第6話 走る剣淵、固まるタヌキ
翌日は体育の授業があった。
体育は男子と女子に分かれて行われるためA組とB組の生徒が一緒に授業を受けるのだが、佳乃にとってはご褒美の時間だった。というのもクラスの異なる伊達くんを堂々と観察できるからだ。
授業予定は短距離走の測定。男子女子共に運動場で行われる。
人数が多いため測定の終わった者や、二度目の測定を希望しない者は空き時間となった。運動場の端で座り込んで喋ったり、芝生に寝転がる生徒もいた。
早々に測定を終えた佳乃と菜乃花もベンチに座る。そして昨日の浮島との出来事を菜乃花に話した。
「えええっ! 紫音先輩に知られちゃったの!?」
「菜乃花、声大きいって」
近くにいたクラスメイトたちが何事かと振り返ったのを見て、佳乃は慌てて菜乃花を止めた。
「ご、ごめんなさい……でも、大丈夫? あの先輩は変なウワサが多いのよ。変なことされてない?」
「変なこと――」
菜乃花に聞かれて昨日のことを思い返す。抱き寄せられたり、迫られた挙句デコピンを食らいましたなんて報告をすれば、心配性の菜乃花をさらに不安にさせてしまう。佳乃は首を横にふって、微笑んだ。
「すぐに逃げたから、大丈夫だよ」
「ごめんね、私が空き教室でお話なんかさせてしまったから……」
責任を感じて落ち込む菜乃花を見ていると、佳乃の胸が痛む。一番悪いのは大声で叫んでしまった佳乃なのだ。
暗くなってしまった場を和ませるように、佳乃は明るく振る舞う。
「そんなことより! 伊達くんを探そう。私の心は伊達くんという癒しを求めてる」
すると菜乃花が運動場を見渡し、「あれが伊達くんじゃない?」と指さした。
運動場の端にはこれから走るのだろう男子たちが並んでいる。そこに伊達の姿もあった。
ダサいと不評の学校指定ジャージも伊達が着れば輝いてみえる。仲の良い友達と話して笑顔の伊達は、荒野の運動場に現れたオアシスだ。
一度視界に入れてしまえば目を離せなくなる、吸引力の変わらないイケメン王子様だ。同じクラスならばいつでも会うことができるのに、別のクラスなのが惜しまれる。
「伊達くん、かっこいい……」
「佳乃ちゃん、心の声が漏れてる」
すっかり見惚れている佳乃に菜乃花が苦笑した。
「確かにかっこいいけど……でも、伊達くんって不思議よね」
「不思議って?」
「次期生徒会長なんて呼ばれるしっかり者のリーダーで、みんなに好かれていて、お勉強もできちゃう。とどめにイケメン」
異論まったくなし、とオーバー気味に佳乃が頷く。だが菜乃花は首を傾げた。
「でも、不思議なの」
浮かれる佳乃と異なり、菜乃花の瞳はしんと冷えている。運動場のすべてを見透かしてしまいそうな深い藍色の炎を灯して、伊達を見る。
そして少し間をおいてから、菜乃花はぽつりと呟いた。
「どうして彼女がいないんだろう」
「う、うーん……そうだね、告白された話は聞くけど、付き合ったって話は聞かないかも」
「入学してからいままでずっと、でしょう? 女子も男子も分け隔てなく親しくする人なのに、誰か1人を選ばない。どうしてなんだろう」
佳乃はうつむいて、菜乃花の分析を反芻する。この世のモテ要素をすべて集めたような男がどうして彼女を作らないのか。
あれこれと考え、佳乃が行き着いた答えは――
「はっ! まさか伊達くんは、男性に興味あるんじゃ……?」
「……佳乃ちゃんって、ちょっとおばかなところがあるよね。正気に戻ろうか」
片思いをこじらせすぎた佳乃は、たまにおかしなことを考えたり、突拍子もない行動をとったりする。こんな性格だから呪いの悪用なんて考えてしまうのだ。親友として長く一緒にいる菜乃花は、佳乃を案じて呆れ息をついた。
女子生徒から注目を集め、先輩後輩からも好かれている学校一番人気の伊達だが、浮いた話は一つもない。告白されたという話があってもその後に必ず『伊達は断った』と続くのだ。
それでも佳乃は憧れてしまうのだ。
伊達にとっての特別な人になれたら、どれだけ幸せだろう。
遠くから眺めているだけで、胸が苦しい。伊達の視線がこちらに向けられるたびに、佳乃を見ているのではないかと錯覚し、恥ずかしさに目をそらしてしまいたくなる。佳乃ではなく周りの景色を見ているだけだとわかっていても、期待して舞い上がってしまうのだ。伊達に選ばれ、その隣に立つ人は誰なのだろう。あの微笑みをひとり占めできる人が羨ましい。
「もっと近づきたい……がんばらなきゃ」
ひとり言と同時に笛の音が響いた。そして伊達が走り出す。届くことはないだろう声援を送りつつ、佳乃は手を堅く握りしめた。
「そういえば、」
合同体育の授業も終盤。最後のグループであるA組男子が測定の準備を始めた時、思い出したように菜乃花が呟いた。
「昨日、剣淵くんに会えた?」
「うげ。なんであいつが出てくるの?」
伊達の姿を堪能しとろけた顔をしていた佳乃だったが、剣淵の名前が出てきたことで表情を一転させた。眉間にしわどころか顔をぐちゃぐちゃに歪ませて嫌悪感を丸出しにする。
逃げるように運動場へ視線を送れば、剣淵がスタートラインに立ったところだった。
やる気のない態度が伝わってくる大きなあくびをして、首をぐるぐると回している。そしてだるそうにしながらも身をかがめてクラウチングスタートの姿勢をとった。
「放課後に剣淵くんと会ってね、慌てていたから声をかけたの。そうしたら――」
運動場に集まっていた生徒たちがしん、と息を呑んで見守る。
A組の転校生は運動神経がいいと話題になっていたため注目が集まっている剣淵だったが、本人はさほど気にしていないようだ。先生の合図にあわせて腰を浮かせ、前傾姿勢となる。
そして。
「佳乃ちゃんを探している、って言っていたの」
菜乃花が言うと共に、笛の音がした。
弾かれるように剣淵が走り出す。
それは速く。まばたき一つしている間に、他の男子たちとの距離が開いた。ただ前だけを向いて駆け抜けていく。それはわずか数十秒だけの、運動場の支配者。
その姿勢も、速さも、昨日のことも。佳乃が思っていたものとは違っていたのだ。凪いでいた心に、風が吹きぬけていく。
呆然として視線は動かせず剣淵に向けたまま。駆け抜けていった菜乃花の言葉に聞き返す。
「探し物って、私……? ど、どうして……」
「理由は教えてくれなかったけど――直接、聞いてみたらどう?」
剣淵のことは嫌いだ。なのにどうして、佳乃に関わってくるのだろう。
出会ってから今日まで、佳乃の不幸に絡んでくる剣淵は嵐のようだと思った。
桜の花が風に流れてゆったり散るような春ではなく、猛スピードで駆け抜けていく嵐、突風。
「わー、剣淵くんすごいね。速いなあ、男子トップのタイムじゃない?」
菜乃花の感嘆も佳乃の耳には入らない。
笛の音が聞こえたから。
いや、聞こえていたのだ。それは何日も前から。
佳乃にしか聞こえない、ずっとずっと遠くの方で。嘘のように爽やかに響く笛の音、なにかがはじまる合図。
***
剣淵と佳乃の関係が変わることはなかった。なぜあの日佳乃を探していたのか理由を聞き出そうと思っても、話すタイミングがなかなか掴めない。授業中や休み時間にちらちらと様子を見てみるのだが、授業中は佳乃から顔を背けていることが多く、休み時間は机に突っ伏して寝ているか男子生徒とおしゃべりをしているか、だ。
悶々としている間に数日が経った。隣の席で近くにいるのに、一言も交わさないまま。
佳乃が嘘をついたからといえ、なぜキスをしたのか。放課後どうして佳乃を探していたのか。気になることはあっても、話しかける隙がないのだからどうしようもない。
唇の感触が頭から離れない。でも、いずれ風化していくのだろう。きっと忘れられる日がきて、ノーカウントになるはず。
これで終わりだ――と、信じかけた時だった。
「佳乃ちゃーん。ちょっときてくれる?」
放課後になり帰ろうと教室を出たところで、声をかけられた。振り返ればそれは派手なピンク色の長髪。まだ男運の悪さは終わっていなかったのだ。
「うわぁ。何の用事ですか、私忙しいのでこれで帰りますね」
「あはは。とって食べたりしないから逃げないでよ。ねえ、楽しいことがあるからちょっときてくれない?」
はっきりと断りたいところだが、怪しげに細めた浮島の瞳に嫌な予感がする。
この男は呪いのことを知っているのだ、下手な行動をとりたくない。渋々、佳乃は頷いた。
向かったのは、空き教室だった。前回浮島と話した場所である。
今度はなにをされるだろうか。憂鬱な気分になりながら扉を開いた瞬間、佳乃の目は丸くなった。
「え?」
「……チッ、めんどくせーやつがきた」
教室の中央。そこに座っていたのは、あの剣淵奏斗である。剣淵は佳乃を見るなり、舌打ちをして不機嫌そうに眉根をよせた。
どうして剣淵がここにいるのか。状況の理解が追い付かず振り返ると、背後に立っていた浮島がにたりと笑った。
「佳乃ちゃん、カワイイ。驚くとそういう顔するんだ。タヌキみたい」
「は……え、いや……どうして、あいつがここに……」
「二人じゃ寂しいからね。スペシャルゲストを呼びました。オレ調べによる愉快なメンバー、剣淵くんでーす。はい拍手!」
ぱちぱち、と乾いた音はするも、手を叩くのは浮島だけ。
拍手なんてできるか。間抜けなタヌキは、まだまだ続く修羅場と春の嵐に、ぽかりと口を開けて固まっていた。
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