第11話 意外な一面と縮む距離、それからお湯

 こんなはずではなかった。今頃は伊達とお店を回って、デートを満喫しているはずだったのに。

 見渡せば綺麗なお店ではなく可愛らしさは欠片もない、さっぱりとした部屋。それも男の部屋である。

 駅近くのワンルームマンション。狭い部屋にはベッドとデスク、それからガラスのテーブルと本棚のみ。男の部屋のイメージとして乱雑なものを想像していた佳乃だったが、現実は真逆で生活感がないほど物が少なく、こざっぱりとした状態である。

 家というから、広い家や剣淵の両親がいるのだと思っていたのだ。それがまさかのワンルームである。玄関でぽかんとしている佳乃に、家主が言った。


「勝手に俺ん家の物を触るんじゃねーぞ。あと変な勘違いもするな」

「触らないし変な勘違いもしません!」

「服が乾くまでだからな――とりあえず、これに着替えろ」


 そう言って渡してきたのは、タオルと男物のTシャツ、ショートパンツだった。

渡されたのはいいものの、ここで着替えるのは恥ずかしい。戸惑っている佳乃を見るなり剣淵が扉を指で示す。


 おずおずと扉を開けてみれば、こじんまりとしたユニットバスルームになっていた。どうやらここで着替えろということだろう。

 雨を含んで重たくなった服を脱ぎ、濡れた体をタオルで拭く。温かい家の中に入れば、自分の身体がどれだけ冷えていたのかとよくわかる。鏡を見れば、朝から頑張ったメイクも髪もぐちゃぐちゃに崩れていた。


「……借りちゃって、いいのかなぁ」


 綺麗に畳まれたシャツは佳乃の体には大きすぎるサイズだった。ショートパンツだって剣淵なら丁度いいのだろうが、佳乃ではショートどころではない。おさがりを着た小学生のような仕上がりだ。


「あいつ……私より大きいんだな」


 実際に着てみればその差に驚く。男と女の体がどれほど違うのかと見せつけられているようだ。こんなにも体のサイズが違うのだから、押さえつけられても追いつめられても逃げ出せないわけだ。


 ふと、剣淵に迫られた時を思い出して顔が熱くなる。この大きな服を身に着けていた男と距離がゼロになるまで近づいてしまったのだ。

 いつかの放課後に覚えた爽やかなシトラス系の香りが漂う。それがたったいま着ている服から香るのだと思えば、恥ずかしさにおかしくなってしまいそうで、熱に浮かされそうな頭を振って気を紛らわせた。



「これ、貸してくれてありがとう」

「別に。濡れた服は洗濯機に入れておけ。乾くのにそこまで時間かからねぇと思う」


 バスルームを出ると、剣淵はキッチンコンロの前にいた。キッチンには炊飯器や鍋といった調理器具が並んでいるが種類は少ない。これまた部屋と同じように綺麗に整理整頓されている。

 佳乃が知らないだけで、剣淵はマメな男なのだろうか。首を傾げながら観察していると、剣淵がマグカップを二つ持ってきた。


「飲め」


 疲れているからだろうか、剣淵が優しい気がしてしまって、佳乃は少し緊張しながら床に座り込んだ。ソファや椅子もなく、クッションや絨毯もないむき出しのフローリングからひやりとした冷たさを感じる。


 対面に座った剣淵は首からタオルをさげていた。佳乃が着替えている間に濡れた髪を拭いていたのだろう。

 まだかすかに水分を含んで重たい髪型や眼鏡をかけていたりと普段と違う姿にどぎまぎしながら、逃げるようにテーブルへ視線をやった。


 部屋の中央にあるガラステーブルには剣淵が持ってきたマグカップが二つ置かれていた。湯気がのぼっていることから温かいことはわかるのだが、覗き込めば色はなくカップの底まで見えるほど透明である。


「これ、なに?」


 コーヒーや紅茶といった香りが漂うこともない。飲み物の香りは一切ないのだ。その正体がわからずにいる佳乃に対し、剣淵はさも当たり前のように答えた。


「お湯」

「……は?」


 マグカップに入れてきたのだから期待してしまったのだが、まさか来客にお湯を出すやつがいるとは。

 驚きにぽかりと口を開いている佳乃の前で、剣淵はコップに口をつける。ごくり、と一つ喉が鳴って、お湯を飲んだのだろうとわかった。


「来客に出す飲み物がただのお湯……」

「うるせーな。この家にんなもんねぇんだよ。あるのは肉と卵だけだ。わがまま言わず飲んで、温まれ」


 剣淵が不機嫌そうに顔をしかめたので、仕方なく佳乃も一口飲んでみる。飲んでみれば、実は味がついていたり美味しかったりするのだろうかと思ったが、やはりただの水である。味はまったくない。


 だが確かに体は温まるのかもしれない。少し熱く、その温度を口に含めば全身にしみわたっていく。


「剣淵は一人暮らしなの?」


 少し緊張がほぐれて、佳乃は剣淵に聞いた。二人してこの狭い部屋で無言というのもつまらないと思ったのだ。

 普段ならばそっけなさそうにしている剣淵も今日は大人しかった。むすっとした表情はしているが、素直に答える。


「まあな。理由わけあって、いまは一人だ」

「理由?」

「……お前には関係ねーよ」


 突き放す言い方をされてしまい、佳乃は口を閉ざした。プライベートのことを教えるつもりはないのだろう。



 剣淵の家はテレビなどの音が出るものはなく、無言が重たく感じる。聞こえてくる洗濯乾燥機の音が支配し、居心地が悪い。気まずさを感じていると、同じく気まずいと思ったのだろう剣淵が言った。


「……悪かったな。せっかくのデートをぶち壊して」

「ううん、いいの。剣淵の言う通り、あのまま待っててもどこかへ行ける状態じゃなかったから」

「伊達には連絡したのか?」

「帰るね、って連絡したけど……まだ既読がついていないから、連絡の取れない状況になっているのかも」


 そこまで話すと剣淵は「そうか」と答えて俯き、首に巻いたタオルで顔を拭った。


「きっと何かあったんだと思う。私に連絡もできないような、ちょっと大変なこととか」

「……そう、だな」

「だから今日はもういいの。きっとまた伊達くんとデートできるチャンスはあるはず」


 デートが叶わなかったことは残念だが、待ち合わせに来なかった伊達に怒りや悲しみといった感情はなかった。こんなことをするはずの人ではないのだ、だから何かあったに違いないと伊達の身を案じている。


 もしも剣淵に会っていなかったのなら、佳乃は駅前で待ち続けていただろう。外はまだ雨が降っている、それでも伊達がくると信じ続けていたはずだ。


「剣淵、ありがと」


 口にするのはためらいがあったが、しかし素直な気持ちである。剣淵と会ってようやく自分の状況を知ることができたのだ。家に招き温かい飲み物や服まで貸してくれたのである。いくら剣淵のことが嫌いといえど、この優しさにちゃんとお礼を伝えたいと思った。


 佳乃が言うと、剣淵は俯いていた顔をあげた。

 そしてしばらく佳乃を見た後、そっけなく視線を背けて「おう」と小さな声で答えた。


「あと……ちょっと不思議なやり方だったけど、伊達くんの誤解も解いてくれてありがとう」

「そもそもあいつが誤解していたのかどうかすらわからねーけどな。でもあんなことは二度とやりたくねぇ」

「そうだろうねぇ。あれは前歯痛そうだった」


 浮島作戦を思い出して、佳乃が笑う。


「浮島さんに『剣淵くん前歯欠けてるよ』とか『剣淵くんの必殺前歯』と、からかわれてな……最悪だ」

「ああ……浮島先輩、人をからかうの好きだもんね……」

「でもこれで解決だろ。誤解は解いた、お前はデートできそうなところまで距離を縮めた。それで終わりだ」


 これで終わりだと宣言する剣淵に、なぜか寂しさを感じてしまう。それは、春から始まった慌ただしく嵐のような日々に慣れてしまったからかもしれない。自身の心に湧き上がる謎の感情に戸惑いながらも佳乃は頷いた。


「まあ、もうすぐ乾燥終わると思うから好きにしてろ。服が乾いたらさっさと帰れよ」

「うん、ありがと」


 そう言うと剣淵は立ち上がった。そしてベッド横にある机に向かってしまう。どうやら勉強していたらしく机の上には教科書とノートが広がっていた。


 剣淵が運動神経いいのは知っていたのだが、学力の方はというとまったくわからない。しかし外見や普段の生活からイメージをすれば、申し訳ないが勉強方面はよろしくなさそうに思えてしまう。


「……えっ。剣淵、勉強なんてするの?」


 眼鏡の位置を直し、いざ勉強に戻ろうとした剣淵を、佳乃が引き止めた。剣淵が勉強するなんて、と小ばかにしているのがわかって、剣淵は振り返る。


「うるせーな。やんなきゃいけねーんだよ」

「え……なんか宿題出てたっけ? 急ぎの課題とかあった?」

「出てねーよ。これは予習だ、バカ」

「うわ……嘘でしょ……」

「お前、俺のことなんだと思ってんだ。俺だって勉強ぐらいする」


 予習なんてするタイプではなさそうなのに。ショックを受けている佳乃を見て剣淵はため息をつき「いいから大人しくしてろ」と呟いて、再び机に向かった。



 服が乾くまで待っていろと言われても暇である。手持無沙汰となって部屋を見渡すと、本棚が目に入った。


「……ねえ、本棚見てもいい?」

「あ? 好きにしろ」


 本の向きまできっちりと整えられて、本や雑誌がぎっちりと詰まっていた。辞書、参考書、それからスポーツ誌。

 これが高校生男子の本棚かと思いながら見ていったのだが、次第に様子が変わっていく。


「『実録UFO』『月刊オカルトマニア 未知生物との交信』『謎の光 某事件から紐解く宇宙人の存在』……」


 どれも佳乃の予想を超えるものだった。中には毎月買っているらしく、何十冊も同じタイトルの雑誌が並んでいる。これらの本に共通しているのは、UFOやオカルトといったちょっと不思議なものだ。


「……剣淵って、こういうの好きなんだ。ちょっと意外かも」

「悪かったな。なんつーか、そういうUFOとか未確認生命体とか調べたくなるんだ。学校の奴らには話してないから内緒にしてろよ」

「わかったけど……それで、宇宙人は存在するって信じてるの?」


 茶化すように佳乃が聞くと、剣淵は振り返った。


「信じてる」


 あらゆるものを射抜いてしまいそうな剣淵のまなざしは、佳乃が持つオカルト雑誌に向けられていた。子供のようにきらきらと輝いて、楽しそうでもある。


 佳乃からすれば、未確認生命体とか宇宙人とか。そういった言葉は剣淵にこそ似合うと思うのだ。なにを考えているのかわからないくせに、佳乃が修羅場に追い込まれれば関わってくる。さらに外見と異なる、まめで真面目な性格も。佳乃の常識を超えた謎の男である。


 そんなUFOを信じる謎の男は、雨足弱まる外を見る。雨もあがりかけで先ほどより明るくなったが、それでもどんより重たいダークグレーの空を睨みつけて呟いた。


「だからいつか……俺が見つける」


 その横顔を見上げながら、佳乃は剣淵に対する意識を変えようと思った。嫌いなやつだとばかり思っていたのに、深く入り込んでしまえば周りの色が変わってくる。

 雨に打たれてずぶ濡れのクラスメイトを助ける勇気があって、家に招く優しさがある。それから自分の好きなものを語る時のまっすぐさ。悪いやつではないのかもしれない。


 雨があがると同時に洗濯機から乾燥終了のブザー音が鳴った。


 こうして日曜日は終わるのである。波乱が通り過ぎて冷えた体が温まった頃、佳乃の心には晴れやかな空色に変わっていた。

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