第4話 タヌキに拒否権なし

 呪いが原因だとはわかっているのだが、剣淵がこなければ伊達とキスをすることができたのだ。そして、佳乃のことが嫌いだと言う。じゃあなんでキスをしたのかと泣きたくなってくる。剣淵への恨みがふつふつと募っていく。


 剣淵奏斗は最低な男だ。ぶっきらぼうで何を考えているのかわからず、いつも不機嫌で怒っている。あと乱暴なところがあって、かばんを置いたり教科書を出したりする、わずかな動作でも大げさな音を立てる。

 乱暴で、最低で、最悪な男――しかし、そう思っているのは佳乃だけだった。


「ねえ、A組の転校生、見た?」

「見た見た。かっこいいよね」


 剣淵が転校してきた翌日。A組の転校生がなかなかのイケメンだとうわさが広まり、休み時間になれば他クラス生徒による剣淵観光ツアーが開催されていた。同じクラスの女子たちも剣淵の席に集まり話しかけているため、隣の席である佳乃は落ち着かない休み時間を過ごしていた。


「剣淵くん、クールでワイルド、って感じがする!」

「あんまり女子と喋ってないよね、苦手なのかな」


 きゃあきゃあと色めいた声が聞こえるたび反論したくなるのだが、それを佳乃が叫んでしまえば二人の関係が怪しいと思われてしまう。つまり黙るしかないのだ。


 言いたい気持ちと、騒がしさに落ち着かないのと。様々な感情が混ざり合ってドロドロした苛立ちになっていく。どこにも発散できないおかげで、苛立ちは話題の中心にいる剣淵に矛先が向き、女子たちが騒ぐたびに佳乃は剣淵をきつく睨みつけた。



 苛立ちの時間は昼休みになっても続いていた。


「三笠さんってさ、剣淵くんと知り合いなの?」


 菜乃花と一緒にお弁当を食べていると、普段あまり話さない女子生徒が佳乃の席へやってきて聞いたのだ。


「転校してきた時に二人喋っていたから。それでね、知り合いだったら剣淵くんの連絡先とか紹介とかしてほしいんだけど……」


 特に仲良くもない癖に頼んでくるとは随分と図太い神経をお持ちだ。佳乃は心の中で毒づきながら女子生徒を見る。昨日の剣淵登場ですっかり恋愛モードに染められたのか、いつもよりメイクが濃い気がした。


「顔見知りなだけ。別に仲良くないからあいつの連絡先も知らないの、ごめんね」


 『正直者のタヌキ』が言うのだ、そのあだ名を知っている女子生徒は疑うことなく「そうなんだ」とあっさり答えて去っていった。剣淵の連絡先も知らない程度の仲なら利用できないと判断したのだろう。


 去っていく女子生徒の背を目で追いながら、中断していた昼食を再開する。

 弁当箱で黄色鮮やかな卵焼きには申し訳ないが、うんざりした気持ちをぶつけるように箸で切り分ける。小さくなった端切れを食べようとした時、菜乃花が感嘆まじりに呟いた。


「これで三人目……剣淵くんすごいね、大人気」

「ありえない。みんな視力検査した方がいいんじゃない?」


 転校初日のやりとりのおかげで、剣淵だけでなく佳乃まで盛況である。こうしてお昼を食べていても女子生徒が次々にやってきて剣淵の情報を引き出そうとしてくるのだ。正直言って迷惑だ、と佳乃は眉間にしわを寄せた。


「佳乃ちゃんは出会いが最悪だったから仕方ないよ」

「あの出会いじゃなくても好みじゃないよ。乱暴な人は嫌い」

「佳乃ちゃん、声大きいよ。剣淵くんに聞こえちゃう」


 佳乃の隣はというと剣淵の席である。クラスの男子たちと共に食べるため、佳乃とは反対方向に机を動かし、こちらの様子はまったく気にしていないようだった。


「別にいいよ、聞かれても。私あいつのこと嫌いだから」


 ふてくされた佳乃はさらに声量をあげて答える。きっと剣淵にも聞こえていることだろう。


 佳乃は剣淵のことが嫌いだが、それは剣淵も同じはずだ。昨日から今日まで挨拶することもなければ、佳乃を見ることもしない。気になって視線をやれば、剣淵はいつも顔を背けていた。そんな態度をとっているのだから、剣淵も佳乃のことを嫌っているのだろう。


 それでも構わないけど。心の中で呟いて、口に放り込んだ卵焼きと一緒に噛みくだく。


「なあ剣淵。部活入らねーの?」


 別に聞き耳を立てていたわけではないのだが、男子生徒の一人が剣淵に話しかけるのが耳に入ってしまった。どうやら剣淵は初日からクラスの男子と打ち解けたらしい。彼の周りには何人もの男子生徒がいる。

 部活に関して聞かれ、剣淵が答えた。その声音は自己紹介の時よりも綻んでいた。


「めんどくせーからパス。縛られるの嫌いなんだよ」

「もったいないな、あれだけ足速いのに。陸上部のやつ驚いてたぞ」

「いやいやサッカー部だろ。剣淵ならスタメン入れるって」


 聞こえてくる音だけで、剣淵が楽しそうにしているのだとわかる。それが佳乃の心を波立たせた。


 目も合わせてくれないのだから剣淵がどんな風に笑っているのかわからないのだ。佳乃と話した時はいつだって機嫌が悪かった。なのにいまは、水を得た魚のように生き生きとしている。


 昼食がまずい。剣淵のせいで食事にまで影響が出ている。腹立たしくて唇を尖らせる佳乃を見て、菜乃花が笑った。


「佳乃ちゃん、ひどい顔しているよ」

「剣淵のせいで飯がマズい。ムカつく」

「もうすぐ慣れるよ。女の子たちが騒ぐのももうすぐ落ち着くだろうし……それよりも私は佳乃ちゃんが心配かな」

「私が?」


 菜乃花は頷いた。


「最近の佳乃ちゃん、いいことがないでしょう? そういう時こそ慎重に行動しないと、また呪いが発動しちゃうかも」

「確かにいいことないね……特に男運が最悪」


 佳乃の表情は暗く、長年の親友である菜乃花は不安になったのだろう。急に真剣な顔つきになり「男子といえば、」と言い出した。


「三年生の先輩に、少し有名な人がいるの。昨日も二年の女子を泣かせたって話よ」

「そんな話があったんだ、知らなかった」

「朝からうわさになっていたのに知らなかったのね……佳乃ちゃん、伊達くん以外にも目を向けないとダメよ?」

「返す言葉もないです――それで、どんな話なの?」


 佳乃が聞くと、菜乃花はひそひそと小声で話す。


「それがね。女の子が好きで、いつも遊んでいるらしいの。夜遅くまで街にいるとか、不良グループだなんて噂もある人なのよ」

「こ、怖い……名前は?」

「三年生の――」


 そこまで言いかけたところで教室の扉が開き、女子たちの歓声があがった。菜乃花は話を止めると扉を開けた人物を確認し、にたりと笑みを浮かべて佳乃に言った。


「佳乃ちゃんの王子様が来たよ」


 つかつかと教室に入ってきたのは伊達だった。

 他クラスの生徒である伊達がやってきたということは何か用事があるのだろう。誰かを探しているらしく伊達は教室を見渡し――佳乃と目が合った。

 目が合っただけで鼓動が逸っていくというのに、伊達はこちらに近寄ってくるのだ。昼食の和やかな空気は一瞬で張り詰め、佳乃の頬が緊張で赤く染まる。


 まさか、佳乃を探しにきたのだろうか。期待に胸弾ませるもむなしく、伊達が声をかけたのは佳乃ではなく菜乃花だった。


「北郷さん。先日提出してもらった図書委員の計画書を修正してほしいんだ。放課後時間ある?」

「放課後……ですか?」

「うん。急ぎだからできれば今日がいいんだけど、大丈夫かな?」


 菜乃花は図書委員に所属している。菜乃花は嫌々引き受けただけだと話していたが、部活動も委員会も所属していない佳乃にとって、図書委員や生徒会に所属して忙しなく働く二人が少し羨ましい。


「放課後は……」


 菜乃花がちらりと佳乃を見た。一緒に帰ろうと思っていたのだろう、その視線から察したらしい伊達が、佳乃に向き直った。


「三笠さん、ごめんね。君のお友達を少し借りるよ」

「ど、どうぞ!」


 ここで佳乃に声をかけられるとは思っていなかったのだ。裏返り気味な声で答えると、伊達はにっこり微笑んで「ありがとう」と言った。


 連日のことがあっただけに、嫌われていたらどうしようと思っていたのだが、伊達の態度はいままでと変わらず優しくて、不安が解けていく。

 剣淵のことなんてどうでもいい。今日は伊達と話せたのだからハッピーな日だ。正直者タヌキの頬は緩み、剣淵への苛立ちも晴れていった。


***


 放課後に入り、帰り支度をして教室を後にする。菜乃花のいない一人の帰宅に寂しさを抱きつつ廊下に出た時、背後から声をかけられた。


「みーつけた」


 佳乃ではない生徒に向けたものだとしては、はっきりと聞こえる。その声量から佳乃に声をかけたのだろうか、と振り返った。


 そこにいたのは会ったことのない男子生徒だった。ネクタイの色から判断するに三年生だろう。


 名前わからぬこの男にあだ名をつけるとするならば、歩く校則違反である。派手というレベルを超えたピンク色に染まった髪。長い髪は耳にかきあげられ、その耳にごつごつとしたピアスがいくつも装着されている。明るすぎる髪やピアスは校則違反のはずだ。

 違反してもあまり怒られない学校とはいえ、これはひどすぎるのではないか。佳乃は唖然として、彼を見上げた。


「三笠佳乃ちゃんだよね? はじめまして」

「だ、誰ですか?」


 佳乃はこの男と会ったことがない。男の発言からも二人が初対面であることに間違いないのだが、なぜ佳乃の名前を知っているのだろう。怪しい校則違反男をじろりと睨みつけると、男はニコニコと笑った。


「オレは三年の浮島うきしま 紫音しおん。紫音先輩って気軽に呼んでね、佳・乃・ち・ゃ・ん」


 浮島はそう言うと、佳乃の肩を掴んで引き寄せた。急なことに理解が追いつかず、されるがままに佳乃の体は浮島の胸元にぶつかる。


 初対面の上にこの近距離ときたものだ。佳乃の頭は真っ白になっていたのだが、二人のやりとりを目撃した女子生徒たちの声で意識が戻っていく。

 そうだった、ここは廊下だ。最悪なことに生徒が最も多く廊下に出てくる下校時間なのだ。通りすがる生徒たちが佳乃たちを見ている。変な噂を立てられては困ると、佳乃は浮島から離れようと試みた。


「離してください!」

「キミに話したいことがあるんだ、一緒にきてくれる?」

「嫌です!」


 手をぶんぶんと振り回しながら拒否をする。話したいことがあるのなら普通に話せばいいのに、どうしてこんな抱き寄せられなきゃいけないのか。他の生徒に見られているのだと思えば羞恥心が生じるが、どれほど抵抗をしても浮島には届いていないようだった。


「ナンパ拒否なんて佳乃ちゃんキビシー。オレ、傷ついちゃった」


 悲しげな声ではあるが浮島の表情は変わらない。佳乃に断られても抵抗されても、その反応を楽しんでいるかのようだった。


 その余裕はどこから来るのだろうと疑問に思った佳乃の耳元に、浮島が顔を寄せる。

 耳に息がかかり、佳乃が身をこわばらせた瞬間。疑問の答え合わせをするかのように浮島が囁いた。


「言うこと聞かないと、秘密をバラしちゃうよ」


 廊下の喧騒が一瞬にしてどこかへ消え去った。居場所が変わったのではなく、佳乃の感覚がマヒしているのだ。浮島の囁きが佳乃の思考を奪って、感覚を鈍らせている。


 秘密。その言葉に思い当たるものがありすぎる佳乃なのだ。浮島は佳乃の何を知ってしまったのだろう。キスのこと、それとも壁ドンか。最悪な想像が頭をぐるぐると巡る。血の気が引いて、めまいがしそうだ。


 ぴたりと硬直し黙り込んだ佳乃を見て、浮島は口元をにたりと緩ませた。そしてもう一度、囁く。


「来ないなら……ここで嘘をつかせてもいいよ。みんなの前で呪・い・のキスでもしてみる?」


 キスのことや壁ドンどころではない。浮島に知られてしまったのは、最悪な呪いのこと。


「なんでそれを……」

「知りたい? ここでお話してもいいけど、もしかしたらキミが嘘をつきたくなるかもしれないよ? オレは構わないよ。人がたっくさんいる放課後の廊下で、みんなに見られながらキスをするんだ。あはは、たーのしい」

「や、やめてください!」

「じゃあ一緒にきてよ。二人きりで話そうよ、佳乃ちゃん」


 ここでようやく佳乃は知った。

 校則違反の塊な浮島は悪魔であり、拒否権なんて与えられていない。嫌でもこの男についていくしかないのだ。


***


 二年の三笠佳乃が、浮島先輩に呼び出された。

 そのやりとりを目撃してしまった生徒たちは、二人の姿が廊下から消えてもざわざわと騒いでいた。


 浮島紫音は有名な生徒である。艶のあるルックスに夜遊び、女好きと悪い噂が多く、女子生徒二人と同時に付き合っただの、担任の女教師とデートをしていただのと言われているが真相は誰にもわからない。

 ただその派手なルックスが目を引いた。校則なんてどこへ消えたのか、先生たちもお手上げの問題児である。


 そんな浮島が平凡なタヌキ顔の女子生徒を呼び出し、二人きりで話がしたいとどこかへ行ってしまったのだ。このニュースは生徒たちを驚かせた。


「紫音先輩の隣にいたのって、A組の三笠さん……だよね」

「うっそー。なんで三笠さんが? 北郷さんならわかるけど、三笠さんはちょっとショックかも」

「昨日、B組の子がフラれたらしいけど、三笠さんが新しいカノジョなのかな」


 ひそひそと話すのは女子生徒たちだけではない。

 これから部活に行こうとしていた男子生徒たちも、二人のやりとりを見ていたのだ。


「すげーな、浮島先輩。彼女をとっかえひっかえじゃん、モテる男はいいよなー」

「でもタヌキの三笠だろ? すぐに捨てられるって」


 そうだな、と男子たちが笑う。


 だが、佳乃と浮島が降りていった階段を睨みつける男がいた。彼だけは不愉快そうに眉をひそめている。


「剣淵、行こうぜ。今日の練習で気に入ったら、サッカー部に入ってくれよ」


 ぽん、と肩を叩かれてその男は我に返る。それでも、もやもやとしたものが残っていた。

 困ったようにため息を吐いて、かばんを肩に引っ掛けなおす。


「……チッ、めんどくせぇな」

「そんなこと言わずに! 頼むよー!」


 そして波乱の放課後三日目が始まった。

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