2.Farce

「これだけの騒ぎだったらきっと来ているだろうな、と思って。大正解でした」


 そう言ってリアは運ばれてきたサンドイッチに手を伸ばすと大きく口を開けてかぶりついた。

 立ち話は何だから、と仲介所の近くのカフェでお茶をしながらということになった三人はテーブルを囲んでいた。


「騒ぎを聞いて来たんじゃなくてアンテロープから出るために来たんだがな」

「依頼を受けるためじゃなくて、足止めを食らってるだけなんだがな」


 対面のリアは二人のひそひそ話に気付かず、口の中のサンドイッチの味に頰を押さえながら幸せそうな笑みを浮かべていた。


「リアさんも、受けに来た?」

「え、まさか」


 唐突なクランの質問にリアはサンドイッチを飲み込むと手を振った。

 二人は目と耳を疑い、リアに胡散臭そうな眼差しを向けた。


「本当ですよ? 私の戦い方は今回のアンデッドには通用しないらしいですから。町で大人しくしてます」


 信じられてないことを察し、心外だとばかりに頰を膨らませる姿に嘘はついてなさそうだとアルバートは判断した。


「じゃあなんでわざわざ?」

「これについて……聞きに来たんです」


 リアはクランの前に一封の封筒を置いた。

 無言で中を見るように促すリアにクランは不思議そうな表情を浮かべつつも大人しく従った。

 中には折りたたまれた紙が一枚だけ入っており、その中身を見たクランは露骨に嫌そうな顔になった。


「なんでクランさんは私の代わりにこれを払ったのか、お聞かせ願えますか?」


 アルバートが傍から覗き込むとそれはクランとリアが入院していた病院の署名が入った領収書の控えだった。


「クランさんが助けてくれてなければ今ごろ私はゴブリンの子供を孕んでました。そういうことになったのがクランさんの責任、って言うならそれは違うと断らせていただきます。犯されたのは私の実力不足なんですから」


 言い訳を前もって封じられたクランは口をへの字に曲げて黙ってしまった。


「確かに今の私にこれを払えるほどの余裕はないですけど、たった何日か一緒に戦っただけの方に立て替えてもらって平然と出来るほど鈍感じゃないんです」


 ピリピリとしてきた空気が真横にあるにもかかわらず、アルバートはマイペースにコーヒーに口をつけた。


「じゃあ、どうする気ですか?」

「この額を返せるまで、クランさんと同行させてください」


 クランを正面に見据えつつ、リアはそう言って頭を下げた。


「返し切ったらすぐにいなくなります。けど、返し切るまでは追いかけ続けさせてください」


 堂々としたストーカー宣言紛いにクランが助けを求めるようにアルバートを見る。

 アルバートはコーヒーを皿の上に戻すと手を組んでテーブルの上に乗せた。


「獣人研究の被験体になればこれだけの金すぐに貯まるだろう、辞退したのか?」

「あ、それは……正気を保ててない方が需要があるみたいで、断られました」


 残念そうにしつつも小さくなるリアにアルバートは頷いた。


「だろうな。正常な奴らはすぐに戻りたいからこぞって志願する。検査の結果は?」

「検査……ああ、調べられた限りでは肌の色の変化と筋力増強だけでした」

「ゴブリン程度じゃそれだけか」


 つまらなそうに体を背もたれに預けたアルバートにクランはおそるおそる問いかけた。


「なぁ、アルバート殿」

「なんだ?」

「私は諦めてほしくて、師匠であるアルバート殿の口添えが欲しかったのだが」

「別に諦めさせなくてもいいだろう」


 そういうとアルバートはクランの腕にナイフを突き刺した。突然の凶行にリアはとっさに口を押さえて悲鳴を飲み込んだ。


「そうか。正気に戻ってからは始めてみるのか」


 棒読みでアルバートは言うと刃をゆっくりとクランの腕の奥にさらに沈みこませる。

 切られた肉が刃にすれる音と見た目にリアは他の人達に見られてないように自分の体で死角を作りながら、慌てた様子で周りも見ていた。

 そうこうしているうちに刃が抜かれる。すると傷はあっという間に塞がっていった。

 まるで手品のような光景にリアは視線を釘付けにされた。


「この通り、こいつの体もお前と負けず劣らずおかしなことになっている。俺はそれを食い止めるためにこいつに雇われてる」

「アルバート殿⁉︎」


 とんでもないことも言い出したアルバートを遮ろうとクランは大声を出したがすぐに大きな手によって塞がれた。


「対策って……師匠ってお医者さんでしたっけ」

「いや、どちらかというと安楽死担当だ」


 リアの顔が強張る。ジタバタ抗うクランを無視して真面目な表情を崩さないアルバートにリアはそれが事実だと信じ切ったようだ。


「お前と違って、こいつの場合は暴走する危険性が残っているそうだ。どんだけ傷つけても治ってしまう凄腕の剣士が街中で暴れてしまったら……どうなるかわかるな?」


 アルバートの潜んだ声にリアは顔を近づけて小さく、何度も頷いた。


「こいつはそれを良しとはしていない。むしろ、暴れ出したら息の根を潰してでも止めて欲しいそうだ」

「……じゃなかったら師匠を雇いませんもんね」

「その通りだ。そこでだ、お前も協力してはくれないか」


 クランが目を見開き、さらに暴れる。するとアルバートは押さえていた手を離すと、すぐに思いっきりクランの顔を握り出した。

 激痛により振り回していた腕の勢いが増す中、アルバートはニコリと笑みを浮かべた。


「お前の馬鹿力があれば、こんな華奢な奴でも無理矢理押さえつけられるだろ?」

「た、多分そうですけど」

「多分じゃない、押さえつけろ」


 自信なさげにしつつも頷くリアを勇気付けるかのようにアルバートは距離を詰めた。


「ちなみにこの件について俺が得た額は……」


 そして耳元で何かを囁くとリアの目は限界まで大きく見開かれた。


「どれだけマズいか、この額で分かるだろう。だがモノがモノだけに引き受けてくれる奴がいない。お前が声をかけたのも面接の帰りだった」

「……ですよね」

「だが恩を返すにはもってこいの依頼だ。とうする、受けるか?」


 アルバートの申し出にリアは何十秒か無言で俯いた末に顔を上げた。


「少し、考えさせてください。まだクランさん自身も納得されてないようですし」

「……そうだな。こっちの説得は任せてくれ」

「分かりました。今日はわざわざ時間をとってもらってありがとうございました。お先に失礼します」


 そう言うとリアは自分が食べた分のお金をテーブルの上に置いて席を立った。

 その背中が見えなくなった所でアルバートが拘束を解くとクランはこれまでの鬱憤を晴らすかのごとき大声で叫んだ。


「アルバート殿! 一体何を考えているのだ!」

「何、ってあいつを引き込もうとしたんだよ」

「それがおかしいと言っているのだ!」

「どこがだ。一応あいつだってお前が普通じゃないことを見た傭兵の一人だ、正気か否かは置いといてな」


 アルバートは横で睨まれていることなど全く気にせずにクランの唾で濡れた手をハンカチで拭き始めた。


「だが今の反応でわかった。あの時の記憶は残ってる。そうでなければまず俺を突き飛ばすか悲鳴をあげて周りに助けを求める」

「アルバート殿、そなたの基準で判断するのは危険すぎやしないか……?」

「かもな。でも俺には今まで会った奴らの傾向から判断することしかできない。大多数か否かはそれこそ運次第だ」


 再びアルバートはコーヒーに口をつけたが冷めてしまったからか、顔をしかめると一緒に運ばれていた砂糖とミルクを中に入れた。


「……あと、あの場所にいた奴らから話を聞いた可能性もあるがな。だがどちらにしてもその上でお前に謝るためにここまで飛んで来るだけの執念があり、お前にデッカい借りがある馬鹿力持ちの獣人があいつだ。なかなか見所のある物件じゃないか?」


 そう言ってテーブルの上に置かれた領収書をひらつかせるアルバートにクランは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「それに俺は一言も嘘はついていない。受けるか判断するのはお前とあいつだ。勝手に話を進めたのは悪いが、さらなる仲間が欲しいのは間違っていないだろう? 腹くくれよ」


 そう言ってカフェオレになったコーヒーに口をつけたアルバートはその出来に満足そうに頷いた。

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