10、【聖域】-1-

「まだ来てないか……」

 2日後。

 会社終わってご飯食べて、〝クロスリンク・ワールド〟にログインする。まだメグさんは来てなかった。

 時間、ちょっと早かったかな。

 まぁ約束の時間があるようなないようなだから。

 来るまでの間、俺は【瞬】を画面の隅に寄せて放置。しばらく経てば画面の中で【瞬】君は勝手に膝を折って座り込んでくれる。さらに転寝もしてくれるんだから。実に便利だ。

 そうやって寝かせておいて、俺は漫画読んだりしてる。たまに町をぶらついたりもするけど、基本的に1人で勝手に進めたりはしない。……怒られるから。

「来るかな……」

 この前の日曜日の事が気にかかった。あの時のメグさん、ちょっと変だった。

「……」

 あれからメールも電話も特にしてはいない。今日の約束があったし。

 まぁいいや、と思い直す。

 もし来なくても、それはそれで仕方がない。俺だって彼女を何日も待たせたんだ。

 ただ、怒らせたのなら謝らなくちゃいけない。

「相川に見つかったのがまずかったか……」

 最後に会ったのは一昨年の同窓会だ。どっかに就職したとは聞いても、どこかも覚えてないくらいだった。

 無遠慮にズカズカ入ってくる。あいつは昔からそうだ。

「俺に恨みでもあるのか」

 ブツブツと見えない相手に文句を言っていると、母さんに呼ばれた。

「瞬介、電話」

「へい?」

 家に電話なんて珍しい。

 階段を降りて行く。居間の脇に家電はあった。居間では父さんがテレビを見ていた。

 ……兄貴が死んで変わった事。父さんの帰宅が前より早くなった事。

 そして母さんが前より少し、頼りなく見えるようになった事。

「誰?」

 出る前に念のために確認しとく。勧誘だったら困る。

 すると母さんは一瞬間を置いた。その瞬間の何とも言えない表情を俺は見逃さなかった。

「佐伯さん」

 佐伯……俺の中でその名前に心当たりがある人物は1人しかいない。

 クルクルパーマの近眼男。

『もしもし? 弟君』

「……あ、どうも……」

 あの顔からすると、母さんもこの人には複雑な印象があるらしい……。

 そう言えばこの前、この人は母さん1人の時に線香上げにやってきた。母さんはその時一言、「疲れた」と言っていた。

『よぉ、弟。元気にしてる?』

「はぁ、まぁ……」

 母さんが複雑な視線を投げて寄越した。ああどうも、頑張るよ。

「佐伯さんはお元気ですか?」

 正直、この人が元気だろうと不調だろうと、どっちでもよかった。

『モチのロンよ』

「そうすか」

『で? やってる? レベル幾つになった?』

 ……早速それか……。

「9です」

 俺は正直に告げた。

 途端、電話口が爆発した。珍獣のような奇声が吹っ飛んできて、俺は思わず受話器を放り出そうとした。

『9!? お前にデータ渡して、どんだけ経った!?』

「……はぁ」

『有り得ねぇ……ちゃんときちんとやってる? マジメに戦ってる? それともお前、アホなの?』

「まぁ、そこそこにやってるんですけど」

『俺が天才すぎるのかなぁ……レベル7なんてせいぜい1時間あればクリアできるし、9とか、2ヶ月も3ヶ月も掛かるような所じゃないんだけど』

「こっちも忙しいんです色々」

『俺だって忙しいよ』

 何か面倒くさい。電話切りたい。母さんはガッツポーズ作ってる。ああ、頑張るってば。

『んじゃ、【テネシーブルー】にも行ってないと』

「……何ですかそれ」

『【吟遊都市テネシーブルー・エンブレム】。〝クロスリンク・ワールド〟第4の都市だよ。【炭鉱の町ゴッド・エンブレム】の南に位置してて』

「すいません、わけがわかりません」

『困るなぁそんなんじゃ。崇之の弟でしょ?』

 何で兄貴の弟イコール、〝クロスリンク〟通にならなきゃならないんだ。

『それじゃぁ全然無理だよ』

「は?」

 ワケがわからず問い直した時、ポケットに入れていた携帯が鳴った。

 もしかしてメグさんかと思って「ちょっと待っててください」と画面を確認すると。

 ……堺だった。

 んだよ……ついさっき会社で会っただろうが……と思いながら仕方なくメールを確認すると。

『お前、聞いたぞ!? この前の合コンでミズキちゃんを振ったってマジかよ!? 先輩怒』

「……すいません、失礼しました」

 携帯は切る。見なかった事にする。

『もっとしゃっきりレベル上げする気になれないの? 装備何つけてる?』

 こっちはこっちでこれかよ……。親父、電話に変わってくれないかな。

「ショートソードとかです。適当にレベル上げますから。それじゃ」

『待て待て弟』

「……何ですか? 俺、佐伯さんの弟じゃないんですけど」

『崇之が最後に構ってたデータがわかった』

 切ろうとした電話、え、と戻した。

「……兄貴が?」

『結婚式の前日、俺はさっさと帰れって言った。帰ったと思った。なのに舞い戻って何してたのかと思って。ずっと調べてた』

「……」

 電話口の声の色が微妙に変わる。お互いに。

『やっと見つけた。よりによってチェックを最後に回してた場所だった。そんな簡単に行ける場所じゃないから』

「……どこですか」

 聞くのが、少し怖かった。

 でも、聞かなきゃならない。俺は足を踏み入れているから。

『俺達はそこを、【聖域】と呼んでる』

「聖域……?」

『特に決まった名称はない。だけどその場所は……だからその場所は、【聖域】と呼ばれる』

「……」

『お前が今いる場所からは、遠い遠い場所。人も町も変わって行く果てにある。……俺が握ってるログ上、たどり着けた者はまだ数人』

「……」

『そこが、あいつが最後に見た景色だ』





 聖域とは、神聖な場所を意味する。

 神の力すら宿ると言われるような。

 ……人の手によって創られた、仮想の空間で。

 されど、そう呼ばれる所以を持った、その場所は。

 やはり、もう、人の手を離れているのか?

 そこを創った兄貴は、もうこの世にいない……。

 ――部屋に戻る、パソコンを見る。メグさんが来ていた。

「あ」

 【瞬】はまだ寝てる。その傍らに見慣れた姿と。

 もう1人。

『メグちゃんは幾つくらい? 女子高生とか?』

『いえ、もうちょっと上です(^^;)』

『そうなの? お兄さんももうちょっと上(笑)』

「こいつ……」

 【ハム】。

 異様に光る鎧と等身大ほどの剣をぶら下げたプレイヤー。

 俺は慌ててマウスを操作した。【瞬】がピョコンと起き上がった。

『あ、起きたw』

『メグさんごめん。ちょっと席外してた』

『大丈夫?』

『うん。もう大丈夫』

『戻ってこなくても良かったのにw』

 ……入ってくるな、会話に。

『お久しぶりね、瞬君』

『どうも』

 何だろう。【ハム】の顔が嫌味に笑っているように見えた。金ピカの鎧も剣も何もかもが嫌味に見える。

『んでも良かった。今日会えて。実は2人を探してた』

『?』

『ちょっとこっち、ついてきて』

 それよか先に、メグさんに【聖域】の事話したかったけど……。

 【ハム】が勝手に歩き出すから。メグさんもついていくから。俺も行くしかない。

 【ハム】は町の隅にある一軒家の中に入って行った。中は空き家だった。

『内緒話』

『何ですか?』

『2人、ギルド入ってる?』

 ギルド。

 この場にメグさんがいたら、絶対にキョトンと俺を見返してる。100%だ。

『クラブ活動みたいなもんです』

 だから、〝チャチャ〟を送っておく。

『いえ、入ってないです』

 それから打ち込む。

 すると、変化するはずのない【ハム】アバターの目がキランと光った気がした。

『なら入ろう。今日は君達を勧誘にやってきた』

 ああ、面倒臭い事になりそうだ。

『いや、今間に合ってます』

『そう言わないで。MMORPGでギルドに入らないなんて、楽しみ半減だぞ』

『はぁ』

『ギルドと言っても俺達のギルドに強制力はない。中には毎日定例集会がある所とか、絶対クエスト参加条件だとか、彼氏・彼女は作らない会だとかそういうのもあるが。そういう面倒な決まりはない』

『……』

『その代わりに、俺達のギルドには1つの信念がある。それだけ守ってもらえばいい。後は何をやってもいい。ただし、ギルド名に恥じる行動はナシだ。PKなどという行為も絶対禁止だ』

『PK?』

『禁止になってないんですか? ここ』

『一部地域では解禁されてる。一応、だ。でも普通のフィールド、一般の町中では規制されてる』

『何? PKって』

『プレイヤーキラーの略だ。他のプレイヤーに危害を加える奴の事。一度でも殺しを行えばプレイヤー名と会話文が赤字になる。そういう奴を見た事ないか?』

 今の所……ないな。

 俺が前にかじったMMORPGでもPKと呼ばれる人種はいた。直接関わった事はなかったけれども、近づかない方がいいってオーラは感じていた。

 ここにもいるのか……モンスター以外にも気をつける物が増えたな。知らなきゃそれで済んだけれども。プレイする以上はいつかは知る事か。

『殺人者がいるの!?』

 絶句するメグさんの姿が浮かぶようだった。

『警察はいないの!?』

『残念ながらいない。その代わり、外道PKを取り締まるギルドはある』

『まさかそれに入れって?』

『いや。君達のようなヒヨコにそんな無茶は言わない』

 ……何か軽く馬鹿にされたみたいだ。

『その代わり、君達には別のギルドに入って欲しい』

 メールが鳴った。堺からだった。うざい。無視した。

『ギルドマスターはこの私だ』

『何ですか?』

『〝クロスリンク・ワールド〟に来たばかりの少年少女支援の会だ。初心者を応援する会・初心者支援の会。その名も、【よい子の騎士団】』

「……」

 俺はリアルでもゲームでも絶句した。

『【よい子の騎士団】、入らないか?』

 メグさん……スルーしよう。心の中で語りかけた。そんな会に入ってはダメだ。

 ひたすら祈った。祈って祈って祈った挙句に。

『入会します』

 俺は頭を抱えた。

『メ、メグさん、だめだ。やめとこう』

『何で? 素敵じゃない。私達だって最初困ったじゃない』

『でも、』

『初心者支援、いいじゃん。瞬君、楽しそうだよ』

『ギルド名、おかしいよ!?』

『分かりやすくていいじゃない』

『そうだ。ドサクサ紛れに俺のネームセンスの否定をするな』

 くそー。

『よし決まった。じゃあ今から言う通りに操作してくれ。そうすればギルドに加入できる』

『了解です』

 何でよりによってこの人のギルドなんかに……。

『まぁ……とは言っても、君らもまだ、初心者だけどなw』

 チクショ。

『俺は入りません』

『大丈夫大丈夫。うちのギルドはギルド外の初心者さんのフォローだけじゃない。ギルド内の初心者さんのサポートも行う。遠慮するな』

『結構です』

『遠慮しなくていい』

『別に遠慮してません。結構です』

『ご希望とあればオフ会も行う。そこで合コンも』

『合コンはもういいっての』

 ……最終的に。

 堺のメールはシカトできても、メグさんの着信を無視できるわけがない。

 そして。

「入ろ?」

「……」

 彼女の声には、逆らえない。

『これで君達も俺の仲間だ』

 ……嫌だ。面倒くさい……。

 悪趣味な金ピカの鎧をまとった剣士が、腰に手を当てて高らかに笑っているように見えた。

 錯覚だった。

 でも、リアルな気もした。

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