第33話 人間の境界線
朝日が部屋の中に差し込むのと同時に目覚め、装備を整えて準備完了。但し、悟られてはならない。俺が、ではなく、音羽が。
まぁ、俺は元より疑ってかかることを前提にしているから食って掛かっても問題は無い。気を付けることは、その完成しているかもしれない薬を使わせないことだ。軍事転用を前提に作っているのなら注視しておいたほうが良い。
とりあえずは情報収集だな。
とはいえ、まどろっこしいのは面倒だ。施設のほうも心配ではあるし、正面から問い質すとしよう。
「カナリア」
「起きてるよ~」
カーテン越しに声を掛ければ何とも言えない声色の返事が聞こえてきた。
「行動開始だ。携帯食だけでも腹に入れておけ」
「チョコ系ある?」
「ある」
カーテンを開けて高カロリーなチョコバーを渡せば、ものの数秒で食べ終えた。
「よしっ、元気出た!」
エレベーターに乗って七階へ。
まぁ実際問題、こちらには常に大刀を携帯しているカナリアがいるし、銃もある。何かが起きたとしても十分に対応できるはずだ。
「斑鳩先生、訊きたいことが――」
言いながら部屋に入ると、診察台の上に縛り付けられたゾンビもどきに向かって注射を刺そうとしている斑鳩先生の姿があった。
「……何をしている?」
「実験だよ。最後のな」
反射的に拳銃に手を伸ばしたが、なんとか抜かずに留まれた。
「最後? じゃあ、ゾンビもどきを殺す薬が完成したってことか?」
「まぁ、そんなところかな」
なんの気なしにゾンビもどきが固定させている診察台の向こう側にいる岩場と音羽に視線を送るが、反応は見えない。
「考えたんだが、ゾンビもどき共の原因が脳にあるってのは共通認識なんだよな? ならどうして脳を直接壊すような毒を使わない? 脳を溶かす薬品も、脳細胞を破壊するウイルスもあるだろ」
ほぼ核心を突く質問だ。その答えによって、この先の行動が変わってくる。目配せというよりは警戒に近い視線を二人に送ってから、斑鳩先生の言葉を待った。
「……そうだねぇ……もう隠しておく必要もないのかもしれない、かな?」
その言葉を聞いた瞬間にメスを取り出した岩場が音羽の首に突き付けた。が、同時に動いていたカナリアの大刀が岩場の首元に触れ、俺は銃口を斑鳩先生に向けた。
「少しでも動けば音羽が死ぬぞ」
「その言葉をそのまま返すよ。動いたらその首を落とす」
「それは無理な話だな。リーチの差を考えろ」
「じゃあ、やってみる?」
どちらにも利はある。共倒れなんてごめんだ。
「止めとけよ。まだこっちの話が終わってない。先生、話を続けろ。何を隠している?」
「君の言う通りだよ。薬の投与で奴らを殺すのは容易い。しかし、その個体はその場で死んでしまい、二次感染にまで広げることは出来なかったんだ」
その言葉に感情が籠っていないことは察するまでもなく。
「違うだろ。下手な嘘は要らない。遅効性で殺せるウイルスなら存在しているのに、それを試していない理由を訊いているんだ」
追及すると、先生は手に持つ注射器を掲げて見せた。
「これの中身は致死量のシアン化ナトリウムだ。生きている人間に打てば、ものの数分で死に至る。けれど、どうだ? こいつらは死なない! どころか肉体に強靭な変化を起こしている。詰まる所、このウイルスだか何かは人間に進化をもたらすということだ」
「進化? あんなもの――退化の間違いだろ」
挑発して冷静さを失わせようとしたんだが、聞く耳を持たず。
「そして、我々の体の中にもそのウイルスが存在している。大事なのは量だ。多過ぎれば中和するまでに時間が掛かり、少な過ぎれば進化が起きない。わかるか? 人間が、人間以上の存在になることができる。これは最終調整だ。この量ならおそらくは数分から数十分で私たちは人を超える。本当は生きている人間で試したいところだったが――仕方が無い」
次の瞬間――こちらが反応するよりも早く斑鳩先生は手に持っていた注射器を自らの首に刺して全てを注ぎ込んだ。
「零くん!」
カナリアの声に視線を向ければ、岩場はメスを握っていないほうの手で持った注射器を自らの太腿に打ち込んでいた。
「っ――音羽!」
大刀を振り抜こうとするカナリアに気が付いて音羽の名を呼べば、苦しみ出した岩場の首に腕を回して背負い投げの要領で放り投げると、骨の折れる音がした。俺のほうは銃口を向けた斑鳩先生の腹部に二発の弾を撃ち込んだ。
あくまでも時間稼ぎだ。まだ生きている人間を直接殺すことはしない。
自らで致死量の毒を打ち込み、片や首を折られ、片や腹に風穴を開けている――にも拘らず、今もまだ動けているのは何故だ? 毒で死ぬ可能性も否めないが、状況を見ておくべきだろうが……そういうわけにもいかなそうだ。
カナリアと音羽がこちらにやってくると、蹲っていた二人が乱れた呼吸のまま立ち上がり、俺たちのほうには目もくれることなく縛り付けられているゾンビもどきに噛み付いた。
「うちが殺るよっ!」
駆け出そうとしたカナリアの首根っこを掴んで制止した。
「駄目だ! 音羽、準備は出来ているな? ここを出るぞ」
「問題ない。一階のほうに伝えて、安全に出られる手筈は整えてある。私に付いて来い」
「先に行け。お前もだ、カナリア」
目の前でゾンビもどきを貪り食う二人を見ながら不服そうな顔をするカナリアだが、一瞥して目が合うと眉を顰めて音羽のあとを追っていった。
俺もすぐにあとを追うが、その前に構えた銃口を斑鳩先生の頭に向けた。が、動かない指先に溜め息を吐いて、二人の膝を撃ち抜き床に跪かせてから部屋を出た。
本当にゾンビもどきのような変化が起きているのなら、あんなものは時間稼ぎにもならないだろう。
「こっちだ!」
二人が待つ寝台用のエレベーターに駆け込むと扉が閉められ、動き出した瞬間――激しい音と共に大きく揺れた。エレベーター自体に問題は無さそうだが、十中八九原因はあの二人にありそうだ。……今もまだ二人と呼べれば良いが。
「音羽、一階の警備室はどこにある?」
「エレベーターを降りて出口に向かうまでの間。昨夜言った通り、向こうには話を伝えてあるから手間取ることは無いはずだ」
「……だといいが」
未だに納得がいっていない様子のカナリアを視界の端に捉えながらも、エレベーターが一階に着いた。
「二人は私の後ろに。離れずに付いてきて」
用意していたであろうボストンバッグを背に、警察支給の伸縮警棒を伸ばした音羽が先頭に立った。戦えることはわかっている。だが、扉が開いた先には――ゾンビもどきを食う四足歩行の変異種がいた。斑鳩先生が言うところの個体βだ。
「下がれ! カナリア、ドアを!」
音羽のボストンバッグを掴んで退き、こちらに向かってくる変異種に銃口を向けて引鉄を引いた。
「避けんのかよ」
話に聞いていた通り、動きが素早くて銃弾すら避けられるが牽制は出来る。扉が閉まる直前で撃った弾が当たったように見えたが確証は無い。ともあれ、あの変異種がいる限り一階からの出入りは出来なくなった。
「四階に。あそこならほとんどの個体がいないはずだ」
エレベーターの扉が開かれると、転がっている丸焦げのゾンビもどきの先から向かってくる三体がいた。さっきの変異種に比べれば遅い。三発でそれぞれの頭を撃ち抜いて、周りを確かめた。
「……終わりか?」
誰に問い掛けたわけでも無かったが、耳に嵌めたイヤホンでやり取りしていた音羽が天井にある監視カメラに視線を向けた。
「この階にはもういないようだ。昨日の大立ち回りで随分と減らしたおかげだな」
「この階には、か。変異種も倒せなくはないだろうが、建物の中じゃどうにもな」
何より二体――それも、下手をすればゾンビもどきの変異種より厄介かもしれない人間の変異種だ。面倒そうだな。
「ここからどうする? 警備室からの情報によれば一階にはさっきの個体βが陣取っていて、二階と三階のエレベーターの前には個体が溢れている、とのことだ」
「まぁ、想定の範囲内だが……病院なら避難梯子か救助袋があるだろ。外の様子はわからないのか?」
「外に監視カメラは無い。というか、あの個体――着ている服からして岩場なのは間違いないが、どうやって七階から一階に降りてきたんだ?」
「方法はいくらでもある。窓をぶち抜いて降りる、とかな。とりあえず次の手を考える。一階のハッカーには何か変化があれば報告するように――」
言い掛けたところで、カナリアが徐に口を開いた。
「あの時……あの時に、うちのことを止めずに殺させてくれていれば、こんなことにはならなかった。……違う?」
「違くはない。だが、あの時はまだ奴らは人間だった。ゾンビもどき共を殺す分には特に何かを言うつもりもないが、お前を人殺しにさせるつもりは無い」
「……零くんはいいの?」
わかりやすく不服そうな顔をするカナリアだが、これに関してはこちらも引けない。
「良いかどうかじゃなく、振り切れているかどうかが問題なんだ。わかるか?」
「わかんない」
そう返ってくることがわかった上で問い掛けたのも確かだが。
「あ~……まぁ、アレだ。カナリアに人を殺してほしくないってのが本音だよ。それならわかるか?」
「うん……それならわかる! じゃあ、もう次は殺っちゃっていいってことだよね?」
「ああ、存分にやってくれ。あれはもう人間とは呼べないからな」
「りょーかい!」
馬鹿みたいな敬礼をするカナリアを見ながら、思考を廻らせる。
この病院から脱出する方法と――今し方の会話が頭の中を過る。
滅亡した世界で、人としての尊厳を維持するための最低限の境界線だ。どんな状況であれ人間を殺せば、その者の心に影を落とすことになる。すでに人間でないゾンビもどきを殺すだけでも心が限界になる者もいる中で、生きている人間を殺せばどうなる? おそらくはほとんどの者が耐えられないだろう。カナリアがどちらかはわからないが――本当にどうしようもなくなった時でも、俺が傍にいる時なら絶対に人間を殺させることはしない。
まぁ、面倒な性分だってことは自覚しているよ。
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