第35話 カウント0、11年前からすれ違い

 予定時間より少し早く、待ち合わせ場所に向かう。場所は駅前広場のベンチだった。


 どんな顔をして、どんな風に声をかければいいだろう。家から待ち合わせ場所までの間考えていたが、答えはでず。とうとう辿り着く。


 伊達と待ち合わせですれ違っていたことが忘れられず、剣淵も遅れてくるのかもしれないと覚悟していたが、既に剣淵は着いていた。


「……お、おはよ」


 緊張から声が裏返る。ぎこちなく手をあげて挨拶をしてみたのだが、剣淵は不機嫌そうに眉を寄せたまま、佳乃をちらりとも見ず「おう」と短く答えた。


「八雲さんとの待ち合わせって前と同じレストラン、だよね?」

「……行くぞ」


 佳乃から見て、剣淵は怒っているようだった。やはり昨日のことを目撃したからなのだろう。

 やはり早く呪いについて明かさなければ。八雲との話が終わったら、剣淵と向き合おう。改めて誓い、佳乃を無視して先を歩く剣淵を追いかけた。



 レストランについてからも、剣淵の様子は変わらなかった。

 むすっと黙りこんで佳乃の方をちらりとも見ない。八雲がくることを考えて横並びに座ったのだが、隣に座っていても会話がないのならば意味がない。


 佳乃も、どのように会話を切り出せばいいのかわからず、うつむくしかなかった。飲み物が届いても二人の間に漂う険悪な空気は変わらない。


 そうして気まずい時間が過ぎ、ようやく八雲がきたのは待ち合わせ時間を少し過ぎた頃だった。


「やあ、おまたせ。遅くなって申し訳ない」


 八雲は着くなり、剣淵と佳乃の顔を交互に見やる。


「……おや? こないだ会った時と様子が違うような」

「んなこたいいから、さっさと用件を話せよ。クソ兄貴」

「僕の知らない間に奏斗は随分と口が悪くなったね――まあ、そうか。11年も会っていなかったから」


 そう言って苦笑し、八雲は座る。今日は蘭香や菜乃花が来る予定はないので、長椅子の中央に腰をおろした。


「11年もあれば色々変わるね。やんちゃなところはあまり変わってなさそうだけど――きっと、母さんもいまの奏斗を見たかったことだろう」

「よく言うぜ。俺と姉貴を置いて出て行ったくせに」

「うん……奏斗から見ればそうかもしれない。だからその話をしたかったんだ」


 佳乃はちらりと剣淵の様子を伺った。表情は不機嫌丸出しでそっぽを向いているが、ちゃんと話は聞いているのだろう。


「兄弟の中で頭もよく運動もできた子が僕だったから、だから母さんに選ばれたんだと思っているのなら――それは間違いだよ」


 ぴくり、と剣淵の眉が動く。


「母さんは奏斗や姉さんのことも連れていくつもりだった。いま連れていけなかったとしても、おばあちゃんの家に預けて、後で迎えにくるつもりだったんだ」

「……おう」

「そのことをずっと後悔していた。奏斗たちに会いたいっていつも言っていたよ」

「なら連絡すりゃよかっただろ。一度も連絡をよこさず、何が母親だ」

「それができるなら、そうしていたと思う――奏斗、僕たちの母さんは、」


 その先の言葉に想像がついたのか、剣淵の瞳が見開かれた。


「亡くなった」

「マジ……かよ」

「もう何年も前だ。母さんが再婚して『八雲』になって、それからまもなく、おばあちゃんと同じように脳卒中で倒れて、そのまま帰ってこなかった」


 それを聞いた剣淵は、額に手を当て、うつむいたまま呟く。


「……連絡、は、」

「僕が何度も連絡をしたけど奏斗が着信拒否をしていただろう? 姉さんから話そうとしたけれど奏斗が聞く耳を持たなかった」

「そう、だったな……」


 どれだけ恨んでいたとしてもやはり剣淵にとっては『母親』なのだろう。その死にショックを受け、顔は青ざめていた。


「僕が蘭香さんと結婚してこの町を出て行く前に、どうしても伝えたかったんだ。だからこの前は騙す形で呼び出してすまなかった」

「……ああ」

「来週、母さんの墓参りに行こうと思うんだ。もしよければ奏斗も来るかい?」


 まだ動揺しているようだったが、剣淵はしっかりと頷いていた。



 八雲にとってこの話が一番の目的だったのだろう。終えたところで肩の荷がおりたのか、表情が柔らかなものになる。そしてここまで黙っていた佳乃の方へと目を向けた。


「それで、佳乃さんにも話があるんだ」

「は、はい」

「この間はバタバタしていて挨拶できなかったけど、久しぶりだね佳乃さん。随分と大きくなった」


 すっと目が細くなり、佳乃に向けてふわりと微笑む。懐かしいものを見るかのような視線だが、心当たりはなく佳乃は首を傾げた。


「あの、どこかで会いました?」

「会っているよ。すっかり大人になっていたから僕も忘れていたけれど、11年ぶりだね」

「……11年、って」


 思い当たるのは、夏の記憶。11年前のあけぼの町での出来事だ。でもそこで出会っているのは伊達のはず。なぜ八雲が、佳乃のことを知っているのか。


「君は僕たちのおばあちゃんの家に預けられていた――ああ、そうか。おばあちゃんの苗字を言えば思い出してくれるのかな」


 あれは伊達だったはず、伊達だと思うのに。佳乃の記憶に刻まれた11年前の夏が揺らいでいく。

 考えようとすれば針が刺さったかのように頭が痛み、手が震える。思いだしてはいけない気がするのに、しかし八雲は続ける。


「母さんの旧姓で『鷹栖たかす』。『鷹栖ばあちゃん』と言ったら思い出してくれるかな」


 増していく痛みに顔を歪め、そして思い出す。


 11年前、あけぼの町に向かう佳乃に対して両親が『夏休みの間、鷹栖さんの家に行くのよ』と言っていた。

 それだけではない、夏の終わり、おばあちゃんの葬儀の時にも白地に黒い字で『鷹栖家』と書いてあったのだ。



 一つ思いだせばずるずると、枷が外れたように11年前の記憶が巻き戻っていく。


 鷹栖家で出会った三人の兄弟。特に末っ子の弟とは年が同じなこともあり仲が良く、毎日遊んでいたのだ。

 ご飯のたびに居間に集まり、ばあちゃんが作ったご飯を食べる。そこには末っ子だけではなく、長女や長男――八雲もいたのだ。


「……そう、でした。私、八雲さんに会っています」


 次々と蘇る記憶に放心状態となりながら、ぽつりと呟く。



 八雲は想定していたのか頷くだけだったが、隣にいた剣淵の反応は異なっていた。


「は……? 11年前って、お前……」


 困惑しているのは剣淵だけではなく、佳乃もである。佳乃が世話になったおばあちゃんの名前をきっかけに、はっきりと思いだす。それをきっかけに頭痛はなくなったのだが、頭がぼんやりと重たい。


 こんな大切なことをどうして忘れていたのか。なぜ伊達だと思っていたのか。いまになれば姿や顔も浮かぶ。あれは伊達じゃない。


「私が、あけぼの町で出会ったの……剣淵だ」


 剣淵に告白をされた時は、そう告げれば『嘘』とみなされ呪いが発動していた。伊達だと告げた時には『嘘』にならなかったのだが――改めて剣淵の表情を確認するも、呪いが発動している様子はなく、その瞳ははっきりと生気を宿している。


 それではこの呪いは何なのか。

 11年もの間、呪いによる嘘の判定は正しいのだと思ってきた。それが崩れてしまって、恐ろしくなる。


 動揺する佳乃に、八雲が微笑んだ。


「ええ。思いだしてくれて嬉しいですよ。この間、佳乃ちゃんの話を聞いて、僕たちと一緒に夏休みを過ごした小学生の女の子はあなただと思ったんです」

「……どうして、言ってくれなかったんですか」

「確証がありませんでした。だから今日までの間に、僕もできる限り調べてみたんです。蘭香さんや菜乃花さんに話を聞いて、そして確信を得た」


 八雲は持ってきたかばんからノートとペンを取り出し、机に広げる。そこには先日佳乃が書いた呪い発動時の嘘も書いてあった。


「は? なんだこれ、呪いって――」


 呪いについて知らない剣淵は、ノートを覗きこんで不思議そうな顔をしていた。しかし八雲は剣淵を気にとめず、佳乃をじいと見つめて言う。


「答え合わせをしていきましょう。あなたの呪いを解き明かす時間です」


***


 11年前の、夏である。


 弟を身ごもり、臨月に入った母が倒れたことにより、夏休みの間、佳乃は鷹栖家に預けられることになった。三笠家と鷹栖家は親戚ではないものの、母と鷹栖おばあちゃんが仲良くしていたため、佳乃の面倒を見ると引き受けてくれたのだった。


 同じ頃。鷹栖家には、鷹栖おばあちゃんの娘とその子供たちが遊びにきていた。その子供たちこそ、剣淵奏斗や八雲史鷹である。佳乃は彼らと共に鷹栖家で過ごした。



 急に両親と離れて見知らぬ家に預けられたことやまだ見ぬ弟への不安は小学生の佳乃に抱えきれるものではなかった。昼夜問わず両親を思い出して泣き出すことが多く、そこで声をかけたのが剣淵奏斗だ。


「泣くなよ」

「……泣いてないもん」


 幼い佳乃の頬はべったりと涙で濡れ、拭ったのだろう袖も濡れている。剣淵は手を差しのべた。


「おねえちゃんになるんだろ。しっかりしろよ」

「まだおとうと生まれてない!」

「うだうだうるせーな。いいからこい。おれとあそべ」


 不思議と、その手を掴むと涙は止まった。


 剣淵と共にあけぼの町を探検したり、色々な話をしているうちに、寂しさは薄らいでいったのである。


「泣きそうになったらおれを呼べ。あそんでりゃそのうち忘れるだろ」


 その時から、佳乃は泣かなくなった。


 鷹栖家にて、八雲や剣淵といった兄弟たちと共に過ごし、特に剣淵は同い年なこともあってよく遊んだ。佳乃もすぐに打ち解け、二人は友達になったのである。



 それが変わったのが、あけぼの山探検をした日だった。


「おもしろそうな場所がある。探検しにいくぞ」

「探検? どこ行くの?」

「あけぼの山だ」


 剣淵に誘われて、あけぼの山にのぼり、その帰り道である。裏道を歩いていた佳乃は転んで、斜面を転げ落ちてしまった。


「おい! どこにいるんだ?」

「ここだよ、落ちちゃった」

「どんくせーやつだな。そこで待ってろ」


 子供一人では登れない高さにあり、幼い佳乃では登れそうにない。どうしたものかと困り果て、剣淵の到着を待っていた時に――見たのである。


 それは、光だった。


 大岩の隙間から、じわじわと溢れていた光が一気に広がる。それは目が眩むほどの強さを纏って、佳乃を包み込む。


 その光の中で佳乃は聞いたのである。


 『カワイソウに。お前は何も見ていないよ。何も見ていないんだから』

 『カワイソウに。お前は嘘をついてはいけないよ。何も見ていないんだから』




 その頃、剣淵奏斗は遠回りをしてなんとか斜面をおり、三笠佳乃の元へ向かおうとしていた。


「あ? なんだこれ……まぶしいな」


 佳乃がいたはずの場所から、自然溢れるあけぼの山に不似合いな強烈で眩しい光が漏れていた。呆然と立ち尽くしている佳乃に向かって伸び、ついに姿をすっぽりと包み込む。


 助けにいくべきだとわかっているのに、その光が恐ろしいもののように思えて体が動かせない。

 異質な光に見つからぬよう茂みの中に隠れ、佳乃の様子を覗き見ることだけで精一杯だった。


 その光が消えると三笠佳乃は倒れていた。地面に横たわり、ぴくりとも動かなくなっている。


「おい、だいじょうぶか。くそっ、ばーちゃん呼んできたほうがいいのかな。それとも……」


 このまま佳乃を置いて大人を呼びにいけば、またあの光に飲みこまれ、今度は見つからないかもしれない。

 あけぼの山へ誘ったことを思いだし、責任感と共に佳乃を背負う。生い茂った草をかきわけ、一歩ずつ。


「もうすぐ着くぞ。だから、ごめんな」


 剣淵少年の胸にあったのは、後悔だった。


 もし佳乃の転落を阻止できていたなら、あの光に呑まれてしまう前に佳乃を助けていたのなら。ぐったりとした佳乃の重みを背に感じるたび、後悔が頭を巡る。


 佳乃の目が覚めた時に、何事もなかったかのようにしていたのなら、きっと後悔は薄れるだろう。だからそうあってほしいと願って、剣淵は家路を辿った。




 だが、剣淵少年の願いは叶わなかった。


「……こりゃ、ひどい熱だ」


 家に着いた後、佳乃の額に手を当てた鷹栖ばあちゃんはそう呟いた。


「すぐ病院に連れていこう」

「じゃあおれも行く」

「奏斗は家にいなさい。そもそもお前さんが勝手にあけぼの山に入ったからこうなったんだよ」


 高熱により佳乃の意識はうつろで、剣淵が話しかけても答えることはない。そのまま佳乃は病院に連れていくこととなった。


 母にも散々叱られたが、剣淵の心にあったのは、あけぼの山で見た不思議な光だった。


「あの光だ。あれが、おかしくさせたんだ」


 転落直後の佳乃と会話はできていた。かろうじて見えた姿におかしなところはなく、怪我をしているとは思えなかったのだ。


 すべてが変わったのはあの光に包まれてから。


「……なあ、兄ちゃん」


 布団にもぐりこんでも眠れずにいた剣淵は、八雲に声をかけた。


「おれ……山でへんな光を見たんだ」

「変な光? どんなのだった?」


 あけぼの山で見た光について話すと、八雲は低く唸りながら考えこんでしまった。


「んー……それは、僕たちの理解を超えるものかもしれないね。奏斗は不思議な現象に合ってしまったのかもしれないよ」

「フシギなゲンショーってなんだ?」

「そうだね……例えば、UFOとか宇宙人、幽霊とかそういうもの」

「おれ、UFOを見たってこと?」


 八雲は頷いた。


「そうだね、UFOかもしれないよ。夢のある話だね。ところで奏斗は眠くないのかな、僕はすごく眠たいんだけど」


 あれがUFOなのだと考えると、頭が冴えてきて、いますぐあけぼの山に探しにいきたくなる。明日もう一度、山に行って確かめてみよう。そしてあの光にまた出会ったら、佳乃を助けてくださいと頼んでみるのだ。そう考えているうち、高揚感を抱いたまま剣淵は眠りについていた。


 その翌朝のことである。


「……三笠さん、お父さんと一緒に帰ったんだって」


 朝食をとっていた時、八雲が切り出した。


 病院にて調べたところ佳乃に怪我はなく、熱も徐々に下がっていった。しかし話を聞いた佳乃の父が駆けつけ、退院後はそのまま自宅に戻ることになったのだ。


「じゃあ、こっちにはもうこないのか?」


 剣淵が聞くと、鷹栖ばあちゃんが頷く。遊び相手が減って寂しそうな剣淵の頭を優しく撫でて言った。


「いつでも会いにくればいい。何があったって、奏斗はばあちゃんの孫だ。いつでも遊びにくればいい。その時にまた佳乃ちゃんも呼べばいいさ」



 しかし状況は変わった。


 父と母の離婚が成立し、母は八雲を連れて家を出て行った。剣淵とその姉は父が親権を持つこととなったが、鷹栖家に置いておくわけにはいかず、すぐに迎えがきて、剣淵たちもあけぼの町を去ることとなったのだ。


 それだけではない。不運は続き、夏の終わりに鷹栖おばあちゃんが亡くなった。

 脳卒中にて倒れ、見つかった時にはもう手遅れだったらしい。不運にも娘や孫、知り合いの子らも帰った後で、家には鷹栖おばあちゃん一人しか残っていなかった。


 葬儀は夏休みが終わる前日に行われ、そこに三笠佳乃の姿があった。


 高熱を出している間に自宅に帰ってしまったため、剣淵に別れの挨拶ができなかったことを悔やみ、もう一度会いたいと思っていたのだ。


「いないなあ……どこにいるんだろう」


 家の中を探しても剣淵の姿はない。

 剣淵は既にあけぼの町を去り、父と姉と共に暮らしていたため来ることができなかったのだ。

 それを知らない佳乃は、これから来るのだろうと庭に出て待っていた。

 その日は天気が悪く、しとしとと降り注ぐ雨粒が佳乃の体を濡らしていく。


「……泣きそうになったら呼べって、言ってたのに」


 鷹栖おばあちゃんにも剣淵奏斗にも、もう会えないのかもしれない。


 だがどうしても会いたい理由があった。

 彼の顔が、わからないのだ。彼の名前が本当に『剣淵奏斗』だったのかも、記憶がおぼろで自信がない。

 だからもう一度。佳乃の記憶が正しいのだと確証を得たかった。夏休み共に遊んだ者の顔を、名を、確かめたかった。


 しかしどれだけ待っても来る気配はない。

 佳乃の頬から滑り落ちた熱い涙が、雨に混じって落ちていった、その時である。


「泣かないで」


 佳乃の頭上に掲げた青い傘が影を生む。見上げるとそれは剣淵ではない男の子だった。


「だれなの?」


 佳乃が聞くと、その男の子は困ったように微笑み、あたりを見渡す。それからゆっくりと告げた。


「伊達……享だよ。だから泣かないで」

「だて、とおる……」

「夏にいっぱい遊んだじゃないか。僕のことを忘れちゃったの?」


 涙が、ぱたりと止まった。佳乃は伊達の顔をじいと見つめて答える。



 焼き付いていく。夏を共に過ごした者の、顔や名が。

 泣かないと約束をしたのだ。だからその通りに、涙が止まる。


 伊達享。その名を心で唱えれば、冷えた体が温まっていくようだった。


「そうだったね。たくさん遊んだね、一緒にあけぼの山探検もしたね」

「そうだよ。僕と一緒に遊んだんだよ――だから泣かないで」



***


 11年前の記憶を辿っていく。途中で剣淵が口を挟むこともあったが、すべての出来事をノートに書き終えたところで八雲が顔をあげた。


「……さて。これで呪いへの理解が深まりそうですね」


 赤いペンに持ち替えて、八雲はノートに書きこんでいく。


「おそらく。呪いが発動する条件である『嘘』というのは、佳乃さんの記憶に基づくものでしょう」

「私の記憶……ですか?」

「11年前に一緒にあけぼの山に行ったのは奏斗だった。これは僕も証明できる『真実』です。ですがあなたはどういうわけか勘違いをし、奏斗ではなく伊達享という人だと思い込んでしまった」


 そしてページを捲り、以前に書きこんだ呪いが発動した時の嘘をペンでつつく。


「これを見てください。『小さい頃の夏休みを一緒に過ごしたのは伊達くんなのに、剣淵かもしれないと嘘をついた』この発言で、あなたの呪いが発動しています。つまり呪いの発動条件は『真実』ではなく『佳乃さんの記憶』に基づく嘘なのでしょう」

「……じゃあ、いままでのやつもぜんぶ、ですか」


 佳乃はノートに書いた過去の嘘に視線を落とす。


 『天気が晴れていたのに、雨だと嘘をついた』

 これは発言する前に、天候を確認している。佳乃の記憶に『今日は晴れ』と残っていたために、嘘の呪いが発動したのだろう。


 『忘れていなかったのに、忘れたと嘘をついた』

 剣淵とのキスは忘れるどころかはっきりと焼き付いてしまっていた。


 『呪われているのに、呪いなんてないと嘘をついた』

 これも同じだ。発言するより前から、佳乃は自分が呪われているのだと思っている。この嘘は、その記憶に逆らったものだ。



「そして先日佳乃さんが言っていた『足を捻挫していたのに大丈夫と言っても嘘にならなかった』というのも、おそらく記憶が関係しているでしょう」

「大丈夫、と言った時に私がまだ捻挫に気づいていなかったからですか?」

「ええ。『真実』では既に捻挫していますが、『佳乃さんの記憶』ではまだ捻挫に気づいていません。だから呪いが発動しなかったのです」


 そしてノートの下に、赤いペンで書きこんでいく。書きながら八雲が読み上げた。


「嘘によって発動する呪い。嘘は佳乃さんの記憶を基準に判断される。あなたが『忘れた』と思っていても、記憶に残っていたら『忘れていない』のです。あなたの願望や感情よりも『記憶』だけを基準にしているのでしょう。そう考えると扱いは少し難しいかもしれませんね」


 11年も戦ってきた呪いをここまで細かく知ることができるとは。八雲の力がなければここまで辿りつけなかっただろう。


「八雲さん、ありがとうございます」

「お礼を言われるほどのことはしていません。それに一番肝心な、呪いを解く方法はまだわかっていませんから。おそらく、ここにヒントがあると思いますが」


 八雲がペン先で指したのは、11年前の夏、不思議な光と遭遇するところだった。


「この後で、佳乃さんの記憶がずれている。伊達さんへの返答からそれがわかります。もしかするとあなたが熱を出したのは、呪いを受けた影響なのかもしれません。その光に触れたことで佳乃さんの記憶が改変された。だから奏斗のことがわからなくなったのかもしれま――」

「ちょっと待て」


 会話に割り込んだのは剣淵だった。佳乃と八雲の話についていけず黙りこんでいたものが、いよいよここで爆発した。


「やっぱりお前が11年前のやつだったのか? っつーか呪いってなんのことだよ!」

「ま、待って剣淵。いまちゃんと説明するから……」

「しかもこの会話! 忘れたのに忘れてないだの、呪われてるのに呪われてないだの、どれも聞いた覚えがあるぞ」


 喋るうちに苛立ちが増して、怒声混じりとなっていく。なんとかなだめなければ、と焦る佳乃だったが、八雲は平然としていた。


「ああ。奏斗は呪いのことを知らなかったのか」

「呪い呪いうるせーな。さっきからてめぇらが話してる呪いって何なんだよ。嘘ついて呪いが発動したら何が起きんだよ!」

「呪いが発動したらキ――」

「八雲さん!」


 八雲の言葉を遮って、佳乃が立ち上がる。


「……それは、私から話します」


 二人の唇を何度も重ねたのは好意ではなく呪いによるものであり、佳乃が剣淵を苦しめてきたのだと。それぐらいは剣淵と向き合って、自らの口で説明したかった。

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