第43話 終わりへと続く道

 死は伝染しない。


 血清投与から約三時間が経ち、ゾンビもどきは死んだ。


 但し、その血液を採取し確かめた結果――ゾンビもどきの体からウイルスが消えていた。つまり、AB型に感染したウイルスがゾンビもどきの体にいるウイルスを殺した、と。仮説が証明されて一安心といったところだが、死んでしまっては意味が無い。


「とはいえ、当然と言えば当然か……」


 心臓が停まっている状態で、脳と体を動かしていたウイルスが消えれば死ぬのは当たり前だ。


 だから血清の量を減らしたり、打ち込む場所を変えたりもしたが投与から約三時間後に死ぬことは変えられなかった。


「……血清を打ち込めば、死ぬ……?」


 しかし、多かれ少なかれゾンビもどきは人間を殺す時に歯を使い、体内にAB型の血肉を取り込んでいるが、死んではいない。まぁ、ゾンビもどき自体が食事を必要としておらず内臓の活動が停止しているのなら吸収されないのも当たり前だ。


 つまり、経口摂取ではなく血管でも筋肉でも脂肪でも直接的に血清を打ち込まなければウイルスを殺すことは出来ない。


 とはいえ、死んでしまっては無意味――実験は失敗だ。


 いや、無意味は言い過ぎだな。どんなことにも意味はある。この失敗を元に新しい実験を考えるとしよう。


「しっかしまぁ……手詰まり感は否めないよな……」


 肩を落として椅子に腰かけた時、無線が鳴った。


「――零士。監視棟へ」


「了解」


 那奈からの呼び出し。時計を確認すれば午後の一時を過ぎたところだった。要件が無かったってことは急を要するってことだ。


 白衣姿のまま病棟を出れば、冷たい風に体を震わせた。冬も近いことだし、そろそろ本格的に寒さ対策を始めないといけないな。


 小走りで監視棟へと入れば、そこには那奈と音羽、影山の他に大鳳もいた。


「来たか。これを見て」


 那奈に促され、門の外を映す監視カメラの画面に目を向けた。


「……修司か? 一人のようだが、いつからここにいる?」


「三分前くらい。どうする? 一度離れた者を再び招き入れるのが正しいかどうかわからなかったから零士を呼んだんだけど」


「入れてやれ。何があったのか聞きたい」


「わかった」


 那奈と音羽が修司を迎えに出て行くと、大鳳と目が合った。


「お前も修司が来たことを伝えに来たのか?」


「いや、別件だが……もしかしたら関係しているかもしれないな」


「具体的には?」


「この約二十四時間、俺が監視できる範囲からもどきの姿が消えた。勘違いかもしれないと思ったが、戻ってきたあいつの様子を見るに間違いないようだ」


 確かに、今まさに連れられて来ようとしている修司は、疲弊している様子はあるが焦っているようには見えない。つまり、周りにゾンビもどきはいないということだ。


 やってきた修司は怪我などはしていないものの動揺していて要領を得ない。音羽が差し出した水を一気に飲み干すとようやく一息吐いた。


「それで? 美夏たちはどうした?」


「……俺にもよくわかりません。なんかデカい奴がいて――俺以外の五人は攫われました」


 歯切れの悪い修司の言葉に、那奈は首を傾げながら口を開いた。


「攫われた? 殺されたんじゃなくて?」


「多分……少なくとも死んではいないはずです」


 デカい奴ってのは変異種のことか? 普通のゾンビもどきとは行動が違うといっても、人間を殺すという目的自体は変わりようがないだろう。


「音羽、地図を。修司、どの辺りで攫われたのか教えろ」


 地図を指で辿っていくと、近場をぐるぐると回った後、二キロ先の道路で手を止めた。


「大体この辺りだと思います。車が突然横からの衝撃に襲われて横転し……美夏たちは……」


「お前らは安全な場所を探していたって感じか?」


「そうです。安心し切っていたんだと思います……だから、対応が遅れて……」


 仮に気を張って対応できていたとしても、相手が変異種なら何をするでもなく殺されていたはずだが、他の奴らが攫われたのなら修司のことを捕まえるのも容易かったはずだ。とはいえ、なんにしても――


「影山」


「今やってます」


 視線を送れば動く映像を見ながらパソコンに繋がったコントローラーを操作していた。


「その辺りはまだ調べてなかったのか?」


「いえ、それこそ車が行く方向は先んじて調べていたのですが、一昨日の段階では何も見当たりませんでした」


「おい、零士。何の話だ?」


 影山の横で身を乗り出して画面を見ていると、背後から大鳳に問い掛けられた。


「ああ、そういや言ってなかったな。影山にはドローンを使って変異種の行方と生存者の捜索を頼んでおいたんだ。まぁ、結果は出ていなかったようだが」


「それはボクのせいじゃないですよ。実際にいないんだからどうにも――ん? これ、人ですかね? 小学校の屋上に……」


 美夏たちが攫われたという場所から数百メートル先にある小学校の校舎の屋上に、立ち尽くしているような人影がある。


「確かに人のように見えるな。この機体は?」


「生存者との連絡用携帯が付いてます。下ろしますか?」


 窺うように三人の顔を確認すれば、それぞれが頷いて見せた。


「よし。じゃあ、ゆっくりと――っ!」


 ドローンが下降し始めたと思った瞬間、映っていた人影が一気に近付いてきて衝撃と共に画面が暗くなった。


「何があった!?」


 身を乗り出した音羽とは反対に身を引いた俺は、一瞬だけ映った顔を脳内で反芻していた。


「わかりません。ドローンの反応なし。墜落したのかも……」


 フードを被っていたからか顔はよくわからなかったが、微かに見えたその目は確かに人間のものだった。


「別の機体を送って確かめろ」


「はい。すぐに――」


 影山が操作する画面を切り替えた時、置かれていた衛星携帯の着信が鳴った。一番近くにいた大鳳が携帯を手に取り画面を確認すると、俺に向かって放り投げてきた。


 受け取り――通話ボタンを押した。


「……もしもし?」


「――よぉ、元気そうだな。零士」


「なんで俺の名前……お前、草壁か?」


「――ご明察ぅ。息災のようで何よりだ」


 聞こえてくる声が俺の師匠である草壁のものだと確信すると、画面を眺めていた那奈が俺を手招きした。


 映っているドローンからの映像には、電話をする人影がある。


「そっちもな。そんなところで何をしてる? 生きてるなら連絡するべきだろ」


 こちらが見ていることに気が付いた人影が動き出したのを見て、それが草壁だとわかったが……何か違和感がある。


 下に向けられた指を見て、影山にカメラを向けるように指示するとそこに映ったのは校庭の真ん中に立つ一体の変異種だった。


「――見たか?」


 口調が冷静過ぎる。昨日まではいなかった場所にいる草壁と、捜していた変異種が同じ場所にいる。そして、美夏たちが攫われた、と。


「……お前、誰だ?」


「――草壁だよ。但し、もうお前の知ってる俺じゃない」


 画面の向こうで立ち上がった草壁が被っていたフードを外すと、影山はカメラの映像を拡大させた。


 そこにいるのは俺が知っている草壁より一回り体がデカく、片目を眼帯で覆っている。


「何があった?」


「――山にいたんだ。しばらくは奴らとの戦闘を繰り返し習性を学んでいたが、次第に食料が尽きた。山中だったこともあり食う物はあったがそれでも疲労で動けなくなる。肉が、必要だったんだ」


 会話は正常。目的も、同じだったはずだ。


「食った、んだな? ゾンビもどきを」


「――もどきか。お前らしいネーミングだ。そうだ。奴らを食った。空気感染も経口感染も血液感染もしないことはわかっていたが、徐々に変化が表れ始めた。俺の血肉になった奴らが教えてくれたんだ。こいつらはただ存在しているだけで、目的は無い。だが、そのおかげで俺のやるべきことがわかった」


「俺たちのやるべきことは、ゾンビもどきを殺し、意志がある者を生かすことだ」


「――……人の考えは変わるものだ。この体は食わずとも眠らずとも生きていける。あらゆる欲求が失われ、脳の制限が無くなる。わかるか? これで世界は平和になる」


「つまり、俺たちにもゾンビもどきになれ、と?」


「――そうだ。斑鳩の思想は正しかった。このウイルスは我々に進化を促したのだ」


「ちょっと待て。どうして斑鳩のことを知っているんだ?」


「――今の俺は全ての個体と繋がっている。見ているものも聞こえている音も、全てが俺に伝わってくる。だからこそ、お前とコンタクトを取ることにしたんだ。零士」


 漏れ聞こえていた声に五人は首を傾げた。


 変な期待を抱かせないよう報告はしていなかったが、全てのゾンビもどきと感覚を共有しているのなら、知っていて当然か。


「ウイルスを殺す方法を見つけたから、か。だが、それが無意味なことは誰よりもお前が――いや、違うのか。感覚を共有していて、美夏たちを攫うように変異種を動かした。つーことはなんだ? お前の中にいるウイルスを殺せば、他のゾンビもどきも死ぬってことか?」


「――ご名答ぅ。俺の中のウイルスを殺せればこの世界から俺は消える」


「どうしてそれを教えた? お前ならこの施設の場所もわかるんだから、変異種に襲わせることもできただろ」


「――欲は無くとも情は残っている。お前が俺の思想に同調しないのも諦めないこともわかっているから、選ばせてやることにしたんだ。俺に会いに来れば攫った奴らはウイルスを発症させてやる。来なければ殺す。明日の正午、ここで待つ」


「ちょっと待っ――!」


 呼び掛けたところで、おそらく携帯を投げたのだろう。電話が切れると共に、ドローンからの映像が切れた。


 なんだ今の選択肢は。ウイルスの発症は死を意味するし、行かなければただ殺させるだけだ。どちらを選ぼうとも得にならないことを選ばされたところで、それをこちらの選択とは言えない。


 携帯を投げたくなる衝動に駆られたものの、こちらを眺める五人に気が付いた。


「零士。説明してくれるな?」


「……ああ。もちろんだ」


 ある言葉を思い出した。


 人間は絶望に耐えられない、と。草壁が、俺に言った言葉だ。

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