第3R『デビュー』-5

 演技の部の結果の横にもう一枚、紙が張り出された。男子の実戦の対戦表だ。名前と所属と戦績が記載されている。ゆっくりと息をのみ僕の対戦相手の名前を探す。

僕の相手は…、澤田さん。W大学所属。一戦一敗。実戦の経験はあるみたいだけど、まだ一戦だけで、その一戦も負けている。これは少しは可能性があるかもしれない。所属は、W大学…。W大学といえば有名大学の一つで、そりゃあもうリア充だらけのはず。そこだけでももう大きな敗北感。できるなら一泡吹かせたい。できるなら…。

W大学のボクシング部は大学のリーグ戦にも出場している。ボクシング部の人数も多いみたい。対戦相手の澤田さんは、リーグ戦のレギュラーを目指して、このオープン戦で実戦の経験と実績を積もうという感じかな。

オープン戦というのはそういう人の出場が多いらしい。大学のレギュラーを目指している人やプロの前に実戦経験を積む人。たまに大きな大会に出場する人が調整試合として出場したりもするらしい。それもあってだろう。なるべく実力差が出ないように、対戦相手は戦績で決まるようになっている。しかも、戦績十戦未満はシニアAというカテゴリで、一ラウンド二分の三ラウンド制だ。もちろん僕もこのカテゴリに入る。一ラウンド二分。一分短いとぜんぜん違う。初心者にはありがたい。

試合は階級の軽い順に、さらに戦績の少ない人から行われる。僕の階級は、三番目に軽いバンダム級。試合は四試合目だ。すぐに出番は回ってくる。すぐなのを再認識して、また緊張してきた。

「男子実戦を開始致します。一試合目、二試合目の選手はグローブを取りに来てください」

アナウンスが入った。いよいよ試合がはじまる。ちなみにグローブは、大会運営側が用意をすることになっている。メーカーによって若干重さとか質感と違うから公平にするためらしい。

徐々にリングの周りに人が集まりはじめた。会場の空気が集まった人と同じだけ重くなり、緊張感に包まれていく。各リングサイドに白いレフリー姿の人たちが一人ずつ計三人がスタンバイした。判定用の採点をするためだ。

もう一つのリングサイドには、ゴングが置かれ、アナウンスする女性と集計などをする女性が二人座っている。

準備が進むにすれ会場もざわつきはじめた。そこに、ユニフォームとヘッドギアを身に着けた選手がセコンドと一緒にやってきた。赤コーナーと青コーナーのリング下でグローブをはめる。

レフリーがリングの上へ上がった。レフリーは、両選手の準備ができたのを確認し、手招きをして両選手をリングの上へ上げた。

「ただいまより男子実戦、ライト・フライ級の試合をはじめます。赤コーナー、藤井スポーツクラブ所属、亀井くん」

淡々とした女性のアナウンスが流れる。パチパチパチ。拍手も控えめ。やっぱりプロの試合とは盛り上がりがぜんぜん違う。地味だ。

「青コーナー、T大学所属、松村くん」

パチパチパチ。アナウンスが終わるとレフリーが各選手の所に行って、ヘッドギア、マウスピース、グローブのチェックを行う。会場は静寂に包まれている。世界のすべてがリングに上に注目しているように思えた。

チェックを終えたレフリーは中央に向かい、手で合図をし両選手を呼んだ。両選手は、中央でグローブを合わせ軽く会釈をし、はじけるように各コーナーへと戻っていった。レフリーは、リングサイドにいる三人のレフリーに指を差し確認し、軽く腕を上げた。試合の準備が出来た合図のようだ。

「一回目」

淡々とした女性のアナウンスが流れた。アマチュアでは「一ラウンド」「二ラウンド」ではなく「一回」「二回」と呼ぶらしい。

カーン。アナウンスの後、ついにゴングが鳴った。

両選手が跳ぶように中央に向かい、同時に右のパンチを繰り出した。相打ち。どっちのパンチも頬に入り、両者ぐらつく。両者倒れそうなのをこらえながら、今度は左のパンチを繰り出す。またもや相打ち。その後も、両者捨て身のパンチの応酬が続いた。捨て身なのか、それともスキル的にガードができないのかは分からない。とにかく必死にパンチを振り回している。

「この試合が終わったら、準備をして青コーナーに集合な」

気が付いたら平田さんが隣に来ていた。自分のものとは思えないほど固くなった首をなんとか縦に振り頷いて答える。平田さんも頷きぎこちなく歩いて去っていった。

試合は、パンチの応酬が続いたまま、最終三ラウンドに入った。パンチを出し続けてはいるが、両者ともスタミナはとっくに切れて、力のないパンチの応酬が続く。お互い鼻血が出て、顔が赤く染まっているが、もう倒す力は出ないようだ。どちらが数多くパンチを出し続けるかがこの試合の勝敗を決めるだろう。最後の体力を振り絞ってパンチを繰り出している。一つでも多く。一歩でも前に。もうすぐ勝敗が決まる。どっちかが勝って、どっちかが負ける。無理なのは分かっているけど、どちらにも勝ってほしい。

カーン。試合が終わった。結果を聞く前に隣のフロアへ向かう。結果を聞くのが怖かった。勝敗がついてしまう現実を見たらリングに上がれなくなるような気がした。

 ジャージを脱ぎユニフォーム姿になると、気が引き締まると同時に、体が震えた。目の前の鏡に左右対称の自分が映っている。鏡に映る自分は、自分の知らない自分だった。

ユニフォームの上にみおちゃんが作ってくれたガウンを着た。アイドルライフのキャラクターが背中に描かれている。みんなが後押ししてくれているようで心強かった。心も温かくなった気がした。目を閉じて深呼吸し、リングに向かった。

青コーナーに着くと、ちょうど前の試合がはじまる所だった、あと十分もすれば僕の試合がはじまるということだ。

平田さんを探して周りを見ると、あこたんがこっちに向かってくる。青いグローブを持っている。もしかしてあこたんが取りに行ってくれたの!?

「佐々木君、試合がんばってね」

左のグローブの口を広げ待っている。僕はしっかりと奥まで腕を入れた。

「あ、ありがとうございます。あの、演技、おつかれさまでした。なんというか、その…、えっと…」

「ペース配分間違っちゃった。でもC級合格できたから、よかったかな。今度は、佐々木君の番だね。ペース配分には気をつけてね」

肩をすぼめ「てへっ」って言っているようなしぐさをする。めちゃくちゃかわええ。演技の試合の事も落ち込んでないようでよかったぁ。ほっとしたら、気持ちが楽になった。

右のグローブもヘッドギアもあこたんが付けてくれた。至福の時間だった。これから戦場に向かう男と別れを惜しむ女。大丈夫。僕は生きて帰ってくるからね。

そういえば周りの人が、やたらに僕の事を見ていることに気が付いた。もしかして、あこたんの彼氏だと思ってうらやんでるのかぁ!?

「おおお。そ、その格好は、な、何!?」

セコンドで使う道具を両手いっぱいに持った平田さんが驚いている。格好?ガウンの事?

「このガウンの事ですか?いいでしょう。友達がつくってくれたんです。僕の好きなアイドルライフのキャラクターまでプリントしてくれたんですよ。ちょっと派手ですかねぇ」

「あ、あのさ。ガウンって、プロボクサーの、しかも上位ランカーぐらいからしか着ないんだよ…。アマチュアの試合で着てる人はじめてみた…」

「えっ?」

顔が赤くなるのが分かった。そういえばこっちを見てる人、全員が笑いを我慢している…。

こういう時こそ平常心、平常心。ガウンをさっと脱いで。くるくるっと丸めた。あこたんがさっと受け取ってくれた。

平田さんは咳払いをして、手に持った道具を確認しはじめた。あこたんも一緒に確認する。…フリをしている。一連の動きが面白かったのか、クスクス笑いだした人もいる。恥ずかしかったけど、おかげで緊張がちょっとだけほどけたようだ。ガチガチだった体の力が抜け、自分の体に魂が戻ったように、自由に体が動かせるようになった。

リングの上では、前の試合が終わった所だった。試合を終えた両選手がリングが降りてくる。いよいよ僕の試合がはじまる。空っぽになったリングへ向かう。

リングへ上る一歩手前で平田さんの「深呼吸」という声が聞こえた。その場に立ち止まり、大きく深呼吸をする。平田さんも一緒に深呼吸している。

「ガードを絶対に下げないように。パンチをもらわなければKO負けはないから。アマチュアだとクリーンヒットでダウンを取られることもある。二回ダウン取られると終了だから、気を抜くとあっという間に終了するよ。いいね。ガードを絶対に下げないように」

ガードを下げない。ガードを下げない。自分に言い聞かせ大きく頷く。

「よし!いこう」

平田さんは気合を入れるようにお腹から声を出した。さっとリングの淵に上がり、ロープとロープの間に体を入れて、僕が入れる隙間を作ってくれた。ロープの間をくぐりリングに上がった。

リングの上から見る光景は、いままで上った高い所のどこよりも高く感じた。

「続きまして、バンダム級の試合をはじめます。赤コーナー、W大学所属、澤田くん」

「澤田ー!ファイト!」

綺麗にそろった大勢の声援が飛んだ。W大学のジャージを着ている人が多数だ。さすがはW大学。リア充め。

「青コーナー、彗星ジム所属、佐々木くん」

「こっちも負けてられないでござるよ。せーの」

あの声は!オタク仲間の@カイエン氏。声の方を見るとその他にもオタク仲間が数人来ていた。みんな来てくれたんだ。ありがとう。ありがとう。心で何度も感謝の気持ちを繰り返す。ひとりじゃない。僕には帰れる所があるんだ。

「コジロー氏★%#$l」

「佐々木殿★%#$k」

「がんば★%#$」

あわわ。応援は全員バラバラでグダグダ。会場に笑いが起きた。オタク仲間への感謝の会釈と会場にいる人たちに謝罪の会釈をする。は、恥ずかしい…。感謝の気持ちを羞恥心がうわまった。穴があったら入りたい。

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