第12話 合流 (3)

 ここまでは概ね予定通りの展開だ。


「俺が死んだら俺の負けでいい。ただ、お前のほうは降参と言えばお前の負けだ。それでいいか?」


 そう言うと脳筋は眼鏡の男を一瞥して、頷いたのを見るとニヤリと笑ってみせた。


「いいだろう。俺の拳は凶器だ。ハンデとしてお前はどんな武器を使っても良いぞ」


 なら銃で一思いに――とは思ったがそれは止めておこう。人間に向かって使うのは弾の無駄だ。


 代わりに伸縮警棒を取り出した。


「ヘビー級の元プロボクサー? こう見えても格闘技ファンでね。幅広く知っているつもりだったんだが……お前は見たことがない。ああ、そうか。よくある話だ。一戦目で無様に負けて、ズルズルと引退。用心棒でもやっていたか? それともヤクザか? まぁどちらにしても肩書きに見合ってないのは確かだな。お前は雑魚だ」


 捲し立てるように言うと、青筋を立てながら握った拳を振り下ろしてきた。だが所詮は感情的な大振りだ。ゾンビもどきと大して変わりはない。


 ボクサーとはいえ所詮は元だ。しかもヘビー級で動きが鈍い。確かに拳は凶器かもしれれないし、当たれば簡単に骨も砕けるだろう。しかし、当たればの話だ。感情的で動きは単調。避けるのは容易い。


 何よりも俺はゾンビを殺す準備をしてきた。それは、もちろん人間を相手に練習してきたものだ。詰まる所――俺は人間相手のほうが強い。


 持っていた警棒を後方に放り投げ、一気に距離を詰めて大振りで開いた懐に潜り込み、顎目掛けて肘を振り抜いた。


「っ――!」


 一瞬、白目を見せて気を失ったかと思ったがなんとか踏み止まった。腐っても元ボクサーか。タフだな。なら、本当は接近戦でゾンビの動きを止めるための技を使うとしよう。


 噛まれないよう喉元に肘を当てて、腕を巻き込みつつ大外刈りのように足を払って体を倒す――本来なら全体重を掛けて喉を潰しつつ首の骨を折るところだが、そうもいかないから体を回転させて腕ひしぎ十字固めを掛けた。


「どうする? 降参するか?」


「いやっ――くぅっ!」


 起き上がろうとしているが無理だ。筋肉はあるが自分の重さを把握していないし、背中を打ったおかげで力が入らないだろう? それに動こうとすればすれほどに固めた腕がミシミシと音を立てる。


「っ――降参だ! 降参する!」


 だが、腕は放さない。


「頼む! このままだと腕が――」


「いいや、まだだ。まだテンカウント経ってない――だろっ!」


「ガッ、アァアアア!」


 鈍い音を立てて、力の抜けた腕に捻りを加えようとした時、声が聞こえてきた。


「零士!」


 おっと。ついうっかり。


「……やり過ぎたな。まぁ、遅かれ早かれこうなっていたはずだ。その役目が俺だったというだけではいずれ――ん?」


 眼鏡の男が見当たらない。おそらく脳筋男が降参した時点でどこかに隠れるかしたのだろう。参謀ならそれに徹しろ、と言いたいところだが俺も俺で偽善者だ。人のことを言える立場では無い。


「ッ――キャーッ!」


 踵を返した時に聞こえた叫び声に振り返れば、ひとかたまりになっていた女性たちがどこからか這入り込んだゾンビもどきに襲われていた。


 ――どこからか?


「っ、修司! 武蔵!」


「わかってる!」


 バリケードで閉じられた正面口に駆け出した二人の背中を見て外に視線を向ければ、まだ辛うじて明かりは残っているものの雲が掛かり始めていた。


 銃を抜きつつ女性たちのほうに向き直ればゾンビもどきがなだれ込むように押し寄せてきていた。


「戦える奴はそいつらを足止めしろっ! 助かりたい奴は全力で走れ!」


 すると、戦えるはずの男共も一緒に、一斉にこちらに向かって走り出した。だが、それじゃあダメなんだ。戦える者が戦わなければ、平坦な道で――すでに零距離に近い状態から脳のリミッターが外れているゾンビもどきから逃げ切れるはずが無い。


「くそっ」


 噛まれたところで感染はしないと言っても、肉が噛み千切られればさすがに出血多量と感染症から救うことは出来ない。


 近くにいる数体を撃つが、この数では焼け石に水だ。武蔵たちのほうを一瞥すればもう少しでバリケードが開く。ゾンビもどきがこちらに向かってきていないうちに、せめて最も手の届くところにいる者だけでも――と、駆け寄り伸ばした手は払われた。


「触るんじゃねぇ。いや、今お前はどうでもいいな」


 折れている腕を抱えながら立ち上がった男は俺には目もくれず真っ直ぐに女性たちを襲うゾンビもどきに視線を向けた。


「奴らよぁ――テメェら! 人の女に手ぇ出してんじゃねぇぞコラぁ!」


 男は叫びながらゾンビもどきの群れに突っ込んでいった。それが最後の正義感か純粋な欲望かは知らないが、止めはしない。俺に、その権利は無い。


 あとは――さっき寺田が二階に逃げていたな。


「来るなぁああ! 来るんじゃねぇ! や、やめっ――っ!」


 裏切った報いとは違う。何よりも俺は寺田の選択を否定するつもりは無い。だからこれは、ただの弱肉強食だ。


「零士! 開いたよ!」


「よし。修司、先導しろ! 武蔵!」


「外すなよ!」


 木刀を構えた修司が那奈、美島と共に出て行くのと同時に、武蔵が俺を飛び越えるようにスプレー缶をゾンビもどきのほうに向かって放り投げた。


 こちらに向かってくるゾンビもどきがスプレー缶の上を通過しようとした時に引鉄を引けば、激しい破裂音と共に数体が吹き飛んだ。だが、これくらいでは死なずにすぐに追ってくるだろう。


 踵を返し、武蔵と共にショッピングモールを出れば、外は曇り空と相俟ってすでに夜に近い暗さになっていた。


「こんな時に――な、にを……なんで出てきてんだよっ!」


 ヘッドライトを付けているせいで顔はわからないが、服装からして村中ではなく双子のどちらかだ。おそらくはゾンビもどきから美夏を助けたという三波のほうだろう。村中に双子片割れと子供を任せたのか、その手にはショットガンが握られている。


「急いで!」


 三波の横を修司と那奈と美島が通り過ぎると、ショットガンの銃口をこちらに向けてきた。


「伏せてっ!」


 いや、避ける。どこに飛ぶかわからない銃弾が頭を掠めるくらいなら、と――武蔵を突き飛ばして左右に分かれた。すると飛んできた弾は背後にいたゾンビもどきの体を吹き飛ばした。


「いっ――!」


 声に反応して三波のほうを見れば、何が起きたのか瞬時に理解した。ショットガンの反動に負けて肩が外れ、倒れた拍子にヘッドライトも外れたのだろう。


「――後ろだ!」


 おそらく車の下から這い出てきたのであろうゾンビもどきが三波のすぐ後ろにいて、叫んだのはいいが時すでに遅し――外れているほうの肩に噛み付いた。咄嗟に構えた銃を向けて引鉄を引くと、上手く頭に命中して動きを止めたが噛み付いた状態で止まってしまった。


 駆け寄って噛み付いたままのゾンビもどきを蹴り飛ばせばようやく離れたが、よほど深く歯が刺さっていたのか流れ出る血が止まる様子は無い。


「武蔵! 三波を連れて車に戻れ!」


「戎崎くんは!?」


「俺はここで奴らを食い止める。次の待ち合わせ場所は那奈が知っている! 行け!」


 三波に肩を貸してショットガンを拾った武蔵が車のほうに向かうのを見て、ショッピングモールから出てくるゾンビもどきに視線を戻した。


 すでにこちらの姿が視認されている以上は顔を隠す意味も無い。なら真正面からやるしかないか。


 向かってくるゾンビもどきの頭を撃ち抜きつつ車のほうに後退しながら斜め後ろを一瞥すれば乗ってきたバイクがあった。よし。これだけの距離があれば車が出てからでも俺がバイクに乗って後を追うだけの時間は十分にある。


 ――油断したつもりは無かった。だが、もしかしたら安堵感から気を抜いたのかもしれない。


「危ないっ!」


 三波の声に振り返れば、武蔵の腰に差さっていたはずのバールを握り、俺のすぐ後ろにまで迫っていたゾンビもどきの頭を砕いた。


「助かった! けど、あまり無茶をするな!」


 倒れそうになる三波の肩を支えて、再び銃口を戻して引鉄を引いた。が、乾いた音が聞こえてきた。こんな時に弾切れかよ!


「三波! 戎崎くん!」


「いい! 戻ってくるな! お前らは先に行け!」


 言って、弾倉を落とした銃を口で挟んで取り出した新しい弾倉を差し込んだ。


 さすがに一人でこの数を相手にするのは捌き切れなくなってきた。特に三波に肩を貸したままでは。


「おい、歩けるか?」


「はい……大丈夫です」


「じゃあ、バイクのところで待っていてくれ」


「わかりました」


 肩から離れた三波を視線で追うことはせず、警棒を取り出した。背後ではやっと車のドアが閉まる音が聞こえて、俺はゾンビもどきたちのほうに向かって進み出した。


 何体かいる足の速い奴は直接、警棒で頭を叩き割り、少し離れている奴らは銃で撃つ。しかし、こんなのは持って一分から二分程度だ。


 だから、エンジンの掛かる音が聞こえたのと同時に駆け出した。


「三波! バイクに乗れ!」


 血が流れ続けている肩を押さえながら耐える様に体を震わせる三波にそう言ってバイクに跳び乗った。走り出した車に視線を向けつつバイクのエンジンを掛けようとしたが空回りして掛からなかった。


「くそ、よりにもよってなんで今だよ!」


 再びエンジンを掛けようとしても、また空回り。視界の端で近付いてくるゾンビもどきに気が付いて銃を抜いた。


「おい、三波。早く後ろに乗るんだ」


 ゾンビもどきの頭を撃ち抜きながら、三度目の正直を信じてエンジンを掛ければようやく掛かった。


「よし。おい、早く――っ」


 いつまで経っても乗ってこない三波のほうに視線を向ければ、諦めたような悟ったような穏やかな顔をしていた。


「いえ、私は大丈夫です。わかるんですよ。体の中が――温くて冷たいような感覚で、頭の中も靄がかって、ふわふわしている。……わかるんです。たぶん、私はもう助からない。だから、一つだけお願いを聞いてもらえますか?」


「……なんだ?」


 ゾンビもどきを撃ちながらも――一向に止まらない血と、青白くなっていく三波の顔色を見て、助からないであろうことには気が付いていた。


「美夏を……いや、美夏が望むようにさせてあげてください」


 その少しの沈黙で、何を考えたのかがわかった。


「ああ、わかった」


「ありがとうございます。じゃあ、早く行ってください。じゃないと、死ねないじゃないですか」


「――これを」


 上着のポケットから取り出した小瓶を手渡せば、それが何か察した三波は笑って頷いた。


「置き土産だ。どこか静かな場所に移動しろ」


 近寄ってきていたゾンビもどきに向かって弾倉が空になるまで撃ち尽くし、回転数を上げたバイクで突っ込んでいった。ドリフト回転の後輪でゾンビもどきを弾き飛ばしながら先程まで居たところに視線を向ければ、そこに――三波の姿はもう無かった。

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