第20話 囚人番号318 偶像泥棒

 これは囚人番号318の正式な記録ではない。



 今、ぼくは二冊のファイルを持っている。

 一冊はいつも通りこれからカウンセリングの予定が入っている患者のカルテ。もう一冊は年も月日もバラバラの新聞記事のコピーが収められたファイルだ。


 ぼくは二冊目のファイルを開き、最初の記事を見る。昨日の朝刊だ。見出しは「失われた『彷徨う女神像』の右腕発見 海底47mから」。

 ぼくはファイルを閉じ、談話室の扉を開けた。



「まずいよ。右腕ってことは両腕揃っちゃったってことだろ。左腕はどこだっけ。博物館でも金持ちの家でも何処でも連絡して早く移動させないと」

 囚人番号318はぼくが部屋に入るなり腕に縋りついてきた。

「落ち着いてください。発見した団体には既に連絡していますよ」

「本当に? ああ、もうどうしよう。本当にまずいんだって。まだ動き出してないよな」


 最近似たような患者の対応が多い気がするが、囚人番号917の悲壮さとはやや違う。

 忙しなく部屋を一周してから飛び移るように椅子に座った彼が囚人番号318だ。

 小柄で痩せぎすな身体に合わない囚人服が肩からずり落ち、焦げ茶色の髪を掻きむしる姿はまだ少年のように見えた。


「終わりだよ、あれが全身揃ったら終わりだ。先生、奴のパーツはあとどのくらい見つかってない?」

「腹部の大多数と両脚はまだ」

 ぼくはラミネートされた記事を巡りながら言う。

「脚がないならまだ動かないか……」

 彼は水差しを取ってほとんど溢れしながらグラスに水を注ぎ、半分しか入ってない水を飲み干した。



 囚人番号318の罪状は窃盗。遺跡泥棒や墓暴きの類だ。

 数々の王墓や遺跡が残るある国のスラム街に生まれた彼は、貧しさから古代文明の跡地を暴き、法律より収集欲を優先する金持ちたちに売り捌く集団に入った。

 シンジケートという点では囚人番号898に近いが、小心故に強盗や殺人には手を出さなかったという。

 少ない取り分でその日暮らしをしていた彼に舞い込んだ大仕事が『彷徨う女神像』の発掘だった。


「芸術の価値なんかわからないし、遺跡と違って誰かのものじゃないから安全だと思ったんだよ。全然安全じゃなかったけど……」

『彷徨う女神像』は囚人番号318の生まれた国で千年以上前に造られた彫像だと言う。


 三メートルもの花崗岩を切り出して彫られた巨大な女神像。作者は不明で、幾つかの歴史書の挿絵にある、両手を上げて踏み出す不安げな女性の姿以外全体像もわからない。

 災害か戦火かわからないが、『彷徨う女神像』はバラバラにされて売り飛ばされ、壊され、地中や海底に深く埋められ失われたという。

 収集家の中で女神像の指先ひとつでも手に入れることは共通の野望だと聞いた。



「最初は確か鼻だったかな。砂の中から突き出してて、もうちょっとで岩と一緒にスコップで壊すところだった」

 囚人番号318は乾いた唇を舐める。

 鼻のひと欠片だけでスラム街の住民全員が半年は暮らせるほどの金が手に入り、彼は女神像探しに躍起になったという。

「次は片目、その次は腰布の一部、その次が顎で、左腕……だんだん揃ってくるとこっちも売る相手を値踏みするようになってさ。掘り出してもしばらく売らずに取っておいたんだけど、何かおかしいんだ」

 彼は結露したグラスを握りしめた。


「大きさがさ、どう考えても合わないんだよ」

「女神像のパーツが、ですか?」

「そう。目玉がおれの顔の二倍くらいあるのに下顎はその四分の一もないんだよ。絶対にバランスが悪いだろ。全長三メートルって聞いたけど脚だけで二メートル以上あるし。何かおかしいんだ。全部合わせたら化け物みたいになるはずなんだよ。それに……」


 囚人番号318の手に力がこもり、グラスが軋んだ。ぼくは彼の手に手を重ねて制止する。

「近づいてたんだ」

 手首に白く浮いた筋は緊張したままだ。

「売る相手ごとに離して保管してたのに、パーツが増えるごとにどんどん近づいて、ある日見たら木箱どうしがくっついて、中の……肩と腕が……溶接したみたいにくっつきかけてた」


 彼はぼくの手を払ってグラスを放り捨て、頭を抱えた。

「もうスコップで必死に叩いてめちゃくちゃにして、止めに来たボスたちを柄で殴って、砂漠をずっと走って捕まえてくれって警察に言ったんだ」

 ぼくは囚人番号318の震える背中に触れる。

「『彷徨う女神像』は押収され、各部位ごとに鉄の箱で厳重に保管されているそうです。今のところ問題もないそうですよ」


「おれ、あの石像造ったわけでもないし、造らせたわけでもないのにさあ。ただの泥棒だろ。何でこんなこと気にしなきゃいけないのかなあ……」

 囚人番号318は喘ぐように言った。


 ぼくは新聞のスクラップに視線を落とす。

 部品ひとつでも貴重な『彷徨う女神像』を掻き集めたときの危険性など誰も知る由がなかっただろう。


 この女神像は災害や戦火で失われたのだろうか。もし、危険に気づいた権力者の誰かが破壊を命じたとしたら。

 もしかしたら、石像ですらなく太古に打ち倒されたとてつもない魔物か何かの死骸だとしたら。


 真相は不明だが。勇気ある者か悪意ある者か、彼女をバラバラにした者の真意は神の意思と同じくらい調べようがない。

『彷徨う女神像』が真実を仄めかした相手はただの偶像泥棒だけだ。

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Jail Fragment 木古おうみ @kipplemaker

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