3、海

 祭壇で手を合わせたメグさんは、兄貴の遺影とその白い包みを見て。

「小さくなっちゃったね……」

 と呟いた。

 兄貴はまだ家にいた。

 ……白い包みとその中の入れ物。

 骨になって行くまでの過程、全部眺めていたのに。

 それでも何も、実感がわかない。

「お茶入れるから、その辺でくつろいどいて」

 俺はバタバタと、目に当たる雑然とした物を隅に寄せてく。

「パソコン持ってくるから、待ってて」

 今日は家には誰もいない。

 両親は母さんの実家に行ってる。この前ばあちゃんが転んで怪我したから見舞いだとか。兄貴の葬儀のお礼も兼ねて、2人で顔見せに行くって昨日言ってた。

 お前もくるか? とは言われなかった。……言われても用事があるからと断っていたけれども。

「お茶いいよ。大丈夫」

 メグさんはそう言ったけれども、冷蔵庫から冷えたお茶を取り出してコップに注いだ。俺が欲しかった。

 それから部屋にノートパソコンを取りに行った。

 まさか俺の部屋にメグさんを入れるわけにはいかない。

 兄貴の部屋にはもう少しいいデスクトップがあるだろうけれども、そこに連れて行く気にもなれなかった。

 家族はいない。メグさんと2人切り。こんな状況、昔だったら俺の心臓ぶっ壊れちまうな……でも今は不思議と浮かれなかった。

 居間のテーブルに置いて起動する。

「どういうゲームなの?」

 立ち上がる間の時間、メグさんが聞いてきた。

「何だっけ……オンラインRPG?」

「メグさん全然やった事ない?」

「うん」

「そか……うんとさ、普通のRPGとかは知らない? 主人公を動かして、冒険とかする奴」

「あー……テレビゲーム? ドラクエとかそういうの?」

「うんうん。それ系。オンライン物はさ、ネットにつないでやるの。主人公動かして冒険するのは同じだけども、画面の向こうで動いているキャラにはそれぞれに生きた人の意志が働いてるの。誰かが同じ画面見て、同じ世界で冒険してる。そういうつながり。最近ではそういうオンライン系のゲームは色々あるんだけど……〝クロスリンク・ワールド〟は正式にはMMORPG、大規模多人数同時参加型RPGっちゅーらしい」

 メグさんは雲を掴むような返事をした。あんまり良く分からないんだろうなと思った。

 デスクトップ画面に置いてある〝クロスリンク・ワールド〟のショートカット。初めて押す。

 メグさんが見つめるその隣で。

 扉が開いていく。





 -CROSSLINK WORLD-





 羊皮紙に書かれたようなその文字。流れ始めた音楽はケルト民族的な音楽で。

 俺はこういう感じ、嫌いじゃない。

 少し、ゾクリとした。

 すぐに名前の入力欄が出た。

「どうしよか」

 俺は困ったけれども、単純に、「シュン」と打った。

 弾かれた。すでにその名前は登録されています。

 んじゃ、瞬。

 こっちもダメかな……と思ったけれども。

 意外にも、行けた。

 β版でまだ人数そうでもないからか?

 性別は男で。

「こうやって、最初にアバターを作り上げて行くんだ」

「へぇ……」

「髪型は……どうしようかな……」

「これ、いいんじゃない?」

「そんな坊ちゃん刈り? こっちの方がカッコ良くね?」

「えー、スキンヘッドにするの?」

「それで髪の色は緑で……」

「って髪、ないじゃないの。どの辺が緑なの?」

「良く見てよ、ここ、1本だけあるじゃん髪。しかもちゃんと緑になってる。クオリティ高っ」

 ……メグさんに相当引かれたので、最終的に、普通にいつも自分がしてるような頭にした。

「顔も選べるんだ?」

「そうそう。ほら、この眉とか目とかよくない? これにスキンヘッド合わせたら、ゴルゴって感じになるじゃん。伝説のスナイパーみたいな」

「……」

「……わかりました、普通にします……」

 女の子に、男の美学はわからない……。

 5頭身のキャラ。

「瞬君に似てるね」

「何かパッとしないな……」

 いささか作りに不満は残ったものの、隣でメグさんの監査があるから。……これでいいよ、もう。

「何だか面白いね」

 メグさんの横顔を見たら、笑ってた。

 ドキっとした。俺は慌てて視線を戻した。

「それで次はどうするの?」

「次はきっと……」

 完了ボタンを押す。いい音がした。

 loading……loading…

 やがて画面が真っ黒になる。

 次はチュートリアルかな……きっとゲームの操作説明だ。

 アバターの動かし方、会話の仕方、道具の使い方などを実践で教えて行く。戦闘の仕方もあるだろう。

 そういうの、兄貴は嫌いだろうなと思った。きっと兄貴だったら、チュートリアルは飛ばして行ってしまう。そういう人だ。

 昔から兄貴は説明書を読まない人だった。新しいゲームを買ったって、何も見ずに始めるタイプ。「操作は実践で学ぶ」とか言って始めて、最後まで特殊技能の使い方がわからないままクリアしたなんて事もあった。

 それでも出来てしまうのが兄貴なんだけど。

 ……俺はその辺は兄貴とは正反対。説明書は全部見てから始めるし、こういうゲームの導入部分もきちんとやってく。

 ――音が鳴り始めた。そろそろ画面が切り替わるかなと思ったその刹那。

 俺とメグさんは画面の世界に。

 ……一瞬吸い込まれたと、そう思った。





 馬の鳴き声。

 疾走感。

 天を蹴り、地を駆ける。

 森を抜け、草を分け。

 そこに剣が交差する音が、ガキンと1つ。

 金の髪が舞う。

 天から光が射す。空の向こうに、まばゆい光が。

 それが落ちたその先の大地はキラキラと輝き。

 ……温かい風と安らかな息吹と。

 歌声が、響き渡る。





「……」

 それはほんの一瞬の映像だった。

 一瞬、でも永遠の。

「今の……写真?」

 呻き声みたいな返事しかできなかった。

「……絵?」

 兄貴が描いた? あれが?

「すごい、綺麗だった……」

 メグさんはほとんどゲームをした事がない。でも俺はゲームはそれなりにこなしてきた。

 ゲーム以外にも、世の中には美しい映像が溢れている。昨今のCG技術はハンパない。映画だってアニメだって、本物顔負けの模擬空間が簡単に描かれ動き、流れている。

 そんな物を当たり前のように目の当たりにしている俺達の目は、それなりに肥えてて。きれいな物などある意味当たり前になっているようなこの世界の中で。

 でも俺は、呆然とした。

 綺麗だった。

 ……あまりにも凄く……。

 写真みたいだったとか、臨場感溢れるスピード感だったとかそういう事以上に。

 最後に描かれていた風景が。

 感じさせる、何かそれ以上の……感覚。

「……」

 画面上ではどこかの建物に今さっき作ったアバターが立っていた。傍にいた案内役の老人が、色々教えてやるからしっかりついてこいと言っている。

 でもそれも、頭に入らなかった。

 兄貴が描いた絵……そう言えば俺は今まで、見た事なかった。興味すら持った事なかったけれども。

 メグさんも言葉を失ったように画面を見ていた。

 俺は傍らに置いてあったお茶をグイと飲み干した。

 チュートリアルなんてどうでもいい。さっさと進みたい。……生まれて初めて、そう思った。



  ◇



 ここは1つの世界、1つの可能性。

 誰もが持つ夢の世界。

 そこに理想を描くもいい、その理想に果てるもいい。

 だが忘れるな、この世界には滅び行く定めもある。

 ――神話に伝わる三女神が司りし世界、クロスリンク・ワールド。

 神が守りしこの世界、それを脅かす影もある。

 正義を貫き力を磨くか、魔に身を委ね滅びに加担するか。

 すべて自由。

 すべての子らに、女神の祝福あれ。



  ◇



 暗闇の中、俺が作ったアバターだけが立っている。

 そう思ったのも束の間。流れ始めた音楽に乗せて。

 世界が映り始めた。

「あ」

「町だ」

 ――ようこそ、魔法都市グリッド・エンブレムへ

 俺は一息吐く。

「ここから始まりみたいだね」

 メグさんを確認する。彼女は食い入るように画面を見つめている。

 俺はとりあえず辺りを歩いて見る事にした。

 地面はコンクリかレンガ造りか……どちらにせよ綺麗に舗装が描かれている。小さな町ではない描写だ。

 建物も大きい。旗が揺らめき、鳥が飛んでいる。

 こういう世界は見慣れてる。俺にはスッと入り込んでくる。

 でもメグさんにとってこの二次元の世界はどう見えているんだろう?

 俺が歩くその傍を、別のアバターが走っていく。

「今走ってた人も、誰かが動かしてるんだ?」

 メグさんが言った。

「うん」

 建物の脇に人が何人か群がっているのが見えて、俺はそっちへ向かった。

『鋼の鎧 500Zから』

『トンパスの靴 赤 残り3つ』

『ルビーのネックレス入荷 15000Z』

「商店街……みたいだね」

 アバターの頭の上に吹き出しが浮かび上がる。それが多すぎて、吹き出しの上に吹き出しがかぶったりもして、何を言ってるのかサッパリわからなくなってる部分もあったけれども。

「活気あるね」

「ねえ、何だか皆服装が違うね」

 そこに気付いたか……まぁ、気付くわな。

「俺達はまだ、この世界に入ったばかりだからね」

 灰色の囚人服みたいな服。

 それに対し、その辺りにいる人々は色とりどりの格好をしている。

「皆お金持ちなの?」

「まぁ、そうかもね」

 ハハと、笑って見せた。

 そんな時画面の端にいたアバターがポンと吹き出しを上げた。

『今日、待ち合わせは海』

 向かい合ってるアバターが返事する。

『また釣りすんの? 好きだね』

「海があるの?」

 俺は少し考えた末に、そのアバ……プレーヤーの所に寄った。

 それからキーボード叩く。

『海があるの?』

 しばし、2人のプレーヤーは沈黙。

 唐突だったかな……と思ったけれども。

『新規さん?』

『あるよ、町の北東』

 海がある町か……しゃれてるな。

『ありがと』

 礼を言って、俺は向かってみる事にした。

 ……普通だったらそんなの気にしないんだけど。

 メグさんが隣にいるから。

 そして……その海を書いたのはきっと兄貴だから。





 兄貴と海なんて、俺の中ではちょっと結びつかない。

 家族で行ったのだって小さい頃の話。

 メグさんとは行ったりしたのかな……隣にいるんだから聞けばいいのに。何となくそんな気分にはなれなかった。

 町並みを抜けて行く。人通りが少しずつ薄れて行く。

 橋があった。その手前の看板を読むと、『この先、グリッド海岸』

 道が消えてる。ああ、別ページに切り替えか。俺は道の向こうの闇へ飛び込んで行く。

 そして次の光景が出るまでに時間は掛からなかった。

 段差を降りると砂浜があった。

 浜に下りると俺が動かしてるアバターが一瞬飛び上がった。熱かったらしい。細かいな。

 ザクザクと進む。その背景に波の音。

 潮の満ち干き。

 砂浜に掛かる光の強弱。

 家の中に風なんか吹いてないのに。頬を風が撫でるような感覚がした。

 まただ……こういう感触、さっきもあった。オープニングの情景。

 やがて目の前に広がる海。

「わ……」

 なんちゅう光景だ……俺は唖然とする。

 雲が、凄い。

 地平線に向かって流れて行く大小の雲。行軍みたいだ。うんにゃ、それはもう……世界の丸みも思わせる。

 あの海の向こうには世界があって。果てもなく延々と続いていて。

 太陽が射す光が、揺らめく漣に反射してる。角度を変え、色を変え、音とリンクして生きてるみたいに呼吸してる。

 この光景なんだ? 本当に人が描いた世界なのか?

 現実離れするほどの美しいのに。これが機械で描かれた仮想空間の光景だとは思えない。

 MMORPG。β版は基本無料プレイ。そんな世界の中で。

 これほどのクオリティとか……アリなのか?

 こんな海とか光景とか。

 ……生涯リアルに、見る事なんか、ないだろ。

「すごい……」

 メグさんの搾り出した声。俺はハッと彼女を見た。

 その時こぼれた、一粒の涙。

「何これ……」

 あの兄貴が。体のどこからも海の匂いなんかしなかったあの兄貴の指から。

 生まれ出た、この世界。

「すごい……………」

 それ以外の言葉、浮かんでこない。

 ――泣き出すメグさんの肩を抱きたいのに。俺の手も震えてて。

 ああ、俺はやっぱり、兄貴には敵わないんだと思った。

 生涯かかっても、俺には、こんな光景描けない。

「綺麗すぎだろ……」

 悔しくても、呟く言葉は、感嘆色。

 ――生まれて初めてだった。CGの光景にこんな、胸を打たれたのは。

 電子の世界に海があった。……それはリアル以上の海。自分の家の居間にいるのに。俺の心は確かに、その絶対的な光景の前に立ち尽くした。





 ……間もなく、携帯が鳴った。

 メグさんのだった。

「あ……お母さんだ」

 そっと涙を拭って、彼女は言った。

「ごめん、今日はちょっと帰るね」

「うん」

 俺の心は現実に戻る。ここは海ではない。リアルな世界、静かな家の中。

 メグさんはふと、部屋の奥を見た……そっちには、兄貴の祭壇がある。

 ズキリとする。

「崇之に……挨拶してから帰る」

 兄貴の海を見た。

 これを描いた人はもうこの世にはいない。

 骨壷は白く小さく無機質で。何も言わない。

 兄貴の笑顔は、時を止めたままの遺影。

 もうこれからずっとずっと。脈打つ事はない。

「……」

 玄関まで、俺もメグさんも無言だった。

「……あの、」

 結んだ長い髪。横から流れた後れ髪が、白いコートに垂れている。

「……」

 メグさんはけれども何も言わなかった。

 俺はひと時メグさんを見つめたけれども。

「ちょっと待ってて」

「……」

 二階へ駆け上がる。机の端に積み上げてCDを一枚引っ掴んで。

 それを、メグさんに差し出した。

 CDの表には綺麗なラベル印刷がされていた。書かれた文字はただ1つ。

 ――〝クロスリンク・ワールド〟。

「一緒に」

「……」

「……データ、この中に入ってるから」

 あの世界。

「……できるかな」

「うん。多分」

「……私、ゲームあんまりした事ないし」

「大丈夫だよ、俺が教えるから」

「……」

「ソフト、起動させて。Webに公式サイトはあるらしいけど、そっちから落とすより楽だよ」

「……」

 ――もっと見てみたいと。

 聞かなくてもわかってた。

 俺も、そうだったから。





 ――その夜、メグさんからメールがあった。

 インストールしてみるから。始めたらまた連絡するから。

 うん、待ってると返事した。

 ……枕を抱きしめて眠ったら、あの海の夢を見た。

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