の顔を見上げる。



 「ん~。一年生達は?」


 「あいつらか。みんなもう帰ったぜ。お前が相手してやらねぇから不満そうだったな」



 苦笑混じりに答える徹に、涼香は小さく鼻を鳴らした。



 「女目当ての奴らなんてこっちからお断りだわ。徹の目から見てどう?モノになりそうなの、いた?」



 問われた徹は首をひねって考えた。

 今日来た見学者達はどちらかというとミーハー気分が目立っていた様な気がする。

 みんな、目をハートにして涼香を見ていたから、入部届を持ってきても部長は受理しないだろう。


 涼香は軽音部で唯一の女だから、他の部員からはお姫様扱いされているところがある。

 特に部長は涼香を可愛がっているから、涼香目当ての男など、入部させるわけがない。

 そう言う意味でも、今日の見学者の中に掘り出し物はいなそうだった。

 まあ、徹の目から見てもそれ程使えそうな人材はいなかったとは思うのだが。



 「どいつもイマイチだったなぁ。おかげで部長のキゲンも悪くて参ったぜ」


 「ふうん」



 涼香は興味なさそうに、再び窓の外に目をやった。

 今日の涼香はずっとこんな感じだった。なんというか、上の空。

 最初は見学者の相手をしていたが、自分に群がる男共に嫌気がさしたのか、途中からは窓際に避難してしまった。

 他人を拒絶するように背中を向けて。



 「部長は?」


 「今日はもう帰ったぜ?他の連中も」


 「そ」


 「お前は、帰んねぇの?」


 「ん~、ぼちぼち帰ろうかなぁ」



 そう答えた涼香の目が、校門へ向かう人波に吸い寄せられた。正確には下校する生徒達に紛れて三人で仲良さそうに歩く女生徒の一人に。

 徹もつられたように、思わずその少女を見つめた。

 小柄な少女だ。なのになぜか目がひかれる。



 「あ~、あの子。あれだろ?軽音部に入るって宣言した、ちっちゃい子。結構可愛いよなぁ」



 そう、可愛いのだ。

 中身はまだよく分からないが、見た目が良い。

 背が小さいのに胸のボリュームが満点なのも、高得点だ。

 上級生の中でも、もう目を付けてる連中が何人かいるのを、徹は知っていた。

 徹の目から見ても、中々好みだ。

 小さくて、庇護欲をそそられる感じがいい。腕の中に閉じ込めて守ってやりたい気持ちにさせられる。

 そんなことを思いながらニヤニヤしていると、



 「あの子に手出すの、止めなさいよね」



 なぜか涼香に睨まれた。



 「軽音部、入んのかなぁ?手取り足取り腰取り教えてやりてぇな」



 面白いので、もう少し煽ってみた。

 涼香は基本、冷めていることが多い。それが、こんな風に突っかかってくるのはめずらしかったから。



 「もしあの子が軽音部に入るなら、面倒は全部私がみる。あんたや先輩達には任せられないわよ」



 言いながら立ち上がり、置いてあったバッグを片手に涼香は音楽室の出入り口へ向かう。

 その背中を見送りながら、



 「涼香、帰んのか?」


 「見りゃわかるでしょ?戸締まり、よろしく」


 「気に入ってんだな、あの子の事」


 「……まぁね」



 そんな会話を交わす。

 涼香は出入り口で一度立ち止まり、唇を尖らせて軽く徹を睨んだ後、ゆっくり音楽室を出て行った。

 徹は微笑み、さっきまで涼香が座っていたイスに腰掛け、窓の外を眺めた。



 (涼香は、あの子を追いかけんのかな)



 そんなことを思いながら、背の小さい可愛い女の子の姿を追う。

 彼女は友人らしき少女達と、楽しそうに歩きながら話している。


 あの子は、軽音部に入るのだろうか。

 入ってくれるといいなと思う。

 あの子の話をする涼香は、いつもより熱くていい感じだ。

 あの子が入ったら、軽音部もさらに楽しい部活になる……ような気がする。



 「明日は、うちの部活の見学に来いよな、ちび助」



 そうじゃないと、うちのお姫様のキゲンが悪くなりそうだと、徹は小さな声で涼香のお気に入りの下級生に呼びかけ、ひっそりと楽しそうに微笑むのだった。


◆◇◆


 小走りに、校門への並木道を行く。

 少し前に、小さな背中が見えた。

 隣の友達に話しかける時に見える横顔が、その笑顔が、可愛くてたまらない。


 自分以外に向けられた笑顔でもこんなに可愛いと思うのだ。

 その笑顔を正面から見ることが出来たらどれだけ幸せか。


 どうして私はあの子にこんなにこだわってるんだろう……涼香は心の中で首を傾げる。

 特に女の子が恋愛対象と言うわけではない。

 今までにつきあった相手は男ばかりだし、これまであの子以外の女の子に何かを感じる事は無かった。


 この想いが、恋愛感情なのかもよく分からない。

 ただ、後輩として可愛いと感じているだけなのかもしれない。でも、それだけではないような気もした。



 「ソラ」



 目の前の背中に呼びかける。

 その声に反応するように小さな背中がピクリと震え、それからゆっくり振り向いた。


 正面から見つめたいと思っていた顔をまっすぐ見つめ、涼香は微笑む。

 可愛らしい顔に驚いたような表情を浮かべ、目をまん丸に見開いて、ソラは涼香を見上げている。

 その顔をずっと見ていたいような、抱きしめてもっと驚かせたいような、なんとも言えない気持ちに胸がむずむずした。



 「明日は、来る?」



 短く、問う。

 その問いに、ソラはびっくりしたような顔のまま、はっきりと大きく頷いた。

 涼香は微笑み、その頬をそっと撫でる。

 本当はもっと触りたい。でも、今は我慢だ。涼香とソラの距離は、まだそれ程近くない。



 「じゃあ、待ってる」



 その言葉だけを小さく伝えて、涼香はソラを置き去りに歩き出す。

 振り向きたい衝動をこらえて、まっすぐに前を見つめて。

 明日の放課後が、楽しみだった。

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