第3R『デビュー』完

ゴングがなっていたみたいだ。また気が付かなかった。鼻を打たれてツーンとしてる。目に涙がたまり視界がはっきりしない。青いコーナーらしき方へ向かう。足が思うように動かない。

パチ、パチ、パチ、パチ。

会場中から拍手が聞こえる。

「いいぞー」

「よくやった」

「ナイスファイトー!」

声援が飛ぶ。相手選手にかと思ったら、違うようだ。僕も含めた二人に声援が飛んでいる。涙がこぼれた。応援されるってこんなにも幸せなことなんだ。

「ナイスファイト」

平田さんが汗と一緒に涙も拭いてくれた。涙って気が付かれただろうか。泣いていると思われたくなかった。

「次が最終ラウンド。やれる?」

息が上がり返事ができない。何度も何度も頷いた。

「深呼吸」

大きく息を吸い、大きく息をはいた。平田さんも一緒に。

そういえば、なんで平田さんはいつも一緒に深呼吸するんだろう。疲れてるのはこっちなのに。しかも平田さんは深呼吸するときに目も大きく開け、息をはくときには目を閉じて口を尖らせ、タコみたいな顔になる。その顔を思い出して、噴出しそうになった。

「楽になりました。ありがとうございます」

「次のラウンドだけど、特に作戦はない」

「へっ?」

「ガードを上げて、ジャブ、ワンツー。これだけでいこう」

確かに。考えながら動けるほど、体力は残っていない。いまできること、それをすべて出すんだ。

「結局最後は、がんばれた人が勝つ。やってきたことを出せる人が勝つ。自分を信じて、いまの全部を出してこい」

「はい!」

「あの、平田さん。いままでありがとうございます」

「な、何!?どうしたの?いきなり」

「いや、試合できるまでになったのは平田さんのおかげだなと思って」

「まだ終わりじゃないよ。これから、これから」

平田さんはうれしそうだった。よかった伝えて。リング下のあこたんと目があった。やっぱ、かわいい。心配そうな表情をしている。僕のためにそんな表情してくれるなんて。ありがとう。と心の中でつぶやいた。

あとたったの二分。アニソン一曲よりも短い。全部の力を出し切ってやる。

「三回目」

よし!行くぞ。ガードを上げた。ガードの合間から相手を見る。今度は足だけじゃなくてしっかりと顔を見た。ちょっと怖いけど、戦った人の顔をしっかりと覚えておこうと思った。

お互いゆっくりと中央へと向かう。中央にたどり着くと、どちらかともなくグローグを合わせあいさつをした。

相手の目が険しくなった。こんな僕と本気で戦ってくれている。僕も答えなきゃ。本気で立ち向かわせていただきます。

踏み込んで全力でワンツーを放った。ツーの右ストレートに、カウンターを合わされた。痛い。痛いのは当たり前か。一発もパンチを食らわないなんて不可能だ。耐えろ。耐えるんだ。歯を食いしばり、ジャブを返した。あっさりかわされる。前のラウンドでは手応えのあるパンチが当たった。どうしたか思い出せ。

そうだ、体がぶつかるぐらい踏み込んだんだ。かわせないぐらい距離を詰めればいいんだ。

体をぶつける勢いで踏み込んだ。ヒラリとかわされた。右側に回られ、ワンツーが飛んできた。普通にパンチを打ってもダメ。体ごと向かってもダメ。ど、どうすればいいんだ?

迷っているうちに相手がラッシュをかけてきた。ガードを固めろ。ガードの上からパンチ当たる。重い。相手も全力だ。ここで力を抜いたらやられる。んっ?背中に何かが当たる感触があった。コーナーだ。やばい。相手のラッシュで少しずつ後ろに下がって、コーナーに追い詰められていた。

相手のパンチが上と下に交互に飛んできた。上のパンチは完全にガードできているけど、下からのパンチはボディに突き刺さる。体が「くの字」に曲がる。

このままじゃやばい。くの字になった体を戻すのに合わせて右アッパーを出した。当たった。相手が少しひるんでいる。

その隙をついて左に回った。コーナーからは脱出できた。けど、まだ後ろにはロープがある。もう一回、左に回った。いけた。半周回ることに成功し、相手の背中にコーナーが見える。押し込めば、コーナーを背負わせることができるかも。いまこそラッシュだ。

ジャブ、ワンツー。ジャブ、ワンツー。相手が少しずつ下がっていく。ここが正念場だ。とっくに限界は来ている。最後の力を振り絞る。ジャブ…。えっ?相手が前に出来てきたと思ったら、クリンチされた。クリンチってはじめてされた。ど、どう回避すればいいんだろう。横腹が痛い。クリンチしながら相手は横からボディを打ってくる。

この、離れろ。ガードを伸ばし相手を押した。あっさりと離れた。と、すぐにパンチが飛んできた。開いたガードをすり抜け、右ストレートを綺麗にもらった。前のめりに倒れこむ。相手の体があった。偶然にも今度はこっちからクリンチする形になった。今度は相手が体を突き放すように腕を伸ばした。いまだ。渾身のワンツーを繰り出した。当たった。この試合一番の手応えだった。

それでも相手は平然とパンチ打ってきた。もう僕にパンチを出す体力は残ってなかった。相手が向かってくる。もうだめだ。

カン、カン、カン。

その時、試合終了のゴングが鳴った。

お、終わったー。なんとか最後まで立っていられた。もう体力はすっからかんだ。その場に倒れこみそう。でも、リングを降りるまでが試合だ。フラフラになりながら、なんとか中央のレフリーの横に並んだ。判定の紙が集められ、集計をしている。もうすぐ判定の結果が発表される。どちらかが勝者でどちらかが敗者だ。

静寂。会場に緊張が走る。

「ただいまの試合の結果は、赤コーナー、澤田くんの判定勝ちでした」

相手側の応援がドッと沸いた。レフリーが勝利者の腕を掲げる。

相手選手が駆け寄ってきた。あいさつしようと頭を下げたら、ハグをされた。相手選手は飛ぶようにリングを駆け回り、レフリーやこちらのセコンドに頭を下げあいさつをし、赤コーナーの歓喜の輪へと消えていった。僕はゆっくりとあいさつをして回り、青コーナーへと戻る。

「おつかれさま。よく最後までがんばったね」

「ありがとうございます。何とか最後まで立っていられました」

平田さんと一緒にリングを降りる。上る時には不安だらけだったけど、降りるときは清々しく、視界がくっきりと開けていた。負けてしまったけど、やりきったんだ。それで満足だ。

リングの下には心配そうな表情のあこたんがいた。

「おつかれさまでした。いい試合だったよ。体は大丈夫?」

「ありがとうございます。なんとか大丈夫です」

「ボクシングはじめたばかりでここでやれるなんて、すごいことだよ。尊敬しちゃうな」

「そ、尊敬だなんて。てへ」

「てへ」なんて使っちゃった。照れ隠しで笑ってみせる。あこたんも笑顔になった。あこたんはやっぱり笑顔が一番よく似合う。

「今日は疲れただろうから、このまま帰宅していいよ。もし具合が悪くなったりとか、気になることがあったらすぐに連絡して」

「はい!あの、今日は…、いえ、いままでありがとうございました。試合に出れてよかったです。おつかれさまでした」

いままでの人生でないぐらい疲れた。帰ったらぐっすり寝よう。そうだ。帰る前にみんなの所にいかなきゃ。

 オタク仲間の元へ駆けつけた。

「いやー。惜しかったですなー」

@カイエン氏が真っ先に声をかけてくれた。

「いえいえー。わざわざ遠くまで来てくれたのに、面目ない」

「かっこよかったですぞぉ。これでリア充の仲間入りですな」

みんなで笑った。

みんなが来てくれて、本当に心強かったんだ。ありがとう。

順番にお礼を伝え、ひとりひとりに両手でしっかりと握手をした。

最後の一人は、みおちゃん。正直みおちゃん苦手なんだよなぁ。

「別にあんたを応援しに来たわけじゃないんだからね。ガウンを見に来ただけなんだから」

ほら。言葉が冷たいというか鋭い。ちょっとこわい。

「あ、そうなんだ…。わざわざ来てくれて、あ、ありがとう」

一人だけしない訳にはいかないから、みんなにしたように両手で握手した。大丈夫かな?手を触ってキレたりしないかな。

大丈夫だった。よかった~。何言われるかわかったもんじゃない。早くみおちゃんから離れよっと。

「でも、見に来てよかったよ。あんた、かっこよかっ…。ちょ。最後まで聞きなさいよ!」

「えっ、あ、ごめん。行かなきゃ。またね」


 隣のフロアで帰る準備をしていると、ゆっくりとこちらに向かって来る人がいた。会長だ。見に来てくれてたんだ。会長とは、ほとんど会話をしたことはない。正直、苦手。でも今日は、僕のがんばりを認めてくれるかも。

「おつかれさまです。見に来てくれたんですね。ありがとうございます!」

「おつかれさま」

沈黙。深く息をつき、ゆっくりと口を開いた。

「お前は…なんで負けたのにへらへらしてられるんだ?」

えっ?だ、だって…やれるだけやったし…。

「悔しくないのか?本気でやったんなら、悔しくて、悔しくてたまらないはずだ」

そりゃ、勝てるなら勝ちたかった。けど…、でも、だって…。

会長は、険しい表情をして、去っていった。僕は言い返すことも、会長の方を見ることもできなかった。


 帰り道。駅までの道が遠く感じた。足取りが重い。体が疲れているだけじゃない。会長の言葉が突き刺さっていた。

通りに人の姿は見当たらない。さっきまでの会場の熱気がうそのように静かで、この世界に一人だけになったような気がした。今日の出来事が現実だったと実感できるようになるには時間がかかるかもしれない。

視線のずっと先、遠く遠く先に人影が見えた。あれは、あこたんだ。間違いない。走って追いかけようかと思ったけど、様子がおかしい。

顔を隠すようにうつむき、ゆっくりゆっくり歩いている。肩が揺れていた。長い髪も一緒に揺れる。あこたんは泣いていた。

あこたんは、あの演技に、あの成績に、納得していなかったのだ。それでも気持ちを押し殺し、笑顔を見せてくれていたんだ。

悔しい。悔しいと思えなかった自分が悔しい。気が付かなかった自分が悔しい。自分のことしか考えられなかった自分が悔しい。もっと強くなりたい。強くなって自信を持てば、きっと周りを見る余裕もできるはずだ。

長く感じた一日だったけど、日はまだ真上にあって、今日という日を照らし続ける。


第3R『デビュー』完

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