12.酒入舌出

「はぁ?」


 突然のクランの暴走に二人は困惑の声を揃って上げた。


「だから、アルバート殿は私の護衛になってもらう。依頼を受けてくれそうな、他の傭兵団も欲しがるような逸材をみすみす逃すわけにはいかないからな」

「……それは、ちょっと困るかなー」


 まるで正論かのごとく言い張るクランにリッキーは思わず苦笑いを浮かべた。


「フランシスはうちの英雄なんだ。外国にそうホイホイと連れていかれちゃうのは、ねぇ」

「ねぇ、と言われてもな……」


 同意を求められたアルバートは居心地悪そうに頬をかいて隣を流し見たがクランに譲る気は全く無いようで、目を爛々と光らせていた。


「俺としてはすぐにでもここから立ち去りたいんだが」

「それは困る」


 今度はクランとリッキーの言葉が重なった。


「と、に、か、く、フランシスにそんなわけの分からない内容の護衛依頼なんて受けさせないよ。そこら辺の金に困ってる奴らを適当に捕まえてもらえる?」

「ふん、詳しい内容も聞かないで勝手に判断してもらいたくないな。というかそもそも部外者に口を挟んできて欲しくないんだが?」

「おうおう兄ちゃん達、そこら辺にしてもらおうか」


 互いに睨み合う中、その後ろから声がかかった。

 三人が声がした方を向くと、大柄な男店主が笑顔で仁王立ちしていた。


「ここは酒神アスールの酒場だ。アスールの御前で争うってんなら、決着の付け方は一つしかねぇ。飲み比べだ」


 その後ろでは給仕の手によってバーカウンターの前に二人用の席が準備されているのが見えた。


「さぁ、どうぞ決戦場こちらへ」

「はいはい。分かりましたよー」

「……そういう決まりなら」


 有無を言わさない雰囲気で招く店主に従い、クランとリッキーは席に座った。


「さぁ、シナトラを巡っての冷たい戦いが始まるぞ!」

「だからシナトラじゃねぇっーの……」


 不貞腐れたように頬杖をつくアルバートをよそに周りは盛り上がり、片隅ではどちらが勝つか賭け事も始まっていた。


「ルールは簡単、互いが相手に飲ませたい酒を注文し、相手を先に潰すか吐かすか降参させるか! 手を出したら反則負けだ!」


 店主が叫び、初老のバーテンダーが軽く目礼しながら奥のカウンターにつく中、リッキーは口を開いた。


「マスター、ロングアイランドアイスティーを」


 リッキーの注文に周りがざわめく。その中には「大人気おとなげねぇ」「こりゃあかなり本気だな」と言った声も混ざっていた。

 リッキーの頼んだ物は砂糖の甘みとレモンの酸味によって非常に飲みやすく調合されているが、かなりアルコール度数が高く「レディーキラー」の一つとして数えられる代物だった。

 バーテンダーの素早い対応により、クランの前に長いグラスに注がれたそれが置かれる。


「先に頼んじゃったけど大丈夫だったかな? 女性でも飲みやすい物を選んだつもりだったんだけど」

「大丈夫だ」


 一息に飲み干したクランの返答が強がりや痩せ我慢に見えたのか、リッキーは余裕そうに頬杖をついた。


「次は私の番か。直接伝えてもいいのか?」

「ん? いいよ? ご店主、相手にお酒の名前を教えなくてもいいよね?」

「おう、相手に飲ます酒の名前を知らせないのも戦略の一環だ」

「ありがとうございます」


 会釈をしてから立ち上がったクランがバーテンダーに小声で話しかけると、冷静沈着が売りのはずのバーテンダーが意外そうな表情を浮かべる。


「ご用意、できますよ」


 そしてニッコリと笑顔を浮かべて頷いたバーテンダーの反応にクランは口角を上げた。


「ほう……親父が顔色を変えたか」


 その反応に店主はワクワクしている様子でその作業を眺めていた。


「さて、話は変わるけど……君はシナトラのことについてどれだけ知っている?」

「それは、アルバート殿のことか?」

「そうだね」

「……それは傭兵としてのアルバート殿のことか? それとも『一兵士』としての、アルバート殿のことか?」


 一兵士、という部分を強調して言ったクランにリッキーは目を細めた。


「その言い方、知ってたようだね」

「この国に入って早々に出会えるとは思っていなかったがね」

「ふふふ。最初から狙っていたわけか」


 リッキーは笑いながらバーテンダーから差し出された、ロングアイランドティーの物よりもはるかに小さいグラスを手にして、中の氷を回した。


「彼は劣勢だった戦況を一人でひっくり返した、まさに戦場のが……いや、神様さ。もし残ってくれていれば隊長どころじゃない、大臣の椅子も用意されていた。……でも戦争が終わった時、彼はまさしく抜け殻だった。そんな状態の彼を要職に置くわけにはいかないからね、上も僕らも泣く泣く彼を手放さざる負えなかった。でも立ち直った今なら違う」


 そして一気に飲み干そうと中の黄色い液体に口をつけた途端、顔色を変えた。

 そしてほとんど飲まずにテーブルに戻すと恐る恐るクランに問いかけた。


「クランさん、だっけ? これは、何かな?」

「こちらではあまり馴染みがない物だろうな。私の故郷では『アンカー』と呼ばれているカクテルだよ」


 まるで悪戯が上手くいった後の悪ガキのようにニヤニヤと笑みを浮かべるクランに触発されたのか、意を決したようにリッキーは「アンカー」と呼ばれたカクテルを一気に飲み干して叫んだ。


「マスター、これと同じ物を!」


 その宣言に野次馬達がざわめく。その行動はその酒が自分の知っている物よりも強いことを暗に示す行為だったからだ。


「なんだ、いきなり白旗か?」


 注文通りにクランの前にもアンカーが置かれる。

 目の前のそれに対し、クランはリッキーとは違い一息に空けようとせず、ちびちびと少しずつ慎重に流し込むように飲み始めた。


「こんな代物、どこで知ったんだい?」

「故郷の酒場で、船乗り達が飲み比べで使っていたんだ。マスター、もう一杯」


 再びリッキーの前にアンカーが置かれる。リッキーはクランに倣ってチビチビと飲み始めた。


「こいつを作ったのは本職じゃない、ズブの素人達だ。飲み比べを一瞬で終わらせるためにアルコール度数の高い酒を適当に混ぜて試して」

「マスター、次を!」


 空になったグラスを乱雑に叩きつけてリッキーが叫ぶ。その顔色は明らかに変わり始めていた。


「……その中で比較的味の良かった物がそれらしい。相手を確実に沈める錨、最後の切り札、だからアンカーだ。アンテロープ第十騎士団団長リッキー・ライムソーダ殿」


 そう勝ち誇ったように言いながらアンカーを、今度は一息に飲み干すとほぼ同時にリッキーはテーブルの上に突っ伏した。

 クランはこうなることが分かっていたかのように、落ち着いた様子でリッキーの腕を取り、脈を取った。


「……自信満々だった割に弱いな。私を酔わせたいならあと三杯は飲めるようになってから挑みかかってくるんだな。マスター、私用にもう一杯もらえるか?」


 異常がないことを確認してつまらなさそうに鼻で笑いながら腕をぽんと放り投げると周りから歓声と悲鳴があがった。

 カウンターから新しいグラスと共に出てきたバーテンダーが微笑しながらつまらなそうに鼻を鳴らすクランにアビレオ語で話しかけた。


「これを女性から注文されるなんて思ってもみませんでしたよ」

「人を見かけで判断してはならない、いい教訓になっただろうよ。……しかしよく知っていたな、アンカーのレシピなんて」

「以前、決着をつけたいからこういうレシピで作ってくれ、と教えられまして。その時はこんなカクテルがあっていいものか、と面食らったものですが」


 昔を思い返しているのだろう、バーテンダーが目を細める。


「そのお客様は旧交を温めようと久し振りにお会いしたようでしたが、些細なことから言い争いになってしまって。滅多に会えない分、引けなくなってしまったのでしょう」

「ちなみにその結果は?」


 クランが小声で囁くと、バーテンダーが人差し指でバッテンを作って答えた。


「お互い一杯飲み干したところで引き分けでした」

「そんな簡単にぶっ倒れるなら普通の強い酒でやれ、と言いたいな」


 未だに起きる気配すら見せないリッキーを横目にクランは笑った。


「うん……やっぱり美味しい。流石はプロとアマの差だ」

「お客様がお飲みになっていたのは、どのようなもので?」

「それはもう、口から火を噴きかねない代物ばかりだよ。……比べてこれは品が良い。普通に店で並んでても怒られないレベルじゃないか?」

「それはいくらなんでも。普通のお客様には到底お出しできません」


 クランは笑顔の給仕から無言で差し出された領収書を一瞥するとバーテンダーに向かって銅貨を十枚押し寄せた。


「懐かしい気分になれたよ、ご馳走さま」


 そして勝者の報酬へ向き直る。

 しかしその姿はいつのまにか消えていた。

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