第3R『デビュー』-3

 試合まで一週間に迫った週末、ある人物に呼ばれて、僕はアキバにいた。

「コジロー氏。いよいよ来週試合ですなー。楽しみにしてますぞ」

一番仲のいいオタク仲間「@カイエン」氏だ。近況を常にチャットやオンラインゲーム内で話していた。試合直前にいきなり呼びだされたと思ったら、なじみのメイドカフェを貸切にまでして、オタク仲間を集め壮行会を開いてくれた。

「自分のためにこんな盛大な会を催してくれるとは、感無量であります」

敬礼!@カイエン氏も敬礼を返す。さらに近くにいた仲間たちに敬礼が伝染する。

「オタクの星ですな。生きて帰ってきてくだされよ」

アニメオタクのなつるさん。

「伝説を作ってくれよな。応援してるぜ」

ゲームオタクのズタさん。

「応援してやるからな。がんばってこいよ!」

最近人気のアイドル育成ゲーム「アイドルライフ」のヒロイン「凛」のコスプレをしている女の子…誰だっけ?

「えっと、あのぉ、ど、どこで、お会い、お会いしましたっけ?」

「ちょっ、覚えてないの!??ひどい!」

「あわわ。ごめんなさい」

「アイドルライフのライブにみんなで一緒に行ったじゃないの!!」

アイドルライフのライブには一回しか言ったことないから、あの日なんだろうけど、二十人ぐらいの大勢で行ったし、僕はあんまりみんなと絡む方じゃないから、顔が分からない人も多い。

「あ、ああ!あの時一緒でしたね!凛ちゃんのコスプレ似合ってましたよね」

「凛ちゃんのコスプレ、今日がはじめてなんですけど…」

やってもうた。

「あぁ、えっとー。凛ちゃんじゃなかったですね。琴美ちゃんのコスプレでしたっけ。は、はは…」

「もういい」

違ったみたい。どつぼに入ったパターンだ。どうして僕はいつもこうなんだろう。

@カイエン氏が空気を感じたようで、助けに来てくれた。

「そうそう、みおちゃん。プレゼントがあるんですよな。そろそろお披露目を」

「みおちゃん?」

「私の名前!」

「あわわわ」

みおちゃんは、明らかに機嫌が悪そうに、プレゼントやらを取りに自分の席に戻って行った。

「コジロー氏。やらかしましたな。彼女の名前は矢沢みおですぞ。しっかりと心に刻んどくのですぞ」

「とほほ。助かるでござる」

みおちゃんが、大きな袋を持ってきた。

「ほら」

ぞんざいに渡された。

「あ、ありがとうございます…」

うれしいはずなのに、申し訳ない気持ちでいっぱいで素直に喜べない。

袋の中には、服のようなものが入っていた。広げるとガウンだった。ボクサーが着ているのをよく見る。真っ白な生地にアイドルライフのキャラ全員の絵が入っている。

「かっこいい!かわいい!すげー!!」

テンションが一気に上がった。

「別にあんたのために作ったわけじゃないから!みんなが作ろうっていうから、みんなが喜んでくれると思って作ったんだから」

「えっ?手作り!すごーい。ありがとう!来週の試合で着させてもらいます!」

「そんなに喜んでもらえるとは思わなかった…よ」

手作りのプレゼントをもらえるなんて本当にうれしかった。みおちゃんもちょっとだけ機嫌直をしてもらえたみたい。

「コジロー氏。着てみてくだされよ」

「そうですな」

ちょっと気恥ずかしかったけど、みんなの気持ちに答えるため、着てみることした。袖を通すと気が引き締まる思いがした。

「おおー!」「かっこいいですぞー」「よっ!オタクの星!」「うらやましいぞ。このやろー」

みんなから声援が上がる。

「ありがとうございます。ありがとうございます」

何度も何度もみんなに頭を下げた。いつもアイドルとかを応援する側だった。応援される側になるなんて思ってもいなかった。期待に答えたい。アイドルの気持ちがちょっと分かった気がした。言いすぎかな。でも、自分の持てる力を全部してやる。覚悟が決まった。やってやる!やってやるぞ!


 試合当日。目覚ましが鳴る前に目が覚めた。覚めたというか、ずっと寝てたのか起きてたのかよく分からない状態だった。浮き足立っているというのは、まさにこんな状態だろうな。すべてがぼんやりしている。試合のことを考えると怖くなるので、なるべく別のことを考えながら、淡々と準備して会場へ向かった。iPodからアニメの音楽を流す。何のアニメの曲かすら理解できない。重症だ。

彗星ジムがある荻窪駅から電車で西に二十分ぐらいの小さな駅。そこにある自動車会社の体育館が試合会場になっていた。

朝が訪れたばかりの休日。小さな駅の小さな街はまだ静かで、会場への道中、ほぼ人はいなかった。会場が合っているか不安になった。ほんとは試合とかなくて、ボクシングやってたことも、ずっと僕の妄想だったんじゃないか。まだぼんやりした朝の空気がそう思わせた。

駅から歩くこと数分。公民館みたいな外観の会場に着いた。中に入ると二つのフロアに仕切られていた。一つのフロアは、普通の体育館っぽく、広いスペースで、床には、バスケやバレーボールなどのラインが引かれている。一つ特徴的なのは、壁の一面が鏡張りになっているということ。シャドーボクシングに適していた。

もう一つのフロアにはリングが設置してあった。リングの近くにはいくつかサンドバッグもある。いつもは自動車会社のボクシング部が練習に使っているようだ。設備は試合ができるだけあって、どれも立派だった。

特にリングは、試合の規定のサイズで、彗星ジムにあるよりも広く、観客が見えやすいように高さもあった。試合をするのを想定して作ったのだろう。僕自身が、このリングの上で試合するなんて、まだ想像できない。

広いスペースのフロアの方にいくつかの人溜りができていた。自然とジムや学校などの団体ごとに集まって各自スペースを確保している。周りを見渡してみたが、知った顔はいない。集合時間の三十分前。まだ誰も来ていない。ちょっと早かったみたい。

隅っこのいい場所を確保。荷物を置いてやっと一息つけた。改めて周りを見渡すと、みんな手振り身振りでボクシングの話をしているのが分かる。さっそく鏡の前でシャドーボクシングをしている人もいる。みんな強そうに見える。どう見ても弱そうな僕は、居場所がなかった。すでに誰かに笑われているような気もする。急に心細くなった。

「佐々木君!」

あ、あの声は!僕の女神、あこたんだ!やっぱりそうだ。入り口から手を振りながら向かってくる。平田さんと彗星ジム人たち数人と一緒だ。やっぱりかわいいよ、あこたん。自然と笑みがこぼれる。一気に癒された。

「佐々木君、はやいね。今日はがんばろうね」

「はい!」

今日はこれからずっと一緒なんだ。考えるだけで幸福感で満たされる。今日をなんとか乗り越えられるような気がした。

「体調はどう?」

聞いてきたのは、平田さん。

「はい。大丈夫です」

平田さんは頷き、荷物を置いた。彗星ジムのメンバーを確認して話はじめた。

「全員そろってるね。じゃあ、今日のスケジュールを報告します。今日は午前中が女子の演技の部、午後十三時から実戦です。女子の実戦のエントリーはなかったようなので、午後の実戦は男子のみです。うちのジムから出るのは、女子演技に三名、男子実戦に一名です」

平田さんと目があった。実戦は一名。僕だけだ。

「試合に出る人はこの後、九時半に点呼があって、そのあと、検診と計量があります。十時から女子の演技の部開始になるので、九時半になったら着替えまで終わらせて、リング横に集合してください。体冷えないように、上着は着ても大丈夫です。すぐに試合の格好になれれば問題ないです」

この時点でガウンはまだはやいよな。念のため練習用のジャージを持ってきてよかった。試合まではジャージを上に着ておこう。

「それと、試合が終わった人は帰っても大丈夫です。ジムの責任者の私だけが最後まで残れば大丈夫になってます。帰るときは一言かけてくださいね」

試合が終わったら帰っていいのか。彗星ジムから来ているのは、平田さんと僕除いて六名の女性。三名が演技に出る人で、三名が応援とか手伝い。あこたん以外面識ないから、みんな午前中で帰っちゃうだろうな。応援してくれる人はもしかしたらゼロかもしれない。ちょっと心細いかも。

「それでは、あとは練習してきたものを出すのみ。自分を信じてやってきたことを出し切りましょう」

「はい!」

出場者全員の声がそろった。ここまで来たんだ。やるしかない。窓からの日差しが強くなってきた。今日という一日がはじまる。

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