第5話

 二、


 春日井真冬と友達になった夜桜は、二人で昼食がてら図書館前のキッチンカーでホットドッグを買った。二人は寒空の下、木製のペンキが剥げたベンチに腰掛け、ホットドッグをくわえていた。

 夜桜は、学校からの道中で真冬に春のお役目のこと、魔法のこと、事情を全て話した。

「ふうん、じゃあ、夜桜ちゃんが心からの笑顔になれないと、今年はお花見ができないわけか。それは一大事だね。さくら町でお花見できないなんて、名折れも良いとところだよ」

 真冬の言葉はさくら町民らしい返答だった。それは夜桜の胸にぐさりと刺さった。

「だから、昨日からどうしようかってお兄ちゃんと悩んでいたの」

「魔女の子どもも大変だね。それで図書館に?」

 真冬は目の前の白い石造りの図書館を見つめる。

「そう、幼馴染がここで働いているの。参考になる本があればと思って」

「真面目だねえ、夜桜ちゃんは。ちょっと笑えば済むんじゃないの?」

「それができないから困っているの。だから、あなたに笑い方を教えて、と頼んだのに」

「いやあ、だって、笑い方なんて教えたことないしさ。教えるも何も、笑いたいときに笑ってるもん、俺。でも面白そうだから手伝うよ。俺の家にも庭木の桜があるからね、毎年咲くのを楽しみにしているんだ」

「真冬くんの家にも桜の木があるのね」

「さくら町で桜の木がない家を探すほうが大変でしょ。うちの庭木はもう年寄りだ、最近元気が無くてあと何年花を元気に咲かせられるか分かんないし。ね、手伝わせてよ」

 それはどうも、と夜桜はホットドッグをさらに頬張る。

「俺としては、うまく笑えないってほうがよく分からないよ」

 夜桜は口の中のホットドッグを咀嚼して、ごくりと飲み込んだ。

「私、笑うのが下手になったの」

「二年生まではここまで無表情じゃなかったもんね」

 真冬は言いながら、ホットドッグをかじる。

「クラスは違ったのに、私を知っていたの?」

「魔女の子どもは目立つから」

 夜桜は「ああ、そうか、そうだよね」と分かり切ったことを聞いた自分が恥ずかしくなった

「私は、もともと無表情なほうだったけれど。不登校になってから、私は笑うのがとても面倒になってしまって、笑うのをやめたの。そうしたら、いつの間にかとても下手になっていた。笑おうとしても、うまく笑えなくなった」

 笑顔は作ろうと思えば作れた。でも、どうしたって、前のように感情を持った笑顔ができない。落ち込んでいるせいかと思ったが、休んでも治らなかった。

 楽しい時、嬉しい時、感情があるのに、表情は一致しなくなった。それに気が付いたのは、不登校から二か月、学校に登校できるようになってからだ。感情の起伏も日ごと少なくなっていく、自分がロボットにでもなったのではと不安になるくらいだった。

「それは、学校に来なくなったせい?」

「逆だよ、うまく笑えないから学校に行けなかった」

「クラスの女子ともめていたよね、四月くらいに」

 男子も知っていたのか、と夜桜は少々驚いた。クラス内のことだから、知られていてもおかしくないけれど、夜桜には意外だった。真冬はそう言ったもめ事に関わりたがる人種には見えなかった。

「揉めたと言うか、私の自爆だよ」

 自爆、と自分で言って、これほど正確な比喩はないと夜桜は自負した。

「……佐野さん、去年の四月における私の記憶ではクラスの女子の中心だった」

 夜桜は数少ない、彼女が知るクラスメートの名前を口にした。一年近くのことなのに、もう随分と昔の古い記憶のように思えた。

「今もそうだよ、男女ともに人気があるよね。誰にも優しくて、親切で、おまけに顔も可愛い」

「そう、佐野さんは非の打ち所がない、とてもいい人だよね」

 真冬の評価は、正当なものだった。夜桜も彼の評価には賛成だった。佐野という生徒は、おおよそ、クラスのほとんどからこのような評価を受けているはずだ。

「でも、私はあの子が大嫌いだった」

 夜桜の声は暗くなった。

 ここがクラスの中だったなら、これはキリスト教徒の前でキリストが大嫌いだと告白するような禁忌に等しい会話だろう。

「彼女、口癖みたいに言うじゃない、みんなと仲良くなりたいって。繰り返し、聞いているうちに我慢できなくなって、つい言い返しちゃったの。馬鹿みたいなこと言わないで、って……でも馬鹿は私だったね」

 夜桜は四月に、クラスのキリストかマリアか、己より遥か上位に位置する生徒に無謀にも、一時の感情で石を投げてしまったのだ。そして、案の定、教祖を否定した異端者の彼女はクラスという教団から弾かれた。

「確かに馬鹿だね。そうだね、みんなで仲良くしようねって話を合わせれば済むのに」

 真冬は一般的で、優秀なクラスの一員だった。振る舞い方を彼は知っている。夜桜も知らないわけではなかった。

「最初はそうしたよ。でも何度も、縛り付けるように同じことを言うから、腹が立ったの」

 夜桜は語りながら、昨年春の静まり返った教室を思い出していた。

 クラスは変わったばかりで、皆がそわそわと自分の立ち位置に迷っている時期だった。佐野には迷うこともなく、クラス女子のトップの椅子が用意されていた。残りの下位者たちは自分たちの序列を気にしていた。夜桜もまた、その一人だった。どのグループに誰と属するか。見えない攻防だ。以前のクラスからの友人は少なかった。夜桜は数少ないと友人と仲良くできれば、後はどうでもいいかとのんびり構えていた。

 夜桜は魔女の子だ。

 どうしても、他より少し浮いてしまう。それでも、仲良くしてくれる友人はいたし、その友人たちの存在で十分楽しく学校生活を送れていた。自分を疎む連中とは必要以上に関わらない、それが夜桜なりのルールだった。

 クラスの女子は佐野をもてはやし、夜桜の数少ない友人たちも佐野とは仲良くしているようだった。夜桜は挨拶する程度で、特に佐野とは仲良くなる必要はないと思っていた。

 しかし、それは夜桜だけの考えだった。

 ――――私、クラスのみんなと仲良くなりたいの。だから、吉野さんも私と友達になろうよ。

 クラスでただ一人、佐野と関わろうとしない夜桜は佐野からどのように思われていたのか、夜桜の知るところではない。しかし、おそらく多少なりとも目障りだったとは思う。夜桜は断ることは憚られたので「クラスメートとして、仲良くしましょう」と答えた。

 しかし、それは佐野にとって満足いく答えではなかった。夜桜は、それから佐野に度々声をかけられ、連絡先を交換し、他のクラスメートも含め皆で放課後に遊びに出かけたこともあった。その度に、佐野はみんなと仲良くなりたいからもっと遊ぼう、もっと話そう、と繰り返した。それは夜桜にとって、縛り付ける言葉の鎖にしか思えなかった。

 ある日の体育、授業でグループをいくつか作ることになった。佐野のところへ何人かの女子が集まっていた。数少ない友人もそのグループへ向かった。夜桜は、私は別にいいや、と思い、人数の足りないグループに適当に入れてもらおうとその辺に突っ立っていた。

 そんな中で佐野は一人ぼっちの夜桜に声をかけた。

 ――――吉野さん、一人なの?それなら、私達のグループに入って。

 夜桜は断った。そちらは人数が足りているでしょう、と。

 ――――吉野さんはグループに分かれる時、いつも一人でしょう。そんなの友達として見過ごせないよ。こっちに来て、みんなでグループを作りましょう。

 鳥肌が立ったのを、夜桜は覚えている。たぶん、佐野という生徒は友達思いで優しく、すぐに輪からあぶれるように見える夜桜を哀れに思ったかもしれない。

 ――――友達が困っている時は、助けなきゃ。友達ってそういうものでしょ。

 虫唾が走る、というのを夜桜は初めて体感した。この時はっきりと夜桜は感じた、佐野とは友達になりたくないと。自分に対して、可哀想という目で語り掛けてくるこの勘違いした女が嫌いだと夜桜は思った。

 夜桜は佐野に向かって、友達なんかじゃない、と強く否定した。

「クラスのみんなと仲良くなりたい、なんて馬鹿じゃないの。そんなのは、貴女の勝手だけれど、私は特別あなたと仲良くしたいとは思わない。むしろ、そう言うことをいう神経の人が一番嫌い。……そう言ったら、その場は凍り付いてしまったわ」

 昨年春の思い出の中から意識を浮上させて、夜桜は真冬に話を続けた。真冬は「そうだろうねえ」とホットドッグをもぐもぐしながら、相槌を打つ。

「こうして、振り返って話してみても、佐野さんより多分、私が悪いんだろうってことは分かる」

「佐野さんはクラスにあぶれた子を助けてあげようとした優しい生徒で、夜桜ちゃんは親切心を跳ね除けた恩知らず。クラスで居場所がなくなるはずだ」

 ことの流れだけで言えば、悪いのは完全に自分だ、と夜桜は反芻する。しかし、重要なのは表面的な話ではなく、内面の話だ。心の話だ。それを自分以外に誰に理解できるだろう。

「佐野さんは優しいから、優しいからね、みんなの前で怒ったりしなかったし、私を責めたりしなかった」

「余計にクラスで居場所がないな、それは」

 真冬は他人事なのであはは、とおかしそうに笑い飛ばした。

「みんな、私に余所余所しくなったわ。佐野さんは怒らなかったけど、人気者の佐野さんに面と向かって嫌いだって言ったやつと好んで仲良くする必要はないもの」

「でも、藤井さんとはよく話していたでしょう?」

「あなた……本当によく見ていたのね。そう、藤井さん……あーちゃんは数少ない友人、一年生からクラスが一緒だった。あっさりした関係で、私はそれが楽だった。一緒にいることを強制しない。彼女は友達も多くて、佐野さんとも仲が良かった」

「夜桜ちゃんは友達の友達とは親しくしないんだ?」

 夜桜は困ったような顔で少し考えた。

「気に入らないやつだったら、親しくしない。佐野さんは気に入らないやつだった。だから、あーちゃんとはこれまで通りの仲だったけど、佐野さんがいる時はあまり近づかなかった。佐野さんからしたら、私は友達に捨てられたように見えたかもね。実際はそうではないとしても」

「佐野さんは事実を知らないから、吉野さんはとっても可哀想、自分のせいだ、手を差し伸べてあげなきゃってところかな。そういう大きなお世話を、自己満足と自覚せずにやっていた。ああいう人は、夜桜ちゃんみたいな変わり者の考えは想像もつかない」

 真冬はどうしてか、夜桜の気持ちを理解してくれている。彼も佐野のようにクラス内では人気者であるはずなのに。なぜ私なんかの気持ちが分かるのかしら、と夜桜はやはり不思議でならなかった。

「みんなと仲良くなりたい人とは、私は仲良くなりたくなかった。人間のちっぽけな腕で大切にできる人数は限られている。少なくとも、私はそう思っている。それなのに、みんなと仲良くなりたいなんて、誰とも仲よくする気がないか、仲の良いフリがしたいだけ。佐野さんはきっと後者だと思った。そんなのに付き合いたくなかった」

 正直な気持ちだった。夜桜は不登校になってから初めて、ここまで正確に自分の気持ちを他人に吐露した。

「夜桜ちゃんの言うことは分からなくもない。友達百人作りましょうって言うのは右も左も、自分のことも分からない子供の間だけ。もう俺達は好き嫌いがはっきりするほど、成長したわけで、友達も選り好みするし、しないと変だ。選り好みするから、教室の中にグループができて、スクールカーストが形成されるわけだもんね」

「でも、表立ってそんなことは言えない、言ってはいけない。みんなと仲良くするのが美徳だから」

「美徳に背いた君は、佐野さん含め女子達から反感を買って、教室に居場所を無くしたわけか。でも、藤井さんがいたのにどうして保健室登校を続けたの?」


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