15、映画-1-

「あ、もしもし……終わった? そうか……」

 何を見るともなしにサイドミラーで後ろを確認して、俺は言った。

「うん、ごめん。わかった。……いいもん食べてきて」

 電話切る。少し天を仰ぐ。それからメールを打った。

 メグさんに、今日行けなくてごめんて。

 ――今日は納骨の日だった。

 仏壇に置いてあった骨壷を、お墓に納める。お寺さんにも連絡して、立ち会ってもらった。

 俺ももちろん出る予定だったけれども、急の仕事が入ってしまって。

 ……終わったなら、もう、そう慌てる必要もないか……。

 心なしかホッとしてる自分もいる。

「……」

 父さんと母さん、そしてメグさんの3人で今から昼ご飯を食べに行くと言っていた。

 俺はコンビニで買ったおにぎりだ。

 出汁巻き卵が食べたいと思った。

「……行くか」

 とっとと終わらせよう。

 そう思って、俺は車を走らせた。



  ◇



 【テネシーブルー】の脅威は、俺の中で少しあの世界の印象を塗り替えた。

 とりあえず思った事。絶対の絶対にメグさんをあんな所には立たせられないという事。

 いっそ【聖域】へ行く事だってやめてしまえばいいんだ。そうすればあの町に行く必要もなくなる。

 でもそうしたら俺達があの世界にいる理由がなくなってしまう。

 メグさんといる、あの仮想の世界。

 俺はもう、何か理由を見つけないとメグさんに会う事はできない。

 本当はそれを探す事さえ、許されないのかもしれないけれども。

「暑いな」

 真夏、道路の先に陽炎が見える。

 ――仕事を終え、帰宅したのは午後14時過ぎだった。

 家にはまだ誰もいなかった。

 どこで何を食ってるんだろうかな、スーツを着替え、一息吐いて。

 仏壇を見る。当たり前だけどももう、兄貴はいない。

 ただ、遺影が笑ってる。

「……」

 俺は財布を掴み、出かける事にした。

 一人では、何となく。いられないと思った。

 ただ、出ても行くあてもない。

 自転車を走らせて駅へ。

 本屋でもぶらつこうか……今見たい本はないけれども。

 毎週買ってる週刊誌は明日発売だけどもう出てるかな。そう思っていたら。

 映画館の前に通りがかった。

 夏休みの子供で随分賑わってる。映画は……前にメグさんと見て以来。あんま、来ないけど。

「……」

 映画館の正面を見てたら、俺の目にあの日の映像が蘇った。

 ――メグさんは、初めて見た映画は俺と一緒だったって言ってた。それは覚えていないけれども。

 見えなかった記憶なら、ある。

 あれは高校1年の夏。

「……大人1枚、そこのポスターの映画で」

 チケットを買った。別に見たい映画ではなかった。

 俺は1人、劇場に入った。



  ◇



「映画?」

「うん」

 部活の練習を終えて帰る電車の中で、メグさんは言った。

 俺は一瞬焦った。

「いつ?」

「今度の月曜日。ほら、部活休みじゃん」

「うん」

「どうしてもさ、見たい映画があるんだよねー。付き合ってくんない?」

 ちょっと、目をそらした。

「……いいけど」

「やった。約束だよ」

 メグさんと映画。

 高校1年の俺は……もうそれ以上返事が出来ないくらい。胸がいっぱいになった。

「じゃね、連絡するから」

「あ……お疲れ様」

 電車降りて手を振ってるメグさん。

 他の人が見てる。きっと、メグさんがかわいいから。

 ……1年。高校で会ったメグさんは、前よりもっと綺麗になった。

 クルクル笑って、走って、叫んで。

 俺が一緒にいられる時間は、放課後の部活の間と、家までのこの電車。

 その時間、メグさんを見ているだけで幸せだった。一緒にいられる事は幸せだった。

 メグさんがそこにいる。

「……やべ」

 ドキドキする。

 映画って、どうすりゃいいんだ?

 とりあえずどんな格好で行けばいいんだ? 小さい頃メグさんの家に遊びに行った時は格好なんて考えた事もなかったけれども。

 中学の頃だって……ああ、思えば俺は芋虫のような格好しかしてなかった気がする。

 別にデートじゃないし……と思ってからまた、ドキドキした。

「やばい」

 映画。

 メグさんと2人でどっか行く。

 嬉しくて、仕方がなかった。





「兄貴……悪い、あの帽子貸して」

 帰宅後。

 夕飯食べた後、俺は兄貴の部屋に入った。

「月曜日だけでいいから」

 兄貴の服のセンスは、芋虫並の俺から見ても、それほど大差はなかった。

 でもその大差のない中で、兄貴が持ってる帽子の中にカッコいいのがあった。

「帽子、お前持ってるじゃん」

「いいから。あれ貸して」

 兄貴は面倒臭そうに重い腰を上げた。

「帽子、帽子っと」

 兄貴の部屋に入ったのは久しぶりだったけど、相変わらずだった。

 汚い。

 そして、本がやたらと山積みになってる。

 手近の1冊を手にとって見る。

「……英語の本?」

「パソコンの言語集だよ」

「大学の教科書?」

「それは趣味で買った奴」

 よくわかんね。

 兄貴の部屋にはそんな、俺から見たらよくわかんねー本がギッシリ。本棚に溢れかえっていた。

「ほら、帽子」

「……ありがと」

「デート?」

「ちっ、ちがっ」

「そうなんだ?」

 クスクスと兄貴は笑った。俺はムカついた。

「違うつってるだろ」

「部活は? メグちゃんは元気してる?」

 そう言われた時、血がすっと引くのがわかった。

「元気」

「そか」

 ――兄貴とメグさん。

 兄貴はたまに部活に見学にくる。メグさんがそれに気付くと、笑顔を投げる。兄貴も笑う。

 そんな、仲良しじゃなかったのに。小さい頃だって兄貴はメグさんと遊んだ事もないくらいだったのに。学校だってすれ違ってて。

 兄貴は大概、言葉を交わさずに知らない間に消えてしまうけれども。それでも、2人の無言のやり取りを見るとなぜだか苛々した。

 でも、まさかそれ以上は思わない。俺はガキだった。

「あ、そうだ。これ、メグちゃんに渡して」

「何?」

「本。前に貸してって言われてたから」

 俺は渡された本をチラっと開いた。

「画集。それ、全部CGで書かれてるんだ」

「へぇ……これ、コンピューターで?」

「うん。俺さ、そういうの書きたいんだわ」

 ん? と俺は顔を上げた。

「そういう幻想的な世界。CGで書けたらなって」

 それが俺の、夢だと。兄貴は言った。

「そうなんだ」

 俺にはよく分からなかった。

 画集の絵はきれいだと思ったけれども。俺が思ったのは、それだけだった。





 月曜日。

 うざいほどに、天気が良かった。

「暑い」

 メグさんとの約束は10時半に駅前。

 前日、俺は生まれて初めて、眠れなかった。

「あんた、今日は早いわねぇ」

 朝食の支度をしてる母さんが、起きてきた俺を見て唖然としている。

「ん、ちょっと」

 モジモジと言った。

「今日部活休みじゃなかった?」

「用事、あるから」

「母さん今日はパートだかんね。鍵持って行ってよ」

 父さんも起きてきて、俺を見て唖然としている。

「早いな」

「……もっかい寝てくる」

 面倒になって部屋に戻っても、もちろん眠れるわけがない。

 とりあえず着てく服を並べてみる。

 Tシャツと短パンと、帽子。

 Tシャツは、一張羅の黒。真ん中に良く分からない英語が並んでる。意味はわからなかったが、カッコよかった。

 頭……ちょっとツンツンさせたりして。

 鏡見る。うん。芋虫ほどじゃない。

 もう胸が一杯だ。

「映画……」

 どんな映画だとか、内容はどうでもよかった。

 そして、見れる気もしなかった。





「瞬介、電話よー」

 ドキドキしながらベットでモゴモゴしていた時、母さんに呼ばれた。

 まさかメグさん!? 俺はビックリして飛び上がった。

 1階に降りて行き、恐る恐る「誰?」と聞く。

「あやめちゃん」

「げ、相川かよ」

 何だ一体。俺はガックリして、同時にイラっともした。

「何だよ」

 とぶっきらぼうに言ったら、母さんが蹴飛ばしてきた。「そんな口の利き方しないの!」うるさいな、こいつとはいつもこんな感じだからいいっての。

 相川あやめは、小学校からの付き合いだった。

 いつも絡んでくる、面倒臭い同級生。

 破滅的な腐れ縁。

 とにかくいつもいつも……ややこしい事ばっかり言ってくる。小学校の時は同じ飼育係で、誰も何も言ってないのに「飼育当番は毎朝早めに出校します」とか言い出して、貴重な睡眠時間を削られたし。委員会も偶然にも一緒の図書委員だったな。俺はのんびりやりたいのに、図書室の整理を手伝えと言われて一度、本棚全部ぶっちゃらかした事がある。

 中学に入っても不運は続き、よりにも寄って、同じ部活。

 何で同じ弓道部に入ってくるのか……意味がわからなかった。「私、中学入ったらバレーやってみたい」とか言って大騒ぎしてたのに。

 そしてまたしても、高校まで一緒。

「あんたみたいなバカが、まさか旭丘に受かるなんて思いもしなかった」

 と、合格発表の日に言われた。いよいよ積年の恨み、蹴飛ばしてやろうかと思った。

 そしてやっぱり、こいつも弓道。

 ……他の女友達とバトミントンに入ってろと神様に祈ったけれども、届かなかった。

「何だよ、こっちは忙しいんだぞ」

 柱時計を確認する。9時半だった。

『どっか出かけるの?』

「そうだよ! じゃあな」

『あ、待って』

 何だよこいつは……俺は苛々した。

『あのさ、あのさ……』

 その時俺は、「ん?」と思った。

 何だこいつ。

「何泣いてんだよ」

 電話の向こうで、ベソベソ聞こえる。

『あのさ、喜多川』

 密やかに、泣きを含んだ声。

『昨日、私、ばあちゃんのペンダント落としちゃって』

「は?」

『探してもなくて……この前ばあちゃんにもらった、大事な大事な物で』

「……」

『喜多川、ごめん、他に、相談できる人いなくて……』

 知らねぇよ、そんなの。

 時計見る、9時35分。

 約束は10時半だぞ?

『ばあちゃん、この前、入院して……』

 ……何なんだよ。こいつは、と思った。

「どこで落としたってんだよ」

 母さんがじっと見てる。いいから、見てなくても。

『わかんない』

「探しようがないだろ。部屋にねぇの? 鞄の中とか」

『ない。全部見たけど』

 はぁ……。

「最後に見たのは?」

『昨日部活で着替える時に……』

 部室かよ……。

『どうしよ、喜多川。道で落としたかも。あれなくしたら、あれなくしたら』

「落ち着けって。学校見て来いよ。あるだろ」

『……』

「……」

『……』

「……だーっ!! 面倒くせぇ!!」

 こいつは何でいつもいつも厄介事をっ!!

 何がばあちゃんのペンダントだっ!! 知るかそんなもん。

 こっちはメグさんと映画だってのに!!!!!!

 俺はメグさんの所に電話をした。

「ごめ、メグさん。遅れる」

『は? 何で?』

「……ごめ、1本遅らして。映画。次の回何時から?」

 それには間に合わせるから。必ず行くから。そう言って。

 一張羅着込んで、俺は家を飛び出した。

「クソバカ女ッ」

 玄関でそう毒づいたら、隣のおばさんが何事かと俺を振り返った。

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