第5話 タヌキの妄想力は豊かである

 呪われタヌキに拒否権はない。脅された佳乃は黙って浮島についていく。


 話ができるところとして浮島が選んだのは空き教室。昨日佳乃と菜乃花が使った場所だった。

 教室に入ったところで浮島が扉を閉め、教室中央の机に腰かけた。

 対する佳乃はというと、浮島への警戒心をむき出しにして距離を開け、壁際で立ち止まった。いつでも逃げ出せるようかばんは肩にかけたままだ。


「さて、と。可愛い後輩ちゃんと二人きりなんて楽しいね」

「……早く本題に入ってください」

「やだー、佳乃ちゃんったらコワーイ。可愛い顔が台無し」


 ケタケタと明るく笑う浮島だがそれは表向きだけ。佳乃が取る行動や仕草、些細なものまで見抜いてやるとばかりに細い瞳の奥が鋭い光を湛えている。

 二人を包み込む緊張感。それを揺らしたのは、質問者である浮島が投げた言葉のボール。球種はもちろんストレートで。


「ねえ、嘘をついたらキスされちゃう呪いって、ホント?」


 平静を装いつつ頭をフル回転させて、佳乃は考える。ごまかしてしまえば嘘とみなされて呪いが発動してしまうのだ。できることなら口を閉ざしてこの場をやりすごしたいが、相手は初対面なのに抱き寄せてきた浮島だ。黙っていれば何をされるかわからない。ゆっくり、確かめるように言葉を選ぶ。


「……先輩は、どう思いますか?」

「あれれ。質問に質問で返してきたってことはホントなのかな? まあいいや――オレさ、昨日いいもの撮っちゃったんだよね」


 そう言うと、浮島はスマートフォンを取り出して動画を再生し、佳乃に向けて掲げた。


 浮島と佳乃の間は距離があったが、教室に充満する緊張がそれを感じさせない。すぐ近くで見ているかのように、音が聞こえてくる。


『こんな呪い、欲しくなかった! 普通の女子高生がよかった!』


 間違いなく佳乃の叫びである。自分の声だとわかった瞬間、佳乃の背筋を冷や汗が流れ落ちていった。

 この後、なにをしゃべっただろうか。必死に思い返そうとする佳乃よりも先にスマートフォンから叫び声がした。


『嘘をつくたびにキスされる呪いなんて、勘弁してよ!』


 扉の隙間から撮ったのだろう荒い映像の中に、長い金髪の女子生徒と黒髪の女子生徒が映っている。菜乃花と佳乃だ。


 佳乃は自分の愚かさを恨んだ。なぜ呪いのことを叫んでしまったのだろう。そう後悔しても時間が戻ることはなく、呪いの証拠は浮島に握りしめられたまま。


「……盗撮したんですね、最低」

「そんなつもりはなかったんだよ。可愛い女の子たちが集まって秘密のおしゃべりをしていたから、うっかり録画ボタン押しちゃっただけ」


 軽い口調で茶化しながら浮島は観察を続けている。佳乃の動揺、額に浮かぶ汗といった細部の変化まで逃すまいとしているのだ。

 佳乃を追い込んだと確信しているらしい浮島は、にたりと怪しげに口元を緩めて最初と同じ質問を投げた。


「それで、この話ってホントなの?」

「そ、それは――」


 口ごもりながら、どう答えたらいいのかと考える。できれば呪いのことを知られたくない。キスをされてしまう呪いなんて悪用されたらどうなることか。菜乃花のように信頼できる人ならともかく相手は浮島。初対面での行動や校則違反な容姿、盗撮までする男だ。信頼度はゼロどころかマイナスである。


 だがごまかしてしまえば、それは嘘となり、佳乃はキスされてしまう。相手が浮島になるのか他のものになるのかはわからないが、青春真っただ中絶賛片思い中の女子高生にとって唇は尊いものである。キスの安売りは避けたいところだ。


 秘密を守るか、唇を守るか。

 佳乃は二択に迫られた。


 ぴったりと閉まった扉により閉塞された教室と、返答を待って黙り込む浮島の視線に急かされる。まるで崖っぷちに立たされている気分だ。息苦しさを覚えるほど焦り、佳乃が選んだのは――


「……本当です」


 秘密と唇を天秤にかけた時、勝ったのは唇を守りたいという女子らしいプライドだった。開き直って認めてしまえば、苦しさが和らぐ。だが秘密を明かしてしまった敗北感もあった。


 その返答に、浮島は目を丸くして佳乃を見た後、声をあげて笑い出した。


「あはは! サイコー! バカみたいな話だと思ったけど、その顔を見ていたら、信じたくなっちゃった」


 手で顔を覆いながらも、肩が小刻みに震えている。浮島にとってそれほど面白い話だったのだろう。

 しばし笑うと浮島は立ち上がり、佳乃に向かって歩き出した。


 呪いを知って距離を縮めようとしているのだ。後ずさりをする佳乃だったが、不運にも壁際に立っていたため逃げ道はなかった。


「こ、来ないで!」


 かばんを強く抱きしめて叫ぶが、浮島は止まらない。


「へえ? 秘密を知ったオレに、命令していいんだ?」

「……っ!」


 言い返すことはできず、じりじりと距離が縮まる。

 そして靴の先がぶつかるほど近くまで迫ると、浮島は佳乃の肩に手を伸ばした。廊下の時とは違う優しい手つきに、背筋が震える。


「ねえ、試してみよう? オレのために、嘘をついてよ」


 囁かれたのは耳からじわじわと侵食しそうな甘い温度を持つ言葉だった。こんな時だというのにくすぐったくなってしまって、身動き一つとれなくなる。


「それとも。佳乃ちゃんが嘘をつきたくなるようにしてみる?」


 重だるい空気に呑まれそうで――恐怖して強く目を瞑った。



 覚悟を決めた佳乃だったが、襲い掛かってきたのは予想外のものだった。


「ていっ!」


 ぴし、と額に衝撃。その痛みに驚いて瞼を開けば、浮島の指先が視界に入った。


「痛っ……なにするんですか!?」

「ただのデコピン。面白い顔してたから、いじめたくなっちゃった」


 飲み込まれそうだった甘い空気は消えていた。それどころか、浮島が腹を抱えて笑うコメディ劇場と化している。


 遊ばれたのだ。迫られた時の佳乃の反応を楽しんでいたのだろう。それに気づいた瞬間、羞恥心がこみあげて顔が熱くなった。触れてしまうほど近くにこの男を許してしまったことが悔しい。


「か、帰ります!」


 緊張感が緩んだこの隙にと佳乃は浮島に背を向ける。


「いいよ。今日はもう許してあげる」


 浮島は引き止めなかった。だが教室を出ていく佳乃の背に、呪いのような不運の言葉を送りつける。


「また会おうね、佳乃ちゃん」


***


 唇を守ることはできたが、秘密は知られてしまった。佳乃の気持ちはひどく沈んで、憂鬱だった。

 廊下に出て振り返り、浮島の気配がないことを確かめてから安堵の息をつく。緊張し続けていたからか体がひどく疲れていた。


 早く帰ろう、と生徒玄関に向かった時だった。上階から慌ただしい足音が聞こえる。そしてすぐに足音の主が下りてくる。気になって階段の方を向いていた佳乃はその人物と目を合わせてしまった。


「……っ! おい!」


 現れたのは剣淵奏斗だった。剣淵は佳乃の姿を見るなり、荒い口調で言う。


「お前、ここで何してんだ」

「はあ? 何してる……って、これから帰るところだけど」


 浮島の次は剣淵か、と泣きたい気持ちだった。しかも剣淵は、顔を合わせた途端に『ここで何してる』なんて不思議なことを聞いてくるときたものだ。首を傾げながら、佳乃は自分の男運の無さを恨んだ。


「って、あんたこそ、どうして走り回ってたの?」


 剣淵は険しい表情をほんのわずか緩めて壁にもたれかかった。額は汗だくで、呼吸も荒い。


 随分と長い間、校内を走り回っていたのだろうか。剣淵が校内マラソンをする奇妙な想像をしてしまい、吹き出して笑ってしまいそうだった。だが、嫌いな剣淵の前で笑顔は見せたくないと謎のプライドが勝り、佳乃は普段通りを装った。


「忘れ物を探してただけだ」


 佳乃の脳内で行われている剣淵校内マラソンが二周目に入ってようやく、剣淵が答えた。


「見つかったの?」

「お前には関係ねーよ」


 会話が続くかと思えば、早々に打ち切ってくる。やはり剣淵はよくわからない嫌な男である。それでなくても浮島の件で疲れているのだ。気持ちが沈んでいるいま、嫌いなやつにかかわる余裕はなかった。


「じゃ、帰るから」


 そう言って、剣淵の反応を待たずに背を向ける。


 ところで剣淵の忘れ物とは何だったのか、歩き出した佳乃の頭に疑問が残っていた。どうしても気になって、少し離れたところで、そっと振り返る。

 壁にもたれかかっていたはずの剣淵は歩き出していた。先ほどまで慌て走っていたというのに、遠ざかっていく背はのんびりとした足取りだ。


「……見つかったのかな、忘れ物」


 生じた違和感に、佳乃は首を傾げた。

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