第7話
「今日こそ会えるかもしれないのね……」
蒼先輩が学校を休んでいるだけと聞いてから、胸のあたりがそわそわしっぱなしだ。
朝から丁寧にブローを繰り返し、鏡台に眠っていたラメ入りのグロスを引っ張り出して唇に丁寧に塗ってみた。
淡いピンク色は、つけているのかいないのか分からないくらい自然だけど素の唇よりツヤが出て良い感じ。
中学生なら、あまり濃いメイクよりもこれくらいが可愛いよね。
この世界の私は美少女だし、メイクなんてしなくても十分可愛い。
現実世界の私がプロのメイクアップアーティストに頼みメイクしてもらったとしても、こんなに可愛くはならないだろう。
「いいなぁ……」
可愛いってだけで、こんなに世界が明るくなるんだ。
現実の私が学生の頃は、全然メイクなんて興味なかった。
可愛くて派手な女の子たちが新作のコスメが~って話をしている横で、ずうっと夢妄想をしていたから。
私は夢妄想しているのが楽しいんだって思っていたし、実際楽しかったけれど心の奥底で自分の容姿について諦めていたのかもしれない。
少しくらいメイクしたところで、どうせそんなに変わりはしないんだって。
大人になってからはマナーとしてメイクを覚えたけれど、それも義務のように毎日行っていた。
もしも現実世界に戻れたら、自分に似合うグロスをしっかり選んでみようかな。
ふとそんなことを考えた。ま、いつ戻れるかどうかは分からないのだけどね。
貝ヶ咲の世界にやってきてから、今日で三日目。
初日、二日目と過ごして薄々気付いているのは『これは夢じゃない』ってこと。
成人済女性が考えるにはあまりに幼稚な推測だって笑われるかもしれない。
だけどこのリアルさは、夢だと言い切ることを戸惑わせる。
「このままこの世界で過ごしていったら、蒼先輩と結婚できるのかな~」
夢にまで見た蒼先輩との結婚。
プロポーズは何百通りと考えてきた。そのどれもが胸をときめかせた。
どんなプロポーズが一番良いか、とか考えだしたらきりがないけれど――
正直、どんな言葉でも良いんだよね。
蒼先輩が傍に居てくれるなら、それだけで幸せだから。
ぼーっとプロポーズについて妄想していると、ピンポンとチャイムが鳴った。
げっ、もうこんな時間!
慌ててカバンを手にとり、玄関へと向かった。
「遅いぞ」
「ごめんごめん、ちょっと考え事していたから」
「ふぅん」
右京に軽く謝って、学校へと向かった。
蒼先輩がどこから出て来るかドキドキしていたけれど、結局教室につくまでに蒼先輩と出会うことはなかった。
もしかして今日も休みなのかなー。
そもそも、こんな春先に風邪なんてひくかしら。
本当にただの風邪なら良いんだけど、もしも病気とかだったらどうしよう。
先輩が病気になるネタの夢小説は書いていないはず……だから大丈夫だよね?ねっ?
不安を抱えながら授業のために時間割を見る。
おっ、今日は一時間目から数学か。
実は昨日、しっかり予習復習してきたから自信があるのだ!
方程式や比例は、問題集と向き合っているうちにコツを思い出してスラスラ解けるようになった。
ざっと一年の範囲を全体的に見たけれど、ほとんど問題はなさそう。
ちょっと頭を抱えた空間図形の問題は二学期か三学期と習うのは少し後だろうし、それまでにしっかり予習しておこうっと!
「数学、苦手だなぁ」
雪香ちゃんは既に数学に苦手意識があるらしい。
わかるよー。数学って理解できればこれ以上ないくらい楽しいんだけど、コツが掴めないともう魔物と戦っている気分になるよね。
「数学、難しいよね。私も苦手で昨日予習復習したらやっと理解できたよ」
そう言うと雪香ちゃんは「蘭子ちゃん、予習復習しているなんてすごい」と感心した様子だ。
だって、成人済女性が中学一年生の数学すら解けないってちょっと……ねぇ。
私は変なところでプライドが高いから、どうせならちょっと良い成績がとりたいなーと思ったのだ。
現実世界ではバカで補習三昧だったけどね……。
「だから雪香ちゃんも分からないところがあったら訊いてね。教えられるところは教えていくから」
「蘭子ちゃん、ありがとう……!あの、あのね……早速、お願いがあるんだけど、」
「なぁに?」
「もしも私が先生にあてられたら……答え、こっそり教えてくれる?」
雪香ちゃんは恥ずかしそうに上目遣いで呟いた。
それがあまりに可愛くて「勿論」と言いながら笑顔がこぼれた。
あぁ、女子中学生の可愛さときたら……!まったく、中学生は最高だぜ!
それから一日授業を終え、部活見学へと向かう。
隣には何故か今日も右京。
そろそろ帰り道も覚えたから雪香ちゃんや明里ちゃんと一緒に行きたいなー……と思ったのだけど二人とも陸上部にはまったく興味がないらしい。
すっごくイケメンの先輩がいるよ!と元就くんについて教えると少しだけ興味を持ったけれど、二人とも既に別の部活でお目当ての先輩を発掘しているらしい。
二人は「右京くんと仲良くね」と見当違いな言葉を残して去っていった。
「陸上部、蘭子は入る気ないんだろ。なのになんで毎日見にいくんだ」
「それはー……」
蒼先輩を発見したいから、とは言えない。
この世界ではまだ会ってないんだもんね。
数多に書いた夢小説のうちの一つに「入学前に一度会っている」って設定があったけれど、あれがこの世界に通じているかは分からないし下手なことは言えない。
もしもその設定がここで活きていなかったら、わたしは妄言を繰り出すストーカー女に認定されてしまう。
「兄さんか」
私の沈黙を勝手に理解(誤解)し右京は頷いた。
「兄さん、喜んでいたぞ。蘭子が陸上部のマネージャーになってくれたらいいなぁって」
「そうなの?」
「あぁ。入部希望者が増えそうだよな、って」
「え、それって……」
「客寄せパンダだな」
「やっぱりそういう意味なの!?」
私がマネージャーになったくらいで入部希望者がどっと増えるとは思えないけれど……美少女ってだけで客寄せパンダになるのかなぁ。
確かに私も格好良い先輩に「うちの部活入らない?」って訊かれたら軽率に見学に行ったりしていたもんな……。
マネージャーになるのは少しだけ興味があったけれど、確かアニメでは主人公の学年は五人しかメンバーがいないはずだ。
もしも私が入部するせいで部員がどっと増えたら、今後話の進み方がアニメと変わってしまうかもしれない。
それは非常に困る。少しでも蒼先輩の傍にいたいけれど……主人公が入部しなくなったら本末転倒だ。
「蘭子と一緒の部活になれたら嬉しいって意味もあると思うぞ」
右京は再び私の沈黙を勝手に理解(誤解)したのか、見当違いのフォローをしてくれた。
ありがとう。でも別に元就くんにどう思われているかは重要じゃないんだ……。
右京の的外れな優しさに対する良い返事が浮かばなかったので、聞こえなかったふりをした。
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