5、「待ってる」

 18時。

「お疲れー」

「お疲れ」

 バタバタとデスクを片付け、鞄を引っ掴む。

「瞬介、飲み行かね?」

 堺は言ってくれたけども。

「悪い。用事」

 それだけ言って手を上げる。

「んじゃ、月曜に」

「……待て待て待て」

 逃げようとする俺の腕を、奴はグイと掴んできた。

「何を慌ててる、喜多川 瞬介君」

「離せ、堺」

「金曜の夜に用事だ? お前まさか」

 女できたか。

「ちげーよ」

 ……答える自分は寂しいようで寂しくないようで。

「にやけてるぞ」

「とにかく急いでんの。離してくんね?」

 堺は疑惑の目でしばらく俺を見ていたが、急にパッと手を離した。

「まぁいいや。月曜日に締め上げたる」

「……」

「覚悟しとき、瞬介」

 チ……月曜は逃げるしかないな。

 会社を出る間際、「そうだ」と俺は堺を振り返った。

「お前、職業何?」

「は??? ……あなたと同じ営業ですけど、何か?」

「いや、そっちじゃなくって……。趣味の方の……」

 堺は思い切り首を傾げた。そりゃまぁそうか。

 でも答える。こいつはそういう奴だ。

「〝伝説の陶芸家〟兼〝最強の穴掘り名人〟だけど?」

「……」

 他のゲームのシステムは、良くわからん。

「……宇宙から隕石が飛んできたら頼むぞ」

「ああ。任せとけ。地球は俺が守る」

 ……最後は心おきなく自爆してくれ……そう思って俺はとりあえず合掌した。



  ◇



 職業だ。

 今俺達は、職業問題にぶち当たっている。

「決めた?」

 地元では有名なオムライス店。

 仕事帰りに合流した。……メグさんの雰囲気は、いつもと同じようで、少し違った。

 綺麗だ。

 昔からメグさんが綺麗なのはわかっていたけれども。改めて見ると、やっぱり、綺麗。

 脳裏にウエディングドレスのメグさんの姿が過ぎったので慌てて消した。あの映像は、今はまだ悲しみに繋がる。

「うーん……どうしようかな。考えてたんだけどね」

 注文はもう頼んだ。決める決めないは別の話。

「瞬君は何にするの?」

「無難に剣士にしとこうかと」

 〝クロスリンク・ワールド〟での職業の話だ。

「一番攻撃力も高いし。それに剣が装備できるし」

「剣かぁ……」

「ザクザク斬りたい」

 メグさんはギョッと目を開いた。

「その発言、危険な香りがするけど」

「いやもう、棒切れでブニブニやってるのはちょっと疲れた」

 スライムを、スパンと斬りたい。

 初心者の修練所でも、ちょっとレベルを上げたプレーヤーの中には剣を持っている奴もいる。そいつの剣さばきの爽快な事。

「剣か……」

 メグさんがぼんやり虚空を眺めた。その間にオムライスがやってきた。

 俺はデミソースのトロトロチーズ。メグさんはナスときのこのトマトソース。

 ……美味い。

「やっぱこれ、真似できないよね」

 メグさんも舌鼓を打つ。

「この前さ、来てたでしょ、テレビ」

「この店?」

「うん。土曜の昼間の番組で紹介されてたよ」

「土曜か……先週は仕事だったんだよな」

 営業先と少し問題が起きて……課長にひどく怒られた日だ。

「私その日の夜オムに挑戦したんだけどね、何かうまくいかないんだよね……何がいけないんだろ」

「ハハハ」

「ねぇ、〝料理人〟って職業ないの? 私料理極めたいな」

「いやメグさん、ゲームで料理人になっても、リアルで特にスキルに変化ないから」

 ――メグさんは最近、笑う。

 兄貴が亡くなった直後は、見ていられないほどだったけれども。

 前みたいにとまではいかないけど、笑う。

 ……俺だけが気付ける。メグさんの目に少しだけ光が戻ってる。

 俺はそれが嬉しい。

 この光を大事にしたい……会うたびに思う。

「じゃあ何がいいかな」

 一つ、メグさんに近い職業がある。

 もし、リアルにメグさんが本当に命がけで敵を倒さなければならないような状況に陥ったら。メグさんは手に取るだろうか?

 弓を。

 ――元弓道部主将・園田 恵。

「弓使いは?」

 でも今はきっと、選ばない。

「……弓は、いいかな」

「一番向いてそうだけど?」

「だって、実際射る訳じゃないじゃん」

 それに、とメグさんは言った。

「弓は武器じゃないから」

 ……そか。

 そうだね。

 遊びでは射らない。そして武器にもしたくない。

 ……そういや俺も、弓は選ばないわ。

「後なんだっけ? ……私、あんまり職業ごとの特性とかわかんないんだけど」

 そう来ると思った。だから今日は、こうして向かい合った。

「剣士は剣を使う。斬ったはったの職人だ。長剣も短剣も、剣と名がつきゃなんでも装備できる。体力も攻撃力も一番高い」

 一つ一つ、職業を説明して行く。ゲーム慣れしてればパッケージが変わっても大体の感覚が掴めるだろうけれども。メグさんにはそうは行かない。

「盗賊は、素早さが高い。敵からの攻撃を避ける確立が高いし、クリティカルヒットが出やすいらしい。急所攻撃だよ」

「鍵開けができるのね?」

「……うーん、〝クロスリンク〟の中ではそうしたスキルはないみたい。ただ、トラップ回避のスキルはつくみたいだよ。後は、敵からの逃亡率も高い、経験をつめば〝盗む〟なんてスキルも身につくみたい。モンスターからお金やアイテムを……」

「いいえ結構。相手がモンスターだろうと、盗みは犯罪だわ。気に入らない」

「……そ、そうだね……」

 メグさん……空き巣にでも入られた事があるのかな……。

「次は?」

「まぁ女性キャラの無難な所は魔法使いとか僧侶とか? 魔法使いは攻撃系の魔法を覚えられるし、僧侶は回復呪文が覚えられる。回復系が使えるっていうのは結構冒険の中では強みなんだけどね。パーティーでは重宝される」

 メグさんはオムライスを、どこか上の空で食べて行く。

「回復系だったら、吟遊詩人ってのもあるんだ。癒し系の歌が歌えるようになるらしい」

「カラオケ苦手だけど」

「……あっちの世界とこっちの世界は微妙にしかリンクしてないから、大丈夫だと思うよ」

「何? 歌のレッスンしてくれるって事?」

「……そんなようなもんだね、きっと」

 詩人か……とメグさんは呟いた。

「召還士も面白そう。タイタンとかシヴァとかそういうの呼び出すんじゃないかな」

「……タイタン? ああ、映画にもなってた神話の神様ね」

「うん……かな?」

「武道家っていうのは……空手家とか柔道家みたいなもの?」

「そうだね。剣を使わず腕っぷしでモンスターをぶった叩いていくんだよ」

「それ、いいね。武器代かからなさそう」

 うーん、うーん、と悩んで悩んで悩んで。

「もう一晩考える」

「やり直しも効くから」

「うん。でも、やるからには中途半端にはやりたくない」

 そうか……さすが元主将だ。

 メグさんの職業問題は、もう少し考えてもらう事にした。

 ……ゲームでの職業の話はできるけれども。リアルでのメグさんの職業問題はちょっと、聞けなかった。

 辞めるって前に言ってたけれども、あれからどうしたのか……。

 兄貴が死んで、もうすぐ3ヶ月が経つ。

 俺達は現実から目を背けているのかもしれない。でも。

 ……それが今の、唯一の救いだとも思った。





 そして翌朝。メグさんからメールが来てた。

『僧侶になるわ』

 何で僧侶にしたの? と後で尋ねた。そしたらメグさんはたった一言こう言った。

「私は回復魔法が使えないから」と。

 そうだね……俺達は回復魔法が使えなかった。

 もしもあの時使えていたならば。

 ……。

 理想と現実のこの世界で。

 メグさんは何を見てるんだろうかと、そう思った。



  ◇



「僧侶は上の階なのね」

 その夜、2人は修練所ではなく城を目指した。

 グリッド・エンブレム王国のお城。

 【初心者の服】を着た2人。こんな囚人服みたいな格好で城に入っていいのかと一瞬ドギマギしたけれども。

『冒険者だな、通れ』

 門番は簡単にそう言った。……ボロは着ててもメグさんの美貌にやられたのかもしれない。

『凄い建物ね』

『ああ、グリッドの城の設計は自信作だって佐伯さんが言ってた』

 兄貴の仲間の佐伯さん。この前また兄貴に手を合わせにやってきた。

 その時「入った?」と尋ねられ、俺は「はい」と返事をした。すると佐伯さんはとても嬉しそうに笑った。

「今どの辺?」

「まだ職業決めです」

「えー、データ渡してどんだけ経ってるのよ」

 佐伯さんは天然パーマがややこしい渦を巻いている。視力も悪そうだった。

「で、職業は?」

「まぁ、無難に剣士予定で」

「無難だねぇ。俺的には執事とかオススメよ? 身代わりとか、テーブルクロス引きのスキルが出来るようになるよ」

「……テーブルクロス引きって、執事の技ですかね」

「覚えたらね、隠しコマンドで町中の家の中のテーブル引きゲームができるようになるんだけどね。他のアバターもきっとビックリするよ。実際食器割れるムービーも仕込んであるし」

「……」

「後、何気に二刀流使えたりもする」

「え!? 執事がですか?」

「うん。これは公式にも載ってない、レベル30まで上げないとわからない裏技」

 ニヒヒと笑う佐伯さんを見て、この世界の裏に対して不安を覚えた。

『剣士は1階の奥か……』

『じゃあ、別々なんだ?』

『みたい』

 俺は一瞬考えて、

『不安なら、一緒に行こうか?』と尋ねた。

 メグさんが僧侶になるのを見届けてから、剣士になってもいい。それか、俺は俺で別の日になってもいいけれども。

 メグさんは言った。

『大丈夫。一緒になろう』

『うん』

 俺は深く頷いた。

『じゃあ、終わったらここで待ち合わせね』

『あ、俺ちょっと……時間掛かるかも』

 ――佐伯さんが言ってたんだ。

『剣士は、なる時にちょっと……試験があるんだって』

『試験? 担当の教官に話しかければいいだけじゃないの?』

『他はね。ただ剣士と武道家はちょっと実力テストみたいなのがあるらしい。レベル低いのに、面倒な事させるよね』

『大丈夫なの?』

『わからない』

 何たって、システム作ってるのがあの天然パーマの人だから。

『わかった。待ってる』

 ――待ってる。その言葉に俺はハッとした。

『もし私の方が遅かったら、その時は待っててね』

『うん』

 迎えに行く、そう書こうとして。

 ……俺は、やめた。

『じゃ、また後で』

 後で……。

 そうして俺とメグさんは。この世界にきて初めて。

 別の道を、選んだ。





 ――待ってるから。

「……」

 【瞬】は歩いて行く。

 剣士の職業所は一番遠い。一番メジャーなんだから、近くてもいいのにと思いながら。

 でもその道、城の造りとかそういうもんは目に入らず。

 ただ俺の脳裏には、あの日の光景が浮かんでいた。

 待ってるからと、メグさんは……先輩はそう言った。

 ――中学の卒業式の時だった。

「もう、瞬君は泣き虫なんだから」

 メグさんはそう言って、俺の肩を抱いてくれた。

 あの頃俺はまだチビで。

 メグさんの……先輩より少しだけ小さくて。

 バカで、泣き虫で。

 そんで。

 ……一途に。

「……卒業しないでください、先輩……」

「えー? もー、この子は」

「……行っちゃ、嫌です……」

「男の子は泣いちゃだめだよ」

「だって……」

「あはは、今生の別れじゃないでしょ?」

 胸の中の気持ち、簡単に正直に。

 俺は泣きじゃくってそう言ったよ。

「私、旭丘高校行くから」

「……」

「弓道部入るからさ」

「先輩……」

「待ってるよ、瞬君」

「……」

「えへへ、頑張って来て。瞬君、弓磨いてさ来てよ。また一緒にやろうよ」

「……はい……」

「あはは。ほーらー、もう何とかしなよ涙と鼻水。バッチぃなぁ」

「すいません先輩……」

 ティッシュ出して、メグさんはグイグイと鼻を拭ってくれた。

 痛かったけど。

 だから涙が、もっと出たわけじゃなかった。

「もう卒業だよ」

「……」

「次は高校で。〝メグ先輩〟はそれまで卒業」

「……何て呼べって言うんですか」

「前みたいにさ、メグちゃんって呼んで?」

「……そんな」

「いや?」

「……」

「卒業してまで瞬君に、先輩って呼ばれるのはヤだなぁ。中学にいるうちはさ、他の後輩の手前仕方がないと思ってたけどさ。他人行儀じゃんか。本当、ヤだなぁ」

「……メグさん」

「さん? えー、何か微妙」

「でも」

 もう戻れないよ。

 メグちゃんなんてもう……呼べない。

 何も知らない子供の頃のようにはもう。

「卒業、おめでとうございます……」

 春からメグさんは違う学校へ通う。

 違う制服着て。俺とは違う道を歩いて。

「……ありがとう」

 行かないでとは言えたのに。

 俺はあの時、本当の本当の本当に言わなければいけなかった事を、言わなかった。

 あの時の俺には言えなかった。

「泣かないでって」

 好きですなんて。

 ……言えなかった。

 泣くのこらえるのだけが必死な、ガキだったから。

 ――そうして、俺はメグさんと別れた。

 俺はそれから、旭丘高校へ入るために必死に勉強して、弓道も頑張って。

 ……んでも、俺が高校にたどり着いた時。

 もう、メグさんは、兄貴に会っていた。





 メグさんに初めて会ったのは俺の方が先だった。

 でも俺は、逃げ続けた。

 その結果が、今に至った。





 突き当たりに扉があった。

 くぐれって事だろう。剣士になりたいってのならば、この先に。

 この世界で剣を持ち、俺は何を求めようっていうんだろう?

 答えは出ないけれども。

 ――待ってるから。

 あの時と同じように。俺はメグさんを追いかける。

 そのためだけに、歩いていく。

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