第2話 望んでいた世界
「…………?」
いつもの天井が瞳に映る。
目が覚めることは無いと思っていたから不思議な気分だ。何が起きたのか、はたまた何も起こっていないのか――物音はしないのだが。
ベッドから起き上がって窓の外を見れば人ひとり見当たらない。車も走っていないし、流星が降り注いで地球が滅亡した様子も無い。もしや生きているのは俺だけ? などという冗談はさて置いて。いいとこ夢から覚めていないのか、もしくは地球滅亡云々が夢だったのか……確かめるのは簡単だ。携帯――
「電波はあるしネットにも通じるが……なんの証明にもならないか」
じゃあ、もう一つ。部屋から出て下の階に行けば両親が居る。階段を降りてリビングを覗けばソファーに座る両親の後ろ姿が見えた。
「なんだ、普通にいるじゃ――」
いや、待て。普通じゃないだろ。昨日と同じ体勢で、点いているテレビは放送中止の画面だ。どう考えても異常な状況だろう。戻るか進むか、夢なのかそうじゃないのか――などと考えているとゆっくりと振り返ってきた両親と目が合った。
「っ――」
違う。正確には目が合っているのかどうかすらわからない。眼球が全て黒く染まり、感じたことの無い空気を醸し出している。何が起きているのか確証はないけれど、肌がヒリついて、嫌な汗が噴き出してきた。ここに居続けるのはマズいと本能が告げている。
「ボォアアア――!」
こちらが声を出すよりも先に異常な音を出しながらソファーを飛び越えてきた両親らしき何かは一直線にこちらに迫ってきた。咄嗟に階段を駆け上がり部屋に飛び込んでドアを閉めると、ドンッと体の激突する音が響いた。鍵は付いていないが、こんなときのためにと準備しておいた板をドアノブに挟み込んで開かないようにした。
「グ、オオァアア!」
ドンドンッ、と衝撃を受けるドアだがそう簡単に壊れはしないだろう。
一先ずは呼吸を落ち着かせて状況を整理しよう。まず、これが夢か否か。痛みを感じなかったり、文字が読めなかったりと色々と判断する材料はあるようだが、腕を抓れば痛みは感じるし、携帯の文字も読める。じゃあ、とりあえず今が現実だということを前提として、ドアの向こうに居るのはなんだ? 姿形は確かに両親だが、中身は明らかに別物だ。突然襲ってきたことにしてもそうだが、この部屋に入るだけならドアを叩く以外の方法があるはずだ。窓もあるし、物理的に壊すなら外にある倉庫からカナヅチでも持って来ればいい。でも、そうせずにただドアを叩いているのはどういうことだ? まるで知能を持ち合わせていない獣――それこそ――それこそ、ゾンビと言って差し障りないんじゃないか? だが、問題はどうやって判別するかってことだ。
ゾンビならば死んでいる。だから、動き回る死体が襲い掛かってくるのに対して自己防衛出来るが、もしもまだ生きていて思考停止しているだけなら殺人になってしまう。まずは心臓が動いているのかを確かめなければいけないが……その前に、とりあえず用意していた服に着替えて装備を確認しよう。
「…………ん~……そもそも殺す前提で揃えていたからな……」
携帯食料や保存食の他に、殺すための道具はあるが捕らえたり気絶させたりする武器は無い。というか、死んでいた場合は気絶するのか? 動きを止めるのに使えるとしたら部屋にあったテレビのコードとかでいいだろうが、殴っても気絶しなかったらこっちが危ない。その時は殺せばいいのかもしれないが、そう上手くもいかないだろうから賭けに出るのは無しだ。なら、脚を切るとか? いや、もし生きていたとしたらどちらにしろ大量出血で死ぬ。罠に嵌める、のは今更どうにもできないか。
――ドンッ――ドンッ
「そろそろタイムリミットだな」
挟んでいた木の板がメキメキと音を立て始めた。
……二択だな。この部屋に残って、ドアが壊された瞬間に二人の意識を確かめつつ戦闘態勢に入るか、別の部屋に移動して不意を打つか。今、最も知るべきなのはゾンビと思わしき二人が生きているのかどうか、それにこちらを攻撃――殺す意志があるのかどうか、だ。
わかりやすく肌が爛れていたり致命傷に見える怪我でもしていればすぐにわかるのだが……というよりも、そもそもどうやって感染した? うちには両親以外に誰かが居る様子は無かったし、経口感染ってことはないだろう。ならば空気感染? だとすれば俺もゾンビになっているはずだ。俺がこの世界の最後の生き残り、などとは思わないが原因を探る必要はありそうだな。
まぁ、今は今を切り抜けることに集中しよう。
家にゾンビが押しかけてきた時用のプランの一つ。思っていた状況とは若干異なるが、実態は然程変わりない。必要なものをバックパックに詰め込んで背負って固定した。あとはブーツを履いて手袋をして、窓を開けて半身を外に出した。体を反転させて雨水用のパイプを掴み、窓枠に足を掛ければ完全に家の壁面にへばり付いているような形になった。あとは、パイプを伝って、すぐ隣のベランダに飛び移れば事無きを得る、というわけだ。
それと同時に部屋のドアが壊される音がした。ベランダのある部屋のドアが開いていたから、俺の部屋に入っていく二人の姿を見られたが、それだけでは判断が付かない。
「……試してみるか」
せっかくのガラス越しだ。このゾンビもどきを実験するには丁度いい。バックパックを下ろして肩を回した。そもそも奴らはどうやって俺のことを判別しているのか。まずは窓を叩いて音を出す。が、部屋から出てくる様子は無い。次の手を考えていると、部屋から母親が出てきた。視線を逆にやっている時にもう一度窓を叩いてみるが、やはり反応が無い。つまり聴覚が無い可能性が高いということだ。
父親は未だに部屋で俺を探しているのか何かを壊す様な音が聞こえているが、周囲を見回す母親が俺の姿に気が付くと真っ直ぐこちらに向かって突っ込んできた。
「オォ――ッ!」
躊躇いなくガラスに頭突きをすると、その衝撃でヒビが入った。頭から流れる血を気にする様子も無いが、傷口の大きさと比較して出血量が少ないのは気になる。死んでいるから血流が止まっている? 瞳孔反射を調べようにも眼球自体が黒に染まっているから確認のしようがない。そもそもどうして目が黒い? 暗闇でも見えるように、とか? 聴覚が無いのなら視覚に頼るしかないが、ヘビなどのように熱探知できるようになっているって可能性もあるか? どちらにしても現状では調べる方法が無いから、今は生きているのか死んでいるのかを判断するべきだな。
見極めるポイントはいくつかあるが、動いているから死後硬直や肌の変色はわからない。
「グゥウウヴ――!」
喋っているわけではないが、声を出しているということは呼吸はしているのか?
少なくとも肺と声帯は使えているわけだが、だからといって生きている確証にはならない。
……駄目だな。もうタイムリミットだ。頭突きを受け続けた窓がヒビだらけで、さすがにもう割れるだろう。見えている姿から判断するに、割れた頭に似つかわしくない出血量と、抉れた頭皮から露出した頭蓋骨、そしてそれを気にする様子が無い。頭突きだけで頭蓋が露出したことを考えれば、おそらく皮膚が弱くなっているのだろう。
結論――目の前のこれは死体だ。
残りの問題はどうすれば行動不能にできるのかということだ。知識としては脳を破壊する・首を落とすの二つが有力だと思うが、それはつまり少なくとも脳が体に指示を出しているから、神経伝達を止めればいいということだろう。だが、目の前のこれをどうすれば壊せるのかは色々と試してみなければわからない。
バリンッ――ガラスが割れて顔を出してきた瞬間に、両手で握って伸ばしていたコードをその首に合わせて、巻き付けるように体を回転させて背中合わせで吊り上げた。
「グ、ゥウ……」
巻き付いたコードを外そうともがいているようだが、背中で服越しに感じる冷たい体温からして窒息死するとは思えない。それならやることは一つだ。グッと力を込めて背負うように持ち上げながら首を絞めつけた。あとはこのまま――首の骨を圧し折る!
「っ――らぁ!」
背負い投げる形でベランダに叩き付けると同時に首の骨の折れる音がした。ダメ押すように倒れた体から首を引き離すように腕を引けば、完全に動きを止めた。詰まる所、脳神経との繋がりを遮断をすれば二度目の死が訪れるということか? だが、あくまでもこれは一例だろう。やはり、脳を破壊するのが手っ取り早そうだ。
あとは父親――のように見えるなにか、だな。
用意した武器を使うのはまだ早い。頭を叩き割るだけならそこら辺にあるものでも出来るから……ゴルフバッグは一階だし、バットは外の倉庫だ。ここは父親の趣味の部屋だし、あるとすれば骨董品の壺くらいか。ボーリングの球より若干小さい壺の中にタオルを詰め込んで、そこに手を差し込めば簡易的且つ強力な壺グローブの完成だ。自分の手を保護しつつ相手を倒せる優れものだ。問題があるとすれば、奴らが目で人間を判断しているのだとすれば、こちらから姿を現さなければならないということ。リスクは高い……が。
「想定の範囲内ではあるんだよなぁ」
気乗りはしないが、覚悟は出来ている。
そもそも、わかっていたことだ。その上で改めて理解した。映画などでゾンビに立ち向かう彼らや彼女らが、どうして人の姿を模っているモノに対して躊躇いなく攻撃できるのか――それは、最初に壊す相手が最も近くにいた家族や恋人、もしくは友人など最も愛すべき者だから。一番関係の深い者を殺した意識を持てば、それ以外の者など取るに足らない他人だろう。故に、目の前に居る相手が女だろうと子供だろうと老人を模ったなにかだろうと躊躇うことはしない。
「俺だって――そうだ!」
俺の部屋へと向かう廊下で父親と鉢合わせた瞬間に、額目掛けて壺で包んだ拳を振り抜いた。倒れたところに馬乗りになって、ひたすらに壺の拳を振り下ろすと歯は砕け、鼻は折れて抉れ、血肉が飛び散り、手に嵌めていた壺が割れる頃には完全に顔の半分が潰れて体は動かなくなっていた。
「はっ、はっ、はっ――はぁ……」
覚悟はずっと前から出来ていた。この世界が、なんらかの形でゾンビに侵された時は最初に殺す相手として両親が最も有力候補だった。
心臓の高鳴り、体の震え――アドレナリンが脳内を満たしている感覚だ。
「これが……これが、俺の望んでいた世界、か……」
悪くない気分ではある。が、どうやら予想していたよりも、思っていたよりも――俺は、今が楽しくないらしい。
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