第9話 囚人番号459 犯行予告
これは囚人番号459の正式な記録ではない。
正直に言えば、459を誰とするのが正しいかぼくには断言できない。
いつも通り刑務所を訪れ、高くそびえる灰色の壁を見上げると、898が上階の窓に身を預け、遠くを眺めているのがわかった。外側に投げ出された二本の腕は、窓枠に黒い蔦の植物が絡んでいるように見える。
階段を上がり、ぼくが背後に立っても反応しない898に声をかけると、彼は黒い刺青の這う痩せた腕で窓の外を指した。人差し指の先には、受刑者が出入りする門があり、その周囲に囚人服から各々来たときの服装に着替えた九人の男女が並んでいる。みな雨の日にいつまでも来ない親の迎えを待つ子供のような不安げな顔をしていた。彼らは全員459だった囚人たちだ。
「釈放か」
と、898は窓枠に頬杖をついて言った。ここに釈放などというシステムがあるだろうか。
「やっと本物が見つかったそうですよ」
怪訝な表情で初めて顔を上げた彼に、今度はぼくが指をさす。私服の集団のすぐ傍を、看守に脇を固められた囚人服の少年が通り過ぎ、建物の影に呑まれて見えなくなった。898が口笛のような音を立てた。
「こんなのおかしいよ。おれまだ成人じゃない」
談話室に入るなり、新しい459となった少年は思春期の子どもらしい赤いニキビのある顔をこちらに近づけて叫んだ。
「見れば、わかりますよ」
「だったら少年院のはずだろ。出してくれ。あんな刺青だらけの男どもと一緒に入れられたら、明日には殺されるかもしれない」
彼がひとを殺す手段は爆殺のみで、爆弾はこの刑務所には存在しないのだという説明は、今この少年を安心させるのに何も役立たないだろう。ぼくは机に肘をついてなるべく静かに言う。
「ここはただの刑務所じゃないんです。ここに入れられた理由は君が起こした事件が普通じゃないから、そうでしょう?」
459は机に突っ伏した。
459が起こした、と便宜上呼ぶべき殺人事件はぜんぶで十一件だ。その十一件にはすべて事前に犯行声明が出され、必ず予告通り犠牲者が出た。飛行機で一日かかる距離で五分間のうち459による予告殺人が起こったこともある。国や時間は関係なかった。
少年は机に伏せたまま、くぐもった声で話し出した。
「違う、おれが殺ったのはひとりだけだ。しかも予告殺人なんかじゃないんだよ」
少年の話はこうだ。彼は交際中だった少女と別れ話の末、不本意ながらも殺害してしまった。何とか隠せないかと彷徨っていた少年は、街外れのトンネルに住み着いていたホームレスが冷たくなっているのを発見する。彼は家に帰ってすぐ、数学のノートを破って、近くの交番宛てに投函する手紙を書いた。ネットを使わなかったのは、履歴を捜査されるのを恐れたからだと言う。そして完成したのは、置き去りにした彼女の死体の場所と、ホームレスのいたトンネルの住所、デタラメな時間と共に、
「わたしは死そのもの。いつでも、どこにいても必ず訪れる」と記した、犯行予告だった。手紙と遺体はすぐ発見されたが、それから一ヶ月半の間に、世界各地で同一の文章を使った犯行予告が九件出された。捜査も空しく、予定の時刻が訪れるとその通りの場所でひとが死んだ。
その後、ひとりの容疑者が逮捕されると、芋づる式に自首するものが現れ、九人の老若男女が逮捕された。彼らはみな、書かれた場所と時間は違えど、少年が投函したのと同じ文面と手紙を受け取ったという。そして、それを見た瞬間、神の啓示のようにそれを遂行しようと思ったのだ。予告があるならば、事件がなければならないというように。それが今日出所した彼らだった。
「あんなのぜんぶ適当に書いたんだ。そんな力あるわけない」
少年は顔を上げないが、声音からして泣いているのだろう。
「今日出た彼らのように、関与がないとわかれば君も出られますよ」
そう言いつつ、それは難しいともわかっていた。彼が二枚を犯行声明に使ったはずの数学のノートは、合計で十一ページ破り取られていた上、例の文言が書かれた紙がまだ一枚余っていた。
帰り際、898は未だに窓際に座っていた。
「459、まだガキだったな」
独り言のように言う彼を見て、行方不明になったという妻との間に子どもはいたのだろうかと思う。
「実際あの事件は難しいだろ。先生ならどう落としどころをつける?」
ぼくは898に並んで外を見る。日は落ち始め、刑務所の門には地獄の炎のような灯りがともった。
「彼のノートを収監します」
「じゃあ、俺じゃなくて爆弾を檻に入れてくれよ」
そう笑う898は、聞き分けのない子どもに向ける父親の表情だった。
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