第3R『デビュー』-4

 九時半。出場者全員が集まり点呼が行われた。総勢約四十人。全員がリングに向き並んでいる姿は、これからリングの上で戦うための儀式のようにも見えた。

四十人はそのまま流れるように、視力検査や血圧、問診などの簡単な検診と体重計量に進んだ。僕はすべて問題なし。計量では、ほぼ全裸になってギリギリ通った人もいた。苦労する人は苦労してるみたいだ。僕はいつも54キロ。増減はほとんどない。アマチュアボクシングではバンダム級で今回の試合にもバンダム級で出場するから、減量の苦労はまったくない。ギリギリで計量を通ってほっとしている人の表情を見ると、なんだか負い目に感じてしまった。

会場に戻ると、先に検診と計量を終えた女子の出場者がグローブと番号が書かれたビブスをつけ待機していた。いよいよ試合がはじまる。

まずは女子演技の部。あこたんの姿もあった。ビブスの番号は五番。ビブスをつけたあこたんもかわええ。ビブス姿なんてそれこそ学校とかじゃないと見れないもんね。ボクシングをはじめたからこそ見れる姿だ。ボクシングやってよかった。

一番から四番までが呼ばれてリングの上に上がった。女子出場者は全部で十二人。四人ずつ三組で実施するようだ。

リングの上で二人ずつ二列に並び、その前後には白いレフリー姿の人たちが三人。それぞれ用紙を持って構えている。演技の採点をするための用紙だろう。

「まずはその場でワンツー」

レフリーの指示で静かにはじまった。それぞれが自分のリズムでワンツーをはじめる。レフリーがチェックし用紙に採点を書いていく。

「次、前後にステップ」

出場者は指示通りの動きを次々とこなしていく。

サイドステップ、前後のステップを入れながらのワンツー、サイドステップを入れながらのワンツー。出場者の靴のキュッキュッって音と息遣いだけが会場に響き渡る。

「次はディフェンスです」

その声と同時にグローブをつけた四人の男子が一斉にリングに上がり、女子出場者と対になった。

「まずは、ブロッキング」

レフリーの指示で男子がワンツーを放ち、女子出場者がグローブでブロックする。男子はボクシング経験が豊富そうだ。出場している女子よりもはるかに綺麗なパンチを放つ。

力の差も経験の差もある男子と対峙したからだろう。ここに来てはっきりと差がついてきた。うまい人は男子が鋭いパンチを放っても綺麗にガードできている。下手な人はそもそもリズムが合っていない。ガードの合間をパンチがすり抜け危うく当たりそうになっている人もいる。

レフリーの指示は徐々に難易度の高いディフェンスへと変わる。女子出場者に疲れも見え始めた。

「では、ディフェンス終了です。次に三分間のシャドーボクシングを行います。終わったらリングを降りてサンドバッグの前へ移動してください」

おっ。これで終わりだろうか。男子がさっとリングを降り、同時にゴングがなった。女子出場者は、力を振り絞りシャドーボクシングをはじめた。

カーン。三分終了のゴングが鳴った。

女子出場者は、息を切らせながらサンドバックの前へ移動する。サンドバッグ前に集合かと思ったら、それぞれサンドバッグの前で息を整えている。あれ?まだ続くの?

レフリーがサンドバッグの周りを囲む。

「それではサンドバッグに移ります。まずは三分間、ワンツーを打ってください」

指示と同時にゴングがなった。まだ終わりではなかった。サンドバッグも見るようだ。確かにサンドバッグは、意外と難しい。実際にものを殴ると衝撃が伝わるから力を使う。体力もすごく消耗する。しかもサンドバッグは重い上に硬いし、揺れるからタイミングも重要。そういえば僕がはじめてサンドバッグを打った時、思いっきり怪我したんだった…。みなさん怪我にはお気をつけください。

サンドバッグはもう三分間続いた。次は、ジャブ、ワンツー。ジャブとワンツーの間、揺れるサンドバッグにタイミングと距離を合わせるためフットワークも必要になってくる。これが難しい。僕もなかなか打てるようにならなかった。女子出場者は、肩で息をしながらも、三分間打ち続けた。さすがに試合にでるだけあって、体力は十分だ。でも実力の差は明らかだった。

ゴングが鳴り、女子出場者はグローブをはずし、タオルで汗を拭いている。みんなすごい汗だ。

「では最後です。腕立て伏せ十回、腹筋十回、背筋十回をニセット行ってください」

えええっ?まだ終わりじゃないんだ。しかも筋トレまであるの?これはきつい。ジムでの練習をすべて見られているようだ。しかも採点されているという緊張とプレッシャーもかかってくる。

女子出場者は、まだ汗が引かない中、所定の場所で筋トレをはじめる。それぞれのペースで進めていいようだ。みんな最後の力を振り絞って必死だ。苦しそうな表情は、見ていられない。なのに目を離せない。なぜか胸が熱くなり目頭も熱くなる。

「おつかれさまです。これですべて終了です。結果は、女子全員が終わった後、向こうの壁に張り出します。おつかれさまでした」

全員が筋トレを終え、リングの前で並んで挨拶で締めくくった。肩で息をする女子出場者が、なんとか声を絞りだして挨拶をする中、レフリーは次の組のためにすぐにリングの上へと戻っていった。

「それでは次の組。五番から八番の選手、リングに上がってください」

いよいよあこたんの出番だ!五番のビブスをつけたあこたんが精悍な表情でリングの上へと向かう。気合が入っている。


 試合はさっきの組と同じ内容で淡々と進んでいく。フォーム、フットワーク、ディフェンス、シャドーボクシング。

あこたんはどれも圧倒的にうまかった。さっきの組を入れてもダントツ。うまい人の動きは綺麗でかっこいい。思わず見とれてしまった。見とれるのはいつものことかぁ。

しかし、シャドーボクシングの終盤、なんだか表情が曇り始めた。フォームは綺麗だし、リズムもいいけど、パンチに切れがなくなってきた。

そして、徐々にパンチの数が減って、最後はパンチをほとんど打たず、フットワークと動きでなんとか三分間乗り切った。大丈夫だろうか。これからサンドバッグと筋トレが残っている。

苦しそうに肩で息をしながらサンドバッグの前へ向かった。表情は晴れないままだ。サンドバッグがはじまった。

フォームは綺麗。だけどパンチに力はなかった。サンドバッグにはじかれてしまう。体制を崩し、立て直そうとリズムも狂い始める。体力の消耗も激しいはず。息は整わないまま、汗の量が増えていく。

どこも痛そうにはしてないから、怪我ではないみたい。他の出場者よりもうまかったからこそ、リズムもよく、手数も多かった。それが災いして、飛ばしすぎて体力配分がうまくいかなかったのだろう。

彗星ジムのメンバーも心配そうに見守っている。何が起きているか分からないからだろう。誰も声を出しての応援ができないでいた。彗星ジムのあこたんの知り合いは、プロボクサーの彼氏がいることを知っている。プロボクサーの彼氏に教えてもらってるなら、うまくて当たり前みたいに見られるプレッシャーもあるかもしれない。

ゴングが鳴った。なんとか三分間を乗り切った。しかし、まだ終わってはいない。一分間の休憩時間はあっという間に終わり、再びサンドバッグがはじまった。先ほどより難易度が高い、ジャブ、ワンツーのコンビネーション。

あこたんの体力は限界のようだった。フォームもリズムもめちゃくちゃだった。気力でなんとかサンドバッグを打っている。力も弱々しい。試合開始直後は、一番うまかったのに、いまや見るも無残だった。はやく時間よ進め。心から祈った。

サンドバッグが終わった。力なく筋トレに移る。筋トレはできるのだろうか。

心配は的中した。ものすごく苦しそうな表情で腕立て伏せをなんとか一回こなす。一回やっては休み、一回やっては休む。他の出場者とは比べ物にならないぐらい遅いペースだった。なんとか腕立て伏せ十回を終えた時には、他の出場者は、すでに一セットを終え二セット目に入っていた。

腹筋も同じだった。腕立て伏せほどではないが、遅く、表情も苦しそうなままだった。なんとか背筋まで一セットをこなした時、他の出場者は二セット目を終えた。あこたんが二セット目の腕立て伏せをはじめた時には、あこたん一人になってしまった。あこたんの終わるのを全員が待つ形になった。

苦しそうに腕立て伏せをするあこたんとそれを心配そうに見守る多くの目線。居たたまれなかった。

「生野さんがんばってー」

彗星ジムの女子の声援が飛んだ。

「亜紀子さんもう少し!」

「ゆっくりでいいから一回ずつ!」

一声が飛ぶと、次々と声が上がった。応援がますます痛々しくさせた。はやく終わってくれ。お願いだから。

あこたんは必死の形相でなんとか最後まで終えた。終わった瞬間、彗星ジムの女子が駆け寄り、声をかけ、抱きついた。映画のワンシーンみたいだと思うと同時に、大げさで気恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。

あこたんがかわいそうで見ていられなくなって、会場を出て、荷物があるフロアへ向かった。自分の試合の準備をするフリをして、荷物を出したり入れたり、鏡の前で軽くシャドーボクシングをしてみたりした。さっきの光景を思い出さないように、頭の中をからっぽにするために必死だった。


 「女子演技の部の結果を張り出します。該当者は確認し、C級合格者は申請をしに係りの所まで来てください」

隣のフロアからアナウンスが聞こえてきた。気が付くといつの間にか一時間ほどが過ぎていた。

演技の部の結果。あこたんはどういう結果になるんだろうか。すぐに見に行きたかったが、発表直後は、人が集まっていてじっくり見れないだろうし、何よりあこたんと顔を合わせた時に何を言っていいか分からなかったから、時間を置いてからいくことにした。

時計を見ながら十分きっかり経ったのを確認して、結果が張ってある場所へ向かう。想定通り誰もいなくて安堵した。

あこたんの名前を探す。名前の横に採点結果が得点で表示されていて、その得点順に並んでいるようだ。

あこたんの名前は、参加者十二人中十番目にあった。得点六十点を超えるとC級合格ということで、六十点以上の場合は、得点の横に「合格」の文字があった。

あこたんの得点は六十一点。よかったぁ。ぎりぎりだけど無事合格だ。合格者は十名。合格者の中では最下位ということになる。

一位の得点は七十二点。この差がどれぐらいのものなのか正直分からない。でも、もしかしたらリタイヤするかもってぐらいの後半の出来を考えると、よかったんではないだろうか。

ただ、序盤の調子のまま最後までいければどうなっていたんだろうとも考えてしまう。もしかしたら…。考えはじめるとキリがないか。勝負事って、やっぱり何が起きるか分からない。もうすぐ僕の出番だ。やってみないと分からないことが世の中にはたくさんある。リングに上がるということがどういうことなのか。もうすぐ分かる時がくる。

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