第6話 囚人番号241 ロリータ

これは囚人番号241の正式な記録ではない。


004の独房で不穏なメモを拾ってからも、ぼくは変わらず刑務所門をくぐる。ここに来るのは義務や使命感というより、現象のようなものだ。もはやぼくの意志は必要ない。今日は珍しく、本来のふさわしい場所である談話室でカウンセリングを行う。


241は銀色の固そうな髪をオールバックにした、六十歳を超える老人だ。丁寧な言葉遣いの痩身痩躯の男性で、以前は小児科医だったらしい。

「お久しぶりです、先生」

 向かいのソファに腰かけた241はそう言った。彼も昔はそう呼ばれていたのだろうか。自分よりもよほどその肩書きが似合うと思える相手に、そう呼ばれるのは何となく落ち着かない。

「もっと早く予約を入れたかったのですが、何しろこれが」

 そう言って彼は白濁した左目を指した。彼の年齢と罪状は、凶暴性を持て余した囚人が因縁をつけるのに格好の材料だ。

「いえ、傷跡も落ち着いたようで何よりです。大変な災難でしたね」

「殴られるのは大した問題ではありません。今の苦しみに比べれば」

 苦しみ、と聞くと、241は上品に眉間に皺を寄せた。

「彼女を失った苦しみです」


 241は代々医者の家系に生まれた普通の子どもで、七歳のとき同い年の少女にごく普通の初恋をした。彼が大多数と違ったのは、中学生、高校生になっても、医大を卒業し医者になってからも、恋心を抱くのは七歳の少女だったことだ。彼はそれをひたすら隠し、同じ病院で看護師だった女性と結婚し、双子の男子を儲けた。


「ライオンの肉食への衝動を消してはやらずに、牙だけ抜いて野原へ放り出す。この社会は、それと同じことを平気でします。獲る術のないシマウマを見せられて、どうすればいいのでしょう」

普通の生活を続けた彼は五十五歳、妻の三度目の命日に忽然と姿を消した。半年後、遠く離れたモーテルで、不審な老人が七歳程度の少女を連れて長期間滞在していると通報があった。事情聴取にきた警察官に対し、241はドアチェーン越しに発砲した。十一時間の立て篭もりの末彼は逮捕された。

保護された少女は誘拐されたと思われていたが、彼女の親族だと名乗るものは現れず戸籍も見当たらなかった。少女を採血した結果、人間ではあり得ない成分が検出された。241の逮捕から一日後少女は急死した。


「彼女は、初めてこの世界で私をそうありたいようにさせてくれました。そうあるべくように、と言った方がいいでしょうか。彼女は天使です」

 ぼくはノートにペンを走らせるふりをしつつ、視線をわずかに上げる。

「彼女のいない今どこにいようと同じことですが、唯一心残りなのは、獄中では彼女の墓に花を捧げるのすらできないことです」

「あなたといた少女の墓はありません。遺体は安置所から消えました。彼女は何だったのですか?」

 241は薄水色の右目と膜の貼った白い左目でぼくを見、苦笑した。

「あなたが知らないならば誰もわかりませんよ、先生」


 一時間後、ぼくの正面には白銀の紳士ではなく、黒い炎の入れ墨をした898が座っている。彼は机上の見取り図に、赤鉛筆で直線や円を書き込んでいた。新しく建設されるターミナルでテロが発生した場合、どこに爆弾を仕掛けられるとどういった被害が出るのか考察する仕事らしかった。

「あるべき姿なんてものはないんだ、先生」

 898は灯りに見取り図を透かし、片目を瞑ってみたりしながら言った。

「銃が置いてあったからって、それでひとを撃ち殺したら、銃がそいつを犯罪者にしたって? 冗談じゃない。銃があったって撃たない奴は撃たない」

「でも、そうなるきっかけは与えたかも」

 彼は見取り図を机に置き、複雑な模様の絡む指を組んでぼくを見据えた。

「そんなに難しい話じゃない。銃がある、撃つ、ひとが死ぬ。それだけだ。俺の爆弾だって同じさ。現象みたいなもんだよ」

現象。ぼくがここに来るときに思ったのと同じことだ。

「ぼくがカウンセラーなのも、そうあるべきだからじゃなく、ただそうなっているだけかな」

「そりゃあそうだ。こんな性格の奴がなるべくしてカウンセラーになったと思うか?」

 898はそう言って笑うと、図上のエントランスと書かれた楕円に赤い線を引いた。

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