17、〝不動心〟

 花は使わない。

 持って行くのはシキミだけ。

 花は、散った後汚れてしまうから。

 父さんの実家の墓に行く時も母さんの実家の墓に行く時も、いつもずっとそうしてきた。

 ……でもまさか、自分の家用に墓が出来て。

 しかもそこに、兄貴が入る事になるなんて。

 ――喜多川家之墓

「来たよ、兄貴」

 墓の裏側には父さんの名前が書いてあった。喜多川 正泰建立。

 父さんと母さんはどんな気持ちだったのだろうかと、改めて思った。

 そんなつもりで墓地を買ってたわけじゃないんだろうに。

 息子の墓を立てて、そこに手を合わせる事になった現実。

 ……2人は今朝も、何事もなかったかのように仕事に向かった。

「この前、来れなくてごめん」

 その代わりで、今日、俺は1人でこの場所に立っている。

 ……どう見たって兄貴には見えない。墓石を前にして、兄貴の何一つも重ならないのに。

 ここに兄貴見て、手を合わせなきゃいけない。

 側面には確かに兄貴の名前が刻まれてる。

 享年27歳だってさ。

「若っ」

 思わず俺は笑った。

 笑っておいてから。

 すぐに、それがしぼんで行く。

 くんできた水を、墓石にかける。

 真新しい石。

 冷たい感触。

 夏だから、この前来たばかりなのにもうシキミが枯れかかっている。

 そして寄りに寄ってここからの景色は、絶景。

 町が一望できる場所。

「……何が見えるよ、兄貴」

 どこにいるよ、兄貴?

 今どこで、何を見てるよ。

 返事はない。

 石はただ冷たいだけ。

 中にある、兄貴の骨を守ってる。





 シキミ立てて線香立てて、火を点けてお参りして。

 そのまま少しの間、ぼんやりしてたけれども。

 ザクという音がしたから、俺は驚いて振り返った。

 桶と花持って立ってる人。俺はその人に見覚えがあった。

「佐伯さん……」

 相変わらずのパーマと、目が小さくなるほどの眼鏡。

「おう、偶然。弟君」

「……」

 墓参り、今日じゃなくてもよかったなと。ふと思った。



 ◇



「何でここに」

「いや、お母さんに聞いてさ。崇之、墓に入ったって? なら挨拶したくてね」

 俺がいて助かったよと、佐伯さんは言った。「1人でこの墓の中から崇之のを探せる自信なかったから」

「つけてきたわけではないんですよね?」

「おいおい、人聞きが悪いな」

「……いいですけど」

 お参りも済んだ。去り時だろう。

「お先に」

 そう言って立ち去ろうとした俺を呼び止めた佐伯さんの言葉は。

「レベル、幾つになった?」

 ……それしかないのか、この人は。

「覚えてないです」

 面倒でそう答えたけれども、それに佐伯さんはむしろ笑った。「そうか」

「ならいい。レベルを即答できてるうちは、低い証拠だ」

 ……そうかな。

「充分まだ低いですけど。んと……15か16かそんなもん」

「……まだそんなもんか。低いなぁ。何か俺、開発者としての自信失う」

「そうすか」

「素人さんにはハードルが高いのかな? うーん、正式配信の前にまだまだ手直しがいるわ」

「お気の毒様です」

 頭を下げ苦く笑う。

「んでも、続いてるのは嬉しいな」

「……」

 歯並びの悪いその笑顔に、俺は一瞬迷ったけれども。一応報告しとこうと思った。

「行きました。【テネシーブルー】」

 眼鏡の奥の小さい目がランと光った。

「行ったか! そのレベルで!!」

「はい」

「どうだった!?」

「……聞くんですか?」

 むしろ、わかるだろう。想像ができないわけがない。

 開発者なんだから。あの町の状況だってわかっているだろう。

「あの町、どうかしてください」

 俺はハッとした。そうだ。この人にどうかしてもらえばいいんだと。

 【テネシーブルー】の脅威。PK解禁エリアの根底はシステムにある。あの町でPKが行われなければ、もう少し歩きやすい空間になるかもしれない。

 そうすれば、【聖域】にだって……そう思ったけれども。

 佐伯さんは首を振った。その顔は少し悲しそうだった。

「無理。あそこはあれで回ってるからね」

「でも、」

「【テネシーブルー】の現状はわかってるよ。あの状況はいいわけがないんだ。でも俺達は何もしない」

「……」

「あの町はね、元々は普通の町だったんだ。【吟遊都市テネシーブルー】。名前の通りだ、美しい町。吟遊詩人がそこで唄うくらいにね。NPCにも凝ったよ。一部の空間では時間で妖精までヒラヒラするくらいに。何たって、〝クロスリンク・ワールド〟の叙事詩に描かれる、三女神の1人の町だって言われるくらいだから。凝って凝って凝りまくったよ」

 崇之にもね、そういう注文を出したよと言った。美しい町を描いてくれと。

「んでもね……α版の頃だった、あるイベントを行ったんだ。町にモンスターが攻めて来たっていうイベント。あの美しい町が一晩で魔物に占領されちまった、皆で取り戻そう! って。その時気まぐれに……期間中だけPK解禁エリアにしたんだ。それが、事の始まり」

「……」

「何かね、はまっちゃったみたいでね。皆さん」

「……それ、運営としていいんですか?」

「PK解禁エリアにしようって言ったの誰だと思う? 崇之だよ」

「――え」

「まぁあの時あいつがどういう意図でそう言ったのかは知らんけど。……ユーザーからははまった。町で思い切りPKできるんだ。しかもそこは魔物が納める町。……神の町が悪魔の町となり、そこで殺し合いができるんだ。どうもね、それが受けちゃって」

「……」

「あるんだよ、ちゃんと。町を元に戻すためのクエスト。ちゃんと用意してある。でも……誰もやろうとしない。1人でできるようなクエストじゃないんだけどね。でももし達成できちゃったら、あの町はまたPK禁止エリアになる。……俺達が凝りまくった美しい町並みは元に戻るけれども」

 ハハハと、佐伯さんは笑った。

「やらないんだよね……誰も。世界は待ってるのにな……誰かが、あそこを清浄に戻すのを。でも……人はあれかな、誰かと競い合わなきゃ自分が保てないかな? モンスター相手にボコボコやってるんじゃ、競い合いとはいかないかな」

 人と比べる、優劣をつける。

 戦い、勝ち、負ける。

 ゲームの世界。

「他人と戦い続けなきゃ、自分を作っていけないかな」

「……」

 俺は地面を見た。色んな石が落ちていた。

「……戦い続けるのは、己自身です」

 俺は呟いた。かつて、メグさんが言った言葉。

 相川も……覚えてた。弓道部主将だったメグさんが言った言葉は。

「〝不動心〟」

 ビュっと風が吹いた。その音はとても、矢を射た時とは似ても似つかない音だった。

「崇之が言ってたな。弟が弓道をやってたって」

「……」

「弓道の根底は不動心。何事にも揺らがず、ひるまず、ブレず、常に精神を保つ。己の信念を貫く心を磨く。……修行僧みたいだ」

「はは」

 誰かと競うのではない。

 常に、葛藤する己との戦い。揺らぐ精神との戦い。

 波のない海のように。

 動かぬ岩のように。

「6年やりましたけど。中々」

 俺は言った。

「弓道やってましたけど、揺れてばっかですよ」

 愚かしいのほどの葛藤に、いつもまみれてる。

 自虐的にそう言った俺に、だが佐伯さんは再び首を振った。

「生きているから」

「……」

「……不動心なんかじゃいられんわな。俺たちゃ生きてるんだから。心動くわな、でないと前に進めんから。どこにも行けんから」

「……」

「お前みたいな奴もいるんだね」

 佐伯さんは苦笑した。「だからかも、しれんね」

「え……?」

「自分と戦い続けるのも、苦しい事だよ。……だから崇之は、他人と戦う事ができる場所も用意したかったのかもね」

「……」

「まぁどっちにしても、喜多川 崇之って奴は……今考えてみると、変な奴だったな」

「……兄貴も、佐伯さんには言われたくないと思います」

「は? どこが? 俺のどこが変?」

 いや……もう、とりあえずそのパーマ、似合ってませんよ。

 でも、この人、思ってたよりは……いい人かもね。

「な、そういやさ。連絡先教えてよ」

「は? 何で?」

「一応。だってほら、連絡取りたくなる事あるじゃん?」

 でもやっぱ、面倒そうな人だ。

「俺は別にないです」

「水臭いなぁ、寂しいなぁ、悲しいなぁ。俺たちもう、兄弟同然じゃん? 崇之の代わりに俺の事兄貴と思ってくれていいから」

「えー……ちょっとそれは……」

「連絡先教えて。ね? ね?」

「……………」

 墓石を見た。

 兄貴は何も言わなかった。

 俺は溜め息を吐いた。

 でも、少し笑った。





 先に行きますと、その場は立ち去った。

 車まで行ってから、柄杓を忘れてきた事に気付いた。

 駐車場から兄貴の墓地までは少し距離があったけれども、仕方なしに引き返した。

 まだ佐伯さんがいるはずだ。柄杓もらって、さっさと去ろう。

 そう思っていたら。

 佐伯さんは、兄貴の墓前に座ってた。

 じっと、墓石を見つめていた。

「……遠藤さん、支援してくれるってさ」

 盗み聞きするつもりなんかなかった。

 でも、聞こえてきて。

「……お前のおかげだ。お前の力だ」

 佐伯さんは言った。

「なぜ死んだ? 崇之」

 答える声はない。返す者もいない。

 佐伯さんはまだじっと、石を見ていた。

 俺はそっと、背中を向けた。

 ……柄杓は今度でいい。

 今日はもう、帰ろう。

 風の中に、一瞬秋の匂いがした。

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