第4R『リベンジ』
iPodからロッキーのテーマ曲「アイ・オブ・ザ・タイガー」が流れている。走っている間、ずっとリピートだ。以前は「アイ・オブ・ザ・タイガー」の後にアニソンが流れ、そこで戦意を喪失して長く走ることができなかった。その反省を活かしてリピートにしている。
それにしてもやっぱりこの曲はすごい。もう何百回、もしかしたら千回以上聞いているのに、いまでもテンションがあがる。あまりにも聞きすぎて歌えるまでになっちゃった。歌詞が英語だから、意味は分からないけど。
よし!ゴール。「アイ・オブ・ザ・タイガー」のおかげで、今日も五キロを走りきった。この後、家に戻ったら、腕立て伏せ二十回×三セット。腹筋二十回×三セット。背筋二十回×三セット。スクワット五十回だ。
今日で、はじめての試合からちょうど一ヶ月が経った。試合の結果は判定負けに終わった。負けたけど、色々なものを得ることができた。
一番大きかったものは、人の視線が気にならなくなったということ。リングの上で戦うことに比べれば、ほとんどの事が些細なことに思えた。すると自然に人の視線を気にしなくなっていた。
人の視線が気にならなくなると、自分が思ったことを行動できるようになっていた。仕事でも自分の意見が言えたり、積極的に行動できるようになっていた。
よく考えてみたら、ボクシングをはじめて、得るものばっかりだった。逆に、何も失ってない。元々失うものなんて何も持ってなかったのかもしれないけど。
もっとボクシングを本気でやろう。そう決めた僕は、朝の自主練習の内容を増やして一ヶ月間続けてみることにした。
そして、今日、一ヶ月間続けることができたんだ。毎日五キロ走ることができたなんて、以前の僕では考えられない。感動。やればできるもんだなぁ。続けてみて分かったことは、自分を変えられるのは、自分ということ。
試合に出たからと言って、突然体が強くなったわけでもなく、スタミナだって急にはつくわけではない。なのに試合翌日から五キロ走ることができた。そりゃはじめはきつかったけど、五キロ走るって意思を持つことで走り抜くことができた。意思とあきらめない心があれば大概のことはできるんじゃないかと思い始めている。
一ヶ月間、朝練を続けられたらやろうと思っていたことがあった。次の試合への出場だ。次こそ勝ってやる。勝つためにリングに上がるぞ。さっそく今日ジムに行ったら申請しよう。
ジムに着くなり、事務所へ向かった。決意が揺らがないうちに早く伝えたいと思った。深呼吸し、気合を入れドアを開ける。
「たのもー!」
「なんだ!?道場やぶりか!?」
しまった。気合が入りすぎて、間違えた。
「す、すいません。間違えました。失礼します」
平田さんの姿はなく、会長だけだった。会長は、声を出して笑っている。会長の笑っている顔はじめてみたかも。場が和んでよかった。狙ったわけじゃないけど。
「どうした?」
「あ、あの、また試合に、試合に出たいです」
「そうか。ちょっと待ってな」
引き出しから試合のスケジュール表を出した。なんだか、会長の僕に対する態度が柔らかくなっているような気がした。
「次は…、三ヶ月後にオープン戦があるな。三ヶ月後で大丈夫か?」
「はい!大丈夫です」
「わかった。この試合にエントリーしておく」
「ありがとうございます」
よし。練習だ。試合に向けて練習も気合入れていくぞ。
「いい表情になったな」
えっ?会長から僕に話してくれるなんて思いもよらなかったから驚いた。
「あとでミット持ってやるから、体温めておけ」
「は、はい!よろちく、あ、よろしくお願いします!」
目頭が熱くなった。会長が認めてくれたような気がした。伝わるんだ。気持ちが伴った行動は、伝わるんだ。体に力がみなぎる。つらいはずの練習を早くしたくてたまらくなった。
毎日朝練を続けていることを、トレーナーの平田さんに話したら、まさかの注意を受けた。疲れが蓄積していくとオーバーワークになるということだ。という訳で、週に一日は、完全休養日を設けるようにした。
今日はその休養日。僕はアキバに来ている。休みと言えばアキバでしょ。最高の癒しのスポット。
そんな癒しスポットで体も心も休めるはずだったんだけど、考えることはボクシングの事だった。
前回の試合、自分がどんなボクシングをしていたか客観的に見たくなった。次回の試合に活かすために。
知り合いに映像を撮ってないか聞いてみた所、さすがに映像はなかったが、写真を撮ってくれている人がいた。オタク仲間のみおちゃんだ。
みおちゃんとSNSで連絡を取り合い、今日、その写真を見せてくれることになった。データを送ってくれればいいのに、会って直接見せたいだと。みおちゃんがこわくて、断ることができなかった。写真見せてもらって、できればデータももらって早いところ退散しよう。そうしよう。
約束のカフェに入った。アニソンカフェ。アニソンが流れ、店員さんはアニメキャラのコスプレをしている。本当は一人で入って、店員さんをじっくりと堪能したいんだけどなぁ。
約束十分前なのに、みおちゃんは、すでに店内にいた。
「遅い」
「ごめんなさい」
思わず謝っちゃった。ぜんぜん遅くないのにー。
「ここ、いいお店でしょ。コスプレもほとんど手作りでクオリティ高いんだよね。ここの良さが分かる、好きな人と来たかったんだ」
「えっ?」
やばい。店員さんに見とれてて聞いてなかった。
「べ、別にあんたのことじゃないんだから」
「は、はぁ。そ、そうだ。試合の時の写真、見せてください」
みおちゃんは、タブレットPCを出して、写真を見せてくれた。
一枚目は、ガウンを着ている僕だ。試合がはじまる直前。緊張しているのが写真を通しても分かる。
次の写真は…、ガウンを着ている僕だ。横からの。
その次の写真は…、ガウンを着ている僕だ。斜め後ろからの。
その次の写真は…、ガウンを着ている僕だ。後ろからの。ガウンがメインの写真…。
ガウンを着ている僕の写真が続いた後、突然みおちゃんのコスプレ写真に変わった。
「あれ?これで全部?」
「うん」
なぬー!?
「ガウン似合ってたね。べ、別にあんたを褒めてるわけじゃないからね。ガウンが会心の出来だったから。でも…それを差し引いてもすごく似合ってたよ」
最後の方は声が小さくてよく聞き取れなかった。なんだか照れているようにもみえる。どうしたんだろう。
結局、僕の試合の写真は十枚ほどだった。しかも全部ガウンの写真…。試合中の写真は一枚もなかった。せめて自分のパンチのフォームだけでも確認したかった…。
その後、みおちゃんのコスプレ写真を永遠と見せられ、コスプレについての話を聞かされた。楽しそうに話をするみおちゃんを止めることはできず、一時間ほど続き、やっと開放され、お店を出た。
お店を出てからも、一緒に歩いている。そろそろ一人でフィギュアとか見に行きたいんだけど。
「今日はありがとです。駅まで送ります」
「さっきの写真のデータを渡したいんだけど、どうしようか。SDカードとかに入れて渡す?」
「えっと、そうですねぇ。どこかファイル共有サイトとか使って、ネット経由でもらえると助かるんですけど」
「じゃあ、そうする!」
なんか一気に機嫌が悪くなったぞ。面倒なのかな。
「あ、あの面倒なら、いつもでいいんで、SD カードでも大丈夫です」
「ネット経由で渡しますよ」
あわわ。冷たい。なんか悪いこと言ったかなぁ。
「でさ、これからどうする?」
「これから?帰るんじゃないんですか?」
「あの、さ…。はじめての、ほら、デ、デートなんだから、もう少しいいじゃない」
デ、デート!?これってデートだったの?どういうこと?みおちゃん、僕の事が嫌いじゃなかったの?
「あのさ、試合用のトランクス、つくってやろうかなと思ってるんだけど」
「ほ、ほんとに!嬉しいです!でもアマチュアだと、色々と規定があると思うんだよなぁ。そもそも手作りでいいのかなぁ。調べないとなぁ」
「生地とか選んでほしいし、サイズも測らなきゃね。私の家に来る?一人暮らしだから大丈夫だよ」
えっ?えっ?家?みおちゃんの家?みおちゃんの家に行く?サイズを測る?一人暮らしだから大丈夫?な、何が大丈夫なのぉー?頭がクラクラしてきた。
なんて返事をしていいのか困って、モジモジしながら歩いていたら、見覚えのある人が前から歩いてくるのが目に入った。向こうも僕の事に気が付いたみたいだ。
「うん?見覚えがあると思ったら、真人の知り合いだよな。知り合いというかパシリだったけな」
鼻で笑う。
そうだ。真人くんの取り巻きの一人、黒ずくめの背の高い方だ。今日も全体的に黒い。僕をひどい目に合わせた人。真人くんの友達の中でも、冷たい雰囲気と鋭い目がすごく印象的。もちろん悪い方に。
「女連れとは生意気だな。お仕置きしないとな」
酔ってる?目が据わっている。危ない。
「みおちゃん、逃げて!」
「で、でも…」
「大丈夫。これでも僕、ボクサーですから」
定番のダジャレになっちゃった。偶然だからね。恥ずかしい。
「わ、わかった。誰か呼んで来るから。無理しないでね」
「うん。ありがとう。早く行った方がいい」
みおちゃんは走って大通りへと向かった。
「ほう。女を逃がして、自分が犠牲になるってのか?王子さま気取りだな。オレは、真人みたいに甘くないぞ。とことんやるからな」
準備運動をするように肩をまわした。次の瞬間、いきなり殴りかかってきた。右のパンチ。背が高いから振り下ろすように飛んでくる。
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