第2R『正義の拳』-2
木箱のような椅子の隅っこに座って、あこたんがいないか会場をこっそり見渡す。お客さん少ないからすぐに見つかってしまいそうでドキドキだ。見渡す限りは見当たらない。彼氏と一緒に控え室にでもいるのだろうか。彼氏。彼氏。彼氏か…。頭が沸騰しそうになった時、会場が少し暗くなった。リングを照らすライトが一段と明るくなり、リングが浮かび上がった。中央にマイクを持ったスーツの人が立っている。
「ただいまよりダイナマイトシリーズを開始致します」
パチパチ…パチパチ…まばらな拍手。全然盛り上がらない会場…ボクシングってこんなに人気ないんだ。会場は全席の十分の一ぐらいしか埋まっていない。
「第一試合、青コーナー…」
選手の紹介がはじまった。映像でみた派手な選手入場を想像してたのに、その気配すらなく、いつの間にか選手はリングの上にいた。選手は紹介に合わせて手を上げて答える。パチパチ…パチパチ…まばらな拍手。
「がんばれー」
熱狂的な応援が聞こえて、なんだかほっとした。だけどそれもひとりかふたり。関係者だろうな。
カーン。
ゴングがなり、試合がはじまった。
ガシガシ。ゴツゴツ。
シーンとした会場にこすり合うような音が響き渡る。必死にパンチを伸ばそうと手を動かしているが、パンチよりも先に体同士ぶつかりパンチは伸びず、こするような音がする。
「がんばれー」
またさっきの熱狂的な声が響く。
「もっと殴り合えよー!」
「腕を伸ばせー!ちゃんとパンチ出せよ!」
野次が飛ぶ。
「お互いデビュー戦か。たいしたことねーし、こりゃ泥試合だな」
野次に混じって会話が耳に入った。デビュー戦か。どんな気持ちなのか想像もできない。怖いだろうか。苦しいだろうか。応援は届いているのだろうか。野次は気になるのだろうか。
そういえば会場に入る時にパンフレットをもらったな。パンフレットに選手紹介とか書いてあるのだろうか。パンフレットをリュックから取り出す。と、パンフレットの表紙を見て背筋が凍った。
『セミファイナル・日本王座挑戦者決定戦・日本バンダム級三位中村晃対日本バンダム級八位宮本武』
宮本武!宮本武だだだ!確か、確か、確か!あこたんの彼氏だ!!
写真が載ってる!ファイティングポーズを決めた写真。短髪で面長。目が鋭い。上半身は絞まっていて、余分な贅肉は見当たらない。腹筋はそんなに割れてないけど、僕のお腹とは質が違うように見える。
この人があこたんと付き合っているんだよなぁ。どんな性格なんだろう。DVしてるっていうし、やっぱり怖いのかな。僕の一番苦手な人種だろうか。一瞬、真人くんの顔が思い浮かんだ。
ワッー!
突然会場が沸いた。試合が動いていた。選手の一人が尻もちをついている。レフリーがカウントに入る。なんとか立ち上がったけど、よろけて、もう一度尻もちをついた。
レフリーが両手を大きく上げ交差させると同時にゴングがなった。試合終了らしい。倒した選手が何度も飛び上がって大喜びしている。
「大きいのが入ったなー。たった一発だけど、ありゃ立てないわ」
お客さんの声で状況を把握した。一発。一発のパンチであんなに立てないぐらいフラフラになるんだ。怖いけど見てみたかった。
その後も次々と、そして淡々と試合が進んでいった。今日の試合は全部で十二試合。六試合が四回戦。デビューから四勝するまでの人達の試合。プロボクシングのライセンスだとC級になるらしい。
二試合が六回戦。六勝するまでのB級ライセンス保持者。
二試合が八回戦。八勝するまでの人達。ここからがA級ライセンス保持者。
そして十回戦が二試合。A級ライセンス保持者の中でも日本ランカー以上の人達の試合になる。
予備知識バッチリ。マンガとネットで得た情報だけど。今日のラストから二番目の試合、セミファイナルがあこたんの彼氏の試合だ。
試合開始の十八時から一時間以上が経った。試合のレベルがどんどん上がっていっている。素人の僕でもわかる。会場には「バシッ」「ドシッ」というはじけるような音が響くようになった。伸びたパンチが当たる音だ。応援の声や拍手、野次の声も多く、大きくなっている。熱気がすごい。
あれ?そういえば。あれだけ空いていた席がいつの間にか八割ぐらい埋まっている。少しずつ増えているから気か付かなかった。さらにどんどんお客さんが入ってきている。
いよいよ試合はセミファイナルがはじまろうとしていた。会場の照明が暗くなった。リングだけが浮かび上がる。リング中央にスーツの人が立ち、アナウンスがはじまる。
「ただいまより、セミファイナル十回戦、日本王座挑戦者決定戦を行います。この試合の勝者が八月に予定されている日本王座決定戦、タイトルマッチへの挑戦権を獲得します。」
拍手と歓声が混ざり合い会場が震えた。いままでの試合とは比べものにならない。
「それでは選手の入場です!青コーナー117ポンド2分の1、協拳ジム所属~日本バンダム級八位~宮本~武~!」
暗闇の中、会場の奥に光に照らされたあこたんの彼氏の姿が見えた。大音量のロックが流れ、リングへの花道をゆっくりとかみ締めるように歩いて来る。
「宮本ー!」
「勝てよー」
「がんばってー」
リングをはさんだ向こう側の席から多くの声援が飛んでいる。
「八位で挑戦者決定戦なんてラッキーだよな。いまのチャンピオン強すぎて一位、二位は倒しちまって、四位以降はみんな逃げてるって話だもんな」
さっきからいいタイミングで解説が聞こえてくる。会場の至る所にボクシング通なのか、やけに詳しく、熱狂的な人達がいる。こういう人達にボクシングは支えられてるのかもしれない。
あこたんの彼氏がリングに入り、音楽が止むと再びアナウンスがはじまった。
「続きまして、赤コーナー118ポンド、白木ジム所属~日本バンダム級三位~中村~晃~!」
ウオー!僕が座っている席の周りが一気に沸いた!
「中村ー!!」
「晃ー!!」
「勝って世界を目指せー!」
大きな幕や旗を掲げている人もいる。人気があるみたい。残念ながらあこたんの彼氏よりもずいぶんと。
あと、この席…どうやら対戦相手の応援側のようだ。周りは全員同じTシャツ着ている。「世界に羽ばたけ中村晃!」と大きくプリントされてる。着てないのは僕含めて二、三人だ。やばい、あこたんにここに座っているのをみられたらどうしよう。相手選手応援してるかと思われちゃうかも。
派手なヒップポップ風の音楽が大音量で流れ、相手選手がリングに向かう姿が見えた。僕の周りがさらにヒートアップする。ほぼ全員が立って拍手している。座っていると目立つから僕も席を立って控えめに拍手した。
相手選手がリングに入り音楽が止まると一気に静かになった。さっきまでの歓声が嘘のような静寂。リングの上の二人の選手の息遣いが聞こえてきそうだ。アナウンスしていた人はリングを降り、変わりにレフリーがリングの中央に立った。レフリーが手招きで両選手を中央に呼んだ。何やら両選手に話をしているようだ。何か話しているかまでは聞こえない。あこたんの彼氏は相手選手を睨み付け、今にも殴りかかりそうだ。相手選手は目線をそらさずに首を回し体をほぐしている。うっすらと笑みを浮かべているように見える。
両選手が各コーナーへと戻る。両者がコーナーに辿り着き、中央を振り向いた所でゴングがなった。
ゴングと同時にあこたんの彼氏がものすごい勢いで相手選手に向かっていった。相手はまだファイティングポーズもとっていない。
奇襲?あこたんの彼氏が大きく腕を回すように右フックを打つ。相手は一瞬驚いた表情をしたが、頭を下げてかわした。あこたんの彼氏は休むことなく大きなパンチを振り回す。相手は上体のみですべてをかわし、左ジャブを的確にあこたんの彼氏の顔に当てた。
一瞬動きが止まる。が、すぐに前に出ながら大きなパンチを打ち始めた。一発で倒す。そんな想いが伝わってくるようなパンチだ。相手は足を使い微妙な距離をとりながら上体を回すように使って避け、時折ジャブを伸ばす。ジャブはすべてあこたんの彼氏の顔を捉えている。
この光景が何度も繰り返された。相手のジャブが当たる度に僕の回りの応援が沸く。あこたんの彼氏側の応援は静まり返る。
あこたんの彼氏が大きなパンチを振り回すと、当てってなくても応援が沸く。当たれば倒れる。みんながそう信じているのだろう。しかし、一発も当たることなく一ラウンド目が終了した。
僕は、リングに意識を持っていかれたように体を動かすことを忘れていた。すごい。これがプロのボクシングの試合なんだ。生で見るボクシングの試合は、テレビで見るのとは全然違った。
カーン。ゴングが鳴り響き、二ラウンド目がはじまった。
ゴングと同時にあこたんの彼氏は、一ラウンドと同じようにものすごい勢いで相手選手に向かっていった。
相手選手は、その場から一歩も動かない。あこたんの彼氏は、力強く大きく腕を回すようにパンチを出す。あこたんの彼氏側の応援が沸く。相手選手は上体だけでかわし、ジャブを当て、ちょっとだけ左側に回る。相手選手の応援が沸く。
あこたんの彼氏は、怯まずパンチを振り回す。あこたんの彼氏側の応援が沸く。相手選手はあたかも知っていたようにパンチをかわし、ほぼ同時にジャブを当てる。相手選手の応援が沸く。
あこたんの彼氏は、怯まない。あこたんの彼氏側の応援も怯まない。
相手選手のかわす動きが小さくなり、パンチの応酬のスピードがどんどん速くなってきた。あこたんの彼氏は大きくパンチを振り回す。相手選手はすぐにかわしパンチを放つ。
少しずつ、少しずつあこたんの彼氏のパンチに力がなくなってきた。応援の声もどんどん小さくなっていく。比例して相手選手の応援はどんどん大きくなっていく。
時間が長く感じる。三分ってこんなに長かったっけ?はやく終われ、はやく…目を閉じて願った。
なかなかゴングはならない。三分が長い…そっと目を開ける。同じ光景が広がる。大きくパンチを振り回すあこたんの彼氏とよけては的確にパンチを当てる相手選手。
その時やっとゴングがなった。
あこたんの彼氏の顔はひどく腫れていて、目は開いているかも分からないぐらいだった。セコンドは慌てふためき、顔や首や色々な所を一斉に冷やしている。セコンドの人があこたんの彼氏に必死に話しかけている。
どうみてもこれ以上は無理だと、誰がみても明らかだった。それでもゴングは鳴る。
三ラウンド目がはじまった。あこたんの彼氏は相手選手に向かっていった…。
もう見てはいられなかった。僕は下向いて、目を閉じて、はやく時間が過ぎるのを祈った。あこたんの彼氏への応援の声はほぼ聞こえなくなくなっていた。
あこたんの彼氏のパンチは当たらない。みんな気が付いてしまったのだ。きっとあこたんの彼氏自身も分かっているだろう。いや自分が一番分かっているのかもしれない。圧倒的な実力の差。絶望的な差。逆に相手選手の応援はどんどん大きくなり会場に響き渡る。その時だった。
「武ー!まだ、まだやれるー!」
沈黙した応援席から悲鳴のような女性の声が上がった。間違いない、あこたんの声だ。その声で目が覚めたように応援の声が一気に盛り上がった。
僕も目を開き、リングを見つめた。あこたんの彼氏も応援に奮起したのか、猛ラッシュして相手選手をロープ際に追い詰めた。
あこたんの彼氏のパンチは顔とボディを交互に打ち分け、相手選手の動きを完全にとめた。顔はガードされていたが、ボディにはパンチがヒットしている。
お互いの応援がますますヒートアップする。会場は応援合戦になっていた。
相手選手もガードをそっちのけで、打ち合いに応じた。壮絶な打ち合いになった。どちらも怯まずパンチを出し続け、お互いのパンチがヒットしている。
あこたんの彼氏にもチャンスが出てきた。もしかするともしかするのでは、そんな空気が会場に流れ始めた。
あこたんの彼氏が一瞬力を溜めて大きなパンチを繰り出した。相手選手は、そのパンチをかいくぐりながら、回るようにしてロープ際から抜け出し、横からあこたんの彼氏の顔に右ストレートを繰り出した。
パンチをもらったあこたんの彼氏は、真下に崩れ落ち、そのまま前のめりに倒れた。
会場が静寂に包まれる。一瞬の出来事で何が起きたのか把握できないでいる。
レフリーが駆け寄り「ダウン!」の声が響いた。次の瞬間、歓声が爆発のように起きた。同時にリングにタオルが舞い、セコンドから慌しく人が出てきて、あこたんの彼氏に駆け寄った。
カン、カン、カン。
試合終了を告げるゴングがなった。僕の周りにいた人たちの歓声がさらに大きくなる。ハイタッチして、飛び跳ね、喜びを全身で表現している。
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