第24話 揺るがないもの
秩序が崩壊した世界で変化する者がいる。
まず、俺たちのように準備していた者。これは言わずもがなだろう。次に会社や企業などで中間管理職をしていた者がそのポテンシャルを存分に発揮することになる。そして――独善的な者。
「どんな状況だ?」
フライトジャケットを首元まで閉めた柳木さんが俺の横で問い掛けてくる声を聞いて、覗いていた単眼鏡を手渡した。
ここは楽望会の建物である教会が見えるマンション中階の廊下だ。もちろん、ゾンビもどきの警戒はしていたが意外にも数は少なかった。考えてみれば隕石が落ちてきた時に居たのが家の中だったのなら、人間を殺す以外の知能を持たないゾンビもどきはドアを開けて外に出ることすら難しいのか。特に、鍵を掛けていたのなら出ることも不可能に近いはずだ。
「っ――はぁ、まったく。貧乏くじだ」
階段を上がってきて大きく息を吐いた土門に水を渡せば一口飲んで、俺の横に腰を下ろした。
「どうだった?」
「バリケードは強固だったが教会裏にある家の壁からなら這入り込めそうだ。周囲にゾンビがいる様子も無いせいか、見張り役もいない。ついでに人の出入りも無かった」
「カメラの類は?」
「見た限りでは無かったな。どうする?」
「別に正面から扉を叩いてもいいんだが、男の俺たちじゃ入れてもらえないだろう」
何より、那奈を含めて女子供が捕らわれていると考えた場合、過激な宗教団体を下手に刺激するわけにもいかない。戸を叩いたところで中に入れないのなら、やはり強行突破しかないのだろうが……情報不足だな。
「土門くん。人の出入りが無いにしても、人がいるのは間違いないのか?」
「それは確かだ。微かに声が漏れ出ていたってのもあるが、侵入防止の有刺鉄線も張られていたしな」
有刺鉄線か。諸に人間用のトラップだ。つまり、そいつらはゾンビもどきではなく、戦う相手を人間だと想定していることになる。どうにも穏やかには済みそうにない。
選択肢は三つ――敵味方に死傷者が出ることを良しとして正面から突っ込むか、気付かれずに侵入して攫われた者だけを救い出す。もしくは諦めて帰る。
まぁ、正面突破は現実的じゃない。他人を傷付けているとはいえ、生きようとしている人間がいるのは間違いないから、出来る限り争いは避けたい。だが、侵入して那奈たちだけを救い出すのが難しいのも確かだ。柳木さんによると道場にいた女子供は合わせて十一人。那奈も合わせて十二人、もしくはそれ以上の人数を助けて建物の外に出すのは不可能じゃないにしても得策とは思えない。外にはゾンビもどきがいるというのもあるが、何より対抗勢力があると教えてしまうことになる。そうなればこちらの施設の場所を見つけ出されるのは時間の問題だろう。同じ理由で、俺たちだけ帰るのも無しだ。これだけ好戦的な集団を野放しにすればいずれはこちらの施設までやってくる。悪意の芽は、先に摘んでおくべきだ。
などと考えていると、隣で単眼鏡を覗いていた柳木さんが思い出したように口を開いた。
「そういえば、襲ってきた奴らが言っていたことを思い出してきた。なにやら――『殺した数だけ次に進める』とかなんとか」
「なるほど。宗教っぽいな」
いわゆる輪廻転生やらを絡めた甘言で人心を掌握している感じか? その一言だけでは詳しいことまで推測も出来ないが、少なくとも躊躇なく人を殺せる連中だ。洗脳されているような状況だったとしても、俺たちとは相容れない。
「で、どうする零士。今日中に片を付けるつもりか?」
「もちろん対処は早いほうが良いが、攫われた奴らもすぐにどうこうされるわけじゃないだろう。もう少し状況を見たいところだが……ちょっと、
こちらは三人。分担すれば仕入れられる情報も多そうだ。
「何をするつもりだ? 零士」
「出方を窺う。とりあえず、土門は合図まで教会の近くで隠れてろ。柳木さんはこの場で待機を」
「私に気を遣う必要はない。することがあればなんでも言ってくれ」
「その申し出は有り難いが、ここで待機するのがやってほしいことなんだ。その理由はすぐにわかる」
疑問符を浮かべる柳木さんを横目に、マンションから教会の周りを見回した。
近過ぎるのも問題だが、遠過ぎるのもマズい。バリケードが張られている場所から――数軒を挟んで大通りの向こう側辺りが良さそうだな。
当たりを付けたところで柳木さんを残して土門と共にマンションを降りた。
「そんじゃあ、気を付けろよ。零士」
「そっちも」
土門とも別れて、俺は拳銃を片手に駆け足で目的地へと足を進めた。
道路の角を曲がったところでゾンビもどきと遭遇したが、瞬間的に抜いたナイフで首を刺して引き裂き、事無きを得た。とはいえ、一体だけか。やはり少ないな。
大通りを渡ったところにある駐車場に置かれていた車の中から適当な一台に近寄り、拳銃のグリップ部分で窓を割った。
周りを警戒しながら、施設で中身を整えたバックパックに手を入れた。
粉末の入った小さな瓶を三つ、空のガラスボトルを一つ。瓶の中身を一つずつ空のボトルに入れて、飲み口に布を詰め込んだ。あとは出ている部分の布の先に火を付けて車の中に放り込み、その場を離れた。
建物の角に隠れて――三、二、一。
「っ――」
アルミニウム粉末と酸化銅などを混ぜ合わせて火を付けると高温で爆発する、俗にテルミット反応というやつだ。それ単体でもそれなりの威力はあるが、破裂したガラスが車を内側から破壊する音の相乗効果で周囲に激しい爆発音を響かせ、黒煙が上がった。
それから約五分後、やってきたのはジャージ姿の二人組。それぞれに木刀と金属バットを手に、燃える車を遠巻きに眺めている。
「さっきの爆発音はこれだよな? どうして爆発した?」
「内側からっぽいな。ゾンビ共が爆弾を作るわけがないから、可燃物資か何かが原因なんじゃないか?」
「可燃物質ぅ? 難しい言葉使いやがって。あれじゃねぇか? 腐ったもんが爆発するっていうアレだ」
「腐敗ガスによる爆発か。まぁ、原因不明と報告するよりは現実的だな。一応、辺りを一周してから戻るぞ」
「う~い」
こっちに向かって歩いてくる姿を見て、身を隠してやり過ごせばそのまま帰っていった。
ここに来るまで五分か。それも二人組で。動きは良いが話を聞いている限りでは杜撰さも目立つ。目的はあるが、それ以外はどうでもいいって感じか? その感じはわかるが、違いはその目的の差か。
燃え上がる炎が燻ってきたのを確認してから柳木さんの待つマンションへ戻ると、すでに土門も戻ってきていた。
「遅かったな」
「後処理とか諸々あってな。で、どうだった?」
二人に向けて疑問符を飛ばせば顔を見合わせ、土門は柳木さんに掌を差し出した。
「爆発の直後、建物の中からジャージの連中が出てきたのを確認した。その数凡そ二十人。男だけですぐに布陣を敷くような動きをしていた」
「二十人か。道場を襲ったのは三十人前後だったよな? 教祖がいるとして……まぁ、五十人程度と考えておくべきか」
この世界でどうやってそれだけの人数を集めたのかは謎だが、攫った女子供を含めればもう少し多いはずだ。秩序を失った世界で宗教に人が集まるのはわかるが、それにしては統率が取れ過ぎている。元から陶酔していた者が多く生き残っているのかもしれないが……ゾンビもどきに成らなかった者の法則に鍵がありそうだな。
「俺のほうは爆発と同時に壁を乗り越えて敷地内に侵入した。さすがに建物の中までは這入れなかったが、窓の隙間から様子は窺えた。そこに居たのは教祖っぽい見た目の男とお付きっぽい若い女が二人。それを守るようにジャージの男が三人。残念ながら攫われたような女子供は見当たらなかったが」
「見当たらなかったのは朗報だな。つまり、こちらが攻めたところで盾にされることもないってことだ」
「だが、それならどこにいるんだ? 助け出すことを前提にするのなら、居場所を特定していないとキツイぞ」
「攫われた中に那奈がいるなら、なんの抵抗もなくされるがままにされているわけがない。俺の予想が正しければ言うことに従わせるため、どこかに隔離するなりして希望を断つはずだ。建物があの教会だけだとすれば……地下があるのかもな」
「その予想が外れていたらどうする?」
「可能ならば、私も彼女らに危険が及ばないことがわかった上で行動したいが」
当然だ。俺だって誰かが傷付く可能性のあるようなことはしたくない。それでも、対話が望めないような相手ならこちらも強気で出るしかないだろう。
「……前提の話をしよう。まず俺たちは攫われた女子供を救いたい。これはいいよな? 加えて俺は、今は宗教に陶酔している者でも救いを求めるのであれば救いたいと考えている。どう思う?」
問い掛ければ、土門は考えるように教会のほうに視線を送り、柳木さんは真っ直ぐにこちらを見据えた。
「無理だろう。人は見たいものを見て、聞きたいことを聞き、信じたいものを信じる。その信条を根幹から覆すことは難しい。殊更――こんな世では」
説得力がある。少なくとも、俺に同感だと思わせるほどには。
「わかった。それならあくまでも考えの一つとして頭の片隅に留めておこう。……爆破した車の下にやってきたのは二人だけだった。つまり、教会の外で騒ぎを起こしてもそれほど意味はない。なら――やっぱり正面から行くとしようか」
「相手は五十人、対してこっちは三人だぞ? しかも向こうは躊躇いなく俺たちを殺しに来る。無謀だろ」
「かもな。だが、目の前に救えるものがある。形振り構うより、まず行動するべきだろ。それに何より俺の目的は対話だ。必ずしも殺し合いになるとは限らない」
まぁ、そもそもこちらに殺し合う意志は無いのだが。
「そういうことであれば、私は問題ない。但し、もし争うことになるようなら――」
「わかっている。だが、言った通り殺しは無しだ。生きている人間は殺さない。いいな?」
そう言うと、柳木さんはしっかりと頷いて、土門は呆れたように納得してマンションの外に視線を向けた。すると、何かに気が付いたのか身を乗り出して取り出したオペラグラスを覗き込んだ。
「おい、零士。あそこを見てみろ」
指されたほうに視線を向けて柳木さんに貸していた単眼鏡を受け取り覗けば、先程まで俺がいた車を爆発させた駐車場よりも少し先にゾンビもどきの姿を捉えた。
「こっちに向かってきている? ……いや、車に向かっているっぽいな」
「どういうことだ? 奴らは人にしか反応しないはずだろ?」
「いや、どうかな。奴らの成長速度は異常だ。つい先日まで日の下を歩けなかった奴らが、今じゃあそんなことなど無かったかのように歩き回っている。それ以外の変化が起きていてもおかしくはない」
それでも熱源を追っているのか音に反応したのかを確かめる必要はあるが、近くまで迫ってきているのなら今、動くしかない。
「それでどうする? 私は不死者などどうでもいい。救いに行くのか行かないのか――どちらだ?」
「行かないという選択肢は存在していない。準備しろ。話し合いに行くぞ」
この世界では生きようとすること自体が善であるべきだ。
俺が正しい、とはどうしたって言えるはずもないが……信念の問題だな。
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