第4話 死なないために必要なこと
三十分置きの睡眠方法は一人で野営した時のために必要だと思って身に着けた特技の一つだ。何度か練習しておいたおかげで実践でも上手くいった。差し込む朝日に目を細めて双眼鏡を覗き見れば、夜中に歩き回っていたゾンビもどきの姿が無くなっていた。
彷徨い歩く理由はなんなのか、どこからどこに向かうのか、それとも元の家に戻るのか、知らなければならないことは多い。
「戎崎さん。良く考えました」
うっすらと隈を作った顔でやってきた渕々さんを見て、答えを聞くように頷いて見せた。
「私は――まだ、よくわかりません。私にはまだ、あれが人に見えるんです。だから、殺せるかと問われれば……たぶん無理だと答えます。それでも、私は戎崎さんに付いて行きたいと思っています」
「……どうして?」
問い掛けると、力なく首を横に振った。
「わかりません。でも、この場に留まるよりは正しいことだと感じたんです。迷った時には直感を信じる。それが父からの教えです」
懇願するような視線を受けながら、静かに瞼を落とした。
こんな世界では何が正しいのかなんてわからない。今の世界を望んでいた俺にさえ、自分の行動に対して常に疑念を抱きながら進んでいる。そんな中で――そんな状況だからこそ、揺るがぬ信念を持っている者は信頼できる。それに何より、彼女は大事な条件を満たしている。
「よし。一時間後には出発するから準備をしろ。それと敬語は要らない。名前も呼び捨てでいい。というか、そうじゃないといざという時に困るだろうからな。まずは着替えだ。那奈」
「わかり――わかった。零士」
洋服売り場へと向かう那奈の後ろ姿を見送って、こちらも準備をしなければ。
まぁ、考え方は色々とある。本来ならば俺のように躊躇いなくゾンビもどきを壊せる者と行動を共にしたほうがいいのかもしれないが、個人的には俺と同じような人間は二人も必要ない。だから、安易に殺せると明言していたら連れて行くことは躊躇っただろう。それが強がりかどうかは別にして。現状の俺は柔軟で居ようと心掛けてはいるが、固定観念に縛られている節がある。だから、俺と違う考えの者が必要なんだ。
あとは、義務を果たさなければ。
二階に居る四人を一所に集めようとしたが、素直に聞くような精神状態では無いので一人ずつ。
「俺はもうすぐここを出ていきます。あなたにある選択肢は二つ。一つはこの場に留まり籠城する。一階には食べ物もあるし、しばらく生活できるだけの物資も揃っているから当分は苦労せずに暮らせるでしょう。助けが来る可能性に賭けて屋上で狼煙を炊くのも良い。今はまだ電気も水も通っているから、今のうちに出来る限りの準備をしておくことをオススメします。もう一つは俺と一緒に来るか、です。但しこちらは危険を伴います。場合によっては人の形をした何かと戦わなければならない。……現状ではメリットを提示できませんが、留まるか進むか――決めるのはあなたです」
選択肢を提示して、去る者の義務は果たした。
そして、老人と軽薄そうな男は留まることを選んだ。
「わしはもう年だ。思うように走れはしない。ここで助けを待つよ」
「待っていれば警察か自衛隊でも助けに来るはずだ! 出ていくならさっさと出ていけ。目障りだ」
気持ちはわかる。だから、こちらから掛ける言葉は無い。
残りの小太りの男とスーツ姿の女性は進むことを決めた。
「助かるためならなんでもする! 連れて行ってくれ!」
「私も……お願いします。ここは、息が詰まりそうで」
意志があるなら先導するのが俺の役割だ。救いを求める者を見捨てるくらいなら、こんな世界を望んだ責任を果たせない。
「では、自己紹介を。戎崎零士です」
「寺田だ」
「……美島です」
「お二人は俺より年上ですが、敬語も敬称も使いません。そのつもりでよろしく。美島は那奈と一緒に着替えと、あと髪が長いので編み込むか括ってもらって。寺田は日用品売り場で武器になりそうなものを調達。俺は下を確認してくる。三十分経っても戻ってこなければ死んだものとして行動してくれ」
「お、お前が死んだら俺たちはどうすればいいんだ!?」
「好きに行動すればいい。だが、まぁ多分大丈夫だ。こんなところで死ぬつもりは無い」
死ぬつもりは無いにしても身軽にするためバックパックは置いていくとしよう。金属バットといくつかの武器を携帯して、一階へ。
まずは昨夜のうちに這入り込んだゾンビもどきが何匹いるのか確認だ。奴らに聴覚が無いとしても、息を殺して足音を立てまいとしてしまうのは仕方がない。
「……一……二、三、四……か」
数は大した問題じゃない。厄介なのは三匹が近い場所にいることだ。とりあえず離れていた一匹はバットで頭を叩き割って、残り三匹。さすがに不意打ちで全員倒すのは無理だろう。初撃で一匹を倒せたとしても二匹に囲まれてしまったらバットでは不利になる。イメージしろ――想像できることは現実で出来るはずだ。
さぁ、行こうか。
第一段階は、そもそも囲まれるという状況に持ち込ませない。つまり、三匹が向いている方向に姿を現す。
「グォアアォオオ!」
叫び声が三匹分。まずは先頭に立って突っ込んできた中年のゾンビもどきの顎に目掛けてバットを振り上げた。その体が後方に吹き飛ぶのと同時にバットを手放すと、倒れていくゾンビもどきを避けた二匹が左右に分かれた。それを確認しながらフットバッグから取り出したハンマーを手にした。
左から来たOLのゾンビもどきの側頭部を右のハンマーで打ち抜いたがそれだけでは倒れず、勢いに任せたまま回転した体の威力を左のハンマーに乗せ、釘抜き部分を割れた側頭部に突き刺した。OLが倒れたところで迫ってきていた男子学生の頭にハンマーを振り下ろすとバランスを崩したが、踏ん張って倒れるのを耐えたところに、くるりと回した釘抜き部分を突き刺して思い切り手前に引き抜くと頭蓋骨が割れる音がした。ハンマーに付いた血を振り払っていると最初に倒れたゾンビもどきが立ち上がろうとしているのが見えて、駆け寄ってその顔を蹴り飛ばした。再び倒れたところで顔面に数回ほど踵を落として踏み抜き、ようやく動かなくなった。さすがは軍用ブーツ、頑丈だな。
飛び散った血や脳を避けながらハンマーとバットを回収してゾンビもどきの着ていた服の綺麗な部分を破り取り、武器に付いた血を拭った。
外の状況を確認しつつ、店内を一周して二階へと戻るとエスカレーターの前には心配そうな顔をする三人が揃っていた。
「がん首揃えてどうした? まだ死んでねぇぞ」
「無事で良かったって思ってるんだよ、零士」
「……そうか」
胸を撫で下ろす美島と違って、寺田はすぐに切り替えて集めてきた武器になりそうな日用品をまとめて持ってきた。
「生きていて何よりだが、それなら早いとこ話を進めよう。武器はこれだけあれば足りるだろ?」
「いや、別に全部を持っていくわけじゃない。この中から三人が使える物を選ぶんだ。どれでもいい。良さそうだと思う物を手に取れ」
悩みながらも寺田は百均などに売っている角材を、美島は躊躇いがちにスコップを手に取った。
「私は……これ、とか?」
「鎌か。小振りで使い勝手もいいが刃物だから気を付けろ。美島はそれでいい。スコップなら武器にもなるし盾にも使えるだろう。寺田の角材には少し手を入れる。付いて来い。二人はバッグに必要だと思うのを詰めておけ」
向かったのは角材が置かれていた百均売り場で、記憶を頼りに店内を進んでいった。
「手を入れる、とは何をするつもりだ?」
「武器としての性能を上げるってところだな。俺はこっちを見てくるから寺田は滑り止めになるテープを探してきてくれ」
「……わかったよ」
角材は俺が預かったまま、工具売り場で見つけた釘を持っていたハンマーで打ち込んでいった。万遍なく打ち込んだら、あとは寺田の持ってきたテープを持ち手部分に巻いて、いわゆる釘バットの角材版、完成だ。
「これで一撃必殺の武器になったな。いざとなった時には使え」
「いざとなった時、か……来ないことを願いたいが」
「まぁ、無理だろうな。覚悟を決めろ。俺たちに戦う以外の選択肢は無い」
誰だって必要に迫られれば覚悟を決めざるを得ない。そこで動けない者は死ぬだけだ。……ま、動けたとしても死なないわけでは無いが。ともかく、行動あるのみだ。
武器を手にエスカレーターの前に戻ればバックパックを持つ美島とボストンバッグをきつく斜め掛けにする那奈が待っていた。
「こっちは準備できてるよ。ちなみに美島さん二十五歳だって。私は敬語でも良いんだよね?」
「別に構わない。敬称略や敬語不要はあくまでも俺の問題だからな。寺田も必要だと思うものをバッグに詰めてこい。そうしたら出発だ」
釘角材を持ったままバッグ売り場に向かう寺田を見送って、こちらは情報交換の時間だ。
「あの、ここを出た後ってどこに向かうんですか?」
教えるべきかどうか、という問いが頭に浮かんだが対等な仲間になるためにはこちらが意図的に情報を隠すべきではない。教えたところでどうなるものでもないしな。
「とりあえずはこの付近で籠城できそうな建物がここの他に四か所あるからそこに向かう。そこで同じように付いてくる者がいれば連れて行くし、美島がそこに残りたいと思うなら残ってもいい。まぁ、最終的には安全な施設でこんな世界になった原因を探るつもりだが……その場所については追々な。美島、車の運転はできるか?」
「え、ええ。一応、免許は持っています。ペーパードライバーですが」
「ペーパーか。まぁ、事故の心配はしなくてもいいと思うが。那奈は?」
「持ってない。そういう零士は?」
「バイクの中型。そもそも大人数での移動を想定していなかったからな……完全に俺の落ち度だ。何か手を考える」
大前提として考えていたのは一人での移動で、ゾンビは音に反応するという仮定を元にしていたから車での移動は想定していなかった。最初は音の出ない自転車を考えていたが、それだと両手が塞がってしまっていざという時に戦えないから、練習も楽なスケボーを使うことで落ち着いたのだが……今の状況ではそれも無しだ。
こういう世界になった時のために移動手段としてスケボーもフリーランニングも人並み以上になったが、それはあくまでも一人で行動し一人で逃げ回るために身に着けたものだ。日中はゾンビもどきが外を出歩かないなら車での移動が最善だが、運転できる者と車の鍵が必要になる。極論、免許が無くても運転はできるが鍵が無ければどうしようもない。
「車なら俺が運転しよう。元はバスの運転手だ。普通の車も運転できる」
案を考えているところにやってきた寺田の一言で状況は一変した。
「朗報だが、車が無い」
「それならたぶん大丈夫だ。昨日、俺は管理室にいただろ? そこで、これを見付けた。おそらく配達サービス用の車のキーだ」
冷静さに欠くかと思っていたが、意外なところで役に立ったな。
「よし。それじゃあ出発だ。俺が先頭で、那奈と美島を挟んで寺田が一番後ろ。車の場所はわかるか?」
「店の裏だと思うが、行ってみないことにはわからないな」
「そりゃあそうか。……行こう」
振り向いたところに居た老人と男と目が合って、逸らすように瞼を閉じた。
後ろ髪を引かれながらも、切り捨てていかなければならない。望まない者を――進むことを拒み、留まることを選んだ者を連れて行くことは出来ない。仮にその者たちが死ぬことになったとしても……死なないことには必要なことだ。
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