第15話 恋愛物にありがちな密室事件、発生!
「な、なんでそんなことしたんですかあああ……」
真偽を確かめるため扉を開けようと試みたが、ガチャガチャと引っかかる音がするだけで扉は開かない。怒りを浮島にぶつけてみるも、佳乃の叫びは虚しく暗闇に溶けていくだけ。
「なんで、ってこの方が面白いじゃん」
「面白くないです。いますぐ救助を求めましょう。そうだ、スマホ――」
剣淵もしくは伊達に連絡すべくポケットを探るのだが、不運にもスマートフォンは入っていない。肝試しの時に必要ないからとかばんに入れてきたままだった。
隣に立つ浮島を見上げてみるが、浮島はニコニコと微笑むだけ。そういえば肝試しがはじまってからスマートフォンをいじっている姿を見ていない。浮島も置いてきたのだろう。
「さ、最悪……」
「まあまあ。とりあえず誰かくるまで落ち着いて待っていようよ」
閉じ込めた張本人は呑気にそう言って、教室の中央へ歩いていく。目当てだった体育祭用品や看板を覗き込んだりと密室を満喫しているようだ。
浮島紫音は問題児だ。隙をついて悪い方向へ事を運ぼうとする。そんな男と二人きり、それも密室なのだ。佳乃は警戒心を露わにして、教室の端に身を寄せた。
道案内しにいった剣淵が戻れば、佳乃と浮島がいないことに気づくだろう。そうすればこの危険な密室から脱出できるのだが。できることなら、早い方がいい。この肝試しが終わったら演劇がはじまってしまう。伊達の演じる姿を見たくてこの合宿を手伝っているというのに、その目的すら叶わなかったら何のために休日を捧げたことになるのか。
壁を背にして膝を抱えて座りこむ。浮島と違い、陽気な気分はなれなかった。
「あれれ、ヒマそうだね?」
そんな佳乃の様子を見て、体育祭用品の見学は終わったらしい浮島が近寄る。
「こ、こないでください」
「なにそれ。警戒しすぎじゃない? オレ、傷ついちゃう」
「傷つくもなにも! この状況を作ったのは浮島先輩です!」
苛立った声に、浮島は「そうだねぇ」と意味深なつぶやきをして、口元を緩めた。そして佳乃の前に立ち、身をかがめて顔を寄せる。
「じゃあこの状況を生かそうか。ねえ、オレと遊ぼうよ」
弾むような声音が一転、怪しげに低まったものになる。
その雰囲気にのまれて佳乃は身を強張らせた。
「遊ぶって……なにを……」
「やだなぁ。それぐらい知ってるでしょ。密室に男女が閉じ込められたら、することは一つじゃん」
手が、伸びる。
浮島がなにを求めているのかわからずに怯えていた佳乃だったが、その指先が首に触れてようやく佳乃は『遊ぶ』という言葉の意味を理解する。
首筋を撫でる他人の感触。それはひやりと冷たく、心の底まで震えあがってしまいそうな恐怖を含んだものだった。
「や、やめて!」
怖がって引っ込んでしまいそうな勇気を無理やり引っ張りだして、叫ぶ。だが浮島は苦笑するだけで止めようとしない。
「そんなこと言われたの初めてだよ。大体のオンナノコは喜ぶんだけど」
さらに距離を縮めようと迫る浮島を両手で押しのけようとしたが、男女の体格さには敵わず、むなしい抵抗となるばかり。吐息の温度までわかるほど、徐々に体が近づいていく。
「はい、大人しくしてね」
浮島を遠ざけようと抵抗していた両手は掴まれ、いよいよ佳乃の逃げ場はなくなった。
浮島紫音は、女好きだと言われている。女子生徒なら誰でも構わず遊び、飽きたら捨てる。二年の女子生徒が急に別れを告げられて泣いて帰ったという話もあった。佳乃や剣淵への態度も近いものがある。本心で向き合うのではなくうわべだけ。それは子供がおもちゃで遊ぶようなものに似ているのだ。
佳乃はもう一度浮島を見た。怪しげに細まった瞳、からかうように緩めた口元。そんな浮島が苦しそうに見えてしまったのは、教室が暗いからだけではない。
長い髪が揺れる。その顔が肩に埋もれる直前――佳乃は言った。
「……どうして、自分を傷つけようとするんですか」
それに反応し、浮島の動きが止まった。
「なにそれ、意味わかんない」
「先輩、楽しそうな顔をしてないです。虚しくて、苦しくて、傷ついた顔をしています」
浮島が離れていく。不愉快だとばかりに眉根を寄せ佳乃を睨みつけ、珍しく怒気を感じさせる声で返した。
「フツーは逆でしょ。オレ、いままでに何人も泣かせてきたんだよ、なんでオレが傷つかなきゃいけないのさ」
「確かに泣かせて、傷つけてきたのかもしれませんが……でも先輩も傷ついてる」
「ばかばかしい。オレを怒らせたいの?」
「どうぞ怒ってください、でも言います! 先輩はちゃんと人に向き合ってない。深く入りこむほど夢中になれるものがないから面白いものを探しているんだと思います」
密室による空気と苛立ち。それからうっかり触れてしまった浮島が持つ寂しさに、言葉が溢れて止まらなかった。
そしてはたと気づく。散々失礼なことばかり言ったのだ、これでは怒り狂った浮島になにをされるかわからない。なだめるどころか逆に煽っているではないか。
忘れていた恐怖心が蘇り、佳乃はきゅっと目を瞑る。
だが、聞こえてきたのは意外にも浮島の笑う声だった。
「……ふ、はは、あはははっ!」
掴まれていた両手も解放されておそるおそる瞼を開けば、浮島は佳乃から数歩ほど離れたところで顔を押さえて笑っていた。
「オレにこんなこと言う子はじめてだよ、おかしいね、笑っちゃう」
狂ったように笑う、こんな姿をみるのははじめてのことで、佳乃は呆然としてそれを見上げていた。
ひとしきり笑った後、再び浮島の視線が佳乃に向けられる。
「オレ、本気になれるものってないんだよ。だから正解、よくわかったね」
迫られた時のような怪しさはない。だが眼光は鋭く、浮島が佳乃を快く思っていないことは伝わってきた。
「それで、オレにお説教してどうするの? 他人と真剣に向き合え本気になれ、なーんて偉そうに言ってるけど、キミの弱味を握っているのはオレだよ。立場わかってる?」
「う……」
「わかってないよねぇ、じゃあ――嘘をつかせちゃおうかな」
その表情は微笑んでいるのに先ほどより冷えて恐ろしく、もう逃がすことはないと告げているようだった。
佳乃が自らの発言を後悔しても遅く、じりじりと距離が縮んでいく。
その時、扉が揺れた。
カギがかかっていることを確かめるように数度扉を動かし、それからカチャリと軽い金属音がする。
「いま、開けるから」
扉の向こうから聞こえたそれは佳乃にとって救世主の一声である。
なんていいタイミングにきてくれたのか、助かるのだとわかった瞬間、緊張の糸が切れていまにも泣き出しそうに涙腺が緩んだ。
しかし、一体だれが。救世主の声は剣淵ではない男のもの。となれば残るは――そして扉が開いた時、佳乃の目は丸くなった。
「遅くなってごめんね」
走ってきたのだろう、息を荒げながら廊下に立つ人物。それは佳乃が想いを寄せている男、伊達享だった。
助けがきてくれるのはうれしいのだが、伊達だと思っていなかったのだ。
この密室に浮島と二人、それも迫られそうになっているこの場面を見られてしまった。佳乃の思考はパンクし、伊達を見上げたまま体は動きを止める。ばくばくと急いた心臓の音に支配され、言葉を発する余裕もない。
「あーあ。これからが楽しいところだったのに。伊達くんに邪魔されちゃった」
「よくわかりませんが、怪我はなさそうで安心しました。教室は暗くて、色んなものがおいてあるので、なにかあったらどうしようかと焦りましたよ」
伊達は教室内に踏み込むと、座ったまま呆けている佳乃に手を差し出した。
「三笠さん。大丈夫?」
王子様の手が差し出されて数秒、我に返って見上げると、伊達は制服から演劇用の衣装に着替えていた。桃太郎の鬼役というよりは吸血鬼で、吸血鬼というよりは魔王という衣装である。それにイケメンスマイルを組み合わせてくるのだから、こんな状況だというのに直視するのも照れてしまう。
差し出された手を掴んで立ち上がる佳乃の元気な姿に、伊達は安堵の息をついた。
「よかったよ、劇がはじまる前で。劇がはじまっていたらしばらく助けにこれなかった」
「どうしてここに私たちがいるってわかったの?」
「二人が閉じ込められているって教えてもらったんだ。鍵を持っているのは生徒会役員だけだったから、それで僕に報せてくれたんじゃないかな」
「教える……? 誰がそんな――」
言いかけて、頭に浮かぶ。
二人がこの教室にいるのだと、気づけるとしたら――佳乃が思い浮かべた人物と同じ名を、伊達が言った。
「剣淵くんだよ」
とっさに佳乃は廊下を見る。だが、廊下に剣淵らしき姿はなかった。
剣淵は佳乃の危機に気づき、伊達を呼びに行ったのだ。他の生徒会役員ではなく伊達を選んだのは、佳乃に協力のつもりだったのだろうか。助けてくれたことへの感謝と同時に、戸惑ってしまう。三回目のキスをした後から、まともに顔も合わせてくれない男が、なぜ急に助けてくれたのだろう。
「……剣淵、どこにいるかな」
「演劇は見ないって言ってたから、A組の教室で休んでいるんじゃないかな」
いま向かえば、演劇を見ることはできなくなるかもしれない。合宿にきたのはこのためだったのだが――それでも佳乃の気持ちは固まっていた。
「私、行ってくる」
助けてくれたお礼を伝えたい。ちゃんと向き合って話したい。
浮島と伊達を残し、佳乃は教室を飛び出した。
***
佳乃が去った後、浮島紫音は笑いだした。
「あはは、おっかしー。オレたちのこと完全無視じゃん」
剣淵にお礼を伝えることで夢中になっていたのだろう。一瞥もくれず去っていった佳乃の姿は、なかなか面白いものだった。
「いじりがいがあるよ。佳乃ちゃん、かわいいねぇ」
浮島がそう言うと、隣に立つ伊達も口元を緩めた。佳乃が消えていった教室の扉を見やり、すうと目を細めて返す。
「ええ。三笠さんはとても可愛いんですよ」
「あれれ? モテ男の伊達くんがそういうこと言っちゃう? 佳乃ちゃんに気があるの?」
伊達の返答が想像していたものと異なったため、深く掘りこんで聞いてみる。口調は軽く、からかうつもりだったのだが、伊達は動じずに淡々としている。
「気があるのは、あちらでしょうね」
「わかりやすい反応ばかりしているからねぇ。フラレちゃうなんて佳乃ちゃんかわいそーに」
「でも僕も三笠さんのことが好きですよ」
「よかったね両想いだ。青春だねぇ、早く告白しちゃえば? あのタヌキちゃんなら大喜びで尻尾ぶんぶんふって頷くと思うよ」
茶化しながら伊達の顔を覗き込む。この冷静な王子様が動じて面白い反応を見せることはないだろうと考えていたのだが、浮島の視界に飛び込んできたのは意外なものだった。
笑っている。
普段の穏やかなものではなく、意地悪で粘ついた冷笑。その視線は睨みつけるように細められて遠くを見ている。声のトーンは変わらずやはり淡々としたまま、伊達は呟いた。
「告白なんてしませんし、させませんよ。そんなこと」
それは聞き逃してしまいそうなほど小さな声量で、しかし静かな教室がその呟きを浮島に届ける。
言い終えると満足したのか伊達は教室を出て行った。挨拶も振り返ることもなく、まるで浮島に興味がないかのように。
一人残された教室。くつくつと喉の奥で笑いながら、浮島は俯く。
おばかな後輩は、気づくことがないのだろう。浮島だけが掴んでしまった黒い尻尾、これは一筋縄ではいかない相手かもしれない。
浮島が悪魔だとするならば、あの男は悪魔ではなく――例えるならばなにがいいだろう。魔王、いやもっと未知の生物がふさわしい。とにかく伊達は、浮島の想像を超えたどす黒いものを抱えている気がしたのだ。
「ふふっ、面白くなってきちゃった。どう料理しようかねぇ」
三笠佳乃は面白い。浮島に向かってあんなことを言う人ははじめてだった。人に踏み込まない本気にならないなんて、場をしのぐための勘頼りな発言だとしても、興味深くてもっと遊びたくなってしまう。
この高校に入って三年目。ようやく面白いものを見つけたのだ。
考えるだけで胸が弾んでしまう存在。信じ難い呪いにかかっていて、その癖感情が顔にでるし、たまに浅はかな企み事をしては策に溺れてしまう。見ていて飽きることのない子だ。
三笠佳乃の姿を頭に浮かべ、浮島はにたりと口元を緩めた。
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