11、【聖域】-2-

 俺とメグさんがイノシシを取り囲んでボコボコやってるその傍らで。

 【ハム】は言った。

「杖がかわいそうだ」

 手伝えよと俺は内心毒づきながら、ショートソードを振り回す。

 イノシシ(正式名称【ブタ子】)の体力メーターがもうじき0になる寸前で、俺はサッと身を引いて。

 後はメグさんに任せる。

 ボコっと杖でひと叩き、ふた叩き。イノシシが消滅するかと思いきや。

 瀕死のイノシシは、いきなり猛然とメグさんに襲い掛かった。

 俺は慌ててもう一度ショートソードを振り回す。

『メグちゃんは退いて』

 と、外野の【ハム】が言った。

『瞬キチ、遊んでないでさっさとトドメさせ』

 ……誰が瞬キチだ。俺はそんな名前じゃない。

 んでもとりあえず言われた通りショートソードで一撃。

 【LEVEL UP!】表示が点灯。俺はレベル10になった。





 【ハム】に誘われ3人でフィールドへ出た。

 【グリッド・エンブレム】東側の平原。そこに住まうコブリンたちの他に、今日はイノシシを見つけて。

『まずはお前達の力を見せてもらう』

 と【ハム】に言われたから。俺達はさっそくイノシシに立ち向かったわけだが。

『……今のはギャグか?』

 モンスターのいない辺りに移動するなり、【ハム】は言った。

『メグちゃん……武器の消耗回数って、知ってる?』

『何ですかそれ』

 【ハム】は10秒ほど無言になった。

『んと……各武器には使用できる回数ってのが決まっててね。その回数を満たすと、壊れて使い物にならなくなるんだ』

『へぇー』

『杖は武器として使うと、すぐに壊れるよ。道具画面にして確認してみな? 武器の所に数字書いてない?』

『これですか? 2って数字が書いてある』

『じゃあ、あと2回でその杖は壊れるよ』

 無表情のアバターが、唖然とするのがわかった。

『叩き過ぎ。第一に、杖は叩くための物じゃない』

 んー……俺もそれは気になってたけど。

 ごめんメグさん、消耗回数の事俺、チェックしてなかった。一生懸命モンスターを叩きに向かうその姿が、何だか楽しそうで。

『瞬キチ、お前もちゃんと教えてやらなきゃだめだろ』

 【ハム】の説教がこっちに回ってくる。

『まさかお前、MMORPGは初めて?』

『いや、そうでもないです』

『じゃあ何か? お前はアホなのか?』

 ……ゲームの中で、なぜ見知らぬ奴にアホ呼ばわりされる……?

『僧侶は回復魔法打てば経験値が上がる。わざわざボコボコやって杖を消費しちゃだめ。戦闘は瞬キチ、メグちゃんはサポート。こいつに回復呪文を打ってればレベル上げるのに苦労しない』

『すいません、魔法の使い方がわからなくて』

『瞬キチ、お前、瀕死の敵をメグちゃんに渡して経験値稼がせる頭があるなら、きちんと操作方法を教えろ。ドアホ』

 ……。

『すいません』

 何で俺はゲームの中でまで説教されて。

 アクションボタン〝お辞儀する〟で頭を下げなきゃならんのだ……。

 しかもこいつは、こっちが頭を下げてるのに、

『んなコマンドいらん。とっとと次の敵に向かうぞ』

 頭下げても、怒られる。

 ……昼間、取引先で同じ目に遭った…………。

『さっさとしろ』

 何で俺、こんなのについて行かなきゃいけないんだろう?

『すいません、団長』

 リアルだけでなく、ゲームの中にまで上司ができた。

 ……これは、むしろ悪夢のような気がする……。





『【聖域】?』

 ……スパルタのように敵に向かわされ、俺がレベル12、メグさんがレベル10になった所で。俺たちは一端町へと戻った。

 ここまで1時間半ほど。んでもここまでの〝クロスリンク生活〟の中で一番疲れた。

 俺達はそのまま、町の一角の空き家に向かった。この前ギルドの話を持ちかけられた場所だ。

 ここはショップスペースでもないし、他に冒険に関わるようなNPCもいないから。誰も入ってこない。間違えて入ってきても、すぐに出て行く。

 俺達の隠れ家的な場所になろうとしていた。

『知ってますか?』

 そこで俺は、【ハム】にその場所の事を尋ねた。

 先日佐伯さんに聞いた事、メグさんにはもうすでに話してある。

 ――兄貴が死の直前、最後に手を加えていた場所。【聖域】と呼ばれる場所。翌日に結婚式を控えていたのに、どうしてもやらなきゃならない事がそこにあったのか。

 悪趣味なほど光る鎧の戦士は数秒固まったが、

『知ってる』

 と簡単に答えた。

 一瞬指が、キーボードの上でうろついた。

『どこにあるんですか?』

『【聖域】?』

『はい』

『何で?』

 次の答えは、メグさんから放たれた。

『行きたいんです』

 【ハム】に落ちたのは、沈黙か絶句か、はたまた戸惑いか。

『無理』

 果てに、上がった吹き出しにはその二文字が踊っていた。

『今のあんた達じゃ絶対に無理』

 ここからはずっと遠い場所にあるのだと、佐伯さんも言っていた。

 ゲームの世界の遠い近いの感覚は、俺にはピンと来ない。

 でも【ハム】も言った。

『遠い場所だ』と。

『……レベル10そこそこの初心者が、望める場所じゃないよ』

『どこにあるんですか?』

 俺は問うた。

 【ハム】は一瞬沈黙した後、『ここから東に森と山を抜けた先に、第二都市【カサム・エンブレム】がある』

 第二都市……。

『その先に【ゴッド・エンブレム】、【テネシーブルー・エンブレム】……〝クロスリンク・ワールド〟に敷き詰められた幾多の空間を潜り抜けた先の先。さらにそのフィールドには、クエストによる開放条件までついてくる』

『クエスト?』

『つまり門番がいるのさ。一部ユーザーにしかまだ知られていない、【聖域】と呼ばれる場所。そこに入るためにはある種のボスキャラを倒さなければならない。神獣・麒麟だ』

 何やら……想像以上に厄介そうだ。

『【ハム】さんは行った事が?』

『団長と呼べ』

 そう言ってから、【ハム】は少し立ち居地を変えた。

『まだない』

『そうですか……』

『【聖域】のクエストは、β版で追加になった。麒麟攻略した者の噂では、相当危険な戦いだったそうな。パーティによる協力プレイ可だそうだが、そこで何人ものプレイヤーが、』

 そこまで言って。

 不意に【ハム】は『悪い』

『急用ができた。落ちる。今日はもう戻れない』

『え?』

『また次回。それじゃ』

 唐突にそれだけ言い残し、【ハム】は青い光と共に消え去った。

 残された、俺とメグさん。

『どうしよう?』

 メグさんは言った。

『大変そう』

『うん』

『でもそこが……崇之が最後に見てた世界』

『うん』

『……もうちょっと簡単な所だったらよかったのに』

 ――俺の想いは、少しだけ、メグさんとは違っていた。

『仕方がない。こうなりゃレベル上げだ』

『んー。でも、つまんない』

『え? ゲーム?』

『団長さんの言う通りに回復魔法だけ打ってるのって。最初は魔法使えるのって凄いと思って使ってたけど。つまんない。ただボタン押してるだけだもん』

 ハハ、それ、俺だって同じだけど。

 要するにあれだね、メグさんは一緒に敵を倒したいんだろう。

 ……言い換えれば、杖でボコボコやりたいんだろうな……。

『つまんない』

 またメグさんは言った。俺は苦笑した。

『もう少しレベルが上がるまで頑張ろう。ほら、僧侶も攻撃魔法が使えるって言ってたじゃん』

『攻撃魔法覚えたら、瞬君にかけていいの?』

『……いや、それ、PKになるよ』

 何にしたってレベルか……ゲームの世界はどこも一緒。レベルやステータスの値が物を言う。

「地道にやるしかないか」

 俺は呟いた。

 ――でも少しホッとしてる。

 ここにいる間は、メグさんと……同じ世界が見えるからと。

 そんな自分は本当は、……決して許されないと、知りながら。



  ◇



 週末、俺は病院に来ていた。

 見舞いは花がいいのか食べ物がいいのか。迷ったけれども、結局両方にした。スーパーに売ってる果物の盛り合わせと、花束。

 渡す相手にそれはどっちも似合っていない。少なくとも花なんて……柄じゃない。そんな物より、日本酒がいいとか言い出すだろう。銘酒『魔界の炎』。二階堂さんの好きな酒だ。

「何だ、喜多川か」

「二階堂さん、どうですか調子は?」

「馬鹿野郎。良くないから入院したんだ」

「……そりゃま、そうっすね」

 俺はどういう顔したらいいかわからなかったけど、二階堂さんは豪快に笑ったから。俺も笑う事にした。

「でもまさか入院なんて。課長から聞いてビックリしました」

「大した事ない。手術して取るだけだ。入院つっても一週間程度」

「無理しないでください」

「俺の仕事、お前が代わりにやってくれてるって?」

 俺はちょっと苦笑して、「そうですよ」。

「結構ハードです」

「頑張れ若者」

「俺じゃ勤まりませんから。さっさと戻ってきてください」

 ……二階堂さんは、うちの課では重鎮で。

 入社の頃から指導してもらってる……大先輩だ。

 年齢は、うちの親父より少し上。還暦とか定年とか、そういうものが見え隠れする年。

 でも、いつも走り回って怒鳴りまくってるような親父さんだから。とても現場からいなくなるなんて想像できなかった。しかも病気でだなんて。

「代わりはできません」

 もう一度言った。二階堂さんが仕事を休んで数週間が経つけれども、この間、改めてこの人の凄さに気付かされた。

「丸宮さんも心配してました」

「丸さん、元気してた?」

「この前お孫さんが生まれたって」

「じーさん、きっとデレデレだろうよ」

 ケケケと笑う。

 その笑いの中で。

「まぁ、頼むわ」

 とこぼした。

「自信もってやれ」

「……だーかーら、俺に二階堂さんの代わりは無理だって」

「だーかーら、自信持てって」

「……」

「うまく回しといてくれ。お前なら何とかできるだろ」

「……重いですって、荷が」

「やれ。いいな」

「……はい」

「俺が戻るまでだ」

「……」

「俺は戻る。いいな、だから」

「……」

「そんな顔、すんな」

「…………」

 ……どんな顔、俺、してますかね?

「頼むぞ」

「……はい」

「花より酒が良かったな。そこは気を利かせてくれよ」





 二階堂さんの病室を出て、俺はロビーへと向かった。

 ――この病院じゃなかったのに。なぜか、あの時の映像が脳裏に過ぎる。

 このにおいのせいか、空気のせいか、それとも。

 二階堂さんが見せた、笑顔のせいか。

 ……兄貴が運ばれたのは、大学病院だった。

 俺達が駆けつけた時、もう兄貴は。

 ……きれいに、整えられていた。

 霊安室に初めて入った。

 たまらなかった。

 俺はその瞬間、愕然とした。

 そして、俺は。

 自分があの時思った事を……痛烈に後悔した。

 メグさんのウエディングドレスを見て、俺は。

 冗談でも、もう。

 ……そんな事、思ってはいけなかったのに。

「あれ? 喜多川?」

 思考の海、ドロドロの沼地に落ちて行く感触。

 でもそこから現実に引き戻してくれたのは、その声。

 顔を上げる。横から歩いてくる女は。

「相川?」

「奇遇ー」

 同級生の、そいつだった。





「見舞い?」

「ああ。会社の先輩が」

「ふーん……うちも。ばあちゃんが入院しててさ」

「……そうなのか」

「持病だよ。最近は入退院繰り返してたから。」

 待合スペースに椅子は多い。

 そして午前の診察を終えた総合病院は、比較的落ち着いている。

「仕事は休み?」

「ああ」

「そか……そだ、この前弓道部の女子会でメグ先輩きてくれてさ、」

 そう言って相川は一瞬笑ったけれども。すぐに神妙な顔になった。

「聞いた。ユキ兄の事……」

 ユキ兄か……そういやこいつもそう呼んでたな。

 そしてこいつが兄貴の事をそう呼ぶきっかけになったのは、メグさんだ。

「まさか、先輩がユキ兄と結婚しようとしてたなんて」

「……」

 相川がじっと、俺を見てきた。睨まれてるくらいの、強い目だった。

 まるで、弓を射る前のように。

「……」

 俺はサッと視線をそらす。

「結婚式の日に事故だなんて……」

 そんなのあり得ないと、相川は言った。愕然とした口調だった。

 でもそれは現実に起きたんだ。

「……」

 俺達はその道を辿り、今ここにいる。

「メグ先輩、泣いてた」

「……」

 俺は目を閉じた。

 答えられない、何も。

 ――寒気がする。

 春が過ぎ、夏に近づこうとしているのに。

 光る廊下に、過去の幻が映り込む。





 運命が回りだした。

 あれは、15の春だった。

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