第2話 囚人番号710 臆病者
これは囚人番号710の正式な記録ではない。
710は今年で三十八歳になるが、ティーンエイジャーにも、五〇過ぎにも見える男だ。体重は百キロを超えている。彼のオレンジ色の繋ぎのような囚人服が洗濯されているのを見たが、ズボンは片足だけで僕の腰が丸々収まりそうなほど太かった。彼の体重は逮捕されてから変化ない。
「慌てて食べるからいつまでも痩せないんだと思う」
ぼくは食堂の長机で710の隣に座りながら、彼が短いスプーンを使い、ゼリーを口に流し込んでいくのを眺めている。昨日他の囚人ともめたらしく、無事に食事を終えられるよう、付いていてほしいと頼まれたのだ。ぼくがいるから焦って食べる必要はないと言うと、
「もう習慣になっているんだ」
と、歯の隙間から紫色のゼリーの欠片を覗かせて答えた。昔から因縁をつけられやすい方だったと彼は言う。
710の罪状をひとことで伝えるのは難しい。この男は三十四人を銃殺したとも言えるし、誰も殺していないとも言える。現時点で殺害したのは七人だと言ってもいい。
高校時代の彼は、今と大差ない肥満でいじめられっ子で、違うのは殴られる場所が学校のトイレか、この不可思議な刑務所の食堂かだけだ。ひびの入った便器の縁で切って二針縫った傷は、今も額に残っていると見せてくれた。
耐えかねた彼は、犯行予告を書き、一眼レフ程度の値段で買える凶器AR―15を鞄にしまって、級友三十三名と教師一名を撃ち殺そうとした。しただけだった。途中で教師に銃を見つけられた彼は、一発の銃弾も使う前に、パトカーに押し込まれた。
二年後、彼の同級生が交通事故で死に、解剖が行われたとき、その肋骨の隙間から錆びついたNATO弾が見つかった。続いて、710の担任だった教師が腎臓がんで逝去すると、同じく左脚のふくらはぎと大脳に弾丸が眠っていた。その後、710の当時のクラスメイトが命を落とす度に、遺体のどこからか銃弾が発見される。
「僕は復讐を成功させていたんだよ」
710は白身魚のフライに、プラスティックのフォークを勢いよく突き立てる。周りの囚人たちが針の視線を投げつけるのに彼は気づかない。
「三十四人殺したのはここの囚人でも多い方じゃないかな?」
「昨日、五十七人爆殺した男と話してきました」
ぼくがそう答えると、彼は途端につまらなさげな声になって言った。
「まあ短絡的だったとは思ってるよ」
ぼくは肩をすくめて、話を進めるよう促した。
「四十手前で同級生が七人も死んでわかった。わざわざ殺さなくたってひとは死ぬってね。それどころか人間みんな死神の銃につつきまわされて生きてるようなもんだ」
710はしばらく黙って、飛び散ったフライの衣をフォークの先で器用にかき集めていたが、やがて口を開いた。
「先生、僕はね、クラスメイトを全員射殺した後、自分も死ぬつもりだったんだよ。口の中に銃を入れて。だから、僕が死んだら必ず解剖してほしい。弾丸が見つかるはずだ。銃さえあれば僕はちゃんと自殺できる。他人は殺せても自分はできない臆病者じゃないって証明したい」
AR―15はそれなりの大きさの自動小銃だ。口に咥えて引き金を引く場合、彼だと腹の肉が邪魔して、相当な苦労がいるだろう。
そう思いながら、ぼくは解剖医に掛け合っておく、と約束した。
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