第13話 囚人番号148  変身

 これは囚人番号148の正式な記録ではない。


 冬になると、自由時間も外に出ず屋内で過ごす囚人が増える。今日もオレンジ色の服の男女が、油の匂いの漂う食堂で暇を持て余していた。

「もうこの後は暇なの、先生?」

 すでにカウンセリングを終えた351は、ぼくの隣に座ったまま尋ねた。

「いいえ、それどころか今すぐ向かうべき依頼主がいるんです」

 彼女は寒くなる前の日焼けが未だに残る頬でくすりと笑った。

「同業者は苦手なんですよ」

「医者が相手?」

 ぼくは首肯で応えた。食堂に備え付けられたテレビは歌番組を放送している。画面の中の女性が歌うのは、ここ最近流行っているラブソングだ。興味のない僕すら、歌詞を覚えてしまった。

“今までの自分を全部捨てて生まれ変わりたい“

 画面右端に移る時刻を見てぼくは立ち上がった。



 談話室のドアを開けると、ベージュの髪を一本の後れ毛もなくひとつにまとめた女性が座っている。囚人服よりグレーのスーツや白衣の方がずっと似合うだろう。148は目だけ上げてぼくを見ると、眺めていた雑誌を机の上に放った。

「この記事によると、男は次に生まれ変わっても男でいたいと思い、女は来世で男になりたいと思う比率が高いらしい」

 彼女はぼくが席に着くなり、雑誌の表紙に視線を滑らせていった。

「ジェンダーの話は苦手なんです。結局どちらかの立場からしか意見を言えない」

「カウンセラーの基本は中立、だったか」

 148は手首の丸い骨がくっきり浮いた手で頬杖をつき、呟いた。

「女性の方が変身願望が強いのは私の経験上もそうだ」

「あなたの被害者は女性だけでなく男性もいたでしょう」

 彼女は神経質そうな顔つきで片眉を吊り上げ、

「被害者?」と反復した。


 148は僕と同じ医者だったが、専門は違う。ぼくがひとの心を変えるように、彼女が見た目に手を加える。つまり、整形外科医だ。

 幼い頃から化粧品や洋服を見ても、自分が着るよりそれを着た人間がどう変わるかに興味があったという148は、患者たちのために非合法な手術にまで手を出した。ショーに出るため命に関わりかねない脂肪吸引を依頼するモデル。女になるためなら骨も内臓も削っていいと願う男。

「私は闇医者でもあったけれど、逃亡犯の顔を変えてくれなんて依頼は一度も受けなかった。ナイフで脅されても」

 そう言って彼女はうなじをぼくに見せる。真っ白な肌にケロイド状の引きつれた線が一筋走っていた。切れ味の悪い刃物を強く押し当てるとこんな傷になる。

「あなたの腕はひとを美しくするためにしか使わないということですか」

 彼女は満足げに頷いた。


 148を悩ませたのは、シリコンなど手術に必要な材料だ。後ろ暗い経営では入手経路も限られる。肌の色を変えたい少女の手術が控えながら、準備が不十分なことに焦っていた彼女の部屋にあるものが現れた。

 銀色の冷たいバットの上に、絹布のように丁寧に広げられた人間の顔の皮膚。そして、それを包む透明なラップには昨日急逝した白人女優のピンナップが、精肉加工者の写真つきの豚肉のように貼られていた。白い皮の口元には、女優と同じ位置にほくろがあった。148は翌日、それを患者の少女に使った。


 それから、豊胸手術の際には、両の乳房と事故死したグラビアモデルの写真が、鼻の手術の前日には、完璧な形を保った鼻と夭折した美貌のプロゴルファーの写真が届き、彼女は手術を成功させていった。

 148の逮捕の原因は、つい最近死んだアイドルが入れていたタトゥーが、術後自分の太ももにあるのに怯えた患者の告白だった。


「あなたのような、自分がしたことに自信がある方に、ぼくのカウンセリングが必要でしょうか」

 ぼくが苦笑しながら聞くと、彼女は眉間に皺を寄せ、真剣に言った。

「自分だけの秘密を持つのはつらいんだ。いや、私と患者だけの、か」

 帰り際、閉まるドアに向かって148は含みのある笑みを浮かべた。

「私の最後の手術は全身整形でね。身体に余すところなく、声帯にまでメスを入れた。それは大仕事だったよ」


 食堂へ戻ると、まだ351が長机の上で一眼レフを分解しパーツをひとつずつ丁寧に拭いていて、ぼくに気づくと遠慮がちな笑みを浮かべた。

 351の隣に座ると、彼女は話題を探すように視線を泳がせ、ふとテレビを見つめた。別の番組が始まっていたが、またあの歌手が映っている。


「あ、あの歌手整形してる」

 彼女の言葉に息を呑んだ。ぼくは平静を装って尋ねる。

「どこをです?」

「そう聞かれると……でも何だか違和感があるの。このひとが活動休止から復帰した頃からかな。元々綺麗なひとだったのにね」

 画面の中の歌手は美しい声で歌う。歌詞の続きはぼくも知っている。

 “これであなたのすべては私のもの。”

 ぼくは呟くように、351に聞いた。

「変身願望というのは、やはり女性の方が強いんでしょうか」

 たとえば、崇拝していう歌手に対して、いつしか自分が彼女本人に生まれ変わりたいと思うほど。

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