第13話 苦しみ
海乃は大きく切り裂かれた大地に真っ二つになった香苗が落ちていくのを見届けた。
「くッ!やったようだな」
「ああ、一切手は抜いていない。確実に殺した」
「香苗先生……」
海乃は香苗の体を真っ二つに切り裂いたという確かな手応えを感じ取っていた。
様々な悪行を行なった魔女、それでも優香は少し複雑な気持ちになっていた。
「キ、貴様ァァ!!……私ガ……奴ヲッ!!」
「ぐうぅぅッ!」
対して恵美は殺すべき相手である香苗がいなくなってもなお止まることなく、むしろさらなる怒りによって神斗を押し始めるほど力を増幅させていた。
「もう、君の恨む相手はいない!いい加減、目を覚ませ!!」
しかし神斗は光の槍を受け止める炎の腕から新たな炎を生み出し、恵美に放った。恵美は炎の威力に負け、吹き飛ばされてしまった。
「グッ!奴ハ……私ガッ!アアァァァァァッッ!!!」
しかし、吹き飛ばされた恵美は一瞬の閃光と共に姿を消した。
「ッ!海乃気をつけろ!転移魔法だ!」
「ほう?転移までも使えるのか」
姿を消した恵美が転移した先は、海乃の背後だった。手にはすでに光の槍を持ち、今にも振り下ろそうと頭上に構えている。しかし、
ズガアアァァンンッッ!!!
「グフッ!!」
「やはり甘いな、先程よりも甘い。無駄な動きとか踏み込みとか、そういう問題じゃない。気持ち的に甘くなっているな。自らの暴れまわる力に心も体も翻弄されている。先程は油断していたが、今のお前には力を使うまでもない」
海乃は転移してきた恵美の首を掴み、地面に叩きつけ抑え込んでいた。恵美は海乃に拘束され動けなくなっていた。
「ガアッ!……グッ!」
「さぁて、覚悟はいいか?」
「待て海乃!」
「いいや待たない。この子は今ここで殺す、殺すべきだ」
海乃はその手に持つ槍、トリアイナを逆手に持ち替え恵美に向けた。
「恵美!お願いやめて!!」
「これは私のけじめでもある。重要な任務であったにもかかわらず、隙を突かれ一時は行動不能にまでなってしまった。結果、神界にも人間界にも被害が出る始末。私は神殺しの名を汚してしまった」
「そんなことはどうでも良い!被害は最小限にとどめられる!それに相手は子供だ!お前は……」
一切の躊躇なく恵美に槍を向ける海乃に対し、優香も神斗も静止させようとする。しかし海乃は止まらない。なぜなら、
「なにより、この子の心だ。なんとか自我を保ってはいるようだが、それが返ってこの子を苦しめている。殺してやれば、この子も苦しみから解放され楽になれる」
「え!?そ、それって……」
優香の力によって取り戻された恵美の自我。しかしそれはその身を苦しめていたものが心まで苦しめる結果となったのだ。だからこそ香苗は作り出したエンブリオ達の自我を消した。心まで苦しみに蝕まれれば、力の暴走に繋がるから。今の恵美のように。
「この子は危険だ。持っている力も、心も」
これ以上の苦しみを与えるぐらいなら、殺すことで楽にしてあげるべき。それが海乃の考えであった。
「……ッ!ダメだ!それでも、”もう“お前に子供を殺させるわけにはいかない!!」
「……これが、私の運命だ」
海乃は振り上げたトリアイナの矛先を、恵美に突き刺した。
「恵美!!!!」
「……ッ!これは!!」
恵美を突き刺した海乃はその時に気づいた。恵美の目に白く光る不思議な文字が浮かび上がっていることを。その瞬間、恵美から膨大な力が溢れ出した。
「こ、こいつ!まだこんな力が!」
「海乃!その子から離れろ!!」
「ガアアああァぁァァァぁぁぁぁッッ!!!!!」
溢れ出した膨大な力は波動となり、あたり一帯を吹き飛ばした。
「くッ!無事か海乃!」
「ああ、なんとかな。それよりもあの子はどこに……」
海乃はその波動に吹き飛ばされながらも瞬時に後退することでことなきを得ていた。
その頃恵美は、優香の前に倒れていた。
「どうやら力を解放した時に転移魔法も発動していたか。しかし今ので力のほとんどを使い切ってしまったようだな」
恵美は両手で上体を起こすのがやっとというほど消耗している様子だった。そんな恵美に優香が駆け寄っていった。
「ううッ!私は……」
「恵美!!大丈夫!?」
「……ッ!近づくな!!」
恵美は、駆け寄り肩を貸そうとした優香を振り払った。
「え?」
「ハァ……ハァ……なんで、なんで?」
「恵美、どうしたの?」
「なんであんたは平然としているの!?私は、私達は、こんなにも苦しんでいるのに!!」
優香は恵美の言っていることが理解できないでいた。
「わかる?!私のこの苦しみが!心の奥底から真っ黒な何かが這い出てきて、私の心を侵食していくこの苦しみが!!」
先程まで恵美はその力に支配されていた。しかし自我を取り戻しほとんどの力を使い果たした今は、その苦しみに支配されていた。
「……!わ、私の力で、恵美の苦しみをなんとかする!私の力なら……」
「そう言ってあの魔女に植え付けられた病気を治そうとしていたけど、でもそれは、あんたの力を私達に取り込ませるという魔女の実験だった。結果、私達は余計に苦しんだ」
優香は恵美達が患っていた不治の病、カース・マリーを治すことを約束していた。しかしそれは魔女の作り出したものであり、恵美達は魔女の手によって実験体となり、さらなる苦しみを味わうこととなった。
「優香、あんたには魔導王の力という希望がある。でも私にとってその力は、魔女の呪いという絶望でしかないの!」
魔女の実験は優香の力である魔導王の力を取り込ませ、強力な力を持つ存在を作り出すことだった。それはつまり、優香の持つ力が恵美を苦しめる根源となってしまったということ。
「それにあんた、私にできない色々なことを自慢して、優越感に浸っていたんでしょ!?」
「そ、そんな!自慢なんかじゃない!私は、ただ……」
「正直私はあんたが羨ましかった。学校に行ったり、友達と遊んだり、買い物に行ったり、恋をしたり、普通の生活をしているあんたが羨ましくって、疎ましかった!」
そう、恵美はずっと羨ましがっていた。外に出られる優香のことを。その思いはやがて香苗への恨みと植え付けられた苦しみによって憎悪へと変貌してしまっていたのだ。
「……ッ!こいつ、自分勝手にベラベラと!」
「待てッ!!」
恵美の発言に今まで静観していた海乃が、我慢できずに声を荒げる。しかし神斗は海乃を止めた。
「これは優香とこの子の問題だ。俺たちは関わるべきじゃない」
「……くッ!」
「それに、あの子自身そんなこと思ってなどいないんだ。ただただ苦しい。どこかにぶつけたり、どんなことも悪いように受け取ってしまうほど」
そう、恵美はただ心の奥底から湧き出てくる苦しみに抗いきれないだけだった。
「あんたの力があったから、あんたがいたから、私はこんなに苦しんでいるんだ!!」
優香は悪くない、悪いのは魔女だ。そう思っても苦しみからは逃れられない。この苦しみを与えた存在はもういないから、ぶつけるべき相手がいないから。
「ごめん、ごめんね恵美……」
優香は謝る。実験を行い苦しみを与えたのが魔女だとしても、自分の存在がなかったら恵美も子ども達も苦しまなくてよかったのではないか?自分の存在が恵美を苦しめる結果となったのではないか?そう思ったから。
しかし優香は諦めてはいなかった。
「それでも、約束したんだ……必ず治すって!」
優香は苦しみ続ける恵美に向かって少しずつ近づいて行った。
「だから、どんな苦しみも、私が一緒に……」
「もう限界なの!!あんたにわかるの!?この苦しみが、この悲しみが、この辛さが、この絶望が!!」
恵美は近づいてきた優香を突き飛ばした。優香は度重なる疲労のせいもあってかバランスを保てず尻餅をついてしまう。
「信じていたのに、あんたの力を、あんた自身を!!」
恵美はわずかに残された力を足元に集めた。それはやがて白く輝く転移魔法の魔法陣となる。
「もう、これ以上苦しみたくないの!!……さようなら」
恵美は眩い光の中に消えて行った……涙を流しながら。
「嫌!待って恵美!!」
優香は去った親友を追おうと立ち上がった。しかし立ち上がった優香を神斗が後ろから抱きしめた。
「ダメだ優香。あの子は助からない、どこに転移しようとも。もうあの子の心の傷はどうすることもできない。たとえ、優香の魔導王の力があったとしても……」
「うッ!恵美……ううぅぅぅぅッ!」
再び降り始めた雨に濡れた優香の頬に大粒の涙が流れていった。
――――――――――――――――――――――
そこは神々の住む豪華絢爛な王国。中心部には壮麗な館が立ち並び、中心には平原がある。そんな王国のはずれには巨大な岩が存在していた。その巨大な岩の内部には洞窟があった。
『ほっほーう?なるほどなるほど。王国ではそんなことがあったんかー。なかなかおもろいことになっとるやんけ!ヒッヒッヒ』
洞窟の中には男がいた。顔は美しく整っているが、ピエロのような格好をしている。しかし男は鉄製の紐のようなものに縛られていた。
『やっぱり気になるのかい?』
『当たり前やろ!あの兄貴が裏切ったんやで?この国を!この世界を!こうしちゃおれん!早うここから出な!!おもろいところにこの俺様がおらんなんてありえへんやろ!!』
縛られているこの男は、巨大な岩の洞窟の中に幽閉されているのだ。そんな男の隣には桶を持った魅惑的な女性が侍っていた。
『我が嫁よ、今すぐ王国に赴くんや。この一大事、俺様の力が必要なはずや!今の王国を仕切っとるんわ叔父貴や。叔父貴なら俺様を解放しようとしてくれるやろ』
『いいのかい?あんた。あたしがこの場を離れりゃ岩から流れる毒液に苦しめられるんだよ?それに王国までとなるとそれなりに時間がかかる。いつもなら一瞬の苦しみをしばらくの間味わうことになる。身を抉るほどの苦痛なんだろう?』
男から嫁と呼ばれたその女性は、その手に持つ桶を常に男の頭の上で持っていた。それは滴り落ちてくる毒液から男を守るためであった。
『構わへん!!相当な苦痛やけど、その先にあるお楽しみのためや!いくらでも我慢したろうやんけ!!ヒッヒッヒ!』
『あんたが身を犠牲にするなんて、それだけ面白い展開になると予想しているってことなんだね?……わかったよ。王国に行き、あんたの解放を進言してこよう』
『ああ、頼むぞ我が嫁よ!ヒッヒッヒ!』
女性は男の頭の上から桶を持っていく。すると滴り落ちる毒を受けるものがなくなり、男の頭にその毒液が落ちた。
『グッオオオォォォォォォォオオオオォォォォ!!!!!』
その瞬間、男は悶え苦しんだ。目は血走り、顔は真っ青に染まり、絶叫をあげる。たった一滴の毒液が頭に降りかかっただけでこの苦しみ様。相当強力な毒液だった。男が苦しむ中、男から嫁と呼ばれた女性の姿はすでに存在しなかった。桶を持っていくと同時に高速で移動を開始したのだ。
ゴゴゴゴゴオオオォォォォォオオオオォォォ!!!
男が苦しみの声を上げて間も無く、男の絶叫に呼応するかの様に地面が大きく揺れだした。
『グウウゥゥゥッ!!!この苦しみ、何度味わっても辛いもんやなッ!。ハァ……ハァ……しかし、この後のことを考えれば、どうってことないわ!ヒッヒッヒッヒッヒヒ!!!』
男はそれでも笑い続ける。どんな苦しみも面白いことのためなら喜んで受ける。男はその異常な精神と性格から、道化師や狡知の神、トリックスターと呼ばれていた。男はそのずる賢さ故にこの洞窟に幽閉され、毒液の拷問を受けていた。
毒液は再び滴り落ち、男は悲痛な叫びを上げる。しかし男は揺れる大地の中、子供が悪戯をするときの様にニヤついていた。
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