第2話 特別な日
「襲撃開始は十八時でいいんだな」
「ああ」
気品溢れる巨大な部屋。大きな扉を通った先には、天井を支える柱とまっすぐ伸びる赤い絨毯。そのさらに先には豪華な装飾が施された椅子、玉座がある。その玉座には若い王が座り、その前には青い甲冑を着た黒髪の女が立っていた。
「ターゲットは疫病の魔女。捕縛が望ましいが、状況によっては殺しても構わん」
「生死は問わない。もうそんな状況なのか」
「それもあるが、奴はあれでも俺たちと同じ力を持っている。それも厄介な力だ」
疫病の魔女。ありとあらゆる病を操る力を持つ女。場合によっては街一つがその魔女の操る病によって壊滅する恐ろしい力だ。
「力もそうだが、奴の思考はもっと厄介だと聞くな」
「とにかく用心しろよ。いくらお前でも気を抜けば……」
突如二人のいる空間に異常が発生した。空気にはついさっきまでなかったはずの湿気が発生し、部屋だけでなく、王の住む城そのものが揺れていた。その湿気と振動は青い甲冑を着た女から発せられていた。
「この私を誰だと思っている」
さらに王の手元にあったグラスから液体だけが浮き上がり、青い甲冑の女の元に移動していく。宙に浮いた液体をペロッと舐め、女は美しく笑う。
「全ての液体を操り、全てを震わす者。海鳴り姫だぞ?」
「ああ、そうだったな。悪かった、お前を心配する必要はなかったな」
「少しぐらい心配してもいいんだが……。まあいい、魔女ごとき私の敵ではない」
海鳴り姫は湿気と振動を止め、宙に浮いていた液体を王の手元のグラスに戻す。王は手元に戻ってきた液体を一気に飲み干した。
「……相変わらず変な癖だな」
「ん?なんだ急に?」
女は王の持つ空になったグラスを見ながら、王の行動に呆れた。
「炭酸飲料なのに炭酸を抜いて飲む癖だよ。別に炭酸苦手じゃないだろう?」
「こっちの方が美味しく飲めるんだよ」
「液体を操る私にはわかるぞ。その炭酸飲料は泣いている」
「液体が泣くわけないだろ」
王の言動に海鳴り姫はさらに呆れた。だがそんな二人の間の雰囲気は特別なものだった。家族とも恋人とも言えない、お互いがお互いのことを信頼しきっているのだ。その雰囲気は和やかでありながら、凛とした鋭さもある。二人は昔からの戦友だった。男は王に、女はその王に従う騎士となり上下関係ができたが、この二人には関係なかった。
「それで、魔女の子供達はどうするんだ?」
「ああ、子どもは悪くない。魔女に騙されている被害者だ。できるだけ保護する」
「ほぉ、”できるだけ“か」
王は基本的に温厚で、優しい性格だった。悪は厳しく罰するが、罪なき者は擁護する。自分以上に仲間を大切にする、そんな王だった。
「魔女の子供達は何も悪くない。しかし魔女の疫病に侵されれば、手に負えなくなる。いくらお前でも子どもを相手に本気は出せんだろう?」
「……まあな」
魔女の子供達。魔女の力、疫病に侵された子ども。調査によれば数十人確認されている。もし子どもたちが疫病の力で暴走でもしたら、保護は難しくなる。
「ふふ、私を心配してくれているのか?」
「は、はあ!?別にそんなんじゃねぇよ!いや、心配してないわけじゃないんだけど、いや、その……」
彼女は王のことが好きだった。孤独だった自分のそばにずっといてくれた。小さい頃から一緒で弟のように思い、共に戦う戦友でもあり、従うべき王でもある。しかし全ての関係をひっくるめて、彼女にとって王は想い人になっていた。
「ま、まあとにかくだ、うまく事を運んでくれよ、海乃」
「わかっているさ。私に任せておけ、神斗」
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その日優香の住む水鳥院はお祭り騒ぎになっていた。
「デート!デート!デート!」
「優香姉ちゃんが彼氏とデートだぁ!」
「でーとってなあに?」
優香は神斗との久しぶりのデートということでテンションが上がってしまい、つい子ども達に言ってしまった。その結果がこのお祭り騒ぎだった。
「もうみんなやめてよー」
「だから言ったじゃん。子ども達には言わない方がいいよって」
優香はデートをすることだけでなく、彼氏がいること自体子ども達には言っていなかった。言えば騒がれると思ったからだ。年の近い恵美には言っていたのだが、今回はつい口を滑らしてしまった。
「どうしたんだい?こんなに大騒ぎして」
「あ!香苗先生だ!」
「いんちょうせんせーい」
「優香姉ちゃんがデートだって!」
「ほほう?そいつは面白そうな話だねぇ」
森香苗は面白そうに笑った。
「せ、先生まで!もう恥ずかしいからやめて!」
「いいじゃないか青春!私も若い頃は結構青春したもんさ。確かあれは私が十六の時、冬の寒い中一人で歩いている時……」
香苗の長話が始まった。昔の話をさせると止まらなくなる癖があるのだ。
「……とまあ、私も昔は色々あったがとにかくだ、今のうちに青春を謳歌しときな」
「は、はい」
いつのまにか子ども達は逃げていた。優香は子ども達を逃がすためと恩人の話を無下にできなかったため、香苗の長話の餌食になっていた。優香はようやく解放され、自室に戻った。
――――――――――――――――――――――
自室に戻った優香は同じ部屋の恵美に愚痴を聞いてもらっていた。
「あーもー、子ども達には弄られるし、香苗先生の長話を聞く羽目になるし、今日は散々だよ」
「どーんまい優香。リア充への制裁かな?」
恵美は悪戯をする子どものように笑った。
「リア充言うな!それより恵美!香苗先生の長話のとき、さりげなく子ども達と逃げたでしょ!」
「いやー、ついね。絶対長くなると思ったんだもん」
「もー、ちゃんと助けてよー。親友なんだから」
「ごめんごめん。次は助けるから」
優香は恵美にいろんな話をしていた。学校のことや神斗のこと、自分の力のことも。そして、カース・マリーの治療のことも。恵美はカース・マリーのせいで学校に行けない。それどころか水鳥院の敷地内から出られない。そのため学校や外での出来事をよく話すようにしていた。なんとしてもカース・マリーを治し、恵美と子ども達が学校に行き、外で自由に行きて欲しいからだ。
「……いいなぁ、優香は」
「ん?どうかした?」
「なんでもないよ!さあ、今日はもう寝ましょう。明日はデートなんだからね!」
「デートのことはもういいからー。それじゃあ、おやすみ恵美」
「うん、おやすみ優香」
四月二十五日。神斗と優香は付き合って半年となる。しかし記念すべき日になるはずだったこの日は、二人にとって運命の日となる。
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その日は春の陽気に包まれた、まさにお出かけ日和となっていた。雁光高校の最寄駅、雁石駅に二人は待ち合わせていた。時刻は午前十時五十分。神斗はすでに到着していた。
「いい天気だなぁー」
雲一つない晴天。太陽の光は暖かく、まだ少し冷たい風がちょうど良い。最近の天気の中では一番良い天気と言える。
「ハァ…ハァ…ハァ………。お、お待たせー」
「お、来た来た。全然待ってないよ」
集合時間は十一時だった。そう、優香は遅れてはいなかったのだ。神斗は集合時間よりだいぶ早くついていた。それは神斗の数ある癖の一つだった。
「そんな急いで来なくても良いのに」
「だって、神斗と少しでも一緒にいたくて……」
「そ、そっか……」
「うん……」
それは優香の本心だったが、神斗の癖を知っていたため待たせては悪いと思い、急いで来たのだ。
「それじゃあ、行こうか!」
「うん!」
二人は確かめるわけでもなく、自然と手を繋いで歩き出した。
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電車に乗り数分後、この辺りでは一番大きな街、夜虎那市に来た。この街は数百年前から栄えており、この国の中でも五指に入る街だった。
「やっぱ大きいなこの街は」
「そだねー。学校の周りは田舎だもんね」
雁光高校は山の中腹にあり、森に囲まれている。近くには主要な駅があるが、どちらかといえば田舎だった。
「楽しみだね、水族館」
「うん!水族館なんて何年振りかなー」
「イルカショーにアシカショー。ペンギン、ウミガメ、シャチまでいるんだ!危険生物コーナーってのもあるんだとさ」
「ふふふ、私より神斗の方が楽しそうだね」
「そりゃー楽しみだよ!」
「でもまずは、お昼ご飯だね!」
「あ、そっか」
一つのことに集中すると周りが見えなくなるほど集中してしまう。これも神斗の癖だった。
「さあさあ、腹が減っては戦はできぬだよ!何食べようかなー」
「戦って……。でも食べすぎると太r……」
「ナンカイッタ?」
「な、なんでもありません」
優香は食い意地が凄い。それについて弄りすぎると命が危うい。神斗は小さくなりながら優香の後をついて行った。
――――――――――――――――――――――
「いやー実に面白かったなー。イルカってホントに頭いいよなー。笛と身振り手振りだけで判断できるんだもんな。あれも飼育員との信頼の現れなのかな」
「本当に楽しんでたね神斗。でもほぼ全部の展示を見ることになるなんて思わなかったよ」
「え、こういうのって全部見るもんじゃないの?」
「うーん、見る人もいると思うけど、ほとんどの人は見たいものだけ見て帰っちゃうかな」
「え!?勿体ない!せっかくなら全部見るべきでしょ」
神斗たちは一つ一つの水槽を見て回った。神斗にいたっては水槽の中にいる一種類一種類を観察していた。結果、五時間もの間水族館を堪能することになった。
「ごめん優香、振り回しちゃったね。疲れたでしょ?」
「そんなことないよ。楽しそうにしてる神斗を見てると、私も楽しくなるもん」
「ほ、本当?それなら良かったよ」
二人は今、水族館の近くにあるちょっとした遊園地に来て小さめの観覧車に二人で乗っていた。空はすっかり夕焼け空となり、沈んでいく太陽の光は哀愁が漂っていた。所謂、良い雰囲気だった。
「俺も、優香と一緒にいるのすごく楽しいよ。たぶん優香とじゃなきゃこんなに楽しめなかった」
「うん、ありがとう。私も神斗と一緒にいるの楽しいよ」
二人は周囲からよくお似合いだと言われる。それは見た目や雰囲気から言われるものだった。二人もまた、自分と相手がうまく合っていると思っていた。それは周りから言われることに対してではなく、性格や癖などの内面的な部分だった。
二人は周りからだけでなく本人たちも気づいていない、不思議なもので結ばれていた。
「……好きだよ、優香」
「私も、好き」
二人は見つめ合い、お互いの気持ちを確かめ合う。言葉にしなくても相手の気持ちは分かっている。しかしあえて言葉にすることで、より深く気持ちを伝えあえ、確かめ合えるのだ。
その時二人の乗るゴンドラが観覧車の頂点に達し、夕日に照らされた二人の影が重なった。
――――――――――――――――――――――
「さぁて、そろそろ時間だな」
黒髪をなびかせ青い甲冑を着た女騎士、海鳴り姫は人気のない山の麓に立っていた。その手には先が三つに分かれた銀色の槍を持っていた。
「目標、疫病の魔女。捕縛もしくは殺害。保護対象、魔女の子どもたち。作戦を開始する」
海鳴り姫は槍を天に掲げた。
「知るが良い、疫病の魔女よ。海鳴り姫と呼ばれた私の力、そして王の期待に応える私の愛を!」
すると何もない空間から水が生まれ、槍に集まっていく。最終的に身の丈の数倍はある水の槍となった。さらに槍を回転させることで水が渦巻いていく。
「全てを穫り尽くせーー”海神の投擲“ペータグマ!!!」
海鳴り姫は、渦巻く水を纏った長大な槍を投げた。その槍が飛んでいく先には、山中に不釣り合いな真っ白な建物。水鳥院があった。
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