第13話

 八、


 翌日、さくら町は朝から明るい光に包まれていた。締め切っていた部屋の窓を開け放ったように、澄んだ空気が町へ流れ込む。昨夜、町中の桜の蕾がようやく開き始めたのだ。例年より、一週間以上遅れての開花だった。満開になるまでは、今少し時間がかかるだろう。けれど、町の皆は一様に喜んだ。

 駅の改札口に夜桜は立っていた。向かい合う真冬はリュックサック一つ背負って身軽な装いだった。

「わざわざ見送りに来てくれてどうも」

 真冬は偉ぶった口調で、わざとらしくふんぞり返る。

「友達だからね」

「俺は良い友達を持った。見送りに来てくれたのは君だけだ」

「嘘つき。他の人には出発の日を教えなかったんでしょ」

「ばれた?」

「真冬くんはそういう人だと思った。荷物はそれだけなの?」

 夜桜は軽そうなリュックサックを指差した。

「必要なものはすべて郵送してあるんだ。残るは自分の身体だけ」

「一人暮らし頑張ってね、料理とか」

「プリンは作れるから大丈夫」

 それは料理ではなくお菓子だ、と夜桜は思ったが突っ込まないでおいた。

 夜桜と真冬から少し離れた場所で、魔女と彼の祖母、両親たちが談笑している。真冬を見送りに行く夜桜に魔女は面白がってついて来たのだ。そして、魔女は彼の祖母と久々に顔を合わせた。若者たちをはそっちのけで魔女と祖母は彼の両親を交えて昔話に花を咲かせていた。

「桜が咲いて良かったよ、安心して旅立てる」

 真冬は駅の前に植わっている桜を遠くに見つめ、嬉しそうに口角を上げた。

「おかげさまで、今年もさくら町はお花見ができそうです」

「さくら町のみんなは俺に感謝していることだろうね」

 真冬は冗談めかして言った。夜桜はそうね、と彼の言葉に頷いた。

「寂しくても泣かないでね、夜桜ちゃん」

「もう泣かないってば。真冬くん、ちょっと」

 夜桜は真冬に手招きして、両手で口元に筒を作って、内緒話の合図をした。別に隠すようなことを言うつもりはないが、改札口のざわついた場所であえて大声で話すのは恥ずかしかったのだ。真冬は「なになに」とわくわくした顔で膝を折り、かがんで耳を近づける。

「あのね、真冬くん」

 ひそひそと、夜桜は照れながら話す。

「あの日、私に声をかけてくれて、友達になってくれて、魔法のこと手伝ってくれて、ありがとう。私に笑顔を思い出させてくれて、本当に、本当にありがとう」

 ひと際小さな声で。夜桜は囁いた。

「真冬くんのこと、大好きだよ」

 真冬はぱっと耳を離して、夜桜の顔を見た。じっと桜色の瞳を、その奥まで見据えた。ふ、とこれ以上無いくらい優しい微笑を含んで「俺も大好き」と夜桜の頭にぽんと手を置いた。

 夜桜はその手に自分の手を重ねて、くすくすと仄かに笑みを零した。

「真冬くんにはお礼を何度言っても、足りないくらい」

「お礼なんて、俺は君と一緒に楽しいことをしていただけだよ」

 真冬は夜桜の頭からそっと手を除けた。

「友達と一緒にいて、本心のまま楽しいと思って笑っていられた。こんなに幸せなことを、俺はずっと忘れていたみたい」

 真冬は明るい色の髪を掻き上げ、照れて目を伏せた。

「だから俺のほうこそ、ありがとね」

 真冬の恥ずかしそうにはにかんだ笑みがとても可愛らしく思えて、夜桜はくすぐったいような気持ちになった。

「桜が満開になったら、写真を送ってよ」

 まだ咲き始めたばかりの桜を遠目に、夜桜は「うまく撮れるかな」と頭をぽりぽり掻いた。

「大丈夫だって。いいのを期待しているよ」

「プレッシャーをかけるのはやめて」

「あ、そうだ、せっかくだから写真を撮り直さない?」

 何の、と聞く前に察した真冬が夜桜のデフォルトである仏頂面の両頬を真横に引っ張った。

「卒業アルバムの写真だよ」

 二人が友達になった日に撮った、あの酷い写真がすぐに夜桜の脳裏に浮かんだ。青春の喜びに満ち溢れるクラスのスナップ写真の中で、夜桜の無表情はあまりに場違いだった。隣の真冬が満面の笑みをカメラに向けているから、なおのこと目立っていた。

 卒業式の日、もっとうまく笑えたらよかった、と後悔したことを思い出して、夜桜は一も二もなく賛成した。

「撮り直そう、今度は二人とも笑顔で」

「あの日の君が嘘みたいにやる気満々だね。じゃあ、撮ろうか」

 真冬は笑って、携帯端末のカメラを起動した。真冬はあの日と同じく、腕をぐっと伸ばして、夜桜の肩を抱き寄せた。

「俺の父親を見て」

 真冬は夜桜の耳元で囁いた。

「へ?」

 夜桜は意味が解らないまま、目線だけ真冬の父親に向けた。魔女と話している真冬の祖母の隣に真冬の父はいた。話に耳を傾け、頷いている。真面目そうな七三頭だが、顔は真冬とそっくりだった。

「うちの親父、カツラなんだ」

 夜桜はぶっと噴き出した。真冬はその瞬間、シャッターを切った。二人でひとしきり笑ってから、夜桜は何とか息を整える。

「ちょっと、不意打ちは止めてよ。そんな大それた秘密を私に教えないで」

「大丈夫、本人が公言している周知の事実だから。お、良いのが撮れたよ」

 真冬は笑いながら携帯端末を操作して、夜桜に画面を差し出した。

「ほら、百点満点の笑顔だよ。俺と二人合わせて二百点」

 画面に写った自分の顔を眺め、夜桜はこの顔だったのか、と思った。

 写真は現像して、互いに卒業アルバムのページに挟んでおこうと話した。電車の時間になり、真冬が改札口に消えていくのを夜桜は静かに見送った。

 春日井真冬は電車に乗って、このさくら町から去って行った。

 しかし、彼は遠からず帰って来るだろう。

 桜の花が咲く頃に、必ず。

 

 遅ればせながら、さくら町に春がやって来た。

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