CROSSLINK WORLD -電子の海で泣く-
葵れい
1、〝クロスリンク・ワールド〟-1-
メグさんのウェディングドレスは、とてもとても綺麗だった。
メグさんは俺を見て微笑んだ。眩しいほどの笑顔だった。
思わずそれに足元がよろけた。そんな俺のザマを見て、周りの連中が口々に冷やかしてきたけれども。
そんな雑音も耳に入らないくらい。
こんな綺麗なもんを俺は見た事なかった。もう生涯、見えないんだろうとも思った。
何で俺じゃないんだろう……そう思った。
今日、メグさんは兄貴の嫁さんになる。
メグさんは、姉さんになる。
……だから、俺は。
兄貴が来ないのを心配した母さんが電話かけてるその隣で、俺は、思ってはいけない事を思った。
――そしてそれが現実になるまでに10分と掛からなかった。
あの日兄貴は来なかった。
……二度と。
もう、会えなくなった……。
◇ ◇ ◇
この時期の自転車は極寒。
今朝、今季の最低気温更新した。マイナス温度は見慣れてるけれども、寒さを感じなくなる事はない。
「寒さみぃ」
自転車にロックかけて、逃げるように店に駆け込む。
カランカランと鳴った呼び鈴は、今日は少し無遠慮に思えた。
時間も空気も、穏やかであって欲しい。
「あ……」
奥に目当ての人を見つけ、俺は小走りでそっちに向かった。
「遅くなってごめん」
彼女はチラっと俺を見上げ、仄かに笑った。だがすぐに視線を下へ戻した。
テーブルには水だけ。
「先に頼んどいてくれて良かったのに」
俺は苦笑して、とりあえず店員さんを呼んだ。
「コーヒー2つ……あ、いや、やっぱケーキセットで、2つ」
「ケーキの種類はどうされますか?」
「いちごのやつ。2つとも同じで」
「かしこまりました」
それからマフラーを脱ぐ。
メグさんはいちごショートだよね? と一応聞いておこうかと思ったけどやめた。愚問な気がしたから。
何が好きか、今更聞くまでもない。
「ごめん。かなり待った?」
「ううん、私も今来たばかりだから」
そう言ってメグさんはまた少し笑った。
でもきっとメグさんは、1時間待とうが2時間待とうが同じ事を言っただろう。
「今日は寒いね」
日曜日という事もあってか店は賑わっている。向こうのテーブルには、制服姿の女子高生達がスマホ片手に大笑いしてる。
「仕事、忙しい? メグさん所決算でしょ?」
……社会人になってから、俺は随分愛想が良くなったと思う。誰にでも笑顔は作れるし、話題も振れる。 学生の頃同じ事ができていたとは思えない。どちらかと言えば俺は無口で気分屋で、何を考えているかわからないって思われてそうなタイプだった。
勉強ができたわけでもない、運動だってそう。別に取り立てて何も目立たない俺。
でもそんなのはきっと俺だけじゃない。誰だって傍から見れば、〝制服の中の1人〟でしかなかいんだろう。
……でも、メグさんは。俺にとってメグさんは違ってた。
「流通、燃料費上がったからちょっと厳しいんじゃね?」
「うん……まぁ、何とかね。今季は予算ギリギリだったかな」
「厳しいね。実際問題、うちも削られて、そのくせ取引先どうにかしろってうるさくて」
たむろする女子高生は全員同じ顔に見える。
「瞬君は営業、大変だね」
……別に何も大変じゃない。
今のメグさんを思えば。
直にウエイトレスさんがケーキを持って戻ってきた。
この店のケーキは、別に取り立ててうまいってわけじゃないけれども。
「ん」
何となくホッとする。
多分味以上に、場所とか雰囲気とか、ここであったすべての思い出もひっくるめて何となく安心する。
メグさんはしばらくケーキを眺めていたけれども、やがてそっとケーキの角を崩した。
ピンクの唇に、真っ白なクリームが運ばれてくのを俺はぼんやりと見ていた。
「……美味しい」
「そりゃ良かった」
……それからひと時、俺達はケーキを食べた。
時々お互いに、「うまいね」とか「美味しいね」とか口を挟むけれども。
……本当は、味なんてわからなかった。
ただ、どうやって告げようか……それだけを思い続けていた。
今日はメグさんに話があった。
言うべきか迷った。黙っておいてもきっと時間は流れて行く。
でも……俺は知ってしまった。知ってしまった以上は、メグさんに黙っておく事はできないと思った。
だってもう、メグさんには何もないから。
どんなに待っても兄貴は帰ってこないから。
「……あの、さ」
告げたくないとも思う……そう思う自分が一番嫌だ。
この事実が何を呼ぶ?
それが絶望なのか希望なのか。
……俺の偽善が願い続ける……希望であってくれと。
「話があるって言ったじゃん? あのさ……」
俺を見るメグさんの目には、以前のキラキラとしてものはなかった。
「実は……兄貴が最後にやった仕事がわかったんだ」
「え……?」
俺は一瞬迷ったけれども、最後は意を決して告げた。
「〝クロスリンク・ワールド〟。オンラインRPG。……兄貴はその開発に関わっていたんだ」
誰もが子供の頃に描いた夢を実現できるわけじゃない。
俺の知る中でそんな事ができたのは兄貴だけだった。
3つ年上の兄貴は、小さい頃から勉強ができた。
スポーツは中学の時はバレー部のキャプテンをやっていたような気がする。
高校はこの辺ではランクが高いと言われる所へ行ったし、大学もそれなりに名の通った所へ行った。
そんな兄貴は昔からコンピューターとかCGとかそういう世界が好きで、兄貴の部屋にはいつも、外国語のテキストみたいな本が山積みになっていた。
俺と兄貴は、高校も大学も、目指す場所も見る世界も何もかも違った。同じ家にいたけれど別の世界で暮らしていた。
だからといって何か引け目を感じた事もなかったし、取り立てて自慢の兄貴だと思った事もなかった。
……なのに。たった1つだけ。別の世界で暮らしていたはずの兄貴と重なってしまった事があった。
生涯で多分、これ以上ないほどの事。
同じ人を好きになった。
……そしてその人は兄貴を愛した。
「オンラインゲームって知ってる? パソコンとかでネットにつないでやるやつ」
メグさんは何も言わず動きを止めた。固まってしまったみたいだった。
告げてしまった事に後悔した。でももう遅い。口から出た言葉を取り戻す事はできない。
「ネット上で知らない人と繋がるゲーム……一緒に冒険したり会話したり。俺もそんなに詳しい方じゃないんだけど」
やった事がないというわけでもなかった。
「兄貴はそのオンラインRPGの開発チームにいたんだって。【クロスリンク・ワールド】。背景とかのグラフィックを担当してたんだって。この前、一緒に仕事してたっていう人が家に来てさ」
「……」
「何か聞いてた?」
ひょっとしてメグさんはもう知ってるんじゃ……そう思ったけど、すぐにメグさんは首を横に振った。安堵もしたけれども、同時に少し暗い気持ちにもなった。
「崇之は……そういうのあんまり話してくれないから」
笑った。でもその笑顔は悲しい。
「俺だって兄貴が何してたかなんてよく知らね。父さんも母さんも知らなかった。兄貴がコンピュータ関係の仕事をやってる事はわかってたけども、詳しい話なんて聞いた事なかった。【クロスリンク・ワールド】の仲間の人が言うには、兄貴が描いたグラフィック、結構業界では評価高かったんだって。どういう物を描いてたか知らないけど、ネットゲームだけじゃなくケース売りのクレジットにも名前が載ったくらいだって。最近ではちょっと大手からも話が来てたみたい」
チラっとメグさんを見る。
「今回の【クロスリンク・ワールド】もそのうちの1つで、スタッフは少ないけど、大手ゲーム会社から独立した人が中心に作ってるゲームだとか。実験的な要素も大きいけど、資金もそっちから援助してもらってるらしい」
家に来たゲーム会社の仲間の人は、随分長い事遺影を眺めていた。
「兄貴はそのゲームのグラフィックをほとんど1人で担ってたって」
「……」
「……来週β版が配信になるらしいんだ。一応やってみようかなって思ってるんだけど」
俺はそこで言葉を区切ってメグさんの様子を確認してから、ゆっくりと最後の問いを口にした。
「メグさんも……やる?」
兄貴が最後に見た世界。最後に描いた異次元の空間。
「……」
返事はすぐには返ってこなかった。いつまででも待てる気がした。
ずっと待ってる……俺はコーヒーを口にしながらそう思った。
「……そんなに時間ないから」
最終的にメグさんはそう言った。
「……そか……」
答えた自分の口元が少しほころんだ。
……ホッとした自分がいた。
そして初めて俺は、コーヒーが苦いと思った。
ブラックで飲んだのは初めてだった。砂糖もミルクも忘れたまま、もう底が見えていた。
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