8、声-2-

  ◇



 メグさん一家が引っ越してきたのは、俺が小学校4年生の時だった。

 知り合ったきっかけは、メグさんのお母さんとうちの母さんが職場で仲良くなったから。その繋がりで俺達は出会った。

「瞬介君、うちの恵。仲良くしてね」

 俺は今以上に人見知りで。

 しかも相手は女の子……仲良くしてねと言われても、どうしたらいいかわからなかった。

 そうするとうちの母親は、「この子、照れてる」なんて茶化してくる。

 それが、鬱陶しくて。正直いやだった。

 そしてメグさんは、俺の同級生にはいないようなタイプの子だった。

 ……学年も町内も違うけれども、親同士が仲良かった事もあって、お互いの家を行き来した。

 その頃兄貴はもう中学生だったから。帰りも遅いし、母親の親交についてくる事もなくて。

 結局いつも俺とメグさん2人。母親たちが仕事の話で盛り上がってる間、いつしか勝手に遊ぶようになった。

「私の方がお姉ちゃんなんだから」

 1個だけだけど。小さい頃の1個差は大きい。

「お姉ちゃんの言う事聞かなきゃだめでしょ」

 俺も、いつからかメグさんの事を姉ちゃんみたいに思うようになった。

 あの頃は、恋だとかそんなん、わからなかったな。

 だけどメグさんに見つめられるとドキっとした。

 でっかい目がクルクルと俺を見つめてくる。同級生の女の子の笑い顔にかわいいとか思った事なかったけれども。

 メグさんの笑顔は……やっぱ俺、かわいいとか思ってたのかな。

 少なくとも、メグさんは他と違う特別な存在だったし。

 メグさんには……笑ってて欲しいと、思ってた。

「メグちゃん、メグちゃん」

「瞬君は泣き虫なんだから、もぉ」

 学校の帰り道、転んで怪我しておんぶしてもらった事もあった。

 血のつながりはなかったけれども。メグさんは大好きな……大好きな姉ちゃん、だった。

「瞬君、今度日曜日、一緒に遊ぼ」

「うん。いいよ」

 姉ちゃん。

 ……それが、変わった瞬間。

 この人を守らなければならないと。

 この人を守りたいと。

 ……男の心。

 生まれて初めて、そんな物が芽生えたのは。

 ……………多分、〝あの時〟だ。

 忘れない、生涯。

 メグさんもきっと。

 俺達が目の当たりにした現実。

 初めて拳を振り上げた、あの瞬間………。








「喜多川君?」

 あ、と思った。

「どうしたの?」

「あ、いや……」

「んじゃま、お開きで」

「瞬介ー、ちゃんと送っていけよー?」

 冷やかしの声。

 それに気付けば、隣に女の子が並んでいる。

 1人。

 俺と、女の子の2人。

 駅の方角が一緒だから。

 他の連中は二次会に行くから。

 俺が帰るって言ったら、その子も帰るって言い出したから。

 ……俺の前に座ってた、髪の長い女の子。

「寒いね」

 もう、春と呼べる季節。でも夜は充分冷える。

 桜はまだきっと、来月にならないと。

「……喜多川君って、無口だよね」

 言われても、ピンとこない。

「そう、かな」

「うん。人見知りする方? ああいう席苦手?」

「……まぁ、どちらかと言えば」

「私もなんだー」

「……」

「人数合わせで誘ってもらったけれども、本当はちょっとどうしようかなって。心配してたんだ」

「……」

「でも……行って良かった」

 え? と女の子を見ると。

 街頭の下、彼女は微笑んでいた。

 かわいい子だ。

 ドキっとした。

 ……慌てて目をそらす。もう少し行けば、地下鉄の乗り場がある。

「急がないと終電、逃すよ」

 俺は愛想笑いして女の子に先を促した。

 ……なのに。

「いいよ」

 その子は動かなかった。そして、

「……逃しても、いいよ」

 ドキっとした。

 ……いや、それはきっと、別の音。

 別の鼓動。

 そして俺を見つめるその瞳は。

「あ……」

 思い描くのとは、別の色。





 見つめられても。

 手を掴まれても。

 唇を寄せられても。

「ねぇ」

 って囁かれても。

 俺は……俺は……。





「終電」

「え?」

「……逃がすと、困るよ」

「……」

「まだ、行けるから」

「…………私、タクシー拾う」

「そう?」

「……そんなに遠くないの」

「そうか」

「おやすみなさい」

「……おやすみなさい、気をつけて」

「さようなら」








 ――メグさんは中学生になった。

 忙しくなったみたいで、少し距離ができた。

 1年、追いかけて。俺は中学に入った。

 メグさんがいる中学。

 中学に入ったら背が伸びるからと、大きめの学ランを与えられたけれども。ハッキリ言ってみっともないとしか思えなかった。

 ブカブカの学ランから覗く小さな手は、実物よりももっと小さく見えた。

 中学に入学して間もなく、部活見学が始まった。

「瞬介はサッカー部?」

 見学のために放課後、構内をうろついていたら。

 その人が、横切った。

 弓道衣を、初めて見た。あの格好なんだろうと思った。

 そしてその人は紛れもなく、メグさんだった。

「メグちゃん……」

 俺は同級生を放り出して、慌ててその背中を追いかけた。

 コソコソする必要なんかないのに、慣れない構内を隠れながら追いかけて。

 ……学校の隅に、見た事ない建物を見つけた。

 そこから音がした。

 何かが当たる音。

 俺は建物の隙間からこっそりと中を覗きこんだ。

 弓道。

 弓を持つ人たち。

 ……その中にメグさんがいた。

 弓持ち、構える。

 燐として。

 まっすぐに。

 一点見つめ。

 その目、静やかに。

 そして、強く。

「――」

 弓が放たれ、的に当る。

 見事。

 ……そして放たれた後も揺るがないその立ち姿。

 その時見た光景は、今でも焼きついている。

 弓を射るメグさんの横顔。

 それは、光のようだった。

 俺は弓道部に入った。

 ……俺はその日から、〝メグちゃん〟と呼ぶのをやめた。





 携帯を取り出す、着信はない。

 電車に乗る。時計を見る。

 何やってんだろ、俺。

「……」

 ガラスに映る、自分の横顔。

 何やってんだろ、何やってんだろ……。

 帰宅した時にはもう、日付は当に変わってた。

 親は寝込てる。家は暗くて静かで。

 俺はパソコンの電源入れた。

 ――いるわけない。

 いるわけないんだ……だけど。

 〝クロスリンク・ワールド〟を立ち上げる。ログインする。

 それから、登録しているメグさんの情報見たら。

「……何で」

 ログイン中。

 何でいるんだよ……こんな時間に。

「日付変わってるだろ」

 明日仕事だろ。

「……馬鹿野郎」

 ログインしている他のアバターどもを掻き分ける。

 こんな夜中にパソコンの前で。

 ――この無数のアバターの中、それぞれがそれぞれの、どんな想いを抱えてここにいるのか。

「メグさん……」

 修練所を覗く、いない。

 1人でフィールドに出てる?

 チャットで話しかけようか……いや、それよりも。

 会いたい。

「……」

 あ。

 ……もしかして……。

「海……」

 2人で見た、あの電子の中の。

 ――海にいる。





 アバターは、息切れをしない。

 だけど走ってもいない俺が、息切れを起こしそうに。

 クラクラして。

 たまらなくて。

 ……海に佇む、人がいた。

 五頭身のアバター。ブロンドの長い髪を垂らしてる。

 ゲームのキャラなんか、決まったパーツから作り上げてくだけのもの。この世界には同じ容姿も同じ姿も、ゴロゴロいる。

 でも。その人は1人だけ。

『メグさん』

 キーボード打つ手が、震えてた。

 メグさんは動かなかった。一瞬、電源入れっぱなしで落ちてるのかと思ったけれども。

 彼女は振り返った。

 いるんだ、そこにメグさんは。

 この画面の向こう側に。

『あの』

 何て打ったらいいのか、わからなくて。

 画面の前に立ちすくむようにして。

 俺は……言葉を探した。

 大人になった、言葉を色々知った。……でも。

 肝心な時に、肝心な言葉が、うまく出てこない。

『ごめん』

 メグさんの返事は返ってこなかった。

 少し、諦めかけたその時に、携帯の方が鳴った。

 メール。

『バカ』

 ……俺は画面に返事を打ち込む。

『ごめん』

 ……また携帯の着信があって。

『いや』

『……ごめん』

『いや』

 メグさんからは、メールで返事が返って来る。

 ……思わず苦笑した。

『何でメール?』

『1人じゃ行けない』

『?』

『どこにも行けない』

『……うん』

『せっかく町の外が歩けるようになったのに』

『ごめん』

『レベル上げしたのに。新しい服と杖も買ったのに』

『うん。俺もだ』

『放ったらかしにする人キライ』

『ごめん』

『じゃあ、』

 ――電話が鳴った。今度は通話の方だった。

「1週間よ」

 メグさんの声。久しぶりに聞く。

「1週間、何してたの」

「……ちょっと仕事が」

「嘘つき」

「……ごめん」

「【花*きく凛】のケーキセット」

「?」

「ごち」

「……スペシャルケーキセット、パフェもつける」

「パフェはロイヤルパフェよ」

「……1人で食えるの? あれでしょ? 弓道部の全員で命からがら平らげたやつ」

「私1人で食べれるわけないじゃない。私が食べれなかった分は、あなたが1人で全部平らげるの!」

「……え」

「グラスの底にあるハートのペンダント。それで勘弁してあげる」

「……」

「……」

「……冗談、だよね?」

「マジ」

「……メグさん……俺、それ、生きて店を出れる自信がないよ……」

「あはは」

 やっと、メグさんの笑い声聞けた。

 少し泣けそうになった。

「ごめん」

「明日は?」

「ん?」

「明日も仕事、遅いの?」

「明日は……」

 一息吐いて、「早く帰る」

「いつもの時間、いつもの場所で」

「広場に?」

「うん」

「待ってる」

「待たせない」

 明日は俺が待つよ。

「……うん」

「……てか、こんな時間に起きてて大丈夫?」

「……大丈夫じゃないわよ、全然」

「寝坊しても知らないよ」

「寝坊したら、ロイヤルパフェね」

「……大至急寝てください」

 あはは。

 ――俺は。

 馬鹿だね。

 ガキのまんま。

 本当は、あの頃から何も変わってない。

「おやすみ」

「おやすみ」

 ……一途に。

 みっともない葛藤を抱いて、それにジタバタしながら。

 あなたの笑顔だけを、願い続けてる。





 永遠に、その海に光が射すように。

 俺にとってのあなたも、永遠に。

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