第6話:蒼先輩は何処に

「おはよう、蘭子ちゃん!」

「……おはよう」


 雪香ちゃんと明里ちゃんに返事をする。

 そう、夢はどうやら続行中らしいのだ。


 おかしいなー。朝目覚めたら現実に戻っていると思ったんだけど。

 というか、昨日は興奮でそこまで考えなかったけれど……本当にこれは夢なのだろうか。


 腕をつねれば痛いし、お腹も空く。

 疲れもするし、昨夜飲みっぱなしにしたティーカップはそのままリビングに置かれていた。


「うーん……」


 正直、一つの可能性にたどり着いてはいるんだよね。

 まぁ成人済み女性が行きつく可能性としてはあまりに愚かかもしれないけれど。


「蘭子ちゃん、なにか悩み事?」

「大丈夫?体調でも悪いの?」


 心配そうにこちらを覗き込む二人に大丈夫だよと笑顔を作った。

 いけないいけない。二人に心配させるのは得策ではないし、悩みはあくまで自分の中に隠し通そう。



 昨日と同じように授業を終え、頭が軽く麻痺したようにぼんやりする。

 数学はどうも苦手だ。いや、昔から苦手だったし仕方ないかもしれないけどね。


 逆に得意科目である英語なんかは簡単すぎて、かえって眠くなってしまう。

 だってまだThis is a penのレベルだ。

 改めて思うけれどThis is a penよりも先に習うべきことがあるのではないだろうか。

 いや、文法的にそこから学ぶのが一番応用がきくんだろうというのは理解できるんだけど。


 文法を集中して教えるよりも、英語って楽しいって思わせた方が勉強は進むと思うんだけどなぁ。

 そのためにはやっぱり、実際に海外に行くのが一番良いと思う。

 最初に海外に行って、英語が通じた時の楽しさは今でも忘れられないもん。


 今は久しぶりの授業という緊張感から眠らずにすんではいるけれど、もしこの生活が続くならそのうち寝てしまうかもしれないな……。


「蘭子ちゃん、今日も部活見学行く?」

「海若くんと一緒に行くなら、そっち優先で大丈夫だけど」


 にやにやと笑う二人。

 これは早く訂正しないと外堀を固められて右京ルートに突入する可能性があるな。断固阻止しなければ。


「今日は二人と一緒に――」

「蘭子、行くぞ」


 まるで当たり前のように声をかけてきた右京に、明里ちゃんたちがきゃあっと小さく騒ぎ立てる。


「いや、今日は――」

「いいよう、いってきなよ!」

「海若くんとならお似合いだよね」

「ねー」


 きゃっきゃと手を合わせている雪香ちゃんと明里ちゃん。

 あーん、だから本当に違うの!私が好きなのは蒼先輩なんだよー!


 だけどこの世界では恐らく会ったこともないのだろう。

 そんな先輩の名前を口にしたら説明が面倒くさすぎる。


 というか、下手したら先輩がこの世界に存在していない……なんて可能性もあるわけだよね。

 私の夢小説の世界に入ったのならば、いないわけがないとは思っているんだけど。

 昨日も放課後に頑張って探したのに、全然見つからなかったんだもの。不安にもなるよ。


 夢小説ならイチャイチャし放題だったのに……と若干悔しい気持ちになりながら、右京と一緒に陸上部へと向かった。


「おう、右京と蘭子!今日も見学か?」


 私達の姿を見つけて元就くんが駆け寄ってきてくれる。

 部活見学って完全にアウェイな空気管が普通だけれど、こうやって身内がいると気楽で良いよね。


 曖昧に微笑んで周りを見渡してみる。

 うーん……蒼先輩らしい人、いないなぁ。


 アニメだと皆の髪色がカラフルだったのに、この世界では全員まっくろくろすけだ。

 たまーに地毛が茶髪なんだろうなってレベルの人がいるくらい。元就くんみたいにね。


「ねぇ、元就くんの学年って部員は何人いるの?」

「ん?男女合わせて八人、だな」

「八人かー……」


 アニメと同じくらいかな。

 と、いうことは設定的には同じってこと?

 それなのに蒼先輩だけいないなんて、絶対におかしい。いるはずだ。

 と、いうかいないと困る。


「元就くんの同級生は、どの人たちなの?」

「んー。まずはあそこにいる秀介。昨日会ったよな。あとは――」


 次々と名前を挙げて紹介していく中に、蒼先輩の名前はない。

 えー……、本当に蒼先輩いないんじゃないでしょうね……・


「以上だな」


 運動場にいる同学年を丁寧に一人ずつ視線を向けて教えてくれた。

 だけどそこに蒼先輩はいない……。


 チーン、と心の中で侘しい鐘がなった。

 私、どうしてこの世界に来たんだろう……。

 いや、貝ヶ咲の世界に来られたのは嬉しいよ。でもね……


 私にとっては、蒼先輩こそが全てなんだ。


 悲しいけれど、諦めて元の世界に戻る方法でも考えようかな。

 力なく拳を握って踵を返そうとすると、右京の声が響いた。


「兄さん、さっき八人って言ってたけど今の紹介だと一人足りなくない?」

「ん?……あぁ、あとは蒼が休んでるからか」

「蒼先輩っ!?」


 思わず食いついてしまった。

 二人とも「えっ」って顔をしている。そりゃあそうだ。


「あ、いや……どうして休みなのかな、って」

「風邪らしいけど、どうだろうな」

「お見舞いとか行かないの?」

「んー、俺も忙しいからな」


 嘘つき。元就くん、昨日一緒に帰ってごはん食べる前にオセロで激戦を交えるくらいには余裕があったじゃないか。

 先輩の家がどれくらい遠いか知らないけれど、オセロをしている間にお見舞いに行けたでしょうよ。


 じいっと恨みがましく見るも元就くんはこたえていない。


 アニメでは元就くんと蒼先輩は親友のように熱い絆を紡いでいた。

 あの元就くんなら先輩が風邪なんか引いたら絶対にお見舞いに行くのに……この世界ではそれも違うのか?


「でもきっと風邪で休むなんて不安だと思うよ。プリントとか届けなくても良いの?」

「なんでそんな蒼を気にするんだよ」

「一般論として話しているの」

「一般論ねぇ……まぁ、考えておくかな」


 あ、こいつは行く気がないな。

 やる気のない元就くんに少し憤りを感じたものの、蒼先輩が休みだという事実を聞けただけで心は勝手に浮かれてしまう。


「……ふふふ」

「蘭子、なにニヤニヤしてるの?」


 おっと、いけない。

 慌てて緩む方を引き締め、真顔アピールをする。


 そっかぁ。先輩に会えなかったのは、学校を休んでいたからなのね。

 あぁ、良かった。なんだか安心したらお腹が空いてきちゃった。


「そろそろ帰ろうかな」

「え、もう?」


 戸惑う右京に蒼先輩がいないから、ここに居る意味がないとは言えず「数学の復習をしたい」と告げると納得していた。

 心なしか「蘭子は馬鹿だからな」というニュアンスが含まれた表情だった気がするけれど、気にしないでおいてやろう。

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