第31話 箱舟の船頭
『箱舟』は俺が管理していた加賀見や土門を始めとするメンバーを集めたサイトだ。直接会った者は全員が本名を明かしたが、斑鳩先生はアカウント名に本名を使っていただけで会ってはいないからこちらの名前は知らないはずだ。
「ああ、実は私は偶に政府で働いていてね。その時に危険因子のサイト管理者とやり取りをしていることを知られて素性調査をされたんだよ。まぁ、結果的に問題なしと判断されたがね」
情報の渋滞だ。政府? ……危険因子か。まぁ、サイト自体をわざと俗っぽい作りにしたせいか終末論者みたいに思われることもあったから否定は出来ない。とはいえ、実情は世界がゾンビで滅びた時のためにあらゆる想定をしておく、というだけだったから調査されていることに気付くこともなく終わったって感じか?
「色々と気掛かりはあるが……まずは俺たちのことを話すべきかな?」
「話すべきだねぇ」
カナリアだけでなく正面の二人も頷いている。面倒だが、仕方が無い。
「『箱舟』は俺が作ったサイトで、主な目的はゾンビで世界が滅びた後、どうやって生きるか、という想定をして生き残るための術を共有することだった。そこから次第に広がっていったわけだが、それは措いといて。斑鳩先生とはそのサイトで何度かやり取りをしたんだが、考え方の違いで決別した」
「ほう。違いとは?」
岩場の問い掛けに、斑鳩先生が口を開いた。
「私はゾンビを殺し、生きている人間だけが幸せに生きる世界を。だが、彼はゾンビだとしても可能な限り生かす道を考えていた。治す、だったか?」
「その可能性を抜きにするのは愚考だと言ったんだ。手を尽くさずに殺すだけなら奴らと一緒だろ。人間なら人間らしく考えるべきだ」
「とまぁ、そんな感じで仲違いをしてね。しかし、その二人がこんな世界で生きて会えたのは吉報。どうだ? 互いの情報をすり合わせてみるか?」
そのつもりだったが、相手から言われるとイラッとするな。
「じゃあ――その一・奴らは人を食わない。その二・奴らに噛まれたり、こちらが血を体内に入れても感染はしない。その三・殺すには頭を潰すか首を切るしかない」
「ふむ。そこまでは同じだな。付け加えるとすれば――殺さなくとも動きを止める方法はある。拘束し、視界を覆えば凡そ二日足らずで動かなくなる。が、死ぬわけでは無い。その状態でいくつか実験してみたが、手足を落としても死なず、胴体が二つに分かれてようやく動きが停まる」
「息はしておらず心臓も動いていない」
「そしておそらく餓死することもない。そもそも栄養が必要なのかも疑問なのが現状だが、オートファジーということも無いだろう。自らの体で栄養を補っているとすれば、体の小さな女子供は時間が経てば無条件で動けなくなっているはずだからな」
オートファジーは頭に無かった。たしか飢餓状態で起こる細胞の自食行為、だったか。
「俺の予想では外部からのウイルスが脳に這入り込んでゾンビ化――ゾンビもどき化させ、体に対して電気信号を送っているのでは、と考えている。だからこそ脳を壊すか電気信号を送るための神経を切断すれば死ぬ、と」
「もどきか。私は単に個体と呼んでいるが、意外と正鵠かもしれんな」
「……実験したと言ったな? 何をした?」
「やり取りを覚えているだろう? その通りのことをした」
「ということは、大して調べもせずに致死性の薬物投与をしたのか。殺せたか?」
「そこについても報告しよう。先程言った手順で個体を確保し行動を停止させた。そして、まずは致死量のシアン化ナトリウムを打ち込み、どういう変化があるのかわからないから、別のところに放置して経過を観察した」
言いながら立ち上がると、デスクに置かれていた液晶画面のボタンを押した。すると、どこだかわからない階の寝台用エレベーター前の映像が映し出された。ゾンビもどきが行き交っているから一階でも今いる七階でもなく二階から六階のどこか、か。
「その感じだと死にはしなかったんだな?」
「ああ。個体によって差はあるが凡そ一日足らずで動き出し、そこから二日をかけて他の個体を捕食し、その姿形を変えていった」
「捕食――それは知らない行動だが……姿形を変えた? どんな風に?」
ほとんど確信を持って問い掛ければ、斑鳩先生は岩場のほうに視線を向けた。
「形か? 端的に言えば食った分だけデカくなった感じだ」
その言葉に、カナリアが俺の脚を軽く叩いてきた。言いたいことはわかっている。
「つまり、変異種の出自は案の定ここだったわけだ。しかも斑鳩先生の実験によって作り出された、と。とはいえ、副次的なものなら仕方が無いが……実験した回数は何度だ? その中で、何体が変異した?」
「回数で言えば三十以上。そしてその全てが毒に耐え変化を見せた。今し方話したのは変化の一つに過ぎない。それを個体
まるで喜んでいるような口調だ。
「……三十体か。もう一つの変化というのは?」
「もう一つは水銀を打ち込んだ個体に起きた変化だが――」
視線は岩場へ。
「体躯は教授の言う個体αより少し劣るが、四足歩行になり動きが俊敏に。言うなれば犬――野犬ってところかな」
「それはまだ遭っていないが……結局、毒で殺すことはできなかったんだな?」
「今はまだ有効な薬が見つかっていないだけだ」
「いや、駄目だ。これ以上、実験は続けさせられない」
「許可は必要ないだろう」
「それなら――どんな手を使ってでも止める、と言ったら?」
「無理な話だ。君は自らの主義を曲げることができない」
「……ふんっ」
それを否定できないのは俺の弱さだな。とはいえ、このまま黙っていられる性分でもないが。
「今日のところは頭を冷やすと良い。平行線の無意味な話し合いをするのは好かん。二人を空き部屋に案内してやれ」
「わかりました。教授は?」
「仕事を続ける。お前らも続けろ」
そして促されるまま、岩場と音羽のあとを付いていきエレベーターに乗り込んだ。
「この階と下の六階の安全は確保してあるんだ。今日はそこの部屋で休むと良い」
「あ~……えっと、岩さんと音ちゃん? は元々何をしていた人? 普通の人じゃないよね?」
距離の詰め方が半端じゃないな。まぁ、俺も聞こうとは思っていた。
「俺と音羽は警察庁警備局の局員だ。機密につき詳しい所属などは言えないが」
「つまり公安か。どうしてそんな奴らが斑鳩先生に付いている?」
話ながら六階にある入院用の小部屋に連れて来られた。ベッドは二つ。長居するつもりもないが、斑鳩先生を放って施設に帰るわけにもいかない。
ベッドの上にバックパックを下ろせば、同じベッドにカナリアが腰を下ろした。いや……まぁ、別にいいけど。
「十月十一日。アメリカ大統領によって流星群の接近が伝えられた後、私たちは永田町に集められて政府高官や国の人的資産である人物の警護に充てられ、教授と共に行動をしていた。あとはそこからの流れでなし崩し的に」
知らないことばかりだが、そういう政治やらには興味が無いというのが本音だ。世界が滅びた後に政府が機能するとは思っていなかったし、世界が崩れ始めるならそういうところからだと思っていたから。まぁ、結果的には政府も何も関係なく一斉に崩れ去ったわけだが。
「ゾンビもどきを捕まえているのはお前たちだよな? 斑鳩先生の考えに賛成なのか? それとも単に今も任務を全うしているだけか?」
「任務、という点についてはすでに終了しているものと考えている。俺たちに命じられたのは流星群が降り注ぐその時まで要人を警護しろ、ということだったからな。さっきの音羽が言った通り今も教授と行動を共にしているのは成り行きだ。教授に賛同しているわけでは無いが……少なくとも合理的ではある、と思っている」
「安全な場所に隠れて、外に危険な変異種を放つのが合理的か?」
「全てを救いたいと思うのは願望だ。目的のためには多少の犠牲は仕方が無いだろう」
割り切っている大人の意見だな。俺も比較的ドライだと言われるほうではあるが、ベクトルの向きが違う。
「そっちはどうだ? 音羽、だったか」
「私に主義主張はない。その時その場で最善の手を取るだけだ」
「最善? 流れるほうに流されることがか?」
「……抗うことだけが正義だと思うのは浅はかではないのか?」
「別に俺は自分が正義だとも正しいとも思っちゃいない。ただ、斑鳩先生のしていることが正しくないということはわかる」
「大局を見れない者が正否を判断するべきじゃない」
「自分以外の者を犠牲にするのが当然だと考えることは間違っている。見るべきなのは大局じゃない。目の前で救いを求める者を無視するくらいなら、俺に生きている意味は無い」
向かい合ったまま言い合いを続けていれば、後ろから服の裾を引っ張られた。言葉はなくともカナリアの言いたいことはわかる。
「平行線ね」
「だな。まぁ、別に仲良くしようとは思っていないだろ。お互いに」
そう言うと、音羽は静かに息を吐いて踵を返した。部屋から出ていく後ろ姿を見送っていると、岩場が申し訳なさそうに苦笑いをして見せた。
「いや、悪いな。あいつに悪気はないんだが、どうも嘘を――というか気を遣うということを覚えなくてね。何か用事があれば上の階に来てくれ。じゃあ、また」
残された部屋で溜め息を吐きながら肩を落とすと、不意にポンッポンッとベッドを叩く音が聞こえてきた。
「まぁまぁ、隣に座りんしゃい」
「……とりあえず、これからのことを話し合わないとな」
カナリアの横に腰を下ろせば、トントンと肩を叩かれた。別に落ち込んでいるわけではないんだが。
「一先ず零くんの目的はあの教授って人の実験を止めるってことでいいんだよね?」
「現状ではその方法が無い。可能な限り穏便に済ませたいし、あの頭脳は有用だ。できれば施設にご同行願いたいが……厳しいだろうな」
「そっかぁ。まぁ、そういうのはよくわかんないから零くんに任せるけど。施設に連絡しておく?」
「いや、向こうも向こうで今は人数が増えて忙しいだろうから、まだしなくていい」
「りょーかい」
気の抜けた返事をしたカナリアが大刀の刃を磨き始めたのを横目に、俺は窓のほうへ向かい外を行き交うゾンビもどきに視線を落とした。
……別に殺す研究自体を否定しているわけじゃない。あらゆることが次に繋がる一手になることを知っているから。だが、それでも――看過できないことがある。これも、何度目かわからない感情だ。
他人を犠牲にするくらいなら、俺が死ぬべきだ。
目を背けるくらいなら、元から仲間など集めていない。守るための――救うための仲間たちだ。やり方は違っても、それぞれが主義を持って戦っている。そんな中で、俺だけが諦めるわけにはいかない。
考えろ。俺が生きるためではない。周りを生かすための方法を。
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