第19話 絶望への変転

 用意するものは意外と多くない。


 まずは空き缶にジェル状の着火剤、それに消毒液やいくつかの洗剤を缶の中に容れる。次にロープの先を停車したパトカーに結び、俺はエレベーターの中へ。置かれていた筒型の灰皿を入口に挟んで閉まらないようにしてから、エレベーター上部のパネルを外して上へ行けるようにした。


「土門、準備は?」


「出来てる。そっちは?」


「いつも通り。五分後だ。間違えるなよ」


 そう言って挟まっていた灰皿を外すと、エレベーターが閉まり動き出した。地下一階から地下二階へと向かう途中でエレベーターを緊急停止させると、上部の開いたパネルの向こうからロープが下りてきた。


 それを体に括り付け、余っている長さを確認した。あとは用意しておいた二つの缶を振ってエレベーターの奥の角に置いた。


「さぁ――行ってみよう」


 緊急停止を解除。動き出したエレベーターが地下二階に着いてドアが開いた瞬間にゾンビもどきに気付かせるため手前に見えた一体に銃弾を撃ち込んで、ドミノ倒しになるよう蹴り飛ばした。まぁ、倒れはしないが衝撃を受けたことによってこちらには気が付くだろう。


「来いッ!」


 叫んだところで聞こえていないのはわかっている。目が合ったゾンビもどき共はこちらに向かって一斉に駆け出してきた。その瞬間、即座に踵を返してエレベーター内の手摺りに足を掛けて、開けていたパネルのところに手を掛けた。


「よいっ――しょっと」


 よじ登って下を見れば、こちらに向かって手を伸ばすゾンビもどき共が次から次にエレベーター内に押し寄せてきて、すでに積載荷重オーバーの警告音が鳴っていた。このエレベーターの重量制限は約八百キロ。つまり、成人男性約十人分。だが、下にはすでに二十体以上のゾンビもどきが詰め込まれている。入口にも溜まっているせいでドアも閉まらない。そして――エレベーターを釣るワイヤーもギチギチと嫌な音を立てている。


 腕時計を見れば、もうすぐ五分だ。


 外していたパネルを嵌め直して、エレベーターから離れるように壁に手を掛けたところで爆発音と共に激しい衝撃が起きた。


 何が起きたのかを簡単に説明すれば化学反応による時差式の簡易爆弾と、限界まで引き伸ばされたワイヤー。そして、外側に付いているストッパーは爆発によって壊れた。つまり――エレベーターは。真似することはお勧めしない。


 下に視線を送れば押された勢いのまま落ちていくゾンビもどきを数体見送り、片手にナイフを持ったらターザンよろしくロープの振り子で地下二階へと突入した。手前にいたゾンビもどきを蹴り飛ばして俺の体を括っていたロープを切り離した。


 ほとんどはエレベーターの下に落ちて、残ったのは――二十二体。多いっちゃ多いが、両腕を広げて動かせる範囲さえあれば負ける気はしない。


 ナイフを仕舞って、代わりに拳銃とラバー警棒を取り出した。警棒で頭を打ち砕き、拳銃も零距離なら外すことは無い。殴って撃ち、蹴り飛ばしては撃ち。


「零士!」


 背後で勢いよく扉が開く音がしたと思ったら俺の名前を呼ぶのと同時に飛んできた鉈がゾンビもどきの頭を割った。


「あっぶねぇ。無事か? 土門」


「ちょっと数が多くて手間取ったが階段は通れるようにした。そっちも大分、数を減らしたようだな」


「ああ。時間が無い。早いところ残りを片付けるぞ」


 上半分がすりガラスのドアの向こうに人の姿は見えない。騒動に気が付いていないのか、爆発音のせいで部屋の奥で身を屈めているのかはわからないが、とりあえず――あと三体。


「こいつが最後!」


 土門が殴って倒れたゾンビもどきは顎が吹き飛び、それでも立ち上がろうとするところで頭を撃ち抜いた。銃もなんとか持ち堪えてくれた。


「土門、ドアを開けてこい」


 ゾンビもどきの頭に刺さっていた鉈を抜いて、土門に渡した。


「はいよ」


 倒れているゾンビもどきと、廊下の左右にあるドアを確認している間に奥の部屋は土門に任せた。動けるゾンビもどきも、隠れているゾンビもどきもいなさそうだが――エレベーターが墜ちた影響で開きっ放しになっている扉から炎が巻き上がっている。廊下の天井を見れば嫌な隙間が見えた。作動するかしないかは五分五分だな。


 ドアの前に倒れているゾンビもどきを退けている土門の下へ駆け寄れば、丁度ドアノブに手を伸ばした。


「無事か!?」


 開かれたドアから中に入れば、部屋の奥で屈んだ約二十人が驚いた顔を見せた。その中で立ち上がって俺のほうへやってきたのは三十代から四十代くらいに見える無精髭を生やした男。まさしく刑事って感じの風貌だな。


「ああ、良かった――もう駄目かと思っていたんだ。まさかあれだけの数を……いや、ともかくありがとう」


 声を聞いて、警察無線から流れてきた声の主だと気が付いた。


「そっちもよくこれだけの数を守ってくれた。名前は?」


「山崎晃。刑事だ。いや、か」


「俺は戎崎零士。そっちは土門。とりあえず時間も無いから単刀直入に言う。俺たちは安全な場所を提供できる――来るか?」


 問い掛ければ、山崎は目を見開いたまま背後で屈んだままの生存者に視線を送って、大きく頷いた。


「ああ、もちろん。よろしく頼む!」


「決まりだな。土門、先導を」


「はいよ。さぁ、こっちだ」


 上への案内を土門に任せて、俺はこの場にいる人数と男女比を調べようと手招きしながら部屋を出て行く山崎とすれ違って中に入ったとき――嫌な音が聞こえた。


 振り返って廊下を見れば、予感が的中した。


「土門! シャッターだ!」


「ッ――任せろ!」


 駆け出すと、下りてくるシャッターの下で大股を開き――ガシャン、と受け止めた。それはさすがに俺には真似できない。というか、普通に考えて無理だが、今はその火事場の馬鹿力が持つことを祈ろう。


「山崎! 今のうちだ! 急げ!」


「わ、わかった! 皆、遅れずに焦らず付いてくるんだ!」


 俺が先頭で走り出せば、あとを追って山崎がやってきた。大丈夫、ちゃんと他の者も付いてきている。


「山崎、上に行ったら真っ直ぐ駐車場を突っ切って外に出ろ。そこで車を調達するんだ」


「この人数が入る車はさすがに――」


 そう言い掛けた時、その後ろを付いてきていた眼鏡を掛けた小太りの男性が息遣い荒く口を開いた。


「車なら、ある! バスだ! 私なら運転できる!」


 随分と都合の良い――とはいえ、今はその幸運に感謝するべきだな。


「じゃあ、バスのところまではあんたが先頭で行ってくれ」


 ゾンビもどきが転がっている階段を上がって地下一階に辿り着き、バスの場所がわかる男性に先頭を任せて、あとから階段を上がってくる者に「あとについて行け」と声を掛ける山崎を横目に、倒れている灰皿が目に留まった。


 ……これだな。


「山崎、全員上がってきたらそのままバスに向かって走れ。俺たちもすぐにあとを追う!」


「え、ああ、わかった!」


 そりゃあ安全な場所を提供するって奴が二人もいなくなれば困惑もするだろうが、すぐ理解したように納得してくれた。


 筒型の灰皿を手に階段を上がってくる人達の横を通り過ぎて、地下二階に着くとシャッターを押さえている土門は俺の姿を見て目を見開いていた。


「なんだ、戻ってきたのか」


「もう誰かを犠牲にするのはごめんなんでね。行くぞ」


 灰皿をシャッターの下に置いて土門が屈めば、つっかえになって脱出できた。が、その直後に重さに耐えられなかったのか灰皿は潰れるように弾けてシャッターが降り切った。


 そんな状況を見送りつつ階段を駆け上がれば駐車場の出口に向かって走る者たちの後ろ姿が見えた。随分と距離が開いてしまったが、問題は無い。要は日が落ちる前に外に出てしまえば――そう思った次の瞬間、俺たちと前を行く者の間に左右に停まっている車の間からゾンビもどき共が飛び出してきた。


「う、うわぁああ!」


「逃げろ! 走れぇ!」


 女性を守ろうと盾になった男はゾンビもどきに噛み付かれて倒れ込み、そんな姿に立ち止まった女性も横からやってきたゾンビもどきに飛び付かれた。


「土門!」


「わかってる!」


 止まることなく、むしろ速度を上げて二人を襲っているゾンビもどきを土門と共に蹴り飛ばして頭を潰したが、倒れた二人はすでに息をしていなかった。


「おい、零士。マズいぞ」


 その声に振り返ればどこに隠れていたのかゾンビもどき共が続々とこちらに向かってきていた。まぁ、車で移動するのと大勢の人間が同時に移動するのとでは後者のほうが圧倒的に見つかり易い。


「この数はさすがに――」


 言い掛けたところで頭を潰したゾンビもどきから覗く眼を見た。相も変わらず黒目だが、中心にある白い点が目立つ。


「とりあえず外に出るぞ! そうすれば追って来られないはずだ!」


「ああ、確かにな」


 まだ距離はある。今から走り出せば追い付かれることなく外に出ることはできる。だが――あと一歩で日の下に出るところで全身を駆け巡った悪寒に足を停めた。


「いや、ここで食い止めるぞ!」


 そうしなければ駄目な気がする。


「なっ――ああ、くそ、わかったよ!」


 銃を抜いて近付いてくるゾンビもどき共の頭を撃ち抜けば、隣に並んだ土門も鉈を取り出して向かってくるゾンビもどきの首を落としている。


 数はそんなに多くない。二人ならどうにかなるはずだ。


「ッ――」


 撃ったゾンビもどきが俺と土門の間に倒れ込み、次のゾンビもどきを撃った瞬間に駄目だと気が付いた。飛んでいった鉛玉は威力が足りず、頭を突き抜けずに弾かれた。


 銃の構造的に火薬を破裂させているのではなく強力なバネを使っているから、いずれはバネが伸びて使えなくなることはわかっていた。だから、予備のバネも用意してあるが交換するタイミングが無かった。


「大丈夫か!?」


「問題ない!」


 ラバー警棒を取り出して、もう片手にはナイフを手に接近戦でゾンビもどきに対応していけば二人合わせて約三十体――なんとか持ち堪えた。一息ついて振り返ったところに、日の下で空を見上げて佇む一体のゾンビもどきがいた。


「くそ、最後に撃った奴か――土門!」


「おらぁ!」


 投げた鉈がゾンビもどきの後頭部を割って、膝から崩れ落ちるように倒れた。すぐに駆け寄って体を起こし眼を見れば――黒目の中に白い瞳が形成されていた。俺の予想が正しければ今すぐこの場を離れる必要がある。


「土門、急いで車に乗れ。中間地点を挟まずに真っ直ぐ施設に向かうぞ」


「それは構わないが、どうしてだ?」


 疑問符を浮かべながら鉈を回収している土門を横目に、周囲を確認すれば目に見えての変化はないが背中がぞわぞわする。


「説明はあとだ。お前の車なら施設の無線を拾えるんだよな?」


「ああ。周波数さえ拾えればやり取りも出来る」


「十分だ。バスを先導しろ。俺が後ろに付く」


「はいよ」


 それぞれが駐車している場所に向かい、エンジンが掛かるのが早い俺のほうが先に警察署の前に停まっているバスに横付けすれば窓が開いて眼鏡の男性がこちらに視線を落としてきた。


「今から来る車のあとに付いていけ! 山崎! 武器は持っているか!?」


 バタバタと駆け寄ってきて顔を出した山崎の手にはどこかで拾ったであろう歪んだ鉄の棒を持っていた。心許無いが、無いよりはいい。


 そこにやってきた土門がクラクションを鳴らして山崎と運転手がその車を確認したのを見て、俺はバスの背後に回った。


 おそらく奴らが自らの変化に気が付くのは遅くとも一時間くらい後だ。それよりも早く――できるだけ早く進めるところまで進まないとマズいことになる。まぁ、あくまでも俺の予想でしかないが……常に最悪を考えている上では想定内だ。


 想定の範囲内――このままでは本当に人類が絶滅してしまう。

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