囚人番号589  ハイリターン(下)

 巨大なトラックの後方が開き、まばらに群がった囚人たちが、身体の半分ほどの大きさもある袋を運び出していく。

 巨大な刑務所には毎日大量の備品や食料が届く。その運搬はもっぱら囚人たちの役目だ。今日は麻袋に詰められた砂糖や小麦粉などが何トンも運び込まれる日だった。


 両端に並んだ看守たちに見守られ、緩慢に列を作る男たちは年齢も背丈も人種もバラバラなのに、同じ種類の蟻の行列に見える。


 ぼくは刑務所の渡り廊下の大きな窓から、駐車場を見下していた。

 隊列の中には589の姿もある。

 刑務所の影から両脇を看守に固められた爆弾魔が現れた。彼は手錠を外されると、麻袋を掴み、肩に乗せる。ここでは囚人たちの喧騒も聞こえず、色付きの無声映画のようにも思える光景だ。


 589と898は目も合わせない。

 細かく複雑な刺青は、ここから見ると肌を覆うヴェールのように見える。肌の下で迸る黒く細かな血管の下に滲み出すほどの殺意をたぎらせて、それでも、画面の中の無害なエキストラのように淡々と荷物を運んでいた。


 本来はこうして映画を眺めるように、いつも彼らを観察するべきなのだろう。

 カウンセラーの仕事は傍観だ。話は聞いても過度な干渉をするのは役目ではない。ましてや、問題があったとき、どちらかに肩入れするなど以ての外だ。


 囚人たちは二、三の袋を背負って食堂裏の倉庫へと続く扉へ消えていく。

 長方形の闇の中に589も吸い込まれていった。最後尾の898がそれに続き、扉が閉まる直前、振り返ってぼくを見た。

 スクリーンの中ではありえない、生々しい、何人ものひとを殺した爆弾魔の目だ。


 ぼくはポケットに手を伸ばす。

 煙草の箱を取り出し、もう一度ポケットに指を入れ、底の布地に触れた瞬間、轟音が鳴り響いた。


 ぼくは渡り廊下を抜けて、階段を駆け下り、駐車場へ出る。日差しと熱気に目の奥で光が明滅する。

 半開きになった扉からもうもうと上がる黒煙と悲鳴と囚人たちが溢れ、競うように飛び出していった。


「何があったんですか」

 囚人の肩を掴んで尋ねると、彼は手を振り払い、無言で走り去った。顔と服が煤で真っ黒だ。


「先生」

 振り向くと、960が立っていた。他の囚人と同じように汚れながら、現場検証に立つ刑事の声で彼は言う。

「爆発です。突然のことで、詳しくはわかりませんが、898が何かを」

 ぼくは煙が噴き出す扉の向こうへ飛び込んだ。


 視界が黒一色に染まる。焼け焦げた通路とそこら中から響く呻き声は惨状としか言いようがないが、辺りには場違いなほど甘い香りが立ち込めていた。

「砂糖……粉塵爆発か」

 ついてきた960が静かに呟く。

 密室に可燃性の粉末が空気中に漂っている状態で火をつけると、引火して起こる爆発だ。


 ぼくは引きちぎれた麻袋の残骸を見下ろす。

 煙の奥に人影が蠢いた。後ろから駆けつけた看守たちがぼくを突き飛ばし、影の元へ向かう。


 制服の肩の間から見えた、瀕死の囚人は589だ。

 碇を抱えた骸骨が彫られているはずの腕が、今にも千切れそうなほど焼け爛れている。


 怒号とともに、看守に押さえつけられた898が連行されていく。

 ぼくの脇を通りすぎる瞬間、彼は微かな声で呟いた。

「挑戦、したよ。先生」


 爆弾魔は振り返りもせず、扉の外へ消えた。後には無人の地獄絵図が残っただけだ。

 視界の端に何か煌めくものがあり、目を凝らすと、ぼくが懲罰房で898に渡したライターが、炭の塊のように横たわっていた。



「ライターの出処を隠すのが一番大変だったんだぜ。あれさえなきゃもっと早く出られてた」

「証拠隠滅、ありがとうございます」

 爆発から二週間、ぼくはやっと懲罰房での謹慎を解かれた898とともに中庭を見下ろしている。


 思い思いに自由時間を過ごす囚人たちの中には、歩き回れるほどに回復した589の姿もあった。

 これだけ問題が起きた後も、彼らが移送されることはなかった。奇異な犯罪者を収監できる場所がここ以外にないのは本当らしい。


 バスケットをする囚人たちの群れから転がってきたボールを、彼はしっかりと両腕で掴み、投げ返す。


「第三度熱傷で丸ごと切除しようってときに、完全に適合する腕が見つかるなんてな。死人が出ない爆発をやったのは初めてだ」

 爆弾魔が苦笑した。


 あり得ないものを爆発に巻き込むのなら、過去の事件現場に未来の589の腕が混じってもいいはずだ。

 法則の通りに爆発を起こした後は、天命に任せればいい。


「真実か挑戦か」

 独り言のように呟いた898に、ぼくは真実と答える。

 中庭を眺めたまま彼は言った。

「こうなるって予測はついてたのか」

 少し考えて、ぼくは言った。

「ぼくは大丈夫だと思っていましたよ。彼が失ったものは全て元通りになるんですから」


 失った腕も、失った関係も。


 視線に気づき、589がぼくたちを見上げる。

 刺青のない真っさらな手で彼は親指を逆さに立てた。

 898も炎の紋様が絡んだ中指を立ててそれに応じる。

 一瞬、細められた彼の目は今と昔の共犯者に向けて微笑む、優しい悪人の目だった。

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