第7話

 三、

 

 翌日、夜桜は朝から学校へ行った。単位をもらうためのレポートがあるからだ。

 本気を出すと言っていた真冬からは、寝坊したという連絡があった。お昼まで夜桜は保健室でレポートに取り組んだ。昼食中、真冬はノックと同時に保健室に入ってきた。

「こんにちはー」

 真冬は眠そうな声で保健室の扉を閉めた。

「どうしたの?怪我?具合が悪いの?」

 養護教諭はデスクから立ち上がって真冬に近寄った。

「あ、違うんです、友達のお見舞いに」

 真冬は夜桜を指さした。夜桜は仏頂面のままだったが、真冬は「やっほー」と親しげに手をひらひらさせた。養護教諭は夜桜と彼とを見比べて、嬉しそうに笑って「どうぞどうぞ」と夜桜の隣にあった椅子を引いた。

「良かったわねえ、夜桜ちゃん。今日はお友達たくさんね」

 気の良い養護教諭は、三人分の飴玉を机に置いて、自分のデスクに戻った。

 夜桜の向かい側には女子生徒がひとり、腰かけていた。二人は弁当箱を広げていた。

「あれ、もしかしてご飯食べてた?」

「食べ終わったところだよ、真冬くん。お前に友達なんて実在したのか、と言いたげな顔をしているね」

 夜桜は淡々と良い、弁当をしまった。

「そんな失礼なことは考えてないよ、藤井ちゃん、久しぶりだね」

 真冬は女子生徒、藤井に微笑みかけた。癖毛のショートヘア、彼女もまた夜桜と真冬と同じクラスだった。

「よっちゃんと真冬くん、本当に友達になったんだ」

「うん、利害関係の一致というやつでね」

「俺が夜桜ちゃんに笑顔とは何か説いてあげるの」

「よっちゃんが笑わないと、今年はお花見ができないんだってね。真冬くん、責任重大だよ、よろしく頼むね。さくら町民全員のお花見が左右されるのだから!」

「うわあ、一気に荷が重くなった」

「なあに、冗談ですよ」

 藤井はふっと笑って、弁当箱を片づける。夜桜のクラスで一番親しいと言える友人だった。気が合い、趣味も合う。何より絶妙な距離感が夜桜には心地よかった。夜桜の数少ない友人の一人である。

 藤井は受験期間中に珍しく学校に来て、昼食は一人だと夜桜にメールを寄越したので、夜桜は保健室に誘ったのだ。二人でゆっくり昼食をとるのは久しぶりのことだった。

 藤井は夜桜をよく気にかけてくれた。夜桜が保健室登校をエンジョイしているのも藤井や、他のクラスの数少ない友人の存在があってこそだった。

「真冬くんは、随分遅い登校ね。受験は終わったんじゃなかった?」

「ああ、編集委員の仕事があってさ。藤井ちゃんはこれから塾でも行くの?」

「うん、夜まで塾だよ」

 藤井は参考書の詰まった重そうな鞄を持って、気怠そうに立ち上がる。

「あーちゃん、授業のプリント貸してくれてありがとう。助かったよ」

「いえいえ、お役に立てて良かったよ。レポート頑張ってね。これで留年とか笑えないから」

 ありがとう、と夜桜はもう一度繰り返した。

「真冬くん、よっちゃんのことよろしくね。私も早くよっちゃんの笑顔が見たいからさ、どうぞよしなに」

「善処しますよ」

 真冬の答えに満足したのか、藤井は「じゃあね」と笑って保健室から立ち去った。

 藤井が去った直後、養護教諭は職員室で用事があるから、と夜桜たちに留守を任せて出て行った。保健室は珍しく他の利用者もなく、夜桜と真冬の二人きりになった。

「そうそう、落語のチケットが手に入ったよ」

 思い出したように真冬はチケットを夜桜に差し出した。

 夜桜は「どうもありがとう」と受け取り、財布を取り出して代金を手渡そうとしたが、真冬はそれを固辞した。

「お金はいらないから楽しんでおいでってさ」

「でも、そんなの悪いよ」

「うちのおばあちゃん、大昔、魔女さまにお世話になったらしいから貰ってやってよ。そのほうが喜ぶから」

「そう……それじゃあ、ご厚意に甘えて。おばあさまにどうぞお礼を言っておいてね」

「はいはい、心得た。今度の金曜日だって、楽しみだね。うちのおばあちゃんが太鼓判押したから、きっと面白いよ」

「それは安心ね。とっても楽しみだ」

「はは、全然楽しみじゃなさそうな顔して言うんだから面白いや」

「元来、私はこのような顔なのです」

 夜桜が至極真面目に答えると、真冬は黒い瞳を細めた。

「でも声は弾んで聞こえるから、本当に楽しみなのは分かったよ」

「耳が良いのね。真冬くんは、いつも楽しそう」

「俺は、楽しいことしかしないから」

「それは素晴らしいことだね」

「なんてね、嘘だよ。本当にそうなら編集委員の仕事なんてしていない。受験が終わっているから、体よく押し付けられたんだ」

「それは災難なことで。締め切りはいつなの?」

「今週いっぱい」

 夜桜は卓上の小さなカレンダーを見て数える。今日を入れてあと四日しかない。

「それじゃあ、お礼に私も仕事を手伝いましょうか」

「え、いいの?」

「友達だからね。終わらせないと落語を見に行けないでしょう?」

「夜桜ちゃんと友達になって良かったよ。じゃあ、さっそく、写真を選ぶのを手伝って」

 真冬は言うが早いか、鞄から写真の入ったファイルを取り出し、机の上にひっくり返した。写真の山ができるほどの量だ。

「クラスの行事とかで撮った写真だよ、この中から適当に選んで、クラスの誰もが一枚は映っているようにしないといけない。とても面倒な作業だよ」

 夜桜は聞きながら、何枚か写真を摘みあげた。どれも行事にはしゃぐ生徒たちの姿ばかり。

「これだけ写真があるのに映っていない生徒がいたわけね」

「そうそう、君のこと」

「お手数をおかけしましたね。それにしたって、凄いのね、佐野さんと峰岸くんの出現率は」

 写真を広げながら、夜桜はほとんどの写真に写っている生徒二人を見つけていた。と言うよりは、どの写真にも写っているのでどうしたって目につくのだ。

「それぞれ、男子と女子の中心人物だからね」

 佐野は、夜桜がうっかり敵対してしまった女子生徒であり、クラスの女子達のリーダーである。

 峰岸というのは、男子生徒で佐野と同じくクラスのリーダー的存在、男子のまとめ役だった。スポーツ万能、成績はそこそこ、人当たりは良い。顔だって整っていると来れば、周りに人が集まるのは必然だった。

「真冬くんもなかなかの出現率ですこと」

 峰岸の隣に真冬の姿もしばしば見られた。どれも笑っているが、写真だからか、少しわざとらしい笑みのように夜桜には見えた。

「峰岸は俺によく絡んでくるから、必然的に俺もシャッターチャンスの恩恵を受けたまでだよ。峰岸とは去年も同じクラスだったんだ」

「二人は仲が良いのね」

「そう見える?」

「写真で見る限りには」

 ふ、と真冬は笑い声のような吐息を漏らした。

「夜桜ちゃんが佐野さんを嫌いなように、俺は峰岸が嫌いだった。誰にも言ったことはなかったけれど」

 真冬は自分と峰岸とが写っている写真を見て、嘲笑した。夜桜の前ではいつも屈託なく、楽しそうに笑う彼だったので、夜桜は面食らってしまった。何拍か間を置いてから夜桜は「へえ、それは意外」とやっと言葉を口にできた。

「昨日、夜桜ちゃんが言っていたでしょう。『みんなと仲良くなりたいなんて、誰とも仲よくする気がないか、仲の良いフリがしたいだけ』って。峰岸はそのどちらでもなく、純粋に誰とでも仲良くできると信じている」

 真冬は写真を何枚か、適当につまんでは落とす。それを繰り返した。

「そんなおめでたいひとが高校生にもなって実在するなんて。ある意味、才能ね」

「だから、彼は気づいていない。誰とでも仲良くすることが誰とでも仲良くしないことになるって、理解しない。峰岸の一番になりたい友達はたくさんいるけれど、誰も峰岸の一番にはなれない。だって、奴は誰とでも平等に仲良くしたいんだから。あいつほど、友達になる価値のない男はいないよ」

「真冬くんは笑顔の下でそんな怖いことを考えていたの?」

「みんなそんなもんだよ。俺は夜桜ちゃんみたいに自爆しない。適当に笑って話を合わせられるから困ることもない」

「ふうん、じゃあ、真冬くんは何故、私と友達になりたいと言ったの?私は不登校で魔女の子どもで笑顔も下手、友達になる価値は峰岸くんより低いかと思うけど」

 真冬は写真の山を崩しながら、使えそうな写真を横に避け始めた。

「二年生のはじめ、勉強合宿があったでしょう?」

 夜桜は小さく頷いた。勉強合宿とは名ばかりで、クラスの親睦を深めるのが主な目的の合宿だった。勉強の息抜きと称して、くだらないレクリエーションがふんだんに盛り込まれており、夜桜には気の重い行事だった。

「夜桜ちゃんは六組で、俺と峰岸は五組だった。同じ合宿所だったんだよ」

「それは、あまり記憶にない」

 夜桜の頼りない記憶によると、二クラス毎に違う合宿所を利用していたはずだ。行事自体に興味がなかった夜桜には思い出が薄かった。

「峰岸はね、みんなと仲良くなるために自分で目標を立てていた。同じ合宿所の参加者、二クラス全員と言葉を交わすって」

「ああ、そう言えば、そんなことを言っている人がいたかもね」

 夜桜はおぼろげな記憶を掘り返していた。

 確か、合宿所の台所で、皆で作った夕飯のカレーを食べた後、やたらとうるさく話しかけてきた男子がいた。

 その男子は「俺はこの合宿で参加者全員と話すのが目標なんだ」と息巻いていた。そして、参加者の一人であった夜桜はもれなく話かけられた。あの時、自分はなんて答えたのだったか。夜桜は、はっきりと思い出せなかった。

「そんな自己満足な目的のために、私に話しかけたの?不愉快だからやめて」

 しかし、この場に彼女の言葉を覚えている男がいた。その男は彼女の喋り方を真似て言った。

「私は同じ学校だからとか、同じクラスだからとか、そういうのじゃなくて、話したいと思った人と話すからあなたとこれ以上話したくない」

 夜桜は真冬を、自分の真似をして話す彼をじっと見た。真冬はすぐにいつもの、子供みたいな笑顔になる。

「夜桜ちゃんは峰岸にこう言ったんだ。俺は傍で聞いていた」

「盗み聞き?趣味が悪いのね」

「偶然だよ。でも夜桜ちゃんの馬鹿正直な返事を聞いた時に、格好いいなって思っちゃったんだよね」

「真冬くん、君は感性がおかしいよ」

 真冬は否定しなかった。彼は峰岸が写っている写真を山から避けていく。クラスの皆を均等に掲載するには、彼の写真は多すぎるのだ。

「俺は、実際のところ、峰岸を鬱陶しいなって思ってたんだ。でも、そんなこと言えないじゃないか、普通は」

「私、普通じゃないもんね」

 夜桜は皮肉っぽく言ったが、それすら真冬を笑わせる種にしかならなかった。

「人間関係を穏便に済ませることができない、不器用な子なんだな、馬鹿だなって、思った。でも、やっぱり、格好いいよ。ちょっとスカッとしたんだ。俺には絶対言えないことを言うから。だから、機会があれば友達になりたいと思っていたわけ。卒業前に叶って良かった」

 真冬が友達になろうと言った時から、夜桜はずっと引っかかっていた。クラスの真ん中のほうにいる彼が何故自分を構うのか。その理由が少しだけ理解できたのだった。

「やっぱり真冬くんは趣味が悪いよ、こんなのと友達になりたいなんて」

「そうかもね。夜桜ちゃんは自覚している以上に嘘や妥協が嫌いなんだよ。誰でもいいから友達になりたい、誰とでも友達になりたい、それって自分でなくても良くて、友達のフリだと思う。だから、君は嫌なんだろうね。世の中にはそれで良いって人の方がたくさんいるよ。俺みたいなのとかね。本当の友達と、友達のフリをしているのと、いくつか順位付けしているのがほとんど。でも、君はそれができない、困ったね」

 真冬の分析は的を得ていると、夜桜は感心した。

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