第16話 呪いの自己欺瞞
テーブルを囲むのは二人の子供と美夏を除いた五人。子供という意味では修司もだが、こんな世界だ。戦える者は大人として扱わせてもらう。
「さて――武蔵。説明を」
「三十分くらい前のことだ。警察無線の傍受に成功して他にも生存者がいることがわかった」
その言葉に三人は希望を持った顔を見せると、修司が徐に口を開いた。
「傍受……ということは通信ができたわけではないんですか?」
「そうだ。だからわかったことは二つだけ。今言ったように生存者がいること。それに――助けを求めているということだ」
立てた二本の指を見て、力強く頷いているのは那奈だけで他は難色を示すように顔を顰めるか、視線を下げた。まぁ、大方予想通りだな。
「面倒だから結論から言うが、助けに行くのは俺だけだ。お前らには先に隔離施設に向かってもらう」
「っ、それは――」
勢いよく立ち上がった那奈だったが、武蔵から掌を向けられたことに気が付いて口を噤むと、不機嫌そうに腰を下ろした。
「戎崎くん、君を一人で行かせるはずが無いことはわかっているよね?」
「行く行かないを決めるのは俺だ。許可も要らないし、俺一人のほうが動き易い」
「それは違うでしょ。私たちにだって選ぶ権利はある。私は零士と一緒に行く」
「駄目だ」
「な――んで、そうやって!」
ガタリと大きな音を立てて立ち上がった那奈だったが、俺と目が合うと悔しそうに下唇を噛んでいた。
「俺には助けを求める者を救う義務がある。お前らは関係ない」
「なら、私たちにだって選ぶ権利はあるでしょ!」
前のめりなのはやっぱり那奈と武蔵だけ、か。
「いや、無い。俺にとってはお前らも救うべき対象だ。危険な可能性のある場所に行くのは俺だけで良い」
真っ直ぐに那奈を見据えて言えば、徐に口を開いたのは隣に座っている者だった。
「……戎崎さんのそれは、義務ではなく――使命感、ですよね?」
「意外だな、美島。お前は行きたくないほうだろ?」
「そう、ですね。ですが、私と那奈ちゃんは二度目なんです。貴方を一人で残したときに感じた不安は……一度だけで十分です。だから、一人で行かせたくない気持ちもわかります」
「……なるほど」
難しいところだな。
状況的には半々だが――こういう時に多数決は取りたくない。意見が割れた時は多きに従うというのが効率的かもしれないが、だとしても、それが少数を切り捨てていい理由にはならない。
強制ではなく承諾で――全員を納得させた上で別行動を取る。そうしなければ無駄な亀裂を生む。これから先のことを考えれば、俺はそれを看過できない。
俺が正しいことを証明するには、嘘偽りでは無いことを話すべきだな。
「いいか? 滅亡した世界で生き残った俺たちにはやることがある。一つは生きることだ。死なないこと、と言い換えてもいいが――こんな世界では生き残るということ以上に大事なことなど存在していない。そして二つ目、世界が滅亡した理由を探すこと。そのためにはどうして俺たちが生き残ったのかを調べる必要がある。もちろん、外を歩いているゾンビもどき共も調べるが、それよりも多くの生きたサンプルが必要になる。だから、お前らには研究設備の整っている隔離施設に向かってもらいたいんだ」
それが偽らざる真実だ。俺たちが進むべき道――助かるための道。今のところは想定の範囲内だが、その研究次第で先はわからなくなる。
「それは……そうかもしれませんが……」
肩を落として座り込んだ那奈は考えるように俯いた。
「なら、俺だけが戎崎くんに付いていくのはどうだ? 警察署なら当然行ったことがあるし案内も出来る。それなら――」
「駄目だ。お前がいなかったら誰が車を運転する? それに、ここから隔離施設まではそう離れていないが、戦える奴は一人でも多いほうが良い。警官なら優先順位を間違えるな。守るべき相手は俺じゃない」
「それは違う! 警官としてなら尚更、戎崎くんを一人で行かせるわけにはいかない」
「……平行線だな。修司、ずっと黙っているが何か言いたいことはあるか?」
黙ったままテーブルの上で組んだ手の指を入れ違わせながら修司は静かに深呼吸をした。
「俺は――戎崎さんが正しいと思います。全員で危険なほうへ行くよりも、俺たちは安全なほうへ行くべきです。だって、そうじゃないと村中さんの想いはどうなるんですか? なんのために犠牲になって、誰のために――」
誰のために死んだのか、か。それをお前が言うのはズルいだろう。
耐えるように握った手に力を込める修司を見て、武蔵は呆れたように大きな溜め息を吐いた。
「だからこそ、だろう。村中くんはこの場にいる全員を救おうとしたんだ。だから、一人が進む方向に全員で舵を取るべきなんだよ」
「そう、かもしれません。でも――それでも! たぶん、俺はもう戦えない。奴らを前にしても……ここにいる誰かが襲われていたとしても……これまでと同じように木刀を振ることは出来ません」
「どうしてだ? 今日の今日、戦ったばかりじゃないか?」
どんな出来事が人の心に作用するのかはわからない。修司にとって、信念のような何かを揺るがす事が起きたのだろうが、それを知ることは難しいだろう。
「じゃあ、武蔵さんは人を殺せるんですか? 俺には出来ません。もう――出来ないんです」
そう言いながら修司は顰めた顔を両手で覆った。
まぁ、気持ちがわからなくもない。俺のように始めからあらゆるものをかなぐり捨てている者と違って、いきなりこんな世界に投げ出されれば鈍るものもある。それがどこかのタイミングで正気に戻れば、怖気づくのも当然のこと。特に、人ではないが人型の何かを相手にすれば尚更だ。
修司の言葉以降、全員が各々で決意を固めたような表情を見せている。そんな様子を見ながら徐に立ち上がれば、修司以外の三人がこちらに視線を向けた。
「……少し、俺の本音を話そうか。俺は仲間たちと共に安全な隔離施設を作った。だが、それは少し前までなら普通の奴らが一笑に伏すような計画だ。結果として役立ってはいるが、生き残る方法は他にいくらでもある。海外ではどうかわからないが、日本では北海道を始め、関西や四国、九州、他にももっと細かい地域でコミュニティが形成されているはずだ。弱くて臆病者な人間にとって、徒党を組むのは大事なことだ。生き残るためにも、精神的にも。じゃあ、そのコミュニティで大切なことはなんだと思う?」
問い掛けて視線を向ければ、全員が考えるように口を噤んだ。なら、言葉を続けるとしよう。
「秩序だ。こんな世界では法律も何もあったものじゃないが、多くの人が集まる場所で秩序が崩れればそのコミュニティは崩壊する。だから、元警官である武蔵には早めに隔離施設に行ってもらいたい。暴力では無い正しい秩序のためには適任だろう。そして、修司、那奈、美島。お前らは若い。だから――ということではないが、若さは未来だ。これから先のことを考えれば、お前らだけじゃない。二階で寝ている三人も当然のこと。俺は他の奴らも救いに行かなければならない」
そう言えば、顔を覆っていた修司も手を下ろして、四人の視線が俺に注がれた。
「……武蔵、ここから隔離施設まではそう遠くない。車の運転、それに万が一の時は頼む。修司、戦いたくなければ戦う必要はない。恐怖は大事だ。それで救える命もあるだろう。那奈、前に話したことは憶えているか? 隔離施設への行き方はお前が指示するんだ。美島――子供たちのこと、任せたぞ」
それぞれが頷くのを見て、漸く話し合いが終わったと思ったのも束の間。背後から近付いている足音と、四人の視線に誘われて振り返れば――左頬に衝撃を受けた。
「勝手に話を進めないで!」
「……美夏。いつから話を聞いていた?」
「最初っから。今のビンタは三波の分です。三波は私たちを――私たちと、貴方を生かすために犠牲になった。貴方の言った『これから先のこと』に貴方自身が含まれていなければ意味が無いんです! でも――なのに……わかっているのに……私には貴方を止められない。止める理由がわからない。だって、正しいから。正しいけど――理解が出来なくて悔しい。私は――っ!」
服の裾を掴みながら涙を流す美夏を目の前に、俺は手を差し伸べることができない。零れ落ちる涙を肩で受け止めれば決意が揺らぐから? いいや、それは無い。だからこそ、俺にはその涙を受け止める資格が無いのだ。
駆け寄っていったのは美島だった。抱き締めたまま、俺に向かって頷くとそのまま美夏と共に二階へと上がっていった。
「じゃあ、武蔵と修司も寝床を準備したら順番に風呂に入って今日は休め」
そう告げれば三人は黙ったまま俺の横を通り過ぎていった。
「はぁ……」
溜め息を吐いて椅子に腰を下ろせば、一気に体の力が抜けた。すると、隣の椅子に那奈が座って同じように溜め息を吐いていた。
「零士。さっきのビンタ、避けようと思えば避けられたでしょ。どうして避けなかったの?」
「必要な代償だ。他の誰かにとっては大したことでなくても、当人には大事なことがある」
「零士にとって?」
「美夏にとって、だ。下手をすればこれが最後になるかもしれないからな。吐き出せるものは吐き出しておかないと、精神衛生的に良くない。ビンタの一発や二発で人の心が救えるのならそれでいいが――まぁ、救えたかどうかはわからないけどな」
人の心はブラックボックス。詰まる所、よくわからない。
「……零士」
「ん?」
呼ばれて振り向いた瞬間――右頬に衝撃を受けた。なんか、こういう話し合ったよな。
「いや、今のビンタはなんだ?」
「本音を言えば、私も美夏ちゃんと同じ意見だから。零士は正しい。けど、理解は出来ない。……もしも、今からでも私が付いていくって言ったらどうする?」
「答えはわかっているだろ? 駄目だ。さっきも言ったようにお前らは未来だ。なんにしても隔離施設に辿り着くことを考えろ」
「それは、さ――女だから?」
ああ、そう来たか。
先のこと、未来のこと、と言い続ければそういう思考に行き着くのも無理はない。事実、そういうことも確かに考えているが、それが一番では無い。
「違う。生きようとしているからだ。何度も言っているが、俺は助かる意志が無い者を救うつもりは無い。俺にとっては生きることを望む者を救うことが何よりも大事なんだ。お前たちは生きろ。犠牲になるつもりはないが――戦うのは俺の仕事だ」
握った拳を突き出せば、肩を落としながら笑顔で拳を合わせてきた。
「わかった。こっちは任せて。零士は他の人を救って」
「ああ、任せろ」
良く言えば自己暗示だが、悪く言えば呪いのようなものだ。
人にはそれぞれ役割が合って、世界が滅亡した今となってそれが如実になった。躊躇いなく元人間を殺せる俺には、それを殺して生きることを望む者を救うことが与えられた役割なんだ。
この雁字搦めの呪いは――たぶん一生、俺のものだ。
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