15.Luxurious lure

 乗り込んだ幌馬車の荷台が細やかな段差で揺られる中、アルバートは未だに苛ついた様子で組んだ腕を指で叩いていた。


「アルバート殿、もうそろそろ機嫌を直してもらえないか?」

「直せるわけないでしょ」


 その様子があまりにも目に余ったのか、座り込んでいたクランが苦笑いを浮かべて窘めようとしたが逆にその行為は油を火に放り込む結果になった。


「だいたい私に魔力なんて残ってないし、やってきた獣を最終的に退治してんのはアルだし……それをたった騎士団一つと街の守備隊だけで無力化出来ると思ってる時点で間違いなのよ。戦績を文字でしか読んでないことがバレバレ。というかそもそもこんな深夜にフリーの幌馬車が一台だけ街の外にポツンといること自体不自然すぎるのよ。罠なのがもう見え見えじゃない」

「言われてる、御者さん、待ち伏せじゃないですよね?」


 疑うアルバートを安心させるためか、クランが幌をめくって御者席に顔を出す。すると御者はビクッと震えて慌てて答えた。


「え、ええ! そんなことありませんよ!」

「ほら、こう言ってるぞ。心配のしすぎではないか?」

「どうだかね」

「そう言いつつもアルバート殿だって乗ってるではないか」

「アルの雇い主のご意向を無視するほど、私は図太くないの」


 その反応が納得のいく物ではなかったらしくアルバートの機嫌は直らないままだった。

 そんな時、御者の悲鳴と馬のいななきが外から聞こえると同時に馬車が急停車した。


「お、お客さん、早く逃げてください! ど、ど、ドラゴンが……!」


 荷台の中に御者が転がり込んでくる。口では客を心配しているが、自分の命の方が惜しいらしく腰を抜かしたまま這って外に逃げ出そうとしていた。


「ようやく寄ってきたか」


 アルバートは御者席の方から顔を出すと開口一番文句を言い出した。


「遅いわよ」


 重い羽ばたき音と共に低い唸り声が聞こえてくる。するとアルバートは振り返って二人を睨みつけた。


「街道から森の中に逸れたせいで降りられなくて遅れたって。やっぱり罠じゃない」


 御者が小さく声をあげて荷台から逃げようとするが、その前に首根っこをクランに掴まれる。

 そして流れで腕を固められた御者は恐怖と痛みからあっさりと吐いた。


「ご、ごめんなさいぃぃぃ! 騎士団の陣地まで連れてこれれば沢山の報酬を与える、って言われてええええ」

「……申し訳ないアルバート殿。徒歩で行くよりも車を使った方が距離を取れると思ったんだ」

「お願いですから、お願いだから食わせないで……」

「黙ってろ」


 涙ながらに懇願する御者の首を腕で締めて気絶させたクランは申し訳なさそうに改めて頭を下げた。

 アルバートは小さなため息を吐くと微笑んで見せた。


「次からは気をつけなさい。ここはアビレオとは違うんだから。で、あなたの通り道からその陣地は見えた?」


 アルバートの問いかけに外から唸り声が返ってくる。

 気になったクランがアルバートの横から外を覗き込むと夜の闇にそのまま消えてしまいそうなほど黒いドラゴンが馬車の向かう先を塞ぐように鎮座していた。


「ふーん……。その規模だと二師団くらいかな。あなたが来てくれなかったらちょっと苦戦したかも」

「アルバート殿はドラゴンの言葉すら分かるのか?」

「なんとなくね」


 今更な質問にアルバートは適当に返しているとドラゴンはけたたましいがなり声を上げた。


「はいはい、分かった分かった。私のことが大切ですぐに駆けつけてくれたことはよーく分かったわ。それじゃあ私のお願いも聞いてくれるよね?」


 口に人差し指を当て、可愛くお願いする男の姿は側から見ていて非常に珍妙な物だった。

 しかしアルバートの縦にも横にも何十倍も大きいドラゴンはそのお願いに歓喜のものらしき雄叫びを上げた。


「あなたが見たっていう二師団を食い止めて欲しいの。死人を全く出さずに」


 すると一転、ドラゴンが不服そうな唸り声を上げる。しかしアルバートは怯むことなく続ける。


「今の私は清廉潔白な身なの。ここで私が使役した獣が人を殺した、ってなったらあっちに私を追う大義名分をあげちゃうことになるでしょ? そうしたらお仲間が充分集まる前に終わるわよ? あなたが一体いる程度じゃどうにもならなかったことはもうわかっているでしょう?」


 ドラゴンは鼻を何度か鳴らすと雄叫びを上げて飛び去っていった。


「……大丈夫なのか?」

「長台詞を言われて処理できなくなって逃げただけよ。それにあれの視界から見えた、ってことはあっちも気づいてるだろうから遅かれ早かれ戦闘になる。足止めには充分でしょう。万が一のことがあっても知らぬ存ぜぬで押し通せばいい。ドラゴンの言葉なんて誰にも分からないし私もテイマーじゃないし」

「そういう物なのか?」

「そういう物なのよ」


 アルバートは何事もなかったかのように御者のいた位置に座った。

 所在なさげにしていた馬達は目の前の脅威が去り、指示を出す者が戻ってきたと勘違いしたのか次第に落ち着きを取り戻していった。


「クランちゃん、ちなみに手綱って操れる?」

「あー、すまない。馬のことは専門外だ」

「じゃあそこの御者叩き起こして。わたし道分からないから」

「お、おう」


 どちらが雇い主か分からなくなるような会話をしつつ、アルバートが手綱を軽く引くと馬はゆっくりと来た道を引き返そうと歩き始めた。


「道、引き返す、教えろ」


 何回かの打撃音の後、クランの強盗紛いの文句と男の情けない声が聞こえてきた。

 そして這々の体で御者席に転がり込んで来た。


「悪いけど、変な道に行かないように隣に彼女についてもらうわ。構わないわね?」


 有無を言わさない宣告に御者は何度も首を縦に振った。

 そんな御者に手綱を押し付けるとアルバートは幌の中に入った。


「じゃあ、いい肉壁もやって来たことだし後は頼むわ。私はそろそろ下がるね」

「アルバート殿?」


 入れ替わるように御者席に出たクランが幌の中に視線を戻す。

 するとアルバートは素早い動きで自分の頭を撃ち抜いていた。


「う、うわぁぁぁぁ⁉︎」

「うるさい、黙って、操縦」


 剣を鞘から少しだけ抜いて威嚇してみせると御者は半泣きになりながら職務に戻った。

 衝撃で倒れたアルバートを横目に、クランは内心頭を抱えていた。リーブスの言っていたことがこの数時間だけで何となく察せてしまったからだ。

 彼自身の能力だけでなく本気を出した時に起こる周囲への影響。国としてはずっと手元に置いておきたいだろう。兵器としても、国民の安全を確保するためにも。

 しかしアルバートにその力を常に出し続ける気はさらさらない。おそらくにも。


「これはますます手離したくなくなったな」


 これだけの力があればひょっとしたらひょっとするかもしれない。それだけの期待をさせてしまうだけの技量を彼らは見せつけた。

 目を閉じたクランは幌の骨に寄りかかりながらふと笑みをこぼした。

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