第8話 囚人番号401 ラジオスター

これは囚人番号401の正式な記録ではない。


 刑務所に足を踏み入れてすぐ、廊下につけてあったはずのスピーカーがすべてなくなっているのに気づいた。囚人に起床や消灯を告げるためのものだ。ほとんどはドライバーを使って取り外されたようだが、所々慌てて叩き割ったとしか思えない残骸があるものもある。

 今日のカウンセリング場所は独房で待だ。三人の看守が付き添いながら鍵を開けるとき、新入りらしい看守のみがぼくに怯えと好奇心がないまぜの視線を向け、後のふたりは目すら合わせなかった。


 部屋に入るなり、中央で拘束着をつけられた401が言った。

「俺は悪意があってやったわけじゃないぜ。有名女優がここに収監されてると聞いたから教えてやろうと思ったんだ」

「そんな記録はありませんし、元女優だろうと皇女だろうと、今ここにいるのは囚人だけですよ」

 ぼくは401から一メートルほど離してある背もたれのない椅子を引いて座る。突拍子もない話でまず聞き手の意識を引きずり込むのは彼の常套手段だ。

「じゃあ、ここは元々伝説の囚人001を収監する施設だったって知ってるか」

「放送室を乗っ取って何をしようとしたんです」

 401は笑った。黒い肌の彼が笑うと覗く真っ白な歯は、闇夜に浮かぶギリシャ神殿を連想させる。

「DJがやることはラジオの前でやることはひとつ、生放送さ」

「あなたの今の仕事は放送ではなく贖罪です」

 彼は拘束着の下で肩をすくめた。


 401の言う通り、彼は毎週金曜の午前零時に番組を持ち、過激な物言いで中高生に人気を博したラジオのDJだった。ラジオが放送された半年間、少年少女たちの流行は彼が作っていたと言っていい。

 401はラジオの最後、リスナーに課題を貸した。初めは今週毎日赤い靴を履けというもので、放送の翌日、靴屋から少しでも赤が入った商品はすべて品切れとなった。課題は401の論調と同じく、だんだんと過激になった。

真冬に水着で登校しろ。明日最初に出会った家族以外の人間と十秒間キスをしろ。殴り返してくる相手にぶつかるまで、出会い頭にひとをぶん殴れ。リスナーはすべてを完遂しようと全力を尽くした。

 DJを強制降板させられた401は動画サイトに五分足らず音声を配信した。

 配信後迎えた金曜の午前零時、十代の少年少女たちが各地で一斉にそのときいた場所から飛び降りた。死者は三十人、重軽傷含めると百人にのぼる。事件が起こったその日は、ちょうどエイプリルフールだった。


「ちょっとした冗談だったんだよ。やるかやらないかはリスナーの自由だろ?」

「ご自分が視聴者に与える影響力はわかっていたでしょう」

 401は不満げに仰け反ったかとおもうと、バネのように身を起こし、限界までぼくに近づけた。

「あるラジオのDJが四月一日、地元の水道にある物質が大量に混入していると話した。その物質は酸性雨の主成分でもあり、形状によっては火傷の原因になったり、それに完全に包まれると呼吸が妨げられ最悪死に至る。その危険物質の名前はジハイドロジェンモノオキサイド。何かわかるかい?」

「一酸化二水素、水でしょう」

 なんだつまらない、と401はまた自身が拘束されている椅子に身を預けた。

「何が言いたかったんです」

「ちょっと言い方を変えれば、あとは聞いた方が勝手に想像してくれる。ドン・キホーテさ。俺がやってんのはそういうことだよ」

 でもあなたの最後の配信は、と言いかけ、ぼくは口を噤んだ。


 ぼくが独房を出ると、新人の看守だけがいた。ぼくは尋ねた。

「401は放送機器を乗っ取って、何を言ったんです」

 看守はぼくが独房に入る前の変わらぬ目をしたまま、短く答えた。

「幸い、奴が何か言い出す前に取り押さえました」

「それはいつ頃」

「先週金曜の深夜。401の脱走が確認されてから発見、確保まで五分弱です」

 ぼくは礼を言って、その場を離れた。独房の錠がおりる音がする。

 不安が拭えないのは、エイプリルフールに401が配信した音声データを聞いたからだろう。音声の中で、彼は四分四十一秒ひとことも喋らなかった。ノイズすら混じらない完全な沈黙だ。


スピーカーが取り外された後の壁は、そこだけ日に焼けていない。空いた釘穴が、ぼくを睨む四つの黒い目に見えた。

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