第3話 囚人番号351 パパラッチ

 これは囚人番号351の正式な記録ではない。


 ぼくが今までに記したふたりの囚人はいずれも大量殺人犯にあたるのだろうが、そうでない者もここには多い。351もその例だが、それでも自分の罪を深く後悔し、ぼくが週に三回カウンセラーとして訪れるたび必ず予約を入れる。

351は髪を高い位置でひとつにまとめた、鳶色の瞳の女性だ。二十一歳の誕生日に入所し、二年が経つ。


殺風景な独房で、351はパイプべッドに腰かけて、写真集をめくっていた。声をかけると、驚いたような表情を見せた。彼女がベッドに放り出した本の表紙では、全裸の女性が真っ赤な花畑の中で手を広げている。


「写真は好き。自分が撮ったもの以外はね」

 351は囚人や看守のごった返す中庭で、隣を歩くぼくにそう言った。日光に弱い体質らしく、いつも鼻の周りが日焼けで赤い。

「いつかレンズに映った風景そのままの写真が撮ってみたい」

そう呟くときの笑顔は無邪気だが、彼女も間接的にひとを殺している。


 351に宿っていた力は、小さい頃から写真好きな彼女にとってあまりに酷だった。

十歳のとき、初めて買ってもらったトイカメラで351は家中を撮ってまわった。当時家は彼女以外無人だったが、現像された写真にはひとが写りこんだものが数枚あった。庭の花壇の写真には、スコップを手にし、土の上にしゃがむ母親の姿があった。家の門を写したものには、いつからか門柱にあった汚れの部分に手をつき、嘔吐する見知らぬ男が写っていた。

十四歳のとき、学校で飼育していたうさぎが殺される事件があった。351は周囲に気づかれないようシャッターを切った。うさぎの傍らには、軍手をはめた右手に鋏を握った同級生がいた。

 351の撮る写真には、写した事物の原因が写りこむ。彼女は念写の類だと言った。最初はその力を役立てようとしたらしいが、警察は取り合わなかった。法が払いのけた彼女に目をつけたのは犯罪者たちだ。彼女はある非合法組織に拾われ、金を持ち逃げした男や、浮気相手と駆け落ちの計画を立てていたボスの愛人などをすっぱ抜いた。351に写された者たちは、郊外の倉庫に連れていかれ、床や壁に染みだけ残して消えた。

「そのときはまだ、自分の念写の欠点を知らなかったの」

と、彼女は言う。

あるとき、組織の中に内通者がいると噂が流れた。351がボスの部屋を写すと、ボスしか番号を知らないはずの金庫に触れる男の姿があった。彼は組織の一員で、351が想いをかけていた相手だった。彼女は写真を隠そうとしたが、すぐに見つかった。男は倉庫の染みになった。

後日、351がフィルムを現像すると、ボスの部屋以外にも、アジトの駐車場や、例の倉庫の周辺を写したすべての写真に彼が写っていた。

その日に警察に駆け込んだ彼女はひどく取り乱し、対応した警察官に「死刑でいいから逮捕してくれ」と懇願した。


「誰かを好きになると、そのひとしか写らなくなるなんて馬鹿みたい」

 中庭は陽射しが強く、351の顔はすでに赤みを増している。早く室内に戻った方がよさそうだ。

「わたしって物事を知る前に原因が見えるから、写ったものを全部信じちゃうの。カンニングをして、その答えが本当に合ってのるか確かめないのと同じ。写真には何でも写るのに、盲目みたいなものだよね」

と、彼女は俯いてそう言った。

「わたしのせいで殺されて、彼、きっと恨んでるよね」

「もしかしたら、彼は本当に裏切り者で、机以外にも車や倉庫に細工をしていたのかも」

 ぼくがそう言うと、351は優しく微笑んだ。


「そういえば、頼んでいた写真はどうなりましたか?」

 351と別れて次の囚人の元へ向かう前、ぼくは聞いた。先日刑務所の塀に小さな穴が開いていて、看守から彼女に写真を撮らせるよう言われていたのを思い出したからだ。351は慌てたように、現像が上手くいかないのでもう少し待ってほしい、というと足早に去っていった。忘れていたのだろうとぼくは思った。


 帰り際に食堂付近で898と会った。彼は紙パックのオレンジジュースを持っていて、これでも爆弾を作る方法があると話す。

「そういえば、これが落ちてたんだ。誰のか知らないが、ここで写真なんて撮るのはひとりだけだろ」

 898は含みのある笑いで、一枚の写真を差し出した。裏返すと、曇り空を固めたような刑務所の壁と一緒にぼくが写っていた。


これは囚人番号351の正式な記録ではない。もちろん、自慢で書いたわけでもない。

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